慰安婦問題について、いろんな報道: 植村氏は産経の取材を受けよ。朝日社長がおわび…「慰安婦報道、誤りを放置」。朝日新聞従軍慰安婦記事 検証委が報告書。植村隆元朝日新聞記者はハンギョレ新聞で居直り・・

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2014年12月27日土曜日

植村氏は産経の取材を受けよ。朝日社長がおわび…「慰安婦報道、誤りを放置」。朝日新聞従軍慰安婦記事 検証委が報告書。植村隆元朝日新聞記者はハンギョレ新聞で居直り・・

23年前“慰安婦”を初めて報道した植村隆元朝日新聞記者
2014.12.27 06:00更新 産経ニュース【朝日慰安婦報道】
植村氏は産経の取材を受けよ 
朝日新聞の慰安婦報道をめぐっては平成3年8月、
元韓国人慰安婦、金学順氏について「女子挺身隊の名で戦場に連行」と事実無根の記事を
書いた元朝日新聞記者の植村隆氏の姿勢に疑問が残る
 産経新聞は今年5月、植村氏が在籍する北星学園大に記者が直接赴きインタビューを依頼。
取材窓口が朝日に移った後も取材を申し入れたが、同氏から直接の回答はなかった。
一方で植村氏は米紙や韓国紙、東京新聞などの取材には応じ持論を述べている。
 植村氏は金氏の「証言テープ」を取材源に慰安婦と女子挺身隊を混同し、報道した。
朝日新聞は今年12月23日付紙面で混同を訂正したが、植村氏自身は
月刊誌などのインタビューで他紙の誤用の例を挙げるなど自己弁護を続けている。
  朝日新聞の第三者委員会は植村氏の記事について
「安易かつ不用意な記載であり、読者の誤解を招くもの」と指摘し、植村氏の
「単に戦場に連れていかれたという意味で『連行』という言葉を用いた」という釈明を
「社会通念の用語法からすれば両立しない」と断じている。
植村氏は記事の捏造(ねつぞう)を強く否定す るのであれば、
本紙の取材に堂々と応えてほしい。(是永桂一)



【慰安婦報道問題】改めて謝罪 朝日新聞 渡辺雅隆社長記者会見
【2014/12/26】 syu5656

朝日社長がおわび…「慰安婦報道、誤りを放置」 
2014年12月26日 21時40分 YOMIURI ONLINEホームへ朝日新聞社は26日、
いわゆる従軍慰安婦問題を巡る同社の報道を検証する第三者委員会の報告書を受け、
「誤りを長年放置してきたことを改めておわびする」などとする見解を発表した。
 都内で記者会見した渡辺雅隆社長は「読者に向き合う姿勢をおろそかにし、
自社の立場を弁護する内向きの思考に陥り、深く反省している」と述べた。

 朝日は今後の取り組みとして、編集の独立を尊重し、経営陣は記事や論説の内容には
原則介入しないことや、関与する場合は社外の有識者で構成する常設機関に
意見を求めるなど、手続きをルール化する方針を示した。
また、 社外からの異論や反論を丁寧に受け止めるため、読者らと意見交換する紙面を
充実させることなどを明らかにした。

 第三者委の指摘について、渡辺社長は「提言、報告を真摯しんしに受け止め、
誠実に実行するのが大原則」と説明し、慰安婦問題について継続的に担当する取材班を
発足させる考えを明らかにした。
ただ、自らの手で過去の記事を改めて検証するかについては、
「引き続き取材を続けて、新たなことが分かればお伝えする」と述べるにとどめた。

朝日新聞デジタル慰安婦報道検証受け改革 朝日新聞、報道のあり方など
2014年12月26日13時40分
朝日新聞社は26日、慰安婦報道を検証する第三者委員会による
報告書公表を受けて、渡辺雅隆社長の見解と、「経営と編集の関係」「報道のあり方」
「慰安婦報道」の三つの柱からなる改革方針を発表した。
 社長の見解では、第三者委から、木村伊量(ただかず)・前社長だけでなく
ほかの取締役会の役員も「責任を深く自覚する必要がある」と指摘されたことを受けて、
「過ちを繰り返さないよう、改めるべきはしっかりと改め、経営や報道のあり方についての
幅広いご提言を誠実に実行してまいります」とした。
 慰安婦報道に関する1997年と今年8月の検証記事については
誤りを率直に認めて謝罪し、わかりやすく説明する姿勢に欠けていました」と総括
「社会の役に立つメディアとして、再び信頼していただけるよう、改革に取り組みます」
と決意を示した。
 報道に臨む基本姿勢については、「思い込みや先入観を排し、
公正で正確な事実に迫る取材を重ねます」と説明した。
 改革方針のうち、「経営と編集の関係」では、編集の独立を尊重するため、
経営に重大な影響を及ぼす事態と経営陣が判断して編集に関与する場合も、
ルールをつくり、議論を透明化することを明らかにした。
社外の複数の有識者による常設機関を設け、意見を求めるとした。
 「報道のあり方」については、訂正報道のあり方を抜本的に改革し、
多様な視点・意見を取り上げるフォーラム面など
「言論の広場」として語り合う機能を充実させる。
「慰安婦報道」については、報道への様々な批判や議論を招いたことを謙虚に受け止め、
この教訓を踏まえて慰安婦問題の実相に向き合い、読者にわかりやすい多角的な報道をする。
継続的に担当する取材班もつくる。
 
【朝日新聞】慰安婦報道の検証委員会 記者会見【編集版】nihon channel

NHKニュース朝日新聞従軍慰安婦記事
 検証委が報告書
2014年(平成26年)12月23日[火曜日]1時19分
朝日新聞社が、いわゆる従軍慰安婦を巡る自社の報道について検証するために設置した
第三者委員会は、22日 報告書を公表し、「慰安婦を強制連行した」とする証言に基づく
記事の取り消しや謝罪が遅れたことについて、
「ジャーナリズムのあり方として非難されるべきであり、報道機関としての役割や
読者と向き合う視点を欠落させたものだ」と指摘しました。

この報告書は、弁護士や研究者などで作る朝日新聞社の第三者委員会がまとめたもので、
22日午後、元名古屋高等裁判所長官の中込秀樹委員長が渡辺雅隆社長に提出しました。
こ の中では、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って、朝日新聞が、ことし8月になって
「慰安婦を強制連行した」とする吉田清治氏の証言に基づく記事を取り消したことについて
「1992年に研究者が証言は極めて疑わしいという調査結果を発表した後も、
安易に記事を掲載し、現地に取材に行くなどの対応を講じないまま、消極的な対応に
終始した」と指摘しました。
そのうえで、「読者の信頼を裏切るもので、ジャーナリズムのあり方として
非難されるべきだ」としています。
また、8月の検証記事で謝罪しなかったことについては、当時の社長の木村伊量氏からの
意見を基におわびをしない案が拡大常務会に提出され、謝罪しないことへの
懸念も表明されたものの、最終的には記事は取り消すが謝罪はしないという方針が
決定したとして、「報道機関としての役割や読者と向き合う視点を欠落させ たものだ」
と指摘しました。
さらに、この問題に関するジャーナリストの池上彰氏のコラムの掲載を、
一時、見送ったことについては、「実質的には当 時社長だった木村氏の判断によるものと
認められ、経営幹部による不当な干渉を防止するための概念である
『経営と編集の分離』原則との関係でも不適当な関与 がなされたといわざるを得ない」
としています。
また、朝日新聞の報道が国際社会に与えた影響については、複数の委員の検討結果を
並記しています。この中では、「強制的に従軍慰安婦にしたという、イメージの定着に
吉田氏の証言が大きな役割を果たしたとは言えないが、朝日新聞などが韓国における
慰安婦問題に対する過激な言説をいわば裏書きしてきた」とする意見や
「海外メディアは、朝日新聞を参照はするが、多くの情報源のうちのひとつにすぎない」
などとする意見などが出されたとしています。
第三者委員会は、朝日新聞と社員に対し、報道した記事についての責任を自覚し、
誤報が判明したときの取り扱いを確立するよう求めています。
渡辺社長は、「報告書の内容を真摯に受け止め、朝日新聞社を根底からつくりかえる覚悟で
改革を進めます」と述べ、今月26日に改めて会見し、社としての見解を説明するとしています。
また、池上氏のコラムの問題で当時の社長の木村氏と共に掲載の見送りを協議した
などとして当時の編集担当の取締役ら3人について出勤停止2か月などの処分にすることを
発表しました。

2014.12.23 01:09更新 【朝日慰安婦報道】
産経ニュース「『社を守る』大義」 経営幹部の“介入”と
「当事者意識の欠如」指摘  2/2ページ
朝日慰安婦報道検証 第三者委員会会見
慰安婦報道をめぐり、朝日新聞の第三者委員会が22日、公表したA4版110枚の報告書。
今夏の検証記事での謝罪見送りや、ジャーナリストの池上彰 さんのコラムを
一時掲載拒否したことなどについて、報告書は前社長の木村伊量(ただかず)氏ら
経営幹部の“介入”とともに、現場の社員の「当事者意識の欠 如」も指摘した。
特集・検証記事
 歴史教科書問題をきっかけに行われた平成9年の特集で、女性を強制連行したと証言した
吉田清治氏の証言について、「真偽は確認できない」との表現にとどめたことを
「致命的な誤り」と指摘した報告書
 この特集後、担当した社会部デスクが「以降、吉田証言は紙面で使わないように」と記載した
「行政」と呼ばれる社内連絡文書を出していた。
  特集掲載から約1年後、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が週刊新潮経由で、
「特集では誤りについて言及していなかった」などと文書で質問。
同社の広報部門は 社会部に相談した上で、「『なぜ、訂正記事を出さないのか』という
意味でしたら、そのような性格のものではないとお答えするしかありません」と回答してい た。
これに対し、報告書は「櫻井氏の質問に対して、真摯(しんし)に正面から回答したものとは
言い難い」と結論づけている。
 9年特集以降、吉田証言問題は「解決済み」との認識が大勢になった。
第三者委は要因として、「社会部以外の者は『あれは社会部がやっていること』であり、
不用意に口出しすべきではない」「(吉田証言を当初報じた)大阪社会部の記事を
東京社会部が取り消すなどということは、ありえない」といった社内の声を挙げ、
「当事者意識の欠如」を指摘した。
 今年8月の検証記事は当初、2日間で計8ページを予定していたが、
「大げさになりすぎ、読者に一体何事かとの印象を与えてしまう」との懸念が
危機管理担当の経営幹部から示され、4ページに圧縮されたとした。

池上氏コラム問題
 今夏の検証記事を企画している中では、池上氏に論評してもらうか、毎月最終金曜日の
コラム「新聞ななめ読み」で検証記事を取り上げてもらうよう依頼することが決定した。
 池上氏は8月29日付のコラム原稿を同月27日午後、朝日新聞のオピニオン編集部の
担当者に電子メールで送信。
担当者は「過ちは潔く謝るべきだ」との見出しを付けて、池上氏の了解を得たという。
 池上氏のコラムのゲラ(試し刷り)は経営幹部らも確認。しかし27日夕、編集幹部が
オピニオン編集部に対し、「木村(前社長)が掲載に難色を示している」として、書き直しか
掲載見合わせ、見出しをマイルドにするなどの「対策」を持ちかけてきたという。
  オピニオン編集部は「慰安婦をめぐる議論が言論の自由をめぐる議論になる」などと抵抗。
これに対し、幹部側は「連載打ち切りのリスクよりもコラムを載せる 方がリスクが高い」
「経営上の危機管理の観点」などと譲らなかった。
「朝日新聞のブランド価値を著しく毀損(きそん)するとして、週刊文春の広告掲載も拒否した」
「(木村前)社長の逆風に負けず頑張るぞという言葉がホームページにアップされる
タイミングだ」などと言い募ったという。
 ただ、朝日新聞はこれまで、掲載見送りの経緯を説明する際、池上氏の原稿を読んだ
前社長が「大変厳しい内容」という感想を伝えただけと説明していた。
  第三者委の見解を受け、同社は「前社長や経営幹部が不適当な関与をし、
経緯の説明も不適当だったと認定したことを重く受け止め、あらためて深くおわびする」と謝罪。
木村前社長は「私が池上さんのコラムについて修正が必要だと強い調子で意見を
言ったことが、編集担当の判断を左右する結果になったとの指摘も 
重く受け止める」などとするコメントを発表した。
 朝日新聞の渡辺雅隆社長は26日に会見する。
【朝日慰安婦報道】「指摘すべき問題積み残し」東京基督教大教授、西岡力氏
【朝日慰安婦報道】「提言部分に具体性乏しい」 現代史家の秦郁彦氏
【朝日慰安婦報道検証会見・詳報】(5)完 食い違う朝日と第三者委の“池上問題”に関する認識 社長の虚偽発言「真摯に受け止める」
【朝日慰安婦報道検証会見・詳報】(4)「どんな指摘受けても変えようとしない体質を批判した」 朝日へ改革促す
【朝日慰安婦報道検証会見・詳報】(3)「自分の価値判断をつけて読者を方向付けすることに驚き」 朝日の体質に疑問呈する
【朝日慰安婦報道検証会見・詳報】(2)慰安婦問題の海外への波及 「朝日新聞が主導的役割果たした」
【朝日慰安婦報道検証会見・詳報】(1)一連の検証報道「自己防衛的な側面強い。果たして読者のための紙面なのか」 朝日の姿勢に厳しい提言
【朝日慰安婦報道】三者委の検証 「訂正しておわび」の紙面案 当時の社長が反対
【朝日慰安婦報道】池上コラム見送りで当時の取締役編集担当ら3人処分
【朝日慰安婦報道】韓国政府「問題本質変わらず」 影響なしの声聞かれる
【朝日慰安婦報道】自民・稲田政調会長「朝日は日本の名誉回復を」
【朝日慰安婦報道】第三者委報告書 朝日報道の「欠陥」「ゆがみ」突く
【朝日慰安婦報道】中核なした「吉田証言」 「研究の乏しさ」で女子挺身隊との誤用も続き…
【朝日慰安婦報道】第三者委が「国際的影響」認める報告書

[インタビュー]
hankyoreh「私が書いた慰安婦記事はねつ造ではない
…右翼の脅しには屈しない」


登録 : 2014.12.21 23:59 修正 : 2014.12.22 10:49
23年前“慰安婦”を初めて報道した植村隆元朝日新聞記者
「いまでも夢を見ているようだ。なぜ私にこのようなことが起きたのか」
 16日、北海道の中心都市、札幌市内の事務所で向かい合って座った
植村隆元朝日新聞記者(56)は、頭を抱えて深いため息をついた。
黙って彼の姿を見つめることしか、他に慰めの言葉は思いつかなかった。
 慰安婦問題を取り巻くし烈な攻防が繰り広げられている日本の社会で、植村記者は
大変独特な位置にある。
彼は1991年8月11日、「朝日新聞」大阪本社版に、自ら日本軍慰安婦であったことを
初めて公に明らかにした金学順さん(1924~1997)に関する最初の記事を書いた人物である。
彼は日本の右翼にとって、慰安婦に関する「捏造記事」を書き、日本の名誉と国益に
限りなく大きな傷を残した「売国奴」だ。
しかし、慰安婦問題を解決することが、より良い日本と平和な東アジアを作り上げる
第一歩になると信じる革新勢力にとっては、崩れてはならない重要な「砦」となっている。

「ハンギョレ」は16~17日の2 日間にわたる植村との深層インタビューを通じて、
安倍政権の河野談話(1993年)検証が行われた過去1年間、日本の右翼の度を越した
バッシングを、なす 術もなく受け入れねばならなかった彼の苦痛の時間を振り返った。
 そのなかで確認できたのは、日本社会の歪んだ自画像だった。
韓国人の妻と結婚し
義母が太平洋戦争遺族会長
右翼は虚偽宣伝戦を行った
義母たちのために記事をねつ造したと…

- あなたは23年前、金学順さんの証言を初めて報じた。それによってこの1年間、
どんな目にあってきたのか。
 「 攻撃の始まりは、1月末発売の「週刊文春」(発行日基準では2月6日号)だった。
記事のタイトルは「慰安婦捏造朝日新聞記者がお嬢様大学教授に」だった。
 慰安婦捏造記事を書いた植村が、4月から神戸松蔭女子学院大学の教授になるという
内容だった。数日後の1月31日、学校の事務局長から会いたいと電話がきた。
そして、2月5日、神戸のホテルで副学長、事務局長と面談した。
私は記事を捏造していないのだから、きちんと説明すれば学校でも理解してくれると考えた。
そこで説明資料を取り出したところ、大学側では「記事の真偽とは関係なく、このままでは
学生募集などにも影響が出る。
松蔭のイメージが悪化する」と述べた。
私が本当に記事を捏造したなら仕方がないことだが、そうでないからとても残念だった。 
しかし、ある意味では大学も被害者だった。
訴訟は起こさなかった。そして、3月7日に雇用契約が解消された。
最初はこれで終わりだと思っていた」
 植村記者に対する日本の右翼の限度を超えたバッシングが始まったころ、
「産経新聞」を筆頭にした日本のマスコミは、韓日間の大きな外交懸案となっている 
慰安婦問題を自らに有利な方向へと導くために、慰安婦動員過程の強制性を認めた
河野談話に対する攻撃を始める。
菅義偉官房長官は2月20日、河野談話検証 チームを設置するとの計画を公式に発表した。
検証チームは4月から本格的に活動を開始、6月20日に報告書を出した。
安倍政権が河野談話に揺さぶりをかけると、右翼は自分たちの怒りを表出する対象を
探し始める。安倍政権が河野談話検証に乗り出す過程で決定的役割を果たした
山田宏衆議院議員(当時、次世代の党)は、植村記者を国会証人喚問すべきとの主張まで
展開した。彼に対するバッシングはもちろん、彼を非常勤講師に採用していた
北海道・札幌市の北星学園大学まで右翼の攻撃対象となった。
- あなたがこのようにとんでもないバッシングを受けるようになった原因は何だと思うか。
 「今の状況は自分も時折実感がわかない。
金学順さんの初の証言が出たころ、私と同じような記事を書いた人は多かったのに、
 なぜ私だけがこのようなバッシングを受けるのか、理解できない。
私が金学順さんの証言を最初に書いた経緯はこうだ。
<朝日新聞>大阪本社社会部時代の 1990年、当時のデスクが夏の平和企画として、
韓国にいる慰安婦の女性を探してみようというアイディアを出した。
それでその年の夏、2週間ほど韓国を 回って取材した。
しかし、歩き回っただけで取材は空振りだった。 
それから1年後、当時を記憶していたソウル支局長「韓国挺身隊問題対策協議会
(以下、挺対協)が慰安婦の女性を見つけたようだけど、取材してみないかね」 と提案してきた。
それで1991年8月10日、ソウルの挺隊協事務所で、尹貞玉・共同代表から金学順さんの
証言を録音した録音記録を聞くことができた。 
 インタビューではなかったので質問できない状況だったが、長い間沈黙していた
韓国の慰安婦女性が初めて歴史の前面に出てきたことだったので、十分記事の価値は
あると判断した。 右翼は、慰安婦問題が今のように世界的に大きな問題となったのは、
私が金学順さんの証言を報道したからだと主張する。
しかし、私が翻訳家の友人に頼んだが、私の記事を引用報道(転電)した
韓国のマスコミは見つけられなかった。 
 この問題が注目されるようになったのは、金学順さんが8月14日に直接記者会見をしたからだ。
 結局、私が推測できる理由は一つ。
私の妻が韓国人で、義母が梁順任・太平洋戦争犠牲者遺族会会長だからだ。
しかも、義母が戦後補償訴訟と関連して詐欺罪で起訴された事件
(8月に無罪が確定)があった。右翼はこれらをもって 、植村が義母のために記事を
捏造したという 虚偽のプロパガンダを流布させている. 私は 1996~1999年の 
ソウル特派員時代には、 梁順任の婿が慰安婦問題を書いていると言う
バッシングを受けたくなくて、 そうした記事はわざと避けていた」
娘に対する攻撃が変化の契機
市民たちが怒り始め
学者・弁護士・ジャーナリスト444人が支持
脅かされた講師職 契約1年延長
- 最初、慰安婦や韓国に関心を持った背景は何か?
 「私は1978年に早稲田大学に入り、1982年に朝日新聞に入社した。
学生時代は韓国の政治情勢が急変した時代だった。 
 1979年に朴正熙大統領が死に、 1980年に光州事態が起きた。 
1981年には金大中大統領の死刑確定判決があった(直後に無期に減刑). 
学生時代、寮に在日韓国人の先輩がいた。
彼は1970年代にソウル 留学したが、在日同胞スパイ団事件の巻き添えになるのが怖くて、
日本に帰って来た人だった。
彼を通じて朝鮮半島や在日朝鮮人の差別問題等について学ぶようになった。 
1981年に旅行で韓国を訪れたこともあったし、学生時代には金大中死刑求刑反対運動にも
参加した。 その後1987年から1988年までの1年間、韓国に語学研修に行く機会があった。
韓国が長い独裁政権に終わりを告げ、民主化された時期だった。 
1987年の大統領選挙の時、汝矣島広場で開かれた金泳三、金大中、盧泰愚の
各大統領の選挙遊説にもすべて参加した。
誇張ではなく、本当に100万人が集 まった時代だった。 
(1987年10月) ソウル明洞のYMCA 講堂で開かれた <ハンギョレ新聞> 創刊発起人大会にも
行き、宋建鎬 先生(<ハンギョレ新聞> 初代社長)ともお会いした。 
その後、1989年11月から大阪社会部に勤務し、在日韓国・朝鮮人問題を担当した。
1997年12月、ソウル特派員時代に <朝日新聞>で金大中大統領の当選記事を書いたのも私だ」 

-日本の右翼があなたを「捏造記者」と呼ぶことについてどう思うか。
 「捏造記事は書いていない。
私への批判は、金学順さんに関する記事で 
「女子挺身隊」と「従軍慰安婦」を混同して書いたということであり, もう一つは、
金学順さんが 慰安婦として連行される前に キーセン学校に通った事実に
言及しなかったという点だ。
だが、 慰安婦問題が初めて露わになった時、韓国では 慰安婦と挺身隊を
同義語として使っていた。 
 また、キーセン学校は酒の席で踊りを踊ったり楽器を扱う方法を学ぶ場所で、
そこに入ったからといって 必ず慰安婦になるわけではない
※これはウソですね。
私を批判する <読売新聞>の当時の記事を見ても、 挺身隊と慰安婦を混同したり、
金学順さんがキーセン学校に通った事実に触れない記事がある。
 金学順さんが「強制連行」されたとも書いていない。
個人的には朝鮮では慰安婦の強制連行はなく、少なくとも今までは、これと関連した資料は
発見されていないと思う。
金学順さんも 一貫して言っていることは、 強制連行ではなく「だまされて行った」 
「意に反して行った」ということだ。
私は記事に 「女子挺身隊の名で連行され、日本軍を相手に売春行為を強いられた」と書いた。
ここでの「連行」は、 まともな人たちを狩りをするようにつかまえるという意味の強制連行ではない。嘘であることが暴露された吉田清治 証言(自分が済州島で女性狩りをするように
強制連行したと語った証言)に基づく記事は1本も書いていない」

- あなたが右翼からとんでもないバッシングを受けていたころ、
<朝日新聞>では慰安婦記事に関する検証記事を発表した。
 「8月5日 <朝日新聞>が 慰安婦記事を検証し、私が書いた記事は 
「捏造ではない」と確認した。 私はこれで自分の名誉が回復するものと思っていた。
しかし、私に対する記事と吉田証言が嘘であることを認めた記事が共に出私が吉田証言と
関連した記事を書いたというデマも広がった。 
そのためバッシングの強度がさらに増した。最も戸惑い孤独を感じたのはその頃だった。
最初、変化のきっかけになったのは、娘に対する右翼のバッシングだった。
 幼い女学生に対する限度を超えたバッシングに人々が憤り始めた。 
この間交流してきた元高校教師の 新西たかし(85) さんら支援者が現れ、
私を支援する人々を集め始めた。
フェイスブックを通じて、「北星学園大学を応援してほしい」と訴えた。
これが日本社会の雰囲気を変えるのに大きな役割を果たした。
また、9月19日付 <週刊金曜日>に私の状況を告発する記事が初めて報じられた。
そして、 9月30日大阪の帝塚山学院大学に 在職していた<朝日新聞> 出身の
文学部教授(67)が、脅迫電話に屈して辞職した出来事が<毎日新聞>に報道された。
この事件をきっかけに、それまで私の問題を扱わなかったマスコミが北星学園大学でも
同じようなことが起きているという事実を報道し始めた。
 こうした流れのなかで、 10月6日全国の学者、弁護士、マスコミ関係者ら444人が集まり、
「負けるな北星!の会」を作った。
そして、12月17日 北星大学が 私との非常勤講師契約を 1年延長すると発表した」
 
- 新聞社をやめた後の生活は?
 「<朝日新聞>の定年は60歳だ。
しかし、本人が (年棒ピーク制を) 選択する場合、定年が延長され65歳まで通える。
 私は神戸の女子大教授職に合格していたから、 55歳で退職を出していた。 
現在、の仕事は北星学園大学の非常勤講師だけだ。 
50歳の時、早稲田大学の博士課程に入学した。 
 大学で学生たちを教えながら叙述活動をするのが夢だった。
日本には50歳を過ぎて教授になりたいと思う記者が大勢いるので、教授を公募する際、
競争率がとても高い。
それでも何度か面接までこぎつけたが、ほとんど慰安婦関連報道が問題となって
途中で脱落した。 
そんな時、やっと合格したのが神戸の女子大だった。
私は テヘラン、ソウル、北京で特派員生活を送り、本も数冊出した。
しかし、博士課程を終えて学位をもらうとしても、今後、大学への就職は難しいかもしれな い。」

- この1年間の日本の姿を見て何を感じるか。
 「私は日本を愛する愛国者だ。日本がアジアで尊敬される国になることを願っている。 
 そうなるためには、私たちが周辺国に謝罪することがあるなら謝罪し、
直すべき点があるなら直すべきだと考える。
 過去の問題をきちんと解決しなければ、アジアの中で日本は尊敬や信頼を勝ち取れない。
私が金学順さんの記事を書いたのは32歳の若い時だった. 当時 
 「太平洋戦争開戦から50年が過ぎ、ようやく歴史の暗部に光が当たろうとしている。
この歴史に対して、われわれ日本人は謙虚であらねばならない。
これを放置することは、ハルモニたちを見殺しにすることに他ならないのだ」と書いた。
これは若き日の植村が、56歳になった今の植村に投げかけた言葉だと思う。
これまでは慰安婦問題をあえて避けてきたが、これからはこの問題に目をそらさず直視したい。
攻撃されて逃げ場所がないから闘うしかない。
いまの日本には歴史 の暗部を見つめようとする人々を攻撃しようとする勢力がいる。
しかし、それに屈しないと声を上げる人々もいる。
来年も学生たちを教えられるようになったことが何よりうれしい。
 私は捏造記事など書いていない。これからも不当な攻撃に屈せず闘っていこうと思う」

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