慰安婦問題について、いろんな報道: 朝鮮日報の反日特派員、車学峰(チャ・ハクポン)、今度はバル判事を貶し安倍総理の祖父をウソつき呼ばわり ・・・ 朝鮮日報

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2014年8月15日金曜日

朝鮮日報の反日特派員、車学峰(チャ・ハクポン)、今度はバル判事を貶し安倍総理の祖父をウソつき呼ばわり ・・・ 朝鮮日報

車学峰特派員
東京=車学峰(チャ・ハクポン)特派員

パル判事―インド・ナショナリズムと東京裁判
中里成章著 (新赤版1293) 岩波新書

記事入力 : 2014/08/15 22:26 朝鮮日報
中里教授「日本の無罪主張したパール判事は税法弁護士」
パール判事研究した中里成章東大名誉教授インタビュー
「日本、侵略正当化のため英雄視」

「『国際法専門家・ガンジー主義者』 
安倍氏の祖父が神話ねつ造」
インドでは判事代行、
当時は判事資格の有無が問題に
「この裁判(極東国際軍事裁判=東京裁判)を担当した
連合国11カ国の裁判官の中で唯一人の国際法専門の判事」
「法の正義を守らんとの熱烈な使命感と、
            高度の文明史的見識の持ち主」
  日本の戦犯を合祀(ごうし)している東京・千代田区の
靖国神社にあるインド人ラダ・ビノード・パール判事の
顕彰碑に刻まれた賛辞だ。
極右勢力は、侵略戦争 を断罪した東京裁判で
戦犯の無罪を主張したパール判事のことを
「平和を追求したガンジー主義者」
「良心を守った国際法専門家」と褒めたたえている。
パール 判事をたたえる碑は日本の各地に建てられ、
一部教科書にも掲載されている。

 しかし、インド近現代史の専門家で、パール判事を研究した
東京大学東洋文化研究所の中里成章名誉教授は、
こうした賛辞を「極右勢力が侵略戦争を正当化し、
戦犯を否定するために作った
『ねつ造された神話』に過ぎない」と言った。

中里教授はインドでパール判事の遺族と会い、
現地で資料を調べ、パール判事の実像を
伝える『パル判事 インド・ナショナリズムと東京裁判
という本も出版している。
-パール判事は本当に国際法の専門家で、
熱烈なガンジー主義者だったのか。
「主に税法専門の弁護士として活動し、
博士号論文はインド古代法哲学に関するものだった。
同判事は東京裁判で裁判官を務めながら国際法を研究し始めた。
国際法 関連の書籍を出したのは東京裁判後だ。
パール判事は平和主義者であり、
熱烈なガンジー主義者だと主張する人もいる。
しかし、私が会った同判事の息子でさえ 『そうではない』と言った」
-パール判事はどういう経緯で東京裁判の裁判官になったのか。

「連合国が裁判官の 推薦を依頼した際、
インド当局はほかの裁判官2人に要請した。
しかし、健康状態など個人的な事情で断られ、
3番目の候補者だったパール判事が選ばれた。
ところが、資格上も問題があった。
インド当局の推薦基準は
高等裁判所の現職判事か退職した裁判官だった。
同判事は高等裁判所の臨時判事(判事代行)を2年ほ ど務めただけで、
裁判官として担当した裁判の90%が民事事件だった。
当時のインド当局の資料でも資格論争が記録されている。
一種の行政上のミスだったが、責任者たちが選任し直す
時間的余裕がないという理由で確定した」

-パール判事が無罪を主張した理由は何か。

「法律的な信念もあっただろうが、基本的には白人に対抗し、
アジアが団結しなければならないという日本のファシズム
『大東亜共栄圏』に共感したようだ。
パール判事は自身の故郷で人気が高かった(反英独立運動指導者の)
チャンドラ・ボースを支持していた。
チャンドラ・ボースはドイツや日本と手を組み、
英国と戦い インドを独立させるべきだと
主張していた。
A級戦犯の東條英機はチャンドラ・ボースを支援していた。
パール判事は米国や欧州の植民地支配に対しては強く批 判したが、
日本の植民地侵略にについては目をつぶった」

-パール判事を神話的な人物に仕立てたのは誰なのか。

「東京裁判を否定する勢力が
自分たちの主張を正当化するためにパール判事を利用した。
A級戦犯被疑者として収監されていた岸信介氏(のちの首相)が
1966年 のパール判事来日を主導し、
天皇から勲章(勲一等瑞宝章)を授与されるよう手配した。
当時の首相は岸氏の弟(佐藤栄作氏)だった。
岸氏の孫である安倍現首相も2007年にインドでパール判事の遺族に会い、
『日本人はパール判事を尊敬している』と言った」

評価・批判・影響 
「日本無罪論」
1952年4月28日、GHQによる発禁終了を待ち、
サンフランシスコ条約による主権回復した
当日に、田中正明はパール意見書をまとめた
『パール博士述・真理の裁き・日本無罪論』を刊行した[31]
これは、編者がパール意見書から1/5ほどを抜粋し、意見書に対する
田中のコメントを追加した本である。この出版に際して
自身の意見書を『平和のバイブル』というタイトルで出版するという
日本側からの連絡を受けていたが[32][33]
実際には『日本無罪論』というタイトルが
付けられて出版された。
この書名に対するパール自身の態度は、
時に容認したり時に不満を漏らしたりといった、
一定しないものだったともいわれる[34]

田中は以後、パールは「日本無罪論」を述べたと主張し[35]
東京裁判史観への批判を唱えた[36]

中島岳志は、田中の『パール博士述・真理の裁き・日本無罪論』が、
パール=戦犯を許すという誤った認識を植え付け、
戦争肯定論者の宣伝に使われる端緒となったと主張している[37]
中里成章も田中正明を中心する日本側の言動を批判を展開した[38]

日本共産党
日本共産党によれば、
平和に対する罪、人道に対する罪を事後法だと位置づけた
パールの主張は、第一次世界大戦後に生まれた国際連盟規約
不戦条約等の存在を矮小化していると主張しているが[39]
パールは意見書の中で、これらの条約も
日本の戦争を違法とする根拠にならず、
まして個人を裁くことは不可能だと判示している。

インド
パール意見書は、当時のインド政府の意思と一致していたわけではなかった。
ネルー首相は、当初から東京裁判で、自己を曲げないパールに困惑しており、
パール意見書に対しても非公式ではあるが
「パールの意見書はあくまで一判事の個人的見解であり、インド政府としては
同意できない箇所が多々ある」と発言[40]
また、パールの長男は、パールが夫人の看病のために一時帰国していた時に、
ネルーが電話をかけてきて、多数派判事に同調するよう説得を試みたが、
パールはこれを拒絶したと証言している[41]

その一方、2006年12月14日に来日したマンモハン・シン首相は、
日本の衆議院の国会演説の中で、
「戦後、ラダ・ビノード・パール判事の下した信念に基づく判断は、
今日に至っても日本で記憶されています。
こうした 出来事は、我々の友情の深さと、歴史を通じて、
危機に際してお互いに助け合ってきた事実を反映するものです」
と公式に好意的な意見を述べている。

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