慰安婦問題について、いろんな報道: 読売新聞 社説 慰安婦問題 史実踏まえて新長官談話を 

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2014年8月27日水曜日

読売新聞 社説 慰安婦問題 史実踏まえて新長官談話を 

             
【朝日新聞慰安婦】 秦郁彦による解説 (2014年8月... 投稿者 SheSaidYeah

2014/08/24 元女性基金理事による挺対協批判(下村満子) 
アジア女性基金の理事であった下村満子が、挺対協に対する不満と内幕を暴露している。
日本人にとっては目新しい話ではないが、外国特派員協会辺りでぶちまければ、
多少日韓関係の改善に役立つのではないか?その方が、韓国政府もありがたいだろう。
秦郁彦は、実はアジア女性基金に批判的で、著書の中で「問題は・・・

関係者のほとんどが不満足な気持ちを捨てきれず、対決ムードが充満するなかで、
見切り発車した点にあったろう(慰安婦と戦場の性 p.289)」と批判しているように、
混乱の原因は基金側にもあると考えているが、ここではその事については黙っている。

挺対協がモンスター化し、韓国政府から当事者能力を奪っているという点では
両者同意している。
なお、日本には反基金派もいて、先日朝日新聞が女性基金を評価したことに
(下村も言っているように、朝日は転向組)、wam
「朝日新聞が相変わらず『女性のためのアジア平和国民基金』を
評価していることには、失望を禁じえません」などと声明を発表した。 
挺対協のシンパは日本国内にもいる。
「わたしが怒りを感じたのは、この慰安婦の人権だとか色んなことを言いながら、

(挺対協は)実は彼女たちの人権とか一切考えてなくて、
200年戦争だって言うんだから」と下村。 続・慰安婦騒動を考える より

2014年 08月 26日 国会速報 国会審議書き起こし より
日テレ『深層NEWS』 慰安婦問題を考える 秦×下村 2

・・・・ところが、私がお会いした方の中には、売春婦も確かにいらした。
それから、一番多いのはやっぱり甘言っていうか、すごい儲かる話があって、
一年働けば家一 軒建つよって言われて、集められて、駅に集めてそこに行って
汽車に乗せられて、ちょっと途中でおかしいと思って、やめる、私は降りますと言っても、
銃剣を 持った憲兵みたいのがいて、もう降りられないと言われたりとか、それから、
よく言われるように若い女性がさらわれる。これも本当に数は少ないけど、
そうい う人も色々いるんですね。

で、そういう方たちがいた事実は事実で、それがそのさっきの狩り出しで、
みんなまとめてですね、それは私も、そ んなことはあり得ないんですが、
騙された人たちというのを、帰りたいと言っても帰らせてもらえない、
銃剣で刺されて現地に連れ出す、連れて行かれて、逃げ ようとしても、
まあ、よく傷跡まで見せてもらって、
たくさん、何人もの人のね、そういう事実はあったんです。

デジタル記念館慰安婦問題とアジア女性基金基金で活動した人々 大鷹淑子
そこから何度か逃げようとしたそうですが、
銃剣でおなかをさされたこともあったそうです。 
   
下村氏が言う、“銃剣”をキーワードに該当すると思われる元慰安婦ら

     ↓
金田きみ子(源氏名)(本名:朴福順)
【生い立ち・慰安婦となった経緯等】 従軍慰安婦問題を考える
1921年10月22日、慶尚北道で生まれる。金田きみ子は慰安婦時につけられた名前。
父は牧師をしていたが抗日運動に参加して迫害され逃亡、きみ子は伝道の家の女中となる。
1938年春、友人らから「良い働き口へ一緒に行こう」と誘われて 棗強の慰安所へ到着する。
約6年間、慰安婦生活を送った後、朝鮮人の柳(ユウ)部隊長に相談し、
1944年、24歳の秋、朝鮮に帰郷。
1991年12月、金学順(キム・ハクスン)、文玉珠(ムン・オクス)らと共に日本政府に謝罪と補償を
求めて提訴。2004年11月最高裁棄却により敗訴確定。
アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟

1997年、日本の「女性のためのアジア平和国民基金」による元従軍慰安婦への
償い事業から一時金を受け取ったことにより、韓国内で非難にさらされる
(※批判の理由は「国民基金に反対する意図から集められた募金を、国民基金を
受け取った人に渡すことは募金者の意思に反するし、国民基金と募金の両方を
受け取ることは逆に不公平になる」ということのようです)
2005.1.27死去。

【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】
日本人の紹介者に騙され、日本人の警官か軍人の家の前に集合。
二人の日本人の軍人に引率され、棗強の慰安所まで行く。
【考察】
証言をそのまま信じるなら、日本軍が工場勤務と称して集まってきた女性を
強制的に慰安婦にしたと言うことでしょうか。 

なお、同女は、金学順、文玉珠らと共に日本政府を相手に慰安婦として
最初に訴訟を起こした三人の内の一人ですが、金学順、文玉珠とは違い、
<証言>従軍慰安婦・女子勤労挺身隊(伊藤孝司・風媒社・1992.8)」、及び、
証言 強制連行された朝鮮人軍人慰安婦たち
(韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会・明石書店・1993.10)」には、
証言が掲載されていません
裁判の原告にもなっておきながら、その後に発売された証言集に証言が
載せられていないのは疑問です。
家庭の事情等、状況の変化により証言ができなくなった可能性もありますが、
1996年以降にマスコミに同女の発言が取り上げられていることを考えるとそれは無いでしょう。

 【信憑性】
裁判の原告になって以降に発売された証言集に同女の証言が取り上げられていない
ことを考えると、証言に統一性がなく取り上げようがなかったのではないかと考えられます。
信憑性は無いと考えて良いでしょう。


【資料等】
1991年 一人の女性は、連れてこられた直後に射殺された。
金田きみ子は、言うことをきかなかったため、三日目に軍人に
銃剣で胸を刺され負傷した。その傷は今でもはっきり残っている
傷の治療のため、二〇日ほど部屋で過ごした後、他の四人の女性とともに、

ソッカジャン(石家荘)の部屋に連れていかれた。
 
沈美子(シム・ミジャ)
【生い立ち・慰安婦になった経緯等】
1924.2.4黄海道(ファンヘド)鳳山郡(ポンサングン)で生まれる。
父は両班(ヤンバン)(注)出身のソンビ(儒学者)だった。
12歳の 時、鳳山小学校へ通い、16歳の時、先生に「日本の地図を作ってくれ」と依頼され、
アサガオの花を並べた地図の刺繍を作る。
その刺繍に対して警察官から 「どうしてサクラでなくアサガオなのか」と難癖をつけられ
警察署に連行される。
その後、父が独立運動家だと言われ拷問を受け、気を失い、
気がついたら福岡の慰安所だった。以降、慰安婦を強いられ日本で終戦を迎える。

1991.12月に提訴された「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」に
1992.4月に第2次原告の一人として参加する。
同裁判は2004.11月、最高裁棄却により敗訴が確定した。
(注)両班・・・高麗・李朝時代に、官僚を出すことができた最も上の支配階級。

【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】
警察署に連行された後、拷問を受けて気を失い、気がついたら
福岡の慰安所に入れられていた。
【考察】
同女は警察に、電気を流されたり、爪に針を差し込まれたり、焼きゴテを
押し付けられたり等の拷問を受けたと証言していますが、如何にもな拷問で
胡散臭い内容です。

果たして、日本地図をアサガオにしたくらいで警察に連行されるものでしょうか。
サクラは現在でも、日本の国花の1つとして親しまれていますが、
別に法律で定められているわけでもありません。
当時の状況が分からないので何とも言えないところですが、それくらいで警察に
難癖をつけられたと言うのは非常に疑問です。
ムクゲにしたと言うのなら、まだ理解できなくもないですが。

また、「裁判の訴状」(以下「裁判」)と「<証言>
従軍慰安婦・女性勤労挺身隊」(以下「証言」)の内容を比べると下記の通り、
相違点が見受けられます。
<警察官による強姦>
○「裁判」・・・同女を警察の宿直室に連行した警察官は、耳を強く噛んだりして抵抗する
同女に怒り、殴ったり蹴ったりして強姦を遂げる
○「証言」・・・強姦されそうになった時、警察官の耳を思い切り噛んだら、驚いて
宿直室を飛び出していく
→ 強姦された話が、されなかったことに変更されています。

<拷問をした警官>
○「裁判」・・・同女を連行し強姦した警官
○「証言」・・・同女を連行し強姦しようとした警官と別の警官

<慰安行為を開始する時期>
○「裁判」・・・福岡で気がついて、その翌日から
○「証言」・・・明記されていないが、少なくとも気がついてから3日間は慰安行為は
開始していない → 朝鮮半島中部から福岡までの移動途中に全く意識が
戻ることがないほどの拷問を受けたのに、意識が戻った翌日から慰安行為を
開始するのはおかしな話です。3日間は休んでいたことに変更されています。
なお、「裁判」では「ある軍人が沈美子も連れ出そうとしたが、同室の女性の一人が、
『私が代わってあげる。』と言って、その軍人の相手をしてくれ た。
しかし、沈美子も、それによって仕事の中身がわかり、同室の女性に迷惑を
かけるのもわるいと思ったので、翌日から慰安婦の仕事をするようになった。」
と記述されています。16歳だった同女は、やけにあっさりと慰安婦を受け入れています。

<拠点の移動>
○「裁判」・・・福岡約1年半→神戸約8ヶ月→大阪(終戦まで)
○「証言」・・・ずっと福岡。神戸、大阪、和歌山、流山へはあくまで福岡からの出張。
和歌山にいた時に終戦。
→ 「証言」では、和歌山と流山の慰安所が追加され、ずっと福岡を拠点と
していたことになっています。しかも、「私はここに一年半いました」と福岡に1年半しか
いなかったという「裁判」と同じ情報が残っていて、証言内容が矛盾しています。

<慰安婦になった理由>
○「裁判」・・・「沈美子がそこにいたあいだに連れてこられた女性の
ほとんどは朝鮮女性であり、目的を全く知らされずに連れてこられた人たちであった。
慰安所に来るまで、彼女らのほとんどは、工場の仕事と思っていた」
○「証言」・・・「九割が『工場に就職させてあげるから』とだまされて連れて来られ、
一割が私と同じように学校で捕まえられた人でした。『国語(日本語)を使わなかった』
『学校の神社に参拝しなかった』とか、『『皇国臣民の誓い』を暗唱できなかった』
という事で捕まった人もいました」
→ 「証言」では「ほとんど」以外の人たちが慰安婦にさせられた理由を具体的に
記述しています。確率的には、私が今まで見てきた証言者の中に
「学校で捕まえられた人」が2、3人いなくてはおかしいのですが、今の所、
該当する人はいません。

<日本兵の残虐行為>
○「裁判」・・・「性行為を拒否して殴り殺された」
○「証言」・・・「銃で女の陰部を撃ってそのままトラックで行ってしまった」、
銃剣で女の乳房を切った兵隊もいました」、
「三人の女が脱走を図って捕まり、殺された」
→ 慰安所での日本兵の残虐行為に統一性がなく、「証言」ではエスカレートしています。

<天皇陛下の命令>
○「裁判」・・・「天皇陛下の命令で、朝鮮の女はみな慰安婦にさせられる」
○「証言」・・・「天皇陛下から命令がくだって、朝鮮の女たちを面(村)・市・邑から
『慰安婦』として徴発する」
→ 双方とも同女を贔屓にしていた将校の言葉として記載されていて内容は同じですが、
朝鮮女性が強制連行されたのは天皇陛下の命令だったそうです。
如何にも恣意的な捏造です。
なお、慰安婦裁判の原告にもなっている同女ですが、
韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会」が編纂した
証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」(明石書店)には証言が載せられていません。
(以下の内容は「『自虐史観』の病理(P.153~165)」藤岡信勝・文春文庫を参考にしました)

同証言集(P.22)には、最終的に証言を載せたのが19人だった経緯について
記載されており、まとめると以下の通りです。
○韓国挺身隊問題対策協議会に申告された人数・・・110人(1992.12末現在)
内、生存者・・・55人
内、連絡可能な者・・・40人
内、以下の者を除いた人数(=証言が掲載された人数)・・・19人
①自分の経験を語りたがらない人
②証言がそのたびごとにひどくくいちがったり、話の前後があわず、調査が難しい人

同女は、同証言集の発行時に生存しており、また、裁判の原告になっていることから、
連絡が不可能だったとか、「自分の経験を語りたがらない」はずがありません。
つまり、②に該当して、「証言がそのたびごとにひどくくいちがった」ので、
証言集には載せられなかったのです。

なお、裁判の原告になって以降、家族等の状況の変化で証言ができなくなったとも
考えられなくもないですが、その後の韓国での水曜集会(※)にも
参加しているようですし、2004年の最高裁の判決時も傍聴席にいたようです。
その可能性はないでしょう。
※水曜集会・・・毎週水曜日に、韓国の日本大使館前に集まって行われている抗議活動

【信憑性】
同女が証言する慰安婦になった経緯は甚だ疑わしいもので、しかも、
韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会が編纂した証言集からも落
とされてしまっています。信憑性はないでしょう。

レメディオス・ヴァレンシア
【生い立ち・慰安婦になった経緯等】

1920年2月9日生まれ。9人兄弟で小学校は4年まで通う。
1943年10月頃、市場で3人の日本兵に拉致さて強姦。その後、慰安所に入れられる。
1944年11月頃、米軍の爆撃のどさくさに紛れて逃げ出す。

1993年4月東京地裁に提訴。1998年10月。地裁棄却判決。
2000年12月東京高裁で棄却判決。
2003年12月最高裁で上告棄却・上告受理棄却、敗訴確定。
フィリピン「従軍慰安婦」補償請求訴訟

【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】
日本兵に連行される。

【考察】
下記資料の「フィリピンの日本軍『慰安婦』」(以下、「フィ」)と「私は『慰安婦』ではない」
(以下「私は」)を比較すると以下の通り内容の相違があります。
<連行された時の状況>
○「フィ」・・・市場で魚を売っていた時に3人の日本兵に連行
○「私は」・・・市場の前で日本の軍隊が行進しており、その道を渡ろうとして
3人の日本兵に連行
→ 「私は」の証言にはありませんが、魚を売っていて道を渡ろうとしたのでしょうか。
また、日本軍の行進の規模は分かりませんが、同女が道を渡る為に、わざわざ日本軍に
通行許可を取っているところを見るとそれなりの規模であったと思われます。
しかし、行進途中に3人の兵士が女性を拉致して強姦するほど、日本軍の規律が
乱れていたとは思えないのですが。

<強姦された場所>
○「フィ」・・・近くの空き家
○「私は」・・・市場の向こう側

→ 市場の向こう側の空き家ということでしょうか。

<強姦された後>
○「フィ」・・・マニラのダコタ地区の大きな二階建ての家に連れて行かれて慰安婦を強いられる
○「私は」・・・ガイソンという基地に運ばれ、8ヶ月監禁されて強姦される。
その後、ダコタ地区の家に移される。

→ 「私は」では、強姦と「ダコタの家」の間に、「ガイソン基地」の情報が追加されています。
この基地では8ヶ月間監禁されており、同女が拉致されて解放されるまでの約1年間の
3分の2を過ごしたことになります。

抜け落ちるわけがない情報です。さ らに、「フィ」は、裁判の為に弁護士が聞き取り調査を
行ったものです。証言集会などでの証言の場合なら、省略した可能性も考えられなくも
ないですが、その可能性は限りなく低いと言えるでしょう。
また、ダコタの家は、日本人女性が管理し、監視も日本の民間人男性と、
普通の民間経営の慰安所という印象を受けます。
「ガイソン基地」は、日本軍の関与度を増すために後から追加した創作でしょう。

【信憑性】
連行時の状況は疑わしい内容であり、また、後から日本軍の基地での監禁話を
追加しています。信憑性はないでしょう。
民間経営の慰安所で働いていただけだと思われます。

1995.12  あるとき、兵士が外に連れだそうとしたので抵抗したところ、銃剣で右足の
すねの部分を刺されました。今でもそのあとが残っています。
また、戦後聞いた話ですが、生地のバコロド市にいた妹は妊娠していたのに、日本兵は
彼女の腹を裂き、胎児を銃剣で突き刺して引っ張り出し上にかかげたあと、
また戻したということです。(P.65~66)資料より

1997.8 私ひとりのことではなく、当時妊娠七ヵ月だった私の妹は、日本兵に軍刀で
お腹を切り裂かれました。日本兵は胎児を銃剣で突き刺して頭の上まであげ、
その子を再び妹のお腹の中に押し込んだのです。(P.97)

パシータ・サンティリアン ・・・同じように荒唐無稽なので省略。
【信憑性】 全体的に理解に苦しむ内容。信憑性はないでしょう。

慰安婦問題 史実踏まえて新長官談話を  YOMIURI ONLINEホームへ
2014年08月27日 01時02分 社説
戦後70年に向けた「河野談話」の事実上の見直し要請である。  
自民党政務調査会は、いわゆる従軍慰安婦問題に関する新たな内閣官房長官談話の
発表を求める申し入れ書を、菅官房長官に提出した。

第2次大戦中に日本軍が多くの慰安婦を「性奴隷」として強制連行したとの誤解が、
国際社会に広がっている。その要因の一つが河野談話である。
菅氏は新談話に消極的だというが、自民党の要請を重く受け止め、前向きに検討すべきだ。
河野談話は、宮沢内閣時代の1993年に元慰安婦へのおわびと反省の意を表したものだ。
慰安婦募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」と、軍などによる
強制連行があったかのように記している。
しかし、強制連行を裏付ける資料は確認されていない。


有識者による政府の検討会は6月、河野談話の作成過程に関する報告書をまとめた。
韓国側が「韓国国民から評価を受け得るものでなければならない」と修正を求めるなど、
日韓両政府が表現を調整した実態が明らかになった。

これを踏まえ、申し入れ書は、
「検証作業を経ずに『政治的すり合わせの産物』としての談話を世界に発出した」と批判した。
「当時の自民党政権の責任は重い」と指摘したのは、もっともだ。
 

 申し入れ書は、「事実に基づかない虚偽を繰り返し喧伝(けんでん)し、
日韓関係を悪化させた」として、「一部報道機関」の記事を問題視した。
朝日新聞の慰安婦報道を指したものだろう。
朝日新聞は、82年以降、韓国・済州島で戦時中に多くの慰安婦を「狩り出した」
などとする吉田清治氏の虚偽の証言を、繰り返し記事にした。
今月5日の紙面で、ようやく吉田証言に関する記事を取り消したものの、
一連の報道が韓国の反日世論をかき立て、河野談話の伏線となったことは間違いない。


安倍首相は、河野談話を継承する方針を明らかにしている。
日韓関係のこれ以上の悪化などを憂慮しての大局的判断なのだろう。

だが、戦後70年と日韓国交正常化50年の節目となる来年に向け、新談話の発表は、
国内外に正しい歴史を伝える上で意義がある。
強制連行はなかったにせよ、戦時中に多数の女性の名誉と尊厳が傷つけられたことも事実だ。
自民党が提言しているように、史実に基づいた慰安婦問題の情報を世界に発信していきたい。 


2014年8月26日火曜日 自民、河野談話見直し要請へ ・・・ 産経 他

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