慰安婦問題について、いろんな報道: 永井和京都大学教授の主張に対するいくつかの疑問 。国会で慰安婦問題を煽った政治家たち ・・・  続・慰安婦騒動を考える より 

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2014年9月27日土曜日

永井和京都大学教授の主張に対するいくつかの疑問 。国会で慰安婦問題を煽った政治家たち ・・・  続・慰安婦騒動を考える より 

永井和京都大学教授の主張に対するいくつかの疑問 -
Togetterまとめ さんから


永井和京都大学教授の主張に対するいくつかの疑問
京都大学の永井和教授による慰安婦関連の史料の読み方や
それに基づく主張が面白かったので、いくつか疑問点を挙げながらの雑談。
永井クンの参加を期待。
https://twitter.com/jpn1_rok0/status/515858178257338369

永井クン「契約金」=「前借金」に活路を見いだそうとしているけど、
割と無駄だと思う。
だって、永井クンの主張って
前提が『仮定』だから立証できないのだもの。( ´H`)y-~~

「国家が人身売買システムを
「制度化」して公式に利用することの
グロテスクさに気づかないわけです。」

どこの銀河系の話?

2014/08/28 政府重ねて強制連行を否定 (1991.4)
挺身隊と慰安婦は意図的か現在でも混同される
 (VANKの国際広報動画) 
前年の6月6日に引き続き、
本岡昭次が再度質問に立った1991年4月1日。

*朝鮮人女性* (ここで議論になっているのは、
あくまで朝鮮人女性である点に注意)が慰安婦として
日本政府に強制連行(国家総動員法に基づく徴用 )されたという噂は
事実かという質問に、政府は前回同様、
厚生省勤労局や国民勤労動員署
(総動員法業務を担当)のOBに聞き取りまで行ったが、
「強制連行」を裏付ける情報は得られなかったと回答した。 

 本岡は清水と違い政府の説明を曲解したという感じはないが
・・ そこで本岡は、終戦後沖縄の米軍収容所にいた
朝鮮人の名簿に女性名があることを指摘。
これが慰安婦とされる為に女子挺身隊 という名目で
徴用された人々ではなかったかと、政府に事実確認を求めた。

これに対して、政府は彼女たちが
「徴用者等」に該当するか調査すると約束した。
 本岡の次の台詞は、彼が同僚の
清水澄子よりもよほど真面目に政府の説明を
聞いていた事を物語っている。 

 「(政府は)民間業者がそうした慰安所に
朝鮮人の方を連れていったということは聞いている
(認識している)が、*政府の責任で* (連れていった)というふうなことはない、
こうおっしゃってるんですが・・・」 
 本岡の言う通り、日本政府は政府が徴用したことはないと言っただけで、
軍が慰安所に関与して... 詳細 »  
2014/08/18 90年6月6日 日本政府が強制連行を否定した日

ラベル mo-本岡昭次 の投稿を表示
2014/08/25
軍は関与していない事にしてしまった清水澄子議員 (1990年)
2013/03/01 慰安婦騒動を煽った政治家--清水澄子

2011/11/11 阿比留記者: 土井たか子のすり替え
ラベル sha-社会党 の投稿を表示

2014/08/28 [資料]  
・・・文書は吉見義明・中央大教授が91年12月下旬、
防衛研究所図書館で存在を確認し、
面識があった朝日新聞の東京社会部記者(57)に概要を連絡した。 

・・・これに対し、永井和・京都大教授は「善意の関与」との見方を否定する。
永井教授が着目するのは、同時期に内務省警保局長名で出した文書。

支那渡航婦女の取扱に関する件

慰安婦の募集や渡航を認めたうえで、
「軍の了解があるかのように言う者は厳重に取り締まること」という内容だった。 

 永井教授は、業者が軍との関係を口外しないよう取り締まることを警察に
求めたものと指摘。
※解釈  吉見義明は、
この文書の中で「軍の諒解や連絡があると公然という業者は
取り締まる」と書いている事から、軍の要求があるから渡航は認めるが
「軍が慰安婦を集めている事は隠せ」と命令したものであり、
「主役である軍の姿をみえなくした」のだと書いている[4]

そのうえで、朝日新聞が報じた陸軍省の文書については、 
著書「日中戦争から世界戦争へ」で「警察が打ち出した募集業者の規制方針、
すなわち慰安所と軍=国家の関係の隠蔽(いんぺい)化方針を、
軍司令部に周知徹 底させる指示文書」との見方を示している。

支那渡航婦女の取扱に関する件 経緯
1938年1月19日付群馬県知事発内務大臣・陸軍大臣宛
「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」 と
同年1月25日付高知県知事発内務大臣宛「支那渡航婦女募集取締ニ関スル件」、
同日付山形県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件」[2]
などでは、警察から
「皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚タシキモノ」とされた
神戸の貸座敷業者大内の言葉として、
上海での戦闘も一段落ついて駐屯の体制となったため、
将兵が現地での中国人売春婦と遊んで
性病が蔓延しつつあるので3000人を募集したとある[2]
業者大内によれば、契約は二年、前借金は500円から1000円まで、
年齢は16才から30才迄とあった[2]

永井和は「大内の活動は当時の感覚からは
とりたてて違法あるいは非道とは言い難い。
まして、これを「強制連行」や「強制徴集」と
みなすのはかなりの無理がある」と述べている[2] 
日本軍の慰安所政策について  
永井 和(京都大学文学研究科教授)
2.北関東・南東北での募集活動
2004年9月18日、ソウル大学校ジェンダー研究所
社会史研究会共催のセミナーでおこなった報告の原稿に、
2005年6月12日に「追記」を付加した。
2012年1月12日に補注1と注49への追記を加えた

「軍関与示す資料」 
朝日新聞デジタル本紙報道前に政府も存在把握  

検索キーワード「永井和」に一致する投稿を関連性の高い順に表示
2012/01/22 Q&Aコレクション1 【はてな】
 「はてサ」などとも言われ、リベラルな印象のある「はてな」。
ウィキペディアの慰安婦の頁とはまた違った特徴がある。
軍慰安所従業婦等募集に関する件(陸支密第745号)」を

「朝鮮では強制連行を黙認している」とも解釈できるとしているなど、強引な部分も。
続・慰安婦騒動を考える より

2014年08月06日10:46
カテゴリメディア
主犯は吉見義明氏である
検索キーワード「吉見」に一致する投稿を関連性の高い順に表示
2014年8月11日月曜日 池田信夫氏エントリー等、他。 
水間政憲氏が反論のエントリー   ・・・ 朝日新聞について。 動画追加

永井和 文学研究科教授 「ネット上で中途半端に
実名をさらすと…」(2007.07.16)
京都大学新聞社/Kyoto University Press…ここでやり玉にあげられている
「京都大学教授(現代史)」
とはほかならぬ私、永井和のことである。
いつのまにやら「民主主義を完全否定する
『従軍慰安婦問題を論じる』掲示板」に巣くう 
「カルト集団」の親玉という「栄誉」が、私に与えられた。

広大なインターネット空間。
その片隅で自分に向けて中傷発言がはなたれても、
こういう職業であるかぎり、ある程度はしかたのないことで、
いちいち目くじら を立てていては身がもたない。
しかしIT社会では、ある国際的な事件が、
思わぬかたちで自分の周辺にまで小さな波紋を
およぼしてくることがあることの実例 として、
なぜこのようなことになったのか報告しておきたい。


そもそもの発端は、アメリカ下院の慰安婦決議案であり、

今年3月初めに安倍首相がおこなった
「当初定義されていた
強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」発言だ。
これがきっかけで、私が自分のWebサイトで公開している論文が
ネット上で思いもかけない注目を浴びることになってしまったのである。

私は日本現代史を教えているが、従軍慰安婦問題の専門家ではない
たまたま10年ほど前に演習テーマに
「自由主義史観論争を読む」を選らんだのが
きっかけで論文を1本書き、数年前にWebに掲載した。
一部の論者が主張する
「慰安所は本質的に民間の売春施設であり、
日本軍が関与していたとしても、
それはもっ ぱら悪質業者の不法行為を取り締まるための
『良い関与』にすぎない」とする説が根拠薄弱であることを、
新発見の警察資料によって明らかにしたものである。 
しかしこの3月になるまでは、ほとんど注目されることがなかった。

※明らかどころか、ただの資料の曲解による思い込みでしたね。
まあ、周囲への手前、知っててされてることなんでしょうねとは思います。
これがカルトの親玉よばわりされる由縁でしょう。

支那渡航婦女に関する件伺
支那渡航婦女に関する件伺(しなとこうふじょにかんするけんうかがい)とは、
1938年11月4日付で陸軍省から内務省に慰安婦の徴募と中国への
送り出しの依頼を行ったもの。 
1996年12月に警察大学校から出てきた資料である[1][2][3]
久門少佐の名刺
警察資料には、警保局に出された久門少佐の名刺が残っている。
久門少佐は、
「慰安所で働く女性を約500名広東に派遣するよう斡旋をお願い申し上げます」と、
内務省警保局長(現在の警察庁長官に相当)に依頼している[8] 
※名刺を差し出す相手というのは、他省庁の内務省相手だからです。

慰安所設置と「支那渡航婦女」問題しかし公娼の募集そのものに違法性はなく、
一方で1937年8月31日付の外務次官通達により厳しく制限されていた
民間人の中国渡航許可制を公娼の渡航に 関して緩和するよう
上海日本総領事館警察署から依頼
皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件)が出されており、
確かに陸軍の関係する募集であると確認するに至り、警察は内務省の指導のもと
やがて受容し協力するようになったと永井和は、1996年に警察から発見された
資料を元に説明している[18] 

※要するに省庁間で調整をしただけの話とおもわれます。


 安倍発言があってしばらくして、
いろいろなブログで私の論文に言及されるようになった。
ついに他人のブログのコメント欄に私の論文の一部を延々とコピーし た上、
批判する人まであらわれた。
根がおっちょこちょいの私は、よせばいいのに、
つい実名でそのコメント欄に
書き込んでしまい、
「従軍慰安婦の実態は強制 売春か自由売春か」
「軍慰安所は軍の施設なのかあるいは民間の施設なのか」
をめぐって、ネット上で議論するはめになった。 

細かい経緯は略すが、話の流れで「はてな」に
「従軍慰安婦問題を論じる」グループまでできてしまった。
私自身は、このグループでたいしたことはしていないのだが、
たいへん熱心な方がお られて、慰安婦問題に関するネット上の
リソースをできるかぎり多く利用できるようにと、
精力的に活動されているので、及ばずながらお手伝いしている

この「はてな」のグループが冒頭であげた
「民主主義を完全否定する『従軍慰安婦問題を論じる』掲示板」と
攻撃されているものである。
くだんのブログの著者は、2ちゃんねるの東亜ニュース板のようなところに
出入りしていて、そこで仕入れた嫌韓、嫌朝、嫌中情報を自分のブログに
転載している若者である。
それが われわれのグループに議論を仕掛けてきて一騒動もちあがった。
その騒動の副産物が冒頭に紹介した私に対する中傷記事なのである。
この騒動において私が感じたことは、ネット上で実名をさらすことのメリットと
デメリットであった。
もちろんこの騒動の関係者で、実名を名乗り
さらに職業と勤務先を明らかにしているのは私一人である。
私が実名を名乗って議論に参加しなければ、
たぶん「はてな」のグループは成立しなかったであろう。
そういう点 ではメリットがあったとはいえる。
しかし、実名をさらすと冒頭のような
中傷の対象になりやすいのもまた事実である。
それは私のみならず、
他のグループのメ ンバーに大きなプレッシャーとなった。

結局、私は途中から攻撃を避けるために、
発言するのをやめざるをえなかった。
ネット上で実名をさらすというのは、なかなかに覚悟のいることだと、
痛感させられた次第である。

警保局  内務省の局には統廃合の歴史があるが、
警保局は戦後のGHQによる内務省解体まで強大な権力を握った。
特別高等警察 (とくべつこうとうけいさつ)は、
国事警察として発足した高等警察から分離し、
国体護持のために
無政府主義者共産主義者社会主義者
および国家の存在を否認するものを査察・内偵し、
取り締まることを目的[1]とした日本の政治警察
内務省警保局保安課を総元締めとして、
警視庁をはじめとする一道三府七県[2]に設置されたが、その後、
1928年に全国一律に未設置県にも設置された[3]
略称は特高警察(とっこうけいさつ)、特高(とっこう)と言い、
構成員をさしても言う[4]

憲兵 (日本軍)  憲兵(けんぺい)とは、
大日本帝国陸軍において
陸軍大臣の管轄に属し、主として軍事警察を掌り、
兼て行政警察司法警察も掌る兵科区分の一種。
海軍特別警察隊 (かいぐんとくべつけいさつたい)とは、
大日本帝国海軍が 太平洋戦争中に編成した憲兵隊である。
占領地における軍事警察活動を任務とし、
海軍将兵の犯罪行為の捜査や、
反日本軍的な現地人の調査・取り締まり、防諜活動などを行った。
そのため、関係者からは敗戦後に戦犯として処罰された者が多く出た。
略称は特警特警隊。 しばしば特高警察と混同されることがある。
特高警察については特別高等警察の項を参照。

日本軍の慰安所政策について
永井 和  (京都大学文学研究科教授) 
おわりに
1937年末から翌年2月までにとられた
一連の軍・警察の措置により、国家と性の関係に
一つの転換が生じた。
軍が軍隊における性欲処理施設を制度化 したことにより、

制度化
社会規範が制度にまで体系化され斉一化することを〈制度化〉という。
立法措置をしたうえで、
慰安所を作ったわけでもないので、制度化といえますか?
国家によるものと印象を強くしたい永井さんの意図がでてますね。
左翼がよくやる手法の一つの典型例がこれですね
 ↓
天皇制 
 1932年のコミンテルンテーゼ(いわゆる32年テーゼ)は、
共産主義革命を日本で行うため日本の君主制を
ロシア帝国の絶対君主制であるツァーリズムになぞらえ、
天皇制と規定した。 
敗戦まで、「天皇制」という用語は反体制であるとみなされていた。[1]

政府自らが「醜業」とよんで憚らなかった、
公序良俗に反し、
人道にもとる行為直接手を染めることになったからである。

※韓国軍・在韓米軍慰安所のことですか?
韓国政府は慰安婦業者にやらせずに
直接ドルを稼いでますが?
醜業という言葉は
当時の役所で一般的に当時は使われていたからでしょう。

 大辞林 第三版の解説
しゅうぎょう【醜業】
いやしく,けがらわしい職業。特に,淫売をいう。
出典:三省堂
デジタル大辞泉の解説
しゅう‐ぎょう 〔シウゲフ〕 【醜業】
いかがわしく、卑しい職業。特に、売春をいう。
出典:小学館
公娼制度のもと、 国家は売春を公認してはいたが、
それは建て前としては、あくまでも
陋習になずむ無知なる人民を哀れんでのことであり
売春は道徳的に恥ずべき行為=「醜 業」であり、
娼婦は「醜業婦」にすぎなかった。
国家にとってはその営業を容認するかわりに、
風紀を乱さぬよう厳重な規制をほどこし、
そこから税金を取り立てるべき生業だったのである。

吉原やらの私娼は江戸時代以前からあり、おしんにあるように
年季奉公の習慣も日本にはあり、そういうものにはそれぞれ独自のルールが
厳格にありました。
映画「おしん」から (C)2013「おしん」製作委員会
年季奉公  (ねんき ぼうこう、英:indentured servitude)は、
雇用者との契約の下に一定期間働く雇用制度の一形態である。
多くは住み込みで食糧や日用品は支給されたが、
給与は支払われないか、支払われたとしても極く僅かなものだった。
かつては世界の多くの国で合法的と
考えられて行われていた制度だったが、
近現代になると児童や女性に対する
虐待や人権侵害などの理由で廃止または禁止され、
今日少なくとも先進工業国ではこうした形態の雇用制度が
合法的に行われることはなくなっている。
「indentured servitude」の定訳は「年季奉公」だが、
実は英語のindentured servitudeと
日本語の年季奉公にはその内容に大きな違い
あるので注意が必要である。
これはindentured servitudeが
極めて奴隷制度的性格の強いものだったのに対し、
日本古来の年季奉公はその多くが事実上の徒弟制度だったことによる。
 
明治政府ができてからも、まだ国は貧しく国民の貧困は解消されておらず、
やむおえず、それに合わせて法整備やら国がしただけのことを、
京大の教授でもこれだけ左翼的に捻じ曲げた解釈ができるものなんだと、
東大教授にも左翼思想の権化のような学者はいそうですが、
あらためて驚きました。
永井和さんのをざっと読むと、戦前の国家体制についてのものとはいえ
その前提にある日本人を侮辱さえしていませんか?

2012/06/20 遊女を見下さなかった日本人 
江戸時代の日本では娼婦は蔑視される存在ではなかったという。
なぜなら、彼女たちは
本人の意志に関わりなく身売りされてきた娘たちだったからである。
彼女たちの境遇を知る人々は、
遊女に同情することはあっても見下すことはなかった
(まったく無かったわけではないだろうが)。
江戸の下半身事情」によれば、

浮世風呂のような当時の小説では、姑が普通に
嫁が玄人上がりであることをご近所に話していたり、
自分は元商売女だと
啖呵を切る女性が登場する。
あるいは、見栄を張って元遊女を詐称する女まで出てくる。 
オランダ人医師ポンペは、当時の日本の様子をこのように記録している。
「貧しい両親たちは自分の若い娘を、しかも大変幼い年端もゆかぬ時期に
公認の遊女屋に売るのである。
ときには五歳から六歳ぐらいのこともある[...]
ヨーロッパでは個人が自分で売春するのであって、
だからこそ本人が社会から蔑視されねばならない。
日本では全然本人の罪ではない」(日本滞在見聞記)
そんな社会であったから、女たちも遊女であった自分の経歴を
恥じる必要はなかったのである。
それよりだいぶ時代が下って登場したのが慰安婦である。
だが、当時もまだ貧しい家の娘が親に売られ、
あるいは親を助ける為に自ら苦界に身を沈めていた。
文化13年(1816年)の世事見聞録には、このように書かれているという。
「みな親の艱難によって出るなり。
国々の内にも越中(富山)・越後(新潟)・出羽(山形)辺より多くでるなり。
わづか三両か五両の金子に詰まりて売るという」
先の大戦では内地の貧しい地方だけでなく、
朝鮮半島からも貧しい家庭の娘が慰安婦として戦地へ行っていた。
やはり、どんな理由があろうと元慰安婦を蔑んではいけないのだろう。
慰安婦の多くは(
当時の日本人の大多数同様)大なり小なり苦労を経験した。
慰安婦の中には謙虚な人もいるし、
自分の体験を正直に語っていた人もいる。
しかし、運動家たちは
自分たちに都合のいい慰安婦「被害者」だけを前面に出す
(この事は、先日紹介した外国人も指摘している)。
慰安婦の中には目立ちたがり屋や虚言癖のある者もいるが
(彼女たちも所詮普通の人間だと言ったのは、ナヌムの家で
ボランティアをしていた村山一兵である)、
語り部として利用するのに相応しい 
モデル被害者(上野千鶴子「慰安婦問題という問い」)に
作り変えられたお婆さんたちだから、
怒りの矛先を向けるとすれば、彼女たちの
後ろにいる運動家たちに対してだろう。  続・慰安婦騒動を考える

2 件のコメント:

  1. どちらの論に筋が通っているかはよく見ればわかるので私が言うほどのこともない。私が感じるのは、永井和という学者が堂々と実名を明かして論じているのに対し、シリカ太朗なる投稿者は実名を名乗る度胸もなく、物陰から石を投げている卑怯者だなということだ。北九州在住 倉内莞

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  2. http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori157.htm

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