慰安婦問題について、いろんな報道: ソウル市が慰安婦映画「鬼郷」上映へ。【韓国の反応】慰安婦映画『鬼郷』の監督 「証拠がないという言葉に腹が立ったので、 証拠を作ろうと思って映画を製作した」。慰安婦映画『鬼郷』お蔵入り寸前が、日韓合意でおもわぬヒット?。その他関連。

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2016年2月29日月曜日

ソウル市が慰安婦映画「鬼郷」上映へ。【韓国の反応】慰安婦映画『鬼郷』の監督 「証拠がないという言葉に腹が立ったので、 証拠を作ろうと思って映画を製作した」。慰安婦映画『鬼郷』お蔵入り寸前が、日韓合意でおもわぬヒット?。その他関連。

映画「帰郷」を作った趙廷来監督。
チョ監督は「証拠がなかった言葉に腹がたったので、
文化的な証拠の役割を果たしたくて」映画を作ったと述べた。

2016.2.29 21:00 産経ニュース
ソウル市が慰安婦映画「鬼郷」上映へ 
韓国・ソウル市は29日、日本統治下の朝鮮半島で
1919年に起きた独立運動記念日の3月1日に、
慰安婦を描いた2月公開の韓国映画「鬼郷」を
市内の文化施設で特別上映すると発表した。
市は「慰安婦として連行された
20万人の少女の物語を
市民が観賞する機会を広げる目的だ」としている。

 映画は元慰安婦の女性らの証言を基に製作。
慰安婦として家族と引き離された少女らの悲劇のほか、
強制連行や暴行など日本軍の残虐性を描き、
2月24日の公開から既に100万人以上が観賞した。(共同)
韓国小6社会の教科書 「慰安婦」「性奴隷」掲載見送り
国連委での日本政府の説明に反論

【韓国の反応】慰安婦映画『鬼郷』の監督

160214 출발! 비디오 여행. 귀향 (위안부 피해자 실화영화)1018STORY HM

2016年2月25日15時34分 ソウル=牧野愛博 朝日新聞
旧日本軍の慰安婦を描いた韓国の映画「鬼郷(キヒャン)」
(趙晶来〈チョジョンレ〉監督)が24日、韓国各地で封切られた。
韓国の映画館入場券統合電算網によれば、
公開初日の観客数は約15万5千人で、上映中の映画の首位となった。
25日午前9時時点での前売り観客数も約6万8千人と、
封切り前と上映中の映画全体のうち約27%を占め、
2位の約15%を引き離して首位に立っている。

 趙監督は2002年、ソウル近郊で元慰安婦が暮らす
「ナヌムの家」を訪問。
元慰安婦が描いた絵を見て映画化を思い立った。
1943年当時、
14歳だった主人公の目を通した世界を表現したという。
 戦争中に亡くなったり、差別されたりして
故郷に戻れなかった元慰安婦を慰める意味も込め、
漢字表記を「帰郷」ではなく「鬼郷」とした。
 慰安婦問題が日韓間で政治問題化した影響もあり、
資金集めが難航したが、制作費の半分にあたる
約12億ウォン(約1億円)を市民からの募金でまかなったという。
今後、韓国全土の300館余りで上映される。(ソウル=牧野愛博)

慰安婦描いた映画が韓国で公開、15万人以上が押し掛ける
=韓国ネット「歴史を忘れない国民の心だ」「海外でも上映して!」

配信日時:2016年2月25日(木) 11時30分 レコードチャイナ
영화 '귀향' 두번째 티저 '가시리' JO Entertainment
오늘의 초대석 2016 01 21 영화 '귀향' 배우, 최리 MBC경남

ソウル大光高校のチェ・テソン教師 
私費はたいて江南の5館借り切り 
「慰安婦被害者にして差し上げられることは 
その方々を忘れずに記憶すること」

現職の高校韓国史教師が日本軍「慰安婦」被害者の
証言を基に作られた映画『鬼郷』(チョ・ジョンネ監督)の
無料観覧イベントを準備した。 
私費をはたいてハンギョレ読者などのために
映画館を借り切った
ソウル大光高校のチェ・テソン教師(46)がその主人公だ。

チェ氏は24日、
「歴史の教師として慰安婦被害者にしてあげられることは、
その方々を忘れずに記憶することだけと考え、
一人でも多くの人が『鬼郷』を観てくれればという思いで始めた」
とイベントの趣旨を説明した。 
さらに「封切りを前にして『鬼郷』が上映館の確保に困っているという
新聞記事を見てイベントを準備した」として「封切り(今月24日)が迫ってきて、
映画に対する反応がますます熱くなるのを見て、
全く余計な心配だったことが分かった」と苦笑した。 
この日午前9時、映画館入場券統合コンピュータ・ネットワーク基準で
『鬼郷』の前売り率は27.5%で、リアルタイム前売り率1位だ。
 チェ氏は1カ月分の給料をはるかに上回る私費を投じて、
26日夜のソウル江南(カンナム)のあるマルチプレックス映画館のうち
5館(434席)を借り切った。 
学校で慰安婦問題を教える教師として、
自ら進んで決めたことだったが周囲からは
これを政治的に解釈して心配されることもあった。
チェ氏は「慰安婦問題は学校で習い、
大学修学能力試験にも多く出題される私たちの歴史」として
「私たちがいつからか慰安婦問題を考えることを
自己検閲するようになったようで当惑した」と話した。
 チェ氏は「(慰安婦問題に対する韓日両政府間の
12・28合意と関連して)国家としてそれぞれに悩みがあることは分かる」
として「それとは別にその方々を
記憶することは私たちの当然の義務」と話した。
 さらに「子供たちに日帝強制占領期間を教える上で
映像資料として活用できる良い映画が作られたと感じ
個人的にも感謝している」と付け加えた。 
ハンギョレはチェ氏の後援によりこの日午前、SNSを通じて
先着50人に2枚ずつ映画のチケットを配ると公示した。 
公示を出すと午前中には締め切りになり、
当選した50人のうち33人が
10代後半から20代始めの1990年代生まれだった。

2015/07/06 続・慰安婦騒動を考える
NYTに取り上げられるも、映画「鬼郷」配給会社なし
ずっとこの映画のタイトルを「帰郷」だと思っていた。
映画の一場面を見ると、
今時こんなベタな「強制連行」のイメージはないだろうと。
「広義の強制連行」にシフトしているようなのに・・・。
時代遅れなのは、元慰安婦カン・イルチュルの有名な絵を
モチーフにしているかららしい。
カン・イルチュルは、日本の警官に捕まり慰安所に送られ、
そこで日本兵たちによって焼き殺されかけたという体験を絵にしている。
受けそうなテーマなのに、映画会社の反応は鈍いらしい。
ニューヨーク・タイムズにまで取り上げられた映画なのに
2015.3.24)。
「ヒットするのか?」という反応が多かったそうな。
商業作品としては出来が良くなかったか?

姜日出(カン・イルチュル)
1990/08/29 (Wed) 従軍慰安婦問題を考える

ネット募金で撮った慰安婦映画、見つからず
チョ・ジョンレ監督作品『鬼郷』 
朝鮮日報日本語版 2015.7.6[2]
元従軍慰安婦を描いた映画『鬼郷』が13年の歳月を経て
募金により製作されたものの、
配給会社が見つからずに公開できないというピンチに直面している。
『鬼郷』は「若くして外国で命を落とした少女たちの魂を
故郷に呼び戻す」という意味で、2011年の映画『DURESORI』などを
手がけたチョ・ジョンレ監督(41)が製作した。
このほどクランクアップし、現在は編集作業中だ。
チョ監督は光復(日本の植民地からの開放)70周年を迎える
8月15日に試写会を開き、映画を公開するつもりだったが、
公開日を年末に先送りした。

この映画は、元慰安婦たちの保護施設「ナヌムの家」
(京畿道広州市)で暮らす姜日出(カン・イルチュル)さん(87)が描いた
「燃やされる少女たち」という絵をもモチーフにしている。
この絵は姜さんが1943年に日本の警官たちに捕らえられて
中国・吉林の慰安所に連れて行かれ、ひどい目に遭った末、
伝染病にかかったため、日本の兵士たちに
火をつけられ殺されそうになったことを思い出して2001年に描いた。

チョ監督はスポンサーが見つからず、13年間にわたり
脚本を温めてきたが、昨年末に本格的な撮影に入った。
今年1月に映画製作が難航していると聞いたある
ネットユーザーがクラウド・ファンディングを提案して
募金が開始された。
このように、国内外の約4万人が少しずつ出し合った資金は
合計約6億ウォン(約6500万円)になった。
俳優ソン・スクさん(71)ら出演者・スタッフも
事実上、ノーギャラで撮影に加わった。
だが、クランクアップしたものの今度は配給会社が見つからず、
壁にぶつかっている。
チョ監督は「あちこち行ったが断られた。
関心を示した大手配給会社1社との交渉も結局、うまくいかなかった。
『ヒットするのか』という反応が多かった」と言った。

こうした話が伝えられたのを受け、インターネット上では
「映画を配給してほしい」という声が相次いでいる。
姜さんは「私が生きている間に映画を見られたら」と語った。
15 06 21일 MBC 시사매거진 2580 귀향 조정래감독 홈 아리랑

2015年11月18日水曜日

従軍慰安婦をテーマにした映画が中国で公開。
その評判は?  
2014年9月30日 12:40映画.com ニュース
旧日本軍の従軍慰安婦を題材とした
中国映画「黎明之眼」が、
満州事変の発端となった柳条湖事件(1931年)がぼっ発した
9月18日、中国で公開された。
戦争中の日本人の残虐ぶりを強調し、
中国人の愛国心を刺激する「抗日作品」だが、
公開1週間を過ぎた観客の反応は「まずまず」といったところだ。
「黎明之眼」は、慰安婦にされた女性、
娘、孫娘の三代にわたる悲劇を描く。
主演は往年の武侠映画の女性スター、チェン・ペイペイ(鄭佩佩)。
実の娘で女優の原子[金惠](マーシャ・ユエン)との
初共演で母娘役を演じている。
メガホンをとったのは、かつて“ブルース・リーのそっくりさん”として活動した
香港出身俳優の呂小龍(ブルース・リ)。
物語のベースとなったのは、中国の作家・粛馬(スー・マー)が書いた脚本
「地獄は何層あるのか」。
スーの娘は日本でも公開された映画
シュウシュウの季節」を書いた女性作家、
厳歌苓(ゲリン・ヤン)だ。
予告編をみると旧日本兵の残虐ぶり、戦争の悲惨さを強調。

いわば典型的な「抗日作品」となっている。
中国芸能情報サイト大手・新浪娯楽は、
いわゆるストレー トなプロパガンダ映画として紹介。
「習近平(シー・ジンピン)国家主席が掲げる愛国主義精神のもと、
戦争中に日本が犯した数々の蛮行を露わにした。
慰安婦問題は忘れてならない歴史の一部で、
戦争が女性や家庭、国家に対し、
どれほど深刻な傷を負わせるかを明らかにする」とした。

中国メディアによると、公開を控えた9月中旬には、北京で

ワールドプレミア上映会が開かれ、
監督ほか出演俳優が舞台あいさつに勢ぞろいした。
主人公の娘時代を演じたユエンは
「撮影中は経験したことのない困難に見舞われた。
もともと私は楽観的なタイプだが、主人公があまりに気の毒で、
こらえきれず何度も泣いた」と振り 返った。
また、母親のチェンは
「同じ役の違う世代を娘と演じたかったので、長年の夢がかなった。
二人で演じた慰安婦が受けた苦しみは忘れがたい」と話し た。

さらに、ジョン・ウー監督の「男たちの挽歌」などで日本でも知られる

香港のベテラン俳優、ケネス・ツァン(曾 江)は、
主人公のかつての恋人役で出演。
戦後数十年ぶりに再会すると、彼女が慰安婦にされていたことを知る。
ツァンは「形容しがたい苦しみだ。
自分の家族がもしこんな残虐行為に巻き込まれたら、
どう感じるか考えてほしい。
存命の元慰安婦女性たちは勇気をもって生き抜いてほしい」と訴えた。

また、過去20年にわたり慰安婦問題に取り組み、

今回の製作では私財も投じた監督は
「彼女たちはずっと誤解され、忘れ去られてきた存在だ。
戦争の屈辱、女性たちの強さを世に知らせたかった。
全世界の人に侵略戦争の真相を知ってほしい」と語った。

公開から1週間で興行収入ランキング上位には入っていないが、

観客の評価はまずまずといったところ。
中国サイトのレビューをみると、典型的な抗日作品のため、内容より手法や
作品の質を批判したものも目立つ。
「題材はいいが、中国人俳優が話す日本語のせりふの発音がひどすぎる」、
「学校の授業で見せるべき愛 国教育映画」、「ベテラン二人の演技は買う」、
「精神はいい。これを撮ることは政治的任務だとしても、チケットは買うよ」
などの意見が寄せられている。 (遠海安)

慰安婦問題】 実話に基づく中国初の慰安婦映画『黎明之眼』、
来月封切り=中国メディア[08/14] ログ速(logsoku)
▲『黎明之眼』(別ソース:東方網日本語版)
日本軍慰安婦を素材にした初の中国映画「黎明之眼」が
満州事変83周年記念日の翌月18日、
全国的に封切られると人民網など中国メディアが14日報道した。

慰安婦体裁の映画·『黎明の眼』のポスターがアピール
2014年 8月 14日15:52 / 提供:東方ネット                     

13日、慰安婦を扱った映画『黎明の眼』のポスター、
予告ビデオがアピールされた。
同映画は香港の有名な監督·呂小龍氏が
監督や主役を担当し、厳歌 苓氏を文学顧問にし、
女優の鄭佩佩と娘の原子鏸、男優の曾江を主役にした。
映画は真実の物語を青本にし、写実手法で慰安婦が受けた
非人間の待遇を記録した。
旧日本軍が中国を侵略する暴行を暴れると同時に、正視や尊重されていない
「慰安婦ら」の命のファイルを暴れた。

呂小龍氏
「日本人慰安婦は金儲けのために自発的に、中国と韓国の女性は
強制的に慰安婦にされた」と述べた。


2014年6月27日金曜日
韓国外交部サイトに上げた映画は、どうやら広島大の講義での映画と同じらしい・・

【国際】 慰安婦映画の監督 「日本人の慰安婦は金儲けのために自発的に行った。
中国と韓国の女性は強制的に連れて行かれた」★2
ログ速(logsoku) 投稿日:2014/02/23(日) 18:44:32.37 ID:???0
太平洋戦争末期の1944年、
中国雲南省松山には日本軍第56師団の兵力約6000人が駐留した。
彼らのために用意された23カ所の慰安所には、
韓国や中国から連れて来られた多数の若い女性がいた。
現在ここでは松山の慰安婦を扱った映画が制作されている。
元俳優の呂小龍が脚本・監督の『黎明之眼』だ。
慰安婦を扱った韓国ドラマ『黎明の瞳』の影響を受けたことが分かる。
映画は日本軍が1937-38年に犯した南京大虐殺記念日の
昨年12月13日に撮影を始めた。
同じ日、美術家の袁煕坤の彫塑作品『慰安婦』もここで公開された。
呂小龍監督は中国中央放送(CCTV)のインタビューで、
「中国の若者は従軍慰安婦についてよく知らない。
日本人慰安婦は金儲けのために自発的に行き、
中国と韓国の女性は強制的に
連れて行かれたり、 だまされて行った
」とし、
慰安婦の実状を知らせるのが映画の目的だと述べた。
http://japanese.joins.com/article/014/182014.html?servcode=A00&sectcode=A00

2014年7月11日金曜日 山本優美子氏が会見 
Yumiko Yamamoto: Appeals to the UN,
"Comfort Women were Not Sex Slaves"
20万として、そのうち同胞=半島人が関与したのは何人か?
個々の人生はどうなのか? 
生き延びて、声が多きいのが代表できるか?
特に日本兵と玉砕した女性は!
 弊ブログの「慰安婦」研究参照。
地の塩になれればと
山田正行 ‏@yamadamasatsura なでしこアクションのツイート への返信ツイート

(4)激戦地で日本兵と共に玉砕した朝鮮人「慰安婦」の無言の重さを想う より 

1)死者は語れず、また生存者の多くはは語れない。
語ろうとしても、引け目や罪責感のために語れない。
生存者の一部だけ語ることができる。
それを尊重するが、しかし、それが全体を代表し、
しかも、自分の証言以外を否定することは認められない。

2)日本軍守備隊が玉砕した雲南・拉孟における「慰安婦」は、
松井秀治『ビルマ従軍 波乱回顧』(興竜会本部、福岡、一九五七年)
でも記述されている。
その第二巻第十四の「慰安」(一八五頁以降)では、
「拉孟で最も立派な建物」を新築して「慰安所」とし、
昭和「十七年の暮も押し詰まった頃、
半島人の慰安婦十名が軍の世話で到着した。
十八年の夏頃又内地人と半島人合せて十名が派遣された。
最初の半島人十名は十八年に龍陵の慰安婦と交代したが、
これ等の慰安婦は十九年六月後方との交通が遮断された為
後方に脱出する事が出来ず、拉孟の将兵と共に玉砕した。

此等の女性は最初は慰安婦であったが、
拉孟が包囲されるに 及び全く日本婦人と変り、
兵の服を着用し炊さんに握り飯つくり、患者の看護等に
骨身を惜しまず働いて呉れたが、
気の毒なことであった」と述べられている。
 「気の毒なことであった」とは戦死・散華を示唆していると言える。
既述したように「投降」した、或いは隠れていて
発見された「慰安婦」もいるだが、
玉砕・散華した「慰安婦」もいたと考えられる(黙祷)。

 先の拉孟の写真①や②では数名だけであるが、
前の引用文では「慰安婦」が十数名いたことが分かり
(日本人リーダーに朝鮮人サブリーダー二人の下に
多くの中国人「慰安婦」という構成から推計すれば、
朝鮮人の方が多かったと言える)、残りは約十名となる。
もちろん、包囲網を逃れ、行方をくらました者もいたかもしれない。
いずれにせよ検証はできないが、
戦死・散華の可能性を排除することもできない。
注記:  『ビルマ従軍 波乱回顧』は、国会図書館には収蔵されているが、
CiNii Books(国立情報学研究所)では検索できなかった。
私は品野の所蔵していたコピーに拠っている。
この『ビルマ従軍 波乱回顧』は、
貴重な文献であるため、ここで当該頁を紹介する。
『異域の鬼』三〇二頁の
中村森太郎少尉の体験などに注意しつつ読む。
3)先述の引用文は半島を統治していた日本側の見方であり、
被統治者ではない点も注意しなければならない。
当然、美化にも注意しなければならない。
また玉砕したとしても、嫌々ながら逃げ出せず、
戦火の中で命を失った者もいる可能性もあるが、
そこまで言えば日本兵でも同様である。
その上で、「慰安婦」となったからにはと、
「挺身隊」の文字通り身を挺した「慰安婦」もいたことから、
引用文は一面的であるとまでは言いきれない。
 (2)の6)で取り上げた、日本兵に朝鮮人「慰安婦」が

「この体、日本人ととこちがうか」、
「日本人と同じ米の飯食べてるんだ。
日本人と同じ天子様が朝鮮をおさめているんだ。
どこもちがわないね」、
また
「チョウセンピー、チョウセンピーって、
バカスルナァ!テンノヘイカ、ヒトツトォ!」、
「おまえ(日本 兵―引用者注)の格好は何たるざまだ。
それでも皇軍か?それでも神州男児か?この馬鹿野郎!」
などと言い返し、罵倒したことは、その現れである。

 このような朝鮮人「慰安婦」であれば、
当然、包囲された拉孟守備隊で「全く日本婦人と変り、
兵の服を着用し炊さんに握り飯つくり、
患者の看護等に骨身を惜しまず働き、
日本人兵とともに玉砕したと言えるのである。

このように考えることは、
彼女たちの生き様をしっかりと受けとめることに通じる。
そしてまた、生き延びた
「慰安婦」の語る被害の証言の重さを思うならば、
壮烈に戦死・散華した
「慰安婦」の無言の重さをも思いを馳せるべきである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/拉孟・騰越の戦い
拉孟・騰越の戦い(らもう・とうえつのたたかい)は、
1944年6月2日から1944年9月14日まで
中国・雲南省ビルマ(現ミャンマー)との国境付近にある
拉孟・騰越地区で行われた、
日本軍と中国・アメリカ軍(雲南遠征軍)の陸上戦闘のことを言う。

※資料としては、あまり価値を見いだせないものでしたが参考まで

[PDF]雲南・ビルマ最前線における慰安婦達−死者は語る
 - 慰安婦問題
浅野 豊美(あさの とよみ、男性、1964年 - )は、
福島県伊達郡桑折町(旧睦合村)生まれの国際政治学者・歴史学者。
1997-1999年 アジア女性基金「慰安婦」関係資料委員会委員。

朴永心(パク・ヨンシム)
【生い立ち・慰安婦になった経緯等】  
1921.12.15平安南道(ピョンヤンナムド)南浦(ナムポ)市で生まれる。
14歳の時、洋品店に奉公に出される。
1939.8月17歳の時、
 「お金を稼げるいい仕事がある」という日本人の巡査に騙されて
南京市内の慰安所に入れられる。
1942年慰安所の主人と共にビルマ(※現ミャンマー)の ラシオの慰安所に移り、
しばらくして、さらに松山(※拉孟・中国雲南省)の慰安所に移る。
松山にて中国兵の捕虜となる。
2000.12月、女性国際戦犯法廷で証言を行う。
2006.8月死去。

【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】
同女を騙した日本人巡査に平壌駅で憲兵に引渡され、

以降、その憲兵に南京の慰安所まで引率される。
その憲兵には「逃げようとしたら殺すぞ」と脅される。

【信憑性】
騙したのが「日本人巡査」で

「憲兵」に引率されたというのは非常に疑わしいですが、
否定できる確たる証拠はありません。
南京等で慰安婦をしていたのは本当でしょうが、

時に人肉スープを食べさせられたと
証言する等、所々、ウソが紛れている可能性大です。

雲南・ビルマ最前線における慰安婦達-死者は語る
※財団法人 女性のためのアジア平和国民基金「慰安婦」関係資料委員会 編「『慰安婦』問題調査報告・1999」に掲載されたレポートの一つ
浅野豊美 ****
 この写真史料に映像として刻まれている松山の慰安婦については、2つの対応資料を米国と台湾で見つけるこ とができた。最初に紹介したいのは、ワシントンのナショナルアーカイブに保存されている「ラウンドアップ」というビルマにいた米軍兵士の間で読ま れていた新聞である。(P.63)

 インタビューをもとにまとめられたこの記事によると、慰安婦達の年齢は、24歳から27歳で、捕虜となるまでの経緯は下のようであった。
 1942年の4月初め、日本の官憲が朝鮮の平壌近くの村に来た。彼らは、ポスターを貼ったり大会を開くなどして、シンガポールの後方基地勤務で基地内の世話をしたり病院の手伝いをする挺身隊(原文では、“WAC(※陸軍夫人部隊(管理人注))” organizations)の募集を始めた。4人はどうしてもお金が必要だったのでそれに応じたという。ある女の子は、父親が農民で、ひざを怪我してしまったので、応募の際に貰った1,500円(米ドルで12ドル:原文)で、治療代を工面したという。そのような形で集められた18人の女の子の集団は、同年6月に いよいよ朝鮮から南へと出港することとなった。~(中略)~しかし、船が約束のシンガポールに立ち寄っただけで、そのまま通過してしまってからは心配 な気持ちが広がり始めた。ビルマのラングーンから北へと向かう列車に積み込まれたときには、もはや逃れられないと運命を悟ったという。~(中略)~一 団が、怒江最前線にある松山陣地に到着すると、4人はある1人の年上の日本人女性によって監督されることとなった。(P.64~65)

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