慰安婦問題について、いろんな報道: 福岡、吉田氏著書に中傷落書き 市立図書館が閲覧中止。 和田春樹、韓国で吉田証言ロンダリング 。【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】朝日新聞はこうしてエスカレートさせて報じた 産経。 

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2014年11月20日木曜日

福岡、吉田氏著書に中傷落書き 市立図書館が閲覧中止。 和田春樹、韓国で吉田証言ロンダリング 。【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】朝日新聞はこうしてエスカレートさせて報じた 産経。 

 「売国奴」と
落書きされた
吉田清治氏の著書
=20日午前、
福岡市早良区の
福岡市総合図書館
福岡、吉田氏著書に中傷落書き 市立図書館が閲覧中止 
2014/11/20 13:22   共同通信
韓国で従軍慰安婦の強制連行にかかわったと証言した故・吉田清治氏の著書に「売国奴」
「生かしておくな」などと中傷する落書きが見つかり、福岡市の図書館が閲覧、
貸し出しを中止していたことが20日、分かった。
 落書きがあったのは福岡市城南図書館が所蔵する「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」
(三一書房、1983年出 版)。
合計9ページに黒のボールペンなどで文字や線が書き込まれており、
うち6ページが中傷だった。吉田氏の名前の横に「売国奴」とあるほか、
吉田氏の家 族に危害を加えるような表現もあった。
 落書きがされた時期は不明。図書館側は警察に被害届を出すことも検討している。
 
和田春樹、韓国で吉田証言ロンダリング
Hazama Hisatake 続・慰安婦騒動を考える
吉田証言ロンダリングに必死な人々がいる。和田春樹だけではない。
欧米人識者、日本や韓国のメディアにも。 
朝日の吉田証言報道撤回に浮かれ過ぎる右派も問題だが、吉田証言が慰安婦騒動の
元凶であることを否定しようとする人々も見苦しい。
確かに、俗に言う「強制連行(徴用)」を認めているわけではない河野談話

吉田証言は採用されていない。
しかし、その河野談話が慰安婦の「強制連行」を日本政府が事実と認めたものとして
利用されていたこと、吉田証言が「強制連行」の証拠として喧伝されていた事実まで
否定する者は、知的に誠実ではない
ただ、米国下院決議に も河野談話にも吉田証言は(直接)引用されていないのは事実で、

朝日の撤回を過剰に喜ぶ日本の保守派は危なっかしい。
日本の強制連行派は、早い段階で吉田 清治をババヌキしていたし、
アメリカの議会調査局も警告を受けて直前に不採用にしたようである(2007年)。
吉田の偽証を日本の右派は慰安婦問題の否定 に利用している、と再攻勢をかける
ジャパン・バッシャーや利権団体。技巧を駆使する彼らに
日本の保守派は対抗出来るのだろうか?  

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産経ニュース【東京特派員】強制連行 韓国と東ティモールの違いは  
活動家の工作に乗るかどうか
2014.9.9 12:14 (1/3ページ2/3ページ3/3ページ
 ずいぶん前に、日本軍の慰安婦“強制連行”が、
「やはり、虚偽であろうな」と考えさせられる出来事があった。
争乱が続いた東ティモールでのことで ある。
独立直前の東ティモールを取材するため、2002年5月に何度目かの現地入りをした。
その中心都市ディリで、NGOスタッフのマリオ・カネラスさん から意外な話を聞かされたのだ。

 カネラスさんは日本のテレビ局、彼に言わせると公共放送の依頼で

日本占領時代のティモール人元慰安婦の取材に同行したことがあった。
日本人の謝罪活動家も加わった取材班は、元慰安婦とおぼしきお年寄りを探し当てた。

 「日本軍からたくさんやらされたんじゃありませんか」

  マイクを持つ記者らは、おばあさんに恣意(しい)的な問いかけをした。

ところが彼女は「仕事は仕事。みんな優しかったね」と答えた。
おばあさんは兵隊相手 の売春を「仕事」と割り切って、とても強制的な感じがしなかったと
カネラスさんはいう。
兵隊は帰り際に「子供さんに」とお土産までくれた。島民はみんな貧 しかったのだ。

 おばあさんが、何度も「ヤマモトさんは優しかったね」と繰り返す。

彼女が相手の日本兵の誰に対しても「ヤマモトさん」と いっていることから、
カネラスさんは「“ヤマモトさん”という日本語を、“兵隊さん”の意味だと勘違いしている」
と推量した。いかにもリアルな逸話であ る。

それなのに、記者は「悪い人がいたんじゃありませんか」と何度も問い詰める。

カネラスさんはそうした取材方法に、「ずっと疑問を抱き続けてきた」と告白した。
戦場で愚かな行為があったにしても、「強制性なし」の事実は揺るがないなと感じた
次第である。

テレビ記者らは、朝日新聞が何度も報じてきた日本軍の慰安婦「強制連行」なる幻想を、

素直に信じてしまったのだろう。
朝日は吉田某の「朝鮮半島で慰安婦狩 り」をしたという虚偽証言をもとに、
「村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって若い女性を殴り、けり、
トラックに詰め込む」とまことしやかに書 いたから罪は深い。
そして朝日は、32年後にようやく撤回した。

 東ティモールと韓国の違いは、日本人の謝罪活動家があおり立てる工作に乗るか否か、

国家が元慰安婦を政治の道具に利用するか否かであるように思う。
というのは、この東ティモールで忘れられないもう一つの奇妙な光景を目撃したからである。

独立後の支援のために大型輸送機で入った日本の自衛隊員に、空港近くで

現地の若者20人と日本人数人が「自衛隊は来るな」とデモ行進をした。
すると、デモ を取り巻く現地住民から「助けに来てくれたのに、何で反対するんだ」と、
逆にデモ隊が詰め寄られた。
謝罪活動家が現地の若者をたきつけたものの不首尾に終わった。

戦後の日本は、サンフランシスコ講和条約に従って賠償責任が問われた。

だが、日本が兵を送った東ティモールは、請求を放棄したポルトガルの統治下に
あったから賠償責任が生じない。
で、暫定政府のラモス・ポルタ外相は、自衛隊が到着したその日、
「相手の罪悪感を利用するような姑息(こそく)なことはしない」と述べた。
もちろん日本は経済援助で東ティモールの国づくりを支えている。

 他方、中国や韓国からの「謝罪要求」は底なしで、いつまでたっても終わらない。

日本に対し、いつまでも優位に立てるからだろうか。

 中国は歴史を利用し、韓国は歴史にすがりつく。

欧州が冷戦の崩壊で核のストレスから解放されたのとは逆に、日本は将来とも
歴史のストレスと上手につき合うしかない。(湯浅博)

朝日内定者イベント 慰安婦報道への学生質問に
会場静まった  2014.09.08 07:00

朝日新聞が週刊誌の広告掲載拒否 
広告主らから疑問の声出る
2014.09.08 16:00
 西日本の販売店関係者がこう話す。

「先日も『祖父の代から40年以上購読してきたがもうやめる。

素直に頭を下げられない会社はダメだよ』との電話があった。
検証記事後から解約の電話は多い時で1日3~4件。これからさらに増えるかもしれない」

 広告クライアントにも動きが出てきている。

ホテルチェーン大手・アパグループの元谷外志雄代表は、朝日への広告出稿を
「朝日が謝罪会見するまで取りやめる」と発表したが、
同じような不満を抱いている企業は多いという。広告代理店関係者の話だ。

【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】朝日新聞はどう報じたか産経ニュース 
初登場昭和55年3月7日付横浜版、
女性強制連行の言及なし 
2014.9.8 07:58 (1/3ページ)(2/3ページ3/3ページ「慰安婦」問題
かつて1人の男の作り話が、これほど日本の国際イメージを損ない、
隣国との関係を悪化させたことがあっただろうか。
朝鮮半島で女性を強制連行したと偽証した
自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治のことだ。
吉田の虚言を朝日新聞などメディアが無批判に内外で拡散し、
国際社会で「性奴隷の 国、日本」という誤った認識が定着していった。
「吉田証言」とは何かを考える。(原川貴郎、是永桂一)

朝日新聞は8月5日付朝刊に掲載した特集記事「慰安婦問題を考える上」で

吉田清治について、「確認できただけで16回、記事にした」と説明し、初掲載は
昭和57年9月2日付の大阪本社版朝刊社会面とした。

だが、さらに2年半さかのぼる55年3月7日付朝日新聞横浜版などに掲載された

連載「韓国・朝鮮人II」に、横浜市内在住の著述業として、吉田清治が登場している。

執筆した元朝日新聞ソウル特派員(現在はジャーナリスト)の前川惠司は、

吉田に会ったときの印象について今年5月、産経新聞の取材にこう語っていた。

「吉田が『自分の話を聞いてほしい』と支局に電話をかけてきた。

3、4時間ぐらい話を聞いたが、(女性を強制連行したはずの)
済州島の話は全く出なかった。尋ねるたびに話のつじつまが合わなくなるので
結局、多くは書かなかった」
自称『徴用の鬼』が韓国で謝罪碑建立
この55年3月の記事に慰安婦という言葉や女性の強制連行に関する言及はみられない。
出てくるのは、労務者として吉田が狩り集めた「農作業中の男」「20歳代前半の若者」
「15、16歳の少年」「50歳近くの男」らだ。
それから2年半後の57年9月2日付で朝日は、吉田が証言する女性の

「強制連行」の“実態”を報じた。
記事は「朝鮮の女性 私も連行」「暴行加え無理や り」の見出しで、18年の初夏に、
済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』とする
吉田の講演内容を伝えたものだった。

吉田は、 その1カ月後の57年10月1日付朝日新聞朝刊にも登場する。

「朝鮮人こうして連行」「壮年男子根こそぎ 集落包囲、殴りつけ」
の見出しが付けられた記事 は、ロシアのサハリン残留韓国人・朝鮮人の帰還訴訟で、
証人として吉田が語った朝鮮人強制連行の模様を報じた。

さらに58年の秋から冬にかけ、朝日は立て続けに3回、吉田を登場させた。

「韓国の丘に謝罪の碑」の見出しの10月19日付夕刊記事は、

「『徴用の鬼』と呼ばれた」と自称する吉田が韓国に謝罪の旅に出かけ、
謝罪碑を建立することを紹介。11月10日付朝刊の「ひと」欄は、「強制連行、
初めて知りました」との声を吉田に寄せた中学三年生がいたとし、
「朝鮮人を強制連行した謝罪碑を 韓国に建てる」人物として、吉田を取り上げた。
平成に入ってから「吉田証言」内容がエスカレート
そして12月24日付朝刊の記事「たった一人の謝罪」では、謝罪碑を建てた
韓国・天安市で「私は戦前数多くのあなた方を強制連行した張本人です」
との吉田のざんげの言葉とあわせて、土下座する吉田の姿を写真で伝えた。

次に吉田に関する記事が頻繁に載るようになるのは、平成に入ってからだ。

「名簿を私は焼いた 知事の命令で証拠隠滅 元動員部長証言」

(平成2年6月19日付大阪本社版朝刊)、
「木剣ふるい無理やり動員」(3年5月22日付 同)、
「従軍慰安婦 加害者側から再び証言」「乳飲み子から母引き裂いた」
「日本は今こそ謝罪を」(3年10月10日付同)に続き、
夕刊1面コラム「窓  論説委員室から」も4年1月23日付、3月3日付と
短期間のうちに吉田を2度、取り上げた。

産経新聞は4年4月30日付朝刊で、吉田証言に疑問を突きつけたが、

それから1カ月もたたない5月24日付の朝日新聞朝刊記事は、「今こそ 
自ら謝りたい」の見出しで、再び韓国に謝罪の旅に出かける吉田を紹介している。

産経新聞は、この記事を含め4年5月以降、吉田を扱った朝日の記事が

少なくとも6本あることをマイクロフィルムや縮刷版などで確認した。

【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】強制連行の嘘はいかに海外に拡散されたか
 2014.9.8 10:30 (1/2ページ2/2ページ「慰安婦」問題
 朝日新聞が少なくとも16回、吉田清治を記事で取り上げたこともあり、
朝鮮半島で女性を強制連行したとする吉田の嘘は、海外にも拡散していった。

 米紙ニューヨーク・タイムズは1992年8月、吉田の写真とともに長文記事を掲載。

43年から44年にかけて朝鮮半島で約2千人の女性を強制連行したとする告白を、
「アジアにおける今世紀最悪の人権侵害だったかもしれません」
との吉田のコメントとともに伝えた。

 AP通信も92年6月、「吉田は韓国の村から日本兵に繰り返し強姦(ごうかん)

されることになる女性を強制連行したことを告白した唯一の日本人」として取り上げ、
証言内容を世界に向けて配信した。

 これら海外メディアの報道と前後して韓国政府は92年7月、

「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」を発表。
そこでは、吉田の済州島での「奴隷狩り」が、強制連行の証拠として採用された。
その後、吉田証言は国連の場にも進出する。

慰安婦への国家補償などを勧告した96年2月の国連人権委員会のクマラスワミ報告書は、

吉田の著作から「千人もの女性を『慰安婦』として連行した奴隷狩りに加わっていた」
との内容を引き、慰安婦を「性奴隷」だと認定した。

この報告書は、慰安婦問題をめぐり国際社会が対日批判をするときの根拠にされていく。

98年には国連人権小委員会で、慰安所を「強姦所」とするなど、クマラスワミ報告書を
下敷きとしながら、表現をさらにエスカレートさせたマクドゥーガル報告書が採択された。

  2007年7月、米下院本会議は慰安婦問題での対日非難決議を採択した。

採択に至る過程で議員が審議の参考資料とした米議会調査局報告書は一時、
「日本軍 の慰安婦とするため、韓国で女性千人を狩り集めた」との吉田証言を
明記していた(06年4月)。
07年4月の調査局報告書で吉田に関する記載は削除されたものの、
決議内容には吉田証言が反映したとされる。

 最近では韓国紙、朝鮮日報が12年8月、吉田証言を「事実」として社説で取り上げた。

 吉田の「強制連行」証言には1992年4月の段階で重大な疑義が生じていた。

その時点で朝日新聞が記事の誤りを認めていれば、事実誤認に基づく対日批判が
これほどまでに広がることはなかっただろう。(敬称略)

【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】吉田清治の嘘が国内に与えた影響 
国会、中学歴史教科書、指導書に
2014.9.8 14:48 (1/2ページ2/2ページ3/3ページ「慰安婦」問題
吉田清治の朝鮮半島における「強制連行」証言が、政治や教育の現場に与えた影響は
計り知れない。朝日新聞が昭和57年9月に吉田証言を取り上げてから、
ほどなく吉田の名前は国会にも登場する。

 60年2月14日の衆院予算委員会。質問に立った社会党の佐藤観樹は、
戦時中に泣き叫ぶ若い朝鮮人男女を連行した元山口県労務報国会動員部長として
吉田を紹介した。吉田が韓国で「謝罪の碑」を建てたことに言及し、こう続けた。
 「新聞では『たった一人の謝罪』というふうに報道され、ここに吉田さんが
地べたに手をついて謝っている写真があるわけでありますけれども…」

 佐藤が紹介した報道とは、吉田が私費を投じて韓国・天安市
「謝罪の碑」を建てたことを、現地で土下座する吉田の写真とともに伝えた
58年12月24日付の朝日新聞の記事を指す。
 当時の首相、中曽根康弘は、佐藤が示した吉田の言動を“真実”と受け止め、
次のように答弁している。

 「…それから、吉田清治さんがおやりになっていることは非常に尊いことであると思います。
今初めてお聞きいたしましたので、よく調べてみたい」

  吉田が国会質疑に登場したのはこれにとどまらない。
国会議事録によると、佐藤の質問の後、平成4年4月までの間に吉田清治の名前を挙げて
質問した衆参の議員は計4人いた。

4年2月19日の衆院予算委員会では社会党の伊東秀子
「彼自身が約千人近くの女性を下関から、朝鮮人の女性を従軍慰安婦に強制連行した」
と指摘し、吉田の参考人招致を求めた。

国会の議論の対象となった慰安婦問題は、義務教育の現場でも扱われるに至った。
7年度検定の中学校の歴史教科書に一斉に「慰安婦」
「従軍慰安婦」が登場したのも、吉田証言が影響している。
 「多くの朝鮮人女性なども、従軍慰安婦として戦地に送り出された」
  教育出版発行の『中学社会 歴史』の慰安婦に関する記述だ。
教科書に限れば慰安婦に関する記述はこれだけだが、この教科書を使って
授業を行う教師に向けて 同社が作成した「教師用指導書」は、
「従軍慰安婦に関する書籍」として6冊を列挙した。
そのうちの一冊、『朝鮮人従軍慰安婦』(鈴木裕子、岩波ブックレッ ト)は、
吉田証言を紹介している。
 この教科書と指導書は9年度から5年間使用された。指導書に忠実に従った
教師の授業を受けて、吉田証言を信じた生徒は数多くいたことだろう。(敬称略)

【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】
「強制連行」を広めた吉田清治とは何者なのか 「真実を書いても何の利益もない」
2014.9.8 12:36 (1/3ページ2/3ページ3/3ページ「慰安婦」問題
そもそも吉田清治とは何者なのか。韓国・済州島で奴隷狩りのように
女性を強制連行したというその証言について、現地調査で虚偽だと暴いた現代史家の
秦郁彦は、吉田氏を「職業的詐話師」と呼ぶ。
実際、証言内容が虚構に満ちているだけでなく、吉田の経歴もまた謎に包まれている。

 吉田清治の名はペンネームで、本名は吉田雄兎(ゆうと)。

他に別名として東司、栄司を名乗っている。
吉田の著書で山口県と記されている本籍地も、実は福岡県だっ た。
門司市立商業学校(当時)の卒業生名簿には「吉田雄兎」の名があるが、
卒業生名簿には「死亡」と記されている。

 吉田の著書の記述では昭和12年、満州国地籍整理局に務め、

14年から中華航空上海支店に勤務したことになっている。
しかし、歴史学者の上杉千年の調査では中華航空社員会で
吉田を記憶する者はいなかった。

 吉田によれば、15年に朝鮮の民族主義者で日本の民間人を殺害した金九


※金丸 1932年昭和7年 - 韓人愛国団の李奉昌が昭和天皇暗殺を狙った桜田門事件
尹奉吉による上海天長節爆弾事件などの独立運動を行う。
1940年昭和15年 - 重慶に脱出し、大韓民国臨時政府主席に就任、
韓国光復軍を組織して蒋介石中国国民党政府とともに抗日活動を行う。

輸送した罪で逮捕され懲役2年の刑を受けたという。ただ、吉田は秦に対し、罪名はアヘン密輸にからむ「軍事物資横領罪」
であることを告白している。

17年に山口県労務報国会下関支部動員部長に就いたとする吉田。

大日本産業報国会  捏造作家、吉田清治という男

済州島での慰安婦狩りも、著書で「(強制連行の)実態は私が家内にしゃべったか
見せたかしたので、家内の日記の中にありました」と書くが、吉田が実際に
妻と結婚したのは「慰安婦狩り」を行ったという時期の1年後のことだとされる。
 著書には戦後の吉田の足跡は一切触れられていないが、秦によると22年に
下関市議に共産党から出馬し落選。45年ごろには福岡県の日ソ協会役員に就いた。

 これら吉田自身の虚構は秦や上杉、戦史研究家の板倉由明らの
丹念な研究によって明らかになった。

  強制連行の唯一の日本側証言とされてきた済州島での慰安婦狩りに関しては、
地元紙「済州新聞」記者、許栄善が取材すると全くのデタラメだと判明した。
慰安 婦問題で日本政府の責任を追及する立場の中央大教授、吉見義明も
「吉田さんの回想は証言として使えない」と判断している。
 朝日新聞が自社 の吉田証言を取り上げた記事を取り消したのは今年8月のことだが、
吉田自身はすでに平成8年の週刊新潮(5月2・9日合併号)のインタビューで
「本に真実 を書いても何の利益もない」
「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」
と捏造(ねつぞう)を認めていた。

吉田は朝日新聞が昭和57年9月2日付朝刊(大阪本社版)で、
「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」
と大きく報じたことなどを皮切りに、新聞や雑誌、講演に登場するようになった。
  サハリン残留韓国・朝鮮人の帰還訴訟を行った弁護士の高木健一の著書によると、
吉田は57年9月30日と11月30日の2回、「強制連行の証言者」として 出廷。
「慰安婦狩りの実態」が法廷で披露されたことに対し、高木は
「証言は歴史的にも非常に大きな意義がある」と評価している。

 吉田は58年7月に『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』を著し、
58年12月に韓国・天安市の国立墓地に謝罪碑を建てるために訪韓。
以降も現地で謝罪を繰り返した。平成12年7月に死去していたことが判明している。
(敬称略)

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