慰安婦問題について、いろんな報道: 南京事件「虐殺30万人」に疑念 日本軍元少尉の日記が明かす「士気」と「規律」、中国匪賊の「蛮行」。習主席が「南京で30万人殺害」と盛った数字で国家哀悼日行事でウソをつく。撤去方針のはずが…一転「南京事件」映像展示へ ピースおおさか。 【水間政憲】南京大虐殺陥落!本多勝一、写真捏造を認める![桜H26/9/18]  

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2015年5月11日月曜日

南京事件「虐殺30万人」に疑念 日本軍元少尉の日記が明かす「士気」と「規律」、中国匪賊の「蛮行」。習主席が「南京で30万人殺害」と盛った数字で国家哀悼日行事でウソをつく。撤去方針のはずが…一転「南京事件」映像展示へ ピースおおさか。 【水間政憲】南京大虐殺陥落!本多勝一、写真捏造を認める![桜H26/9/18]  

日中戦争に従軍した西山源次郎さん。自身のカメラを持参して、
当時の中国の様子などを撮影したとみられる(西山邦夫さん提供)

産経WEST2015.5.11 11:00更新 【歴史戦WEST】
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南京事件「虐殺30万人」に疑念
日本軍元少尉の日記が明かす「士気」と「規律」、
中国匪賊の「蛮行」
「南京事件」はあったのか、なかったのか-。
昭和12(1937)年、当時の中華民国の首都・南京を占領した日本軍が、
約6週間から2カ月間にわたって多数の敗残兵や住民らを殺害したとされ、
いまだに犠牲者数や存否をめぐって論争が続く南京事件。

中国側が「30万人」と主張する犠牲者数は、日本国内では
支持する有識者はほとんどいないものの、国を挙げた中国側の
執拗(しつよう)な取り組みによって30万人説が
国際的に一人歩きしている側面もある。 
事実はどうだったのか。南京攻略戦から78年を経て、
新たに明らかになった元将校の日記や手紙からは
規律に満ちた日本軍の様相が浮かび上がる。
反日姿勢を強める中国側の喧伝にはますます疑念を抱かざるを得ない。
(歴史戦WEST取材班)

「泥の兵隊」日本軍を苦しめた南京への道
 歳月の長さを感じさせる黄ばんだ手帳や、封書の束、モノクロ写真…。

その数はざっと50点以上はあるだろうか。
いずれも約80年前に上海、南京攻略戦を皮切りに
日中戦争を戦った陸軍少尉、西山源次郎さんが残した貴重な記録だ。

 《毎日十里(約40キロ)余り歩いて、毎朝腰が上がらない。

(中略)南京が近くなったので毎日、遊軍機は飛び、
攻略戦に早く参加すべく兵の士気があがった》
 源次郎さんが手帳に鉛筆でつづった文章からは、

昭和12年初冬、当時の中華民国の首都、南京の攻略に向かう
日本軍将兵らの息づかいが聞こえてくるようだ。
  「父が南京攻略戦に参加していると知っていれば…」。

源次郎さんの長男、邦夫さん(78)は父の遺品を手に語る。
源次郎さんは平成5年、87歳で死去。 
18年に母も亡くなり、遺品を整理していた際、父の日記や戦地から
母に送った手紙など膨大な資料を見つけた。
資料を見て初めて、父が南京攻略戦に参加していたことを知った。
源次郎さんは、慶應大を卒業後、帝国生命(現朝日生命)に

勤務していた昭和12年9月に召集された。
この年の7月、日中戦争が勃発しており、源次郎さんは
陸軍第114師団歩兵第115連隊の小隊長として中国大陸に向かった。
 同年12月10日から始まった南京総攻撃。
当時の源次郎さんの日記には、鉛筆書きで南京城が陥落した
同月13日までの出来事が1~2行、簡潔に記されているだけだが、
時折次のような記述もある。
 《道がよければ二日か三日で来られる距離と思うに、
悪路のため二十日もかかり兵の苦労たるや何とも言いようもなく、
泥んこで休憩する場所もなく立ちっ放し。
体中どろどろで土の付いていないのは眼だけで、
顔をなでると泥が手に一杯取れるほど、正に泥の兵隊であった》
 南京への道が、日本軍将兵を悩ませた様子が浮かび上がる。
攻略戦に参加した別の元兵士によると、上海から南京への道は
主に田園地帯で、悪路を進軍したという。

南京城…「随分馬鹿げたものを作った」
 さらに南京では厳しい戦いを迫られた。
戦後に書いたと思われる源次郎さんの手記は、戦闘の激しさを物語る。
 《南京南方六里(約24キロ)の秣陵関に到着した。
南京城は火災を起こして紅く夜空を染め、砲声も聞こえる。
秣陵関を出発すると、野戦病院が仮設されており、
多くの将兵が収容されていた。第三大隊だけで三百名が戦死傷した》
  源次郎さんらは南京城の南側にある雨花門から迫る。
《西山隊も早く第一線に行け、南京もまもなく落ちるだろうと言われ、
猛進を続け、吾々のいた壕にも敵弾が盛んに飛んでくる。
ここからクリークを渡ると、城壁まで三百米(メートル)、
城壁の高さは二十米あり、千二百発の砲弾で城壁を崩し、
西山隊も十二日夜城 壁をよじ登って突入した。
残敵掃討をするが、城内は火災と銃声で声も聞こえない。
夜中になって銃声も止み、民家で休憩する》
手記によれば、源次郎さんらが南京城に入ったのは陥落の前日だ。
その後、城壁上での警備を命じられ、夜を明かす。
空が白み始め、眼下に広大な南京城内が姿を現す。
 《南京城は周囲十二里、汽車の線路もありその巨大さに驚くとともに、
随分馬鹿げたものを作ったものと呆れる》と心情を記している。

踏み荒らされた家屋に「惜しい」
 日記は数日途絶え、16日から再開する。
 この日、雨花門周辺の警備を担当していた源次郎さんは、
部下を率いて城壁上を移動。
《支那兵の弾薬、迫撃砲弾など夥く、死体も数十ありたり》
という状況だった。
 午後11時ごろまで任務に就いたが、その間、大隊長から、
部隊の団結とともに規律の維持を求められたという。
 17日には《午前九時半集合、正午南門を発する予定
…(中略)十時には早くも出発》。
次の任務地に向かうため南京城を離れた。
 自らも航空自衛隊で空将補を務めた邦夫さんは、
自身の経験を踏まえ、17日の記述に着目するのだ。
 「師団であれば万単位、連隊でも何千人単位で構成されている。
部隊は前夜遅くまで警備を行っていたにもかかわらず、
急な移動命令でもただちに出発できる態勢を確保していた。
このように迅速に行動できるのは、
高い士気と規律を維持していたからに違いない」
 日記や手記だけでなく、源次郎さんは妻にあてた私信の中でも
南京城内の様子について触れている。
南京陥落から約1カ月半後の昭和13年1月25日付の手紙にはこうある。
 《南京城では千円もするような毛筆を見つけた者や、
銀狐や時計、双眼鏡、拳銃、首飾り等々金目の物を
大分見つけた者もあるやうです。
残幣を何万円も見つけた者があって、
将校はいちいち取り締まらなければならないので、困りました》
当時、南京城内にいた住民らは、欧米人らでつくる国際委員会が設けた
非武装中立地帯「安全区」に逃げ込んでいた。
だが、多くは貧しい人々ばかりで、裕福な住民らは早々に南京を脱出している。
 日本軍が富裕層の家から高級品を略奪したとする意見があるが、
中国軍の仕業との見方もある。
  源次郎さんの記述について、邦夫さんは
「陥落直後の城内の掃討作戦中に目にした様子だろう」と推測した上で、
「文面からは、部下の略奪を嘆いているのでは なく、部下から発見の報告を受け、
父はすべてに対応しなければならず困っていたのでしょう。
こうした状況からも規律が守られていたことがうかがえる」と語る。
 さらに、家の中は中国軍により
《書籍や家宝となるやうなものが沢山荒し放題あらされて
或いは踏み荒らされ》といった状況で、《惜しいと思いました》と無念さを記している。

「支那の兵隊」と同一視は「かなわない」
 日本軍は南京城内で住民を殺し、ほかの地域でも残虐行為を行った
-と中国側は主張する。
 しかし、その後山東省や北京近郊などの戦線で任務に就いた
源次郎さんが妻にあてた私信からは、日本兵と住民の異なる関係が浮かび上がる。
 手紙では、中国人の匪賊(非正規武装集団)と住民の戦闘が絶えず、
住民が殺されたり、子供が誘拐されたりする悲惨な出来事が
繰り返されているとし、
《いくら日本軍が討伐しても、三年や五年で尽きるものではない》と訴えている。
 また、住民との関係について
《支那では兵隊は良くない人間ばかりなので(住民は)日本軍も
同じように考えているのです。
兵隊は悪いことをするものという考えがあるからすぐ逃げる。
支那の兵隊と一緒にみられてはかなわないね》
だが、日本兵に対する住民の見方は徐々に変化する。
 《最近部落での評判が大分いいのです。示威行軍に行っても
皆出迎えてくれるほどなのです。
日本軍は税金も取らないし、品物も買ってくれると…》
 《支那兵は毎日食い物をもらいに来る。応じなければ銃殺されることもある。
税金はむやみに取る。出さなければ女や子供を人質に取る。
こんなやり方をするのだから嫌われるのも当たり前です》
 「日中戦争時の日本軍の残虐性を示す」とされてきた当時の写真が、
その後の検証で匪賊や中国側によるものと判明したケースもある。
源次郎さんの記述からも、中国大陸であったとされる「蛮行」は、
果たして日本軍による行為だったのかという疑念すら浮かんでくる。

日記に「虐殺」記述なし
 戦後、源次郎さんは郷里に戻って中学校教員として家族を養った。
邦夫さんらには戦場での話をしなかった。
戦時中はひげを生やし、いかつい風貌(ふうぼう)だったが、
家族には終始穏やかな態度で接していた。
 「父が話したかったことは、残された日記や手紙にすべて収まっている。
父らの世代が戦時中のことを語らないのは、言えば自己弁護になるし、
語ることを潔しとしない世代だったからではないか」
 邦夫さんは父の足跡を伝えようと、日記や手紙などを本にまとめ、
子供や孫、親類に配った。
 防衛大学校に4期生として入校した邦夫さんが、
防大の講義やその後の自衛隊生活で常に求められたのは規律だったという。
 「強い軍隊ほど規律の保持が徹底される。
逆に軍紀が厳粛だからこそ、戦場という場で能力が発揮できる」
と実感を込めて語る邦夫さん。
戦後、突如として現れた「南京大虐殺」説に対して疑念をぬぐえず、
悔しさをつのらせる。
「もし当時、虐殺といった不当行為を目撃していれば、
父は真実を日記や手紙に書き残していただろう。
日記からはそんなことはうかがえない。
物理的に30万人を虐殺するのは無理なのに、
戦後の大きな風潮のうねりの中で
歴史の歪曲(わいきょく)に染まってしまった」
 勝者が敗者を裁き、勝者が主張する虚構と欺瞞(ぎまん)に満ちた歴史観が
まかり通る戦後の国際社会。
歴史の真実を明らかにすることは、源次郎さんら多くの日本軍将兵らとともに
日本の名誉を回復することにほかならない。

2015年4月21日
【歴史戦】第10部・終わらぬプロパガンダ(4)、
信頼性乏しい残忍写真 「南京記念館」 プロパガンダ展示“ 
中国主張に異を唱えるのはみな右翼”。
(3)日本兵証言掲載に「反動!」取材拒む
「 ... 歴史戦WEST取材班) 「城内に遺体はなかった」
「城内は空っぽでした」。昭和12年12月13日の南京陥落後、 
南京城に入った城光宣(じょうこうせん)さん(99)に昨秋、 
城内の様子を尋ねた際の第一声だ。 兵士はおろか、
住民の姿さえいない無人地帯だったというのだ。 
住民たちは、欧米人らでつくる国際委員会が ...

習主席「南京で30万人殺害」…国家哀悼日行事
2014年12月13日 13時14分 YOMIURI ONLINEホームへ
 【南京=鈴木隆弘、北京=五十嵐文】中国の習近平シージンピン政権は、
旧日本軍による「南京事件」(1937年)が起きた12月13日を「国家哀悼日」に
制定してから初めてとなる
記念行事を、13日午前、中国江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」で行った。


 習国家主席は演説し、「南京事件」で「30万人の同胞が殺害された」と主張した。
さらに「侵略の歴史を顧みない態度や、美化する言論に強く警戒し、
断固反対しなければならない」とも述べた。

 11月に約3年ぶりに日中首脳会談が実現し、
経済交流や対話などが動き出したが、来年の「抗日戦争勝利70年」に向け、
習政権が歴史問題を巡って対日圧力を維持する姿勢を示した形だ。
 その一方で、習氏は
「中日の両国民は代々にわたり友好を続けなければならない」
「少数の軍国主義者が起こした侵略戦争によって、
その民族(全体)を敵視すべきでない」
とも語り、日中関係を重視する方針も強調した。
【松尾一郎】「慰安婦」の次は「南京」!
新抗日団体の動きと南京プロパガンダ再検証
[桜H26/9/8] SakuraSoTV
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産経ニュースwest
やはり「自虐」回帰? 撤去方針のはずが…
「ピースおおさか」の展示をめぐる経緯一転「南京事件」映像展示へ ピースおおさか
2014.9.19 02:00 (1/2ページ2/2ページ
 westライフ

ピースおおさか」の展示をめぐる経緯
 大阪府と大阪市が出資する財団法人
大阪国際平和センター
(ピースおおさか、大阪市中央区)で、
日中戦争中に旧日本軍が行ったとされ、
その実態 や規模をめぐって
議論が分かれている「南京事件」に
関する映像展示を行う見込みであることが
18日、分かった。

府・市議らから事件の虚構性を指摘され、平成27年度のリニューアルオープンに
向けて関連展示を撤去する方針が決まっていた。
直前の“方針転換”に疑問の声が上がりそうだ。
橋下市長も「自虐」了承か
  府人権企画課によると、日清・日露戦争から第二次大戦までの経緯を説明した
十数分程度の映像資料を流す予定。

その中にある、昭和12年に旧日本軍が南京城 へ入城するシーンに
「日本軍が占領した首都・南京で、捕虜のほか女性や子供を含む
多数の住民が殺害された」という内容の
ナレーションを重ねることが検討さ れている。

 ナレーションは府内の小中学校で広く使われている東京書籍などの教科書に準拠。
橋下徹市長は、設置を模索している近現代史を テーマにした教育施設では、
議論が分かれる歴史的事象に関して「一つの価値観でつくることはしない」として
両論併記とする姿勢を示しているが、市の担当部局によると
「ピースおおさかは歴史を評論する施設ではない」として、南京事件では
両論併記をしない考え。橋下氏もこの方針を了承しているという。

  ピースおおさかではこれまで、旧日本軍の南京攻略後に見つかった
中国人の生首とされる写真など南京事件コーナーが設置されていた。
しかし、市民団体や府市 議らから、当時のデータや証言、近年の研究成果を踏まえ、
事件そのものの虚構性を訴える声も上がり、子供たちに戦争の悲惨さを伝えるために
必須ではない- として撤去が決まった。

南京事件の犠牲者数をめぐっては中国側が「30万人」と主張。
国内では、近年の研究で誇大との見方が定着した「大虐殺派」(十数万~20万人)、 
「中間派」(2万~4万人)、「事件否定派」の3説があり、日本政府の公式見解は
「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」となってい る。
 ピースおおさかの岡田重信館長は「諸説あるものの多くの犠牲者が出ている。
当館は、事件を全体のストーリーを語る上での
一つの重要な歴史的事象ととらえている」と話す。

事実無根のプロパガンダ
 歴史博物館の展示問題に詳しい拓殖大の藤岡信勝客員教授(教育学)の話
「南京事件は、中国が国際社会にアピールするための事実無根のプロパガンダ
(政治・思想宣伝)だ。映像にナレーションを重ねるのは展示を撤去する行為と
全く矛盾しており、やるべきではない」

ピースおおさか「南京事件」展示で府市トップの対応に差 
橋下氏「展示内容問題ない」、松井氏「両論併記を」
2014.9.19 13:12westセレクト
大阪府と大阪市が出資する財団法人「大阪国際平和センター」
(ピースおおさか、大阪市中央区)が「南京事件」について日本の加害行為を紹介する
映像展示を行うとの産経新聞報道をめぐり、大阪市の橋下徹市長は19日、
「(内容は)教科書の範囲内の事実。中国側の加害行為も入れる」と述べ、
展示内容に問題はないとの認識を示した。

一方、大阪府の松井一郎知事は
「大虐殺が行われたという一方的な内容にならないよう、
両論併記して正確に再現する」と明言。
南京事件をめぐる府市トップの認識の差が表面化した。

府人権企画課「入城の場面に音声で “多数の住民が殺害された”」

  府人権企画課によると、平成27年度のリニューアルオープンに合わせ映像資料を

展示する予定で、旧日本軍が南京城へ入城するシーンに
「日本軍が占領した首都・南京で、捕虜のほか女性や子供を含む多数の住民が
殺害された」という内容のナレーションを重ねることを検討しており、文言は
教科書に準拠する方針。

  橋下市長はナレーションについて

「日本軍による南京事件、重慶爆撃では多数の市民が犠牲となった」という内容と主張。
昭和12年に中国人部隊が日本人居留 民らを虐殺した通州事件でについても触れ
「中国軍は日本の軍人、居留民を殺害」と紹介しているとし、
「中国側の加害行為も入れている」と強調した。
ナレー ションの内容に関しては、「教科書の範囲内の事実。
これまで否定するとサンフランシスコ講和条約の否定につながりかねない」と述べた。

 これに対し、南京事件について松井知事は

「ありとあらゆる文献や意見があり、それをできるだけ展示すべきだ」と指摘。
「戦争の悲惨さを伝えるためには、
大虐殺が行われたという片方に寄ったものではだめだ」との見解を示した。

 【用語解説】南京事件
  1937(昭和12)年12月13日、当時の中華民国の首都・南京陥落後、

旧日本軍の占領下にあった最初の6週間に起きたとされる事件。
犠牲者数について は中国側は「30万人」と主張。
日本国内では、近年の研究で誇大との見方が定着している「大虐殺派」
(十数万~20万人)、「中間派」(2万~4万人)、 「事件否定派」の3説がある。
日本政府の公式見解は「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」。
【水間政憲】南京大虐殺陥落!本多勝一、写真捏造を認める![桜H26/9/18] SakuraSoTV
反日プロパガンダとして、韓国の「従軍慰安婦」と対をなす中国の「南京大虐殺」。
その­デタラメを大々的に宣伝してきた本多勝一がこのほど、週刊新潮の取材に対し、
「日本軍­の蛮行」として流布している写真の「誤用」を認めたという。
潮目が変わりつつある日本­と特定アジアの宣伝戦の最前線について、
ジャーナリストの水間政憲氏に解説していただ­きます。

緊急拡散希望《本多勝一氏が『週刊新潮』に「南京大虐殺」派が使っていた象徴的写真を
捏造写真と認めました》 2014年09月18日 10:46  
【水間条項ー国益最前線ジャーナリスト水間政憲のブログです。】

中国が「抗日活動」強化 
産経ニュース南京事件“生存者”100人の証言、ネットで公開
2014.9.18 18:37日中関係
 中国江蘇省南京市の南京大虐殺記念館が運営するサイト
国家公祭網」が、いわゆる南京事件(1937年)の“生存者”の写真と証言を1日1人、
100日間にわたってインターネット上で公開する抗日活動を18日までに始めた。

 「一家9人のうち7人が殺害された」と同館に証言したという85歳の女性らが登場した。

 中国では事件が起きた12月13日を今年から「国家哀悼日」と定めている。
同館によると“生存者”は200人を切ったという。(上海 河崎真澄)
 第13回 「ちぐはぐな証拠」~南京大虐殺~ 【CGS 河添恵子】ChGrandStrategy                               
朝日新聞・本当の南京 松井大将は蒋介石の下宿の保証人だった!
2013/07/17 に公開 Pad Mal
ジャーナリスト・水間政憲氏の「ひと目でわかる日韓・日中 歴史の真実」より 
 水間氏本人のインタビュー     
国、南京事件、慰安婦資料を記憶遺産に ユネスコに登録申請 
2014.6.10 16:29
中国「韓国と共闘」に傾斜 習主席 訪韓の“手土産”
2014.6.11 00:33  (1/2ページ2/2ページ 2
2014.6.11 21:30  
            
【天下圍城】天安門事件二十五周年 東京大会[桜H26/6/10
中共執政60年 非正常死亡者8千万 2012/11/09  Japan Ntdtv
【禁聞】天安門事件弾圧 多くの軍人が抵抗  【新唐人2014年6月8日】
『河村たかし市長対南京事件①』河添恵子 AJER2012.2.29(3)
河村たかし市長対南京事件②』河添恵子 AJER2012.2.29(4)
The Fake of Nanking 南京事件をどのように捏造したかよくわかる動画。

2 件のコメント:

  1. 西山源次郎さんは実在の人物でしょうか?
    同姓同名の方が明治時代にいたようで、ネットで調べるとその方しか出てきません。南京に従軍したという話は産経がらみのニュースだけのようですが・・・

    返信削除
  2. 念のためネット上でググってみたら、確かにそうですね。
    ただ、軍人名簿のサイトにいけば、見つかるのでしょうかね・・・
    さすがに産経も架空の人物で記事をでっちあげても
    検証されたら、どうなるかはわかるので
    そこまでしないとは思いますがどうでしょう?

    返信削除