慰安婦問題について、いろんな報道: 【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(3)後半】 「40万人虐殺」米の教科書に堂々と載る屈辱 誤りは断てるか。 【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(3)前半】 アイリス・チャンの“業績”を踏襲せよ! 「ホロコースト」と結びつけ反日攻勢

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2014年12月26日金曜日

【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(3)後半】 「40万人虐殺」米の教科書に堂々と載る屈辱 誤りは断てるか。 【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(3)前半】 アイリス・チャンの“業績”を踏襲せよ! 「ホロコースト」と結びつけ反日攻勢



 

歴史戦
 中国内外で南京事件などを使った「宣伝戦」が活発に繰り広げられている。
歴史戦第8部はこれらの動きに焦点をあてる
産経ニュース

【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(3)後半】
「40万人虐殺」米の教科書に堂々と載る屈辱
誤りは断てるか 2014.12.26 08:30更新  2/4ページ3/4ページ4/4ページ
米カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のロスアルトス市の小高い丘の上にある広大な墓地。
緑の芝生の間に整然と敷き詰められた墓碑の中に、アイリス・チャンの墓はあった。
  「最愛の妻で母、作家、歴史家、人権活動家」。墓碑にはそう刻まれている。
 同州サンタクララの自宅近くの路上に止めた乗用車の中で、拳銃自殺してから10年。
命日の先月9日には親類や知人らが墓前に集まり、追悼した。
 その様子を報じた中国メディア「人民網」によると
世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」創設メンバーのイグナシアス・ディンも
その場を訪れ、チャンと著書『ザ・レイプ・オブ・南京』についての思い出を語った。
 「アイリスは小さい頃から祖母や父母から南京大虐殺について聞かされ、
ずっと興味を持っていた。
彼女は米国で何冊もの本を読んだが、英文の本の中には1冊たりとも日本軍の
南京での暴行に関し報告はなかった。教科書にもなかった」
 だから、チャンは「歴史を紹介する機会を作ろうとしたのだ」と。
日本の学者や歴史家らが再三、『ザ・レイプ・オブ・南京』の記述や写真の「誤り」や
「偽り」を指摘したにもかかわらず、抗日連合会は宣伝、販売を強化し、
米メディアを効果的に利用した。
主要メディアが大々的に紹介することで、ベストセラーになり、全米各地の大学や
図書館にも置かれるようになった。
その結果「南京大虐殺」は米国の教育現場にも“史実”として顔を出している。
 米大手教育出版社「マグロウヒル」(本社・ニューヨーク)が出 している
高校世界史の教科書「トラディションズ・アンド・エンカウンターズ(伝統と交流)」。
この教科書には、旧日本軍が戦時中、慰安婦を強制連行したと する記述があり、
日本の外務省が「不適切な記述」として、先月、記述内容の是正を要求したばかりだ。

2014年11月25日火曜日
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南京事件に関する記述も載っており、その項目はチャンの著作と同じ
「ザ・レイプ・オブ・南京」と書かれている。
 《日本軍は2カ月にわたって、7千人の女性を強姦(ごうかん)し、
数十万人の非武装兵士と民間人を殺害、南京の住宅の3分の1を焼いた。
日本兵の銃剣で40万人の中国人が命を失った》
南京住民は、「戦争への情熱と人種的優越感に駆り立てられた日本軍」
の被害にあったとされ、その象徴が「ザ・レイプ・オブ・南京」だと主張されている。
 南京事件から77年が経過した今月13日、南京市の「南京大虐殺記念館」での
追悼式典で国家主席、習近平は「30万人の同胞が痛ましく殺戮(さつりく)された」
と述べたが、その数字を上回る記述が米国の高校の世界史の教科書にあることは深刻だ。
 慰安婦の項目にはこんな記述もある。
 《慰安所設置のきっかけは、南京大虐殺からきた。多くの中国人女性が強姦された》
  ロサンゼルスで中韓の反日行動を阻止しようと活動している日本人男性は
「外務省は出版社に慰安婦の記述について抗議したというが、『南京』の件も一緒に
是正要求したのだろうか。
慰安婦についてだけだと、南京の記述は認めたことになってしまうのではないか」
と危機感を募らせる。
サンフランシスコのチャイナタウンにある「文化センター」で今月13日、
抗日連合会などが主催して南京事件の犠牲者を追悼する恒例の「南京祭」が開かれた。
会場には「日本軍が占領した南京」や「虐殺」の写真が展示され、
赴任して間もない駐サンフランシスコ中国総領事の羅林泉やサンフランシスコ市議、
 カリフォルニア州議会議員ら約400人が訪れた。
 「アイリス・チャンの本で巻き起こした『南京大虐殺』キャンペーンを、
戦後70年を機に、もう一度やろうとしているようだった」
 会場を訪れた男性はそう語った。(敬称略)

【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(3)前半】
アイリス・チャンの“業績”を踏襲せよ! 
「ホロコースト」と結びつけ反日攻勢 
2014.12.26 07:38  2/3ページ3/3ページ歴史戦
「南京大虐殺はアジアのホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺)だ」
 壇上の発言者が声のトーンを上げると、多くの参 加者がうなずいた。
米カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のミルピタス市にあるホテルの会議室。
先月14~16日、中国系の反日団体「世界抗日戦争史実 維護連合会(抗日連合会)」の
2年に1度の研究会が開かれた。
参加したのは北米やアジア、欧州の代表や中国の歴史学者ら約60人。

 抗日連合会の幹部はこれまでも、南京事件とホロコーストを結びつける発言を繰り返してきた。
ホロコーストを学ぶ機会の多い欧米を舞台に反日活動を展開するうえで、
最も理解を得やすい手法だからだ。
 壇上の発言者は続けた。
 「われわれの力はまだまだ弱い。もっと力を注がなければならない」
参加者の一人は本紙の取材に「抗日連合会は今後『ハード』と『ソフト』の両面で
国際社会に訴えていくのだと感じた」と話した。
 ハード面とは博物館などのハコモノの設置だ。サンフランシスコでは、
女性実業家、フローレンス・ファン(中国名・方李邦琴)を中心に抗日連合会も関与する形で、
中国以外で初めて抗日戦を顕彰する「海外抗日記念館」を来年8月に開館する計画が
進んでいる。
 カナダ・トロントからの参加者も同様の記念館を設置したいと表明したといい
各国に広がる恐れもある。
 ソフト面では「南京大虐殺」や「戦時中における日本軍の蛮行」を宣伝する教材や
ビデオなどの発行、普及が計画されている。
 登壇者は、中国政府が6月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に
「南京大虐殺」と「慰安婦」を登録申請したことに触れ
「登録が認められれば、(各国の)歴史教科書にも盛り込みやすい」と
、抗日連合会としても働きかけを強める考えを示した。

2014年12月24日水曜日
米サンフランシスコに「抗日記念館」計画、台湾の外省人系のローレンス・ファン(中国名・方李邦琴)氏。 反日米国人政治家マイク・ホンダ米下院議員、訪韓してえらそうに日本の悪口三昧、安倍総理を侮辱。
1994年に発足した抗日連合会は設立20年の節目を迎えた。
この間、米国や諸外国で反日宣伝活動を行ってきた。
中国系米国人ジャーナリスト、アイリス・チャン(故人)の著書
『ザ・レイプ・オブ・南京』(97年)の宣伝、販売はその「成功例」といえる。
 「日本軍は南京で30万人の市民を虐殺し、2万-8万人の婦女子を乱暴した」
などと書かれた“歴史”は事実誤認や無関係の写真掲載が出版当初から
問題となったにもかかわらず、米メディアが称賛し、
「日本軍の残虐さ」を植え付けるのに一役買った。
 「アイリス・チャンがやったことを、われわれは踏襲しなければならない」
登壇者は参加者に向かってそう訴えた。
会場にはチャンの両親の姿もあったという。(敬称略)
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2014年11月24日月曜日
北海道で大地と選挙協力=民主。 南京事件、慰安婦の記憶遺産登録申請は「政治的利用」 政府答弁書 産経
2014年7月30日水曜日
突っ込みどころ満載の「戦犯」の供述書をサイト上で公開らしい・・ 産経

3 南京自治委員会の発会式 4 その後 5 参加兵力 5.1 日本軍 5.2 中国軍
6 映像記録 7 脚注 8 南京攻略戦を描いた作品 9 関連項目 10 外部リンク

3つの 南京事件
南京事件 (1913年) - 1913年に袁世凱配下の張勲の軍隊が南京で在留日本人3名を殺害し、
居留民の家屋が略奪された事件。
南京事件 (1927年) - 1927年3月24日、蒋介石北伐軍が南京で起こした
外国領事館への襲撃を理由に、アメリカ合衆国・イギリスの軍艦が南京を砲撃した事件。
南京事件 (1937年) - 1937年12月から1938年初めにかけて日本軍が南京で行ったとして
東京裁判で判決が下された事件。
南京大虐殺」ともよばれる。事実関係や規模を巡って議論がある。

黄河決壊事件  (こうがけっかいじけん)は日中戦争初期の1938年6月に、
中国国民党軍が日本軍の進撃を止める目的で起こした黄河の氾濫である。
事件当時は黄河決潰事件と表記された。
中国では花园口决堤事件(花園口決堤事件)と呼ばれる。
犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。
1 背景 2 堤防の破壊準備 3 洪水 
4 日本軍の対応
国民党軍は開封陥落直前に約8kmに渡って黄河の堤防破壊を行い、雨期に入る開封一帯を
水没させた[6]。6月9日に続いて6月11日夜にも隴海線中牟の 西方20Kmの地点で
黄河の堤防3ヵ所が破壊され、2、3日前の雨で増水した水が堰を切って奔流しつつあったため、
12日午後5時に日本軍の2部隊が堤防 修理に出動し、開封治安維持会からも50名以上が
自発的に応援に出た
洪水は中牟を中心として幅約20Kmにわたり、5m弱の高さを持った中牟城壁は
30cm程度を残すだけとなった。
幸い線路が高い所に位置していたため、住民は線路伝いに徒歩で東方に避難した。
日本軍は筏船百数十艘を出して住民ととも に救助活動を行い
同時に氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘導するために堤防と河道を築いた[15]
この惨状の中で日本軍には犠牲者・被害共にほとんどなかった[16][17]
国民党軍は現場に近づく日本軍に攻撃を加えた[5]ほか、
日本軍が住民と共同で行っていた防水作業を妨害した
(日本軍の地上部隊は住民とともに土嚢による防水作業を行い、
日本軍の航空機も氾濫した地区におい て麻袋をパラシュートにより投下して
これを支援したが、決壊地点の対岸にいた中国軍遊撃隊が麻袋の投下開始直後から
その航空機と地上で防水作業中の住民に 激しい射撃を加えたこともあった)[18]
日本軍に救助された避難民は開封方面1万、朱仙鎮通許方面5万、尉氏方面2万、
その他数万であった[5]
5 報道 5.1 中国側の虚偽発表 5.2 日本メディアの報道 5.3 各国メディアの報道
6 論争 7 影響 
7.1 民衆の離反
劉震雲によれば、1942年から1943年にかけて河南省では水旱蝗湯(すいかんこうとう)
と呼ばれる水害、干ばつ、イナゴの発生、及び湯恩伯による重税により、
300万人あまりが餓死した[31](オドリック・ウーによれば死者300万人、
土地を捨てた者300万人、救援を待つ飢えた人々は1,500万人を数え、
河南の西部、南部、東部の順に伝染病の被害があったことも指摘している[32])。
この状態が続けば河南省は全滅していたが[33]、1943年の冬から1944年の春までの間に
日本人が河南の被災地区に入り、軍糧を放出して多くの人々の命を救った[34]
(ウーによれば飢饉の数年間、日本側は各地の食糧倉庫から食糧を放出し、
飢えた人々に食糧を調達していた[32])。
そのため、河南省の人々は日本軍を支持し、日本軍のために道案内、
日本軍側前線に対する後方支援、担架の担ぎ手を引き受けるのみならず、
軍隊に入り日本軍による中国軍の武装解除を助けるなどした者の数は
数え切れないほどだった[35]
1944年春、日本軍は河南省の掃討を決定した(一号作戦[35]
そのための兵力は約6万人であった[35]
この時、河南戦区の蒋鼎文司令官は河南省の主席とともに
農民から彼らの生産手段である耕牛さえ徴発して運送手段に充てることを強行し始めた。
これは農民に耐え難いことであった[36]
農民は猟銃、青龍刀、鉄の鍬で自らを武装すると兵士の武器を取り上げはじめ、
最後には中隊ごと次々と軍隊の武装を解除させるまでに発展した[37]
推定では、河南の戦闘において数週間の内に約5万人の中国兵士が自らの同胞に
武装解除させられた[37]
すべての農村において武装暴動が起きていた[37]
日本軍に敗れた中国兵がいたるところで民衆によって襲撃、惨殺、あるいは掠奪され、
武器は勿論、衣服までも剥ぎ取られた[30]
3週間以内で日本軍はすべての目標を占領し、南方への鉄道も日本軍の手に落ちた[37]
この結果、30万の中国軍は全滅した[37]

8 脚注 9 関連項目 10 参考文献 11 外部リンク

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