慰安婦問題について、いろんな報道: 阪神大震災20年、追悼行事で静かに祈り。阪神大震災「人工地震説」はいかにして生まれたか。

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2015年1月17日土曜日

阪神大震災20年、追悼行事で静かに祈り。阪神大震災「人工地震説」はいかにして生まれたか。


あの日から20年。竹灯籠に火が灯り、多くの人が
黙とうをささげた
(17日午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地で)
=里見研撮影
阪神大震災20年、追悼行事で静かに祈り
2015年01月17日 07時11分 YOMIURI ONLINEホームへ
6434人の犠牲者を出した阪神大震災は
17日午前5時46分、地震発生から20年を迎えた。
 被災地では追悼行事が各地で行われ、
あの時を思い起こさせる冷え込みの中、
人々は静かに祈りをささげた。

 追悼行事「1・17のつどい」が開かれた神戸市中央区の東遊園地では、
「1995 1・17」の形に並べられた竹灯籠に火がともされ、故人をしのぶ深い祈りに包まれた。

 県などでつくる「ひょうご安全の日推進県民会議」主催の追悼式典は午前11時45分から、
神戸市中央区の県公館とHAT神戸の2会場で行われる。
県公館の式典には、10年ぶりに天皇、皇后両陛下が出席される。
復興のシンボルである鉄人28号
復興のシンボルである鉄人28号
【阪神大震災】復興のシンボルは20年後にどうなったか
2015.01.15 06:50 DMMニュース

20年前の阪神・淡路大震災を忘れない
2015年1月17日で阪神・淡路大震災から20年。
未曽有の大震災発生当時の様子やその爪あと、
苦難を乗り越えてきた人々などの映像をまとめました。
いつまでも風化させてはいけない数々の記憶や記録をどうぞ。

NHKアーカイブス
阪神淡路大震災

阪神・淡路大震災から丸20年 例年よりも多くの人が追悼に訪れる
(15/01/17) FNNnewsCH


DMMニュース人は極限の状況に追い込まれると正気よりも狂気が勝るという。  
 1995年1月17日の阪神大震災発生直後、
フランクフルトを1本5000円で売りつけた業者もいたことを
テレビで告げた男性レポーターが、
「人間とはここまで情けなくなれるものなんですかね……」
と泣きながら伝えていた様子を今でも時折思い出す。
 食べ物、飲み水、肌着の類など、生活必需品が不足している被災地にやって来て
高値で売りつける輩が出てくること、そしてそれを買ってしまう者がいること、どちらも
被災という極限の状況下で正気を失い狂気がもたらした悲劇といえよう。

阪神大震災で起きた極限下ゆえの狂気
 以来、20年の月日が流れた。
その間、わが国では2011年3月11日に東日本大震災も経験した。
東日本大震災を取材したある全国紙社会部記者は当時の様子をこう振り返る。
「阪神大震災を経験したベテラン記者も東日本大震災では応援に入りました。
取材当初、彼らは過去の震災取材の経験から、『被災地で物盗りがあるぞ』 
『炊き出しに大勢の人が殺到するぞ』
『生活必需品を高値で売りつける輩がこぞって東北に入ってくるぞ』と
矢継ぎ早やに指示を出したものです。しかし彼らの読みは残念ながらことごとく外れました」
 東日本大震災時、阪神大震災時に散見された「極限下ゆえの狂気」は
皆無とはいえないまでもほとんど起こらなかったという。
その理由を前出の全国紙 社会部記者は、
「阪神大震災は都市部での被災かつ局地的な被害。
東日本大震災は阪神のそれに比して広域的で、被災者も多く、極限下ゆえの
狂気どころではな かったのではないか」と話す。
 事実、阪神大震災の死者数は兵庫県ほか大阪などの近隣都市を含めると
6434名(2006年消防庁調べ)、対して東日本大震災は1万5889名(2015年警察庁調べ)と
約2.4倍の数だ。
 それでも東日本大震災発生当時も、そしてそれから4年が経った今も、
阪神大震災を経験した神戸市民ですら、東日本大震災とは同じ国内にありながらも
どこか遠くの異世界の話のようにどこか現実感を伴わない実態が私たちにはある。
 同様に東日本大震災で被災した地域の人たちも今から20年前の阪神大震災は、
やはり遠くの異世界の過去の話と捉えられているのかもしれない。
 しかし、阪神大震災後20年を経た神戸市の復興までに辿った道のりは、
かならずしも東日本大震災で被災した人々にとって無縁とは言い切れない。
震災から20年を経た今の神戸の現実はそのまま東日本大震災で被災した各地にも
起こり得る可能性があるからだ。

復興災害に悩む神戸市長田区の現状
 
阪神大震災当時、もっとも被害の酷かったのが長田区。
ここには今、復興のシンボルとして作られた「鉄人28号」のモニュメントが聳え立つ。
一見、 見事、復興を遂げたかのような錯覚に陥る。ハコモノが整えられたからだろう。
だが、そのハコモノが新たなる災害をもたらしている。長田区の商店主が語る。
「震災後、神戸市が被災した土地や建物を買い取り、それをうちら商店主が買い戻す。
それが再開発の第一歩だったんです」
 この“買い戻す”がミソだ。
賃貸による貸し出しは当時されなかった。
震災後、商店主たちはカネを工面し行政主導の商用スペースを買い戻した。
ただ買い戻すだけでは商売はできない。
内装や震災で失った設備費にも莫大なカネがかかった。
 でも、将来、神戸市の副都心として再開発されれば多くの人訪れる。
震災で背負った借金もきっと返せる――。長田の商店主たちはそんな希望を持って耐えた。
だが震災後20年、長田は神戸の副都心とはならなかった。
そもそもアクセスが悪い。
長田にはJRと神戸市営地下鉄の駅があるが、JRに限っては兵庫から須磨海浜公園駅まで
快速、新快速は停車しない。
止まるのは普通列車だけだ。アクセスの利便性は決してよくない。
 もともと地場産業であるケミカルシューズで栄えた工場街の長田には目ぼしい観光資源もない。集客力ある商業施設もJR・神戸市営地下鉄・新長田駅前にはあるが、そこから電車で
数分も足を伸ばせば元町、三宮といった繁華街に出られる。
 観光地でもある元町、三宮に大規模な魅力ある商業施設がある以上、長田に
足を運ぶ道理はない。結果、長田はハコモノだけが整い人が集まらなくなった。
そのため今では長田の商業施設では日曜日の昼でもシャッター街と化している。
「ハコモノがあれば復興できるというのは間違いやで。
平日、ほとんど人がおらん場所で何を売ればええんや」(長田区商店主)
 阪神大震災から20年経った神戸の現状は、東日本大震災で被災した各地の復興に
何がしかのヒントをもたらしているのではないだろうか。
(取材・文・写真/秋山謙一郎)

阪神大震災「人工地震説」はいかにして生まれたか 
2015.01.17 07:50 DMMニュース
阪神大震災から20年がたった。震災後、さまざまなデマや陰謀論が流布したが、
中でも有名だったのは「地震直前にユダヤ系企業と、その従業員、家族が
神戸から脱出していた」というものだ。
前回の記事では、この噂をさまざまな角度から検証し、デマであるという結論に至った。
この記事では、事前脱出説とセットで語られることの多い「阪神大震災人工地震説」ついて
レポートしてみたい。
 阪神大震災の「ユダヤ人事前脱出説」と似たようなものに、
2000年の9.11米同時多発テロ事件にまつわる噂がある。
曰く、テロ前日にゴールド マン・サックスの東京支社内で内部メモが回され、
全職員にテロ攻撃の可能性があるという警告が通達されたというものだ。
このメモには、アメリカ政府関連施設に近づくな、と全職員に忠告していたという話になっている。
 さらにコスタリカ『レプブリカ』紙やインドネシア『シナール・パギ』紙などが
「同時多発テロの当日、世界貿易センタービルに勤務していたイスラエ ル人従業員4000人は
欠勤していた」と報じている。
これらの報道は今では単なるデマとして認識されているが、言いたいことは
「ユダヤ人は事前にテロが起 こることを知っていた」ということであり、
9.11テロは「ユダヤによる自作自演説という陰謀論に繋がっていく。

米ベクテル社による「人工地震説」へと発展
 そして阪神大震災の場合も、事前脱出説が、より陰謀色を帯びて「人口地震説」へと
繋がっていくのだ。
 人工地震説が噂されたのには、様々な理由がある。
まず、阪神大震災は“双子地震”(本震が2段階で起こった)で、専門家によれば、
揺れを起こした 淡路島の断層だけが原因ではなく、未だ解明されていない
別の断層による揺れがあるとされている。
この“未解明の断層による揺れ”が、人工的に引き起こされ た地震であるというのだ。
 また、震災が起こったその日に、大阪で「第4回日米防災会議」が開催されたことも
人工地震説を疑う材料になっている。
この会議の目的は、まさに大 都市における地震災害対策を話し合うのが目的なのだが、
阪神大震災が起こったことにより急遽、現地調査に切り替え、
「参加者の中には車をチャーターして神戸に向かった人々も」
(神戸新聞・1995年1月18日付)いたという。
 このあまりのタイミングの良さに、一部では米軍による広島・長崎の被爆地調査に
なぞらえる向きもいる。
またこの会議のアメリカ側のメンバーにはFEMA(連邦危機管理庁)が
入っているが、地震があるのを知っていたように調査機材を大量に持ち込んでいたという噂も
流れた。
 では、どうやって人工的に大地震を引き起こすか。
 核爆弾やプラズマ、ELF(超低周波)、スカラー波などを使用する方法があるといわれている。
これらの違いは、要するにパワーを何から得るかの違 いであり、基本的には地殻変動の
ひずみが生じている地点に、力を加えることによって、人工的に地震を起こすことが可能で、
例えば旧ソ連時代では実際、開発直前までいき、日本でも報じられた
(読売新聞・1991年5月4日付)。これは、小さな核爆弾をプレートのひずみに
設置するというもので、地殻構造によっ ては数千km先で大地震を起こさせることも
理論上可能だとしている。
 意外だが、人工的に地震を起こすことは、「爆破地震学」というれっきとした
学問のひとつとして存在している。
ダイナマイトや圧縮空気を使って、地 震を発生させ、地震波の伝わり方や
地下のプレートや断層の構造を調べるのである。
これらの情報を総合すると、人工的に地震を起こすことは不可能ではない。
 しかし人工地震説で一番の疑問はやはり「誰が何のために」といったことだろう。
奇妙なことに『日本が狙われている』(文芸社・三橋一夫著)やオウム真理教
(当時、麻原代表が阪神大震災を予言していたと発表していた)、ユダヤ研究者、ネットなど
人工地震説を唱える複数の人々が口を揃えて言うのがアメ リカのベクテル社の存在である。
 ベクテル社はサンフランシスコに拠点を置くアメリカのゼネコンで、空港、発電所、ダム、
パイプラインなどを建設している。
これまで、世界中の石油 製油施設のほぼ全てと原子力発電所の半分を作ってきた。
この企業の特異なところは、世界中で大規模な建設事業を受注しているにもかかわらず、
株式は非公開で未だに創業者一族が株の大半を所有しているところにある。
アメリカの政権との結びつきも強く、同社の社長だったシュルツと副社長だった
ワインバーガーはレーガン政権において、それぞれ国務長官、国防長官に
就任したことでも有名だ。
 ブッシュ政権でも当然、その流れは継承されており、アメリカ政府が発注する、
イラク復興事業の多くは入札競争なしでベクテル社が請け負ったが、
バグダッド占領直後から暫定統治が終わるまでのわずか1年半の間で
ベクテル社に発注されたインフラ復興事業は総額6億8000万ドル(約800億円)にものぼる。
 日本でも今まで様々な工事を請け負ってきた。
主なものに、国内の原発をはじめとして、関西国際空港、明石海峡大橋、最近で言うと
中部国際空港、東京湾横断道路などがある。
 人口地震説は、このベクテル社が実験的に地震を引き起こし、データを取ることで、
今後の事業に活用したのではないかというのである。
関空と明石海峡大橋に注目してほしい。
震災後もこの2つの建造物は無傷であった。
それは以後、ベクテル社が日本、いや世界中で工事を請け負う際、プラス要因になったに
違いない。さらに先ほど震災当日に開催された日米防災会議にFEMAの職員が
参加していたとことを書いたが、まさにベクテル社とFEMAは一心同体といってよく、
イラクやハリケーン・カトリーナの復興事業で両者の絆は固い。

神戸市は米軍の軍事医療基地になるはずだった?
 地震を起こすことによって、データがとれるという利点以外にも、神戸自体の
復興事業利権もある。ここでもやはりベクテル社の名前はすぐに出てく る。
震災後に計画された、神戸空港を含む、ポートアイランド第2期拡張工事と、神戸市が
1999年に打ち出した「医療産業都市構想」である。
この構想は神 戸をアジアにおける先端医療産業の拠点にしようというもの。
神戸空港を使った輸送手段の確保と、ポートアイランド内の医療産業用土地を開発が
大きな柱となっていて、ベクテル社が調査、建築にあたっている。
そして、この構想自体、実は軍事医療的要素が強く、アメリカの世界戦略の
一環だといわれている。
政策事業に政権と密接にかかわるベクテル社が出てくるのは当然といえば当然だ。
 陰謀論を唱える人の説をみると、阪神大震災によりベクテル社は
莫大な利益を得たかのようにみえる。
断層のあった淡路島を通過する明石海峡大橋の建造中に、地震を発生させる何かを
事前に仕込んでおいたというストーリーは一部の人たちにはささるのかもしれない。
 しかし大きな矛盾がある。
人工地震説をとる人々は口を揃えてベクテル社のことをユダヤ系企業だと断定しているが、
これは全く事実と異なるからだ。
ベクテル社の内幕に迫った唯一の資料と言われている『ベクテルの秘密ファイル』
(L・マッカートニー著・広瀬隆 訳)によれば、ベクテル社の創業者はドイツ移民の
アーリア人であり、社内は反ユダヤ主義で支配されていると書いてある。
イスラエルからの受注は全て断り、 むしろサウジアラビアをはじめ、アラブ諸国と仲がいいのだ。
この時点で、ユダヤ系外国人が主役である事前脱出説はもろくも崩れてしまう。
 今まで検証してきたように、事前脱出説は単なるデマや都市伝説の類に
すぎないことがわかった。ベクテル社の持つ、秘密のベールに包まれたイメー ジ、
米政権中枢との密接なかかわり……ミステリーに満ちたこの企業の姿が人工地震説と、
それに付随する事前脱出説を呼び起こしたのだろう。
都市伝説や陰謀論好きな人々にとって、ベクテル社と阪神大震災の関係は、
今までのどんなものより想像力をかきたてられ、好奇心を刺激したに違いない。
(取材・文/中山左往 Photo by 松岡明芳)

地震直前にユダヤ系企業が一斉避難…阪神大震災の悪質デマを検証
2015.01.16 15:50 DMMニュース
大惨事から今年で20年が経ったが、阪神大震災には発生直後から現在にいたるまで
様々な“噂”が存在する。
中には陰謀めいたものや、きな臭いデマめいたもの、さらには明らかな後付け、
言いがかりに似たものまで、様々な怪情報が錯綜している。
 中でも有名なのは「地震直前にユダヤ系企業と、その従業員、家族が神戸から
脱出していた」というものである。
有名なユダヤ研究家の宇野正美氏が講演で、神戸に住むユダヤ系アメリカ人は
本国から避難するように震災前年の12月に連絡があったと述べたとされる噂や、
以下の新聞記事が根拠となっている。
<米国人を中心とする欧米人の内、約400人は地震発生後の1月19日から20日にかけ、
自前で船をチャーターし、関西国際空港から日本を脱出する素早い避難を見せた>
(読売新聞・東京版1995年2月11日付)
 一見、何でもない記事だが、ユダヤ企業事前撤退説を主張する人々の
ネタ元になっている『日本が狙われている』(文芸社・三橋一夫著)には、こう解説する。
曰く、この読売新聞の記事は、携帯電話もなく、瓦礫の山と化した当時の神戸の状況を
考えると欧米人のとった行動を実行するのは不可能に近い。
しかも白人ばかりが400人もゾロゾロと港まで移動していればマスコミや住民の目に
とまるはずだが、そういった報道は一切ない。
実は脱出したのは地震直前で、 記者から取材された外国人は、脱出した事実を
話してしまったあと、日時を言ってしまえば「どうやって地震が事前に起こるのか
知っていたのか?」と詰問される。
なので、わざと日時だけを変えて話したのが記事になったのでは、と。
また同書では、東京版に掲載されたこの記事が、大阪版にはないことも
不審点としてあげている。

六甲アイランド在住の外国人が船で脱出した?
 当時、現場にいた筆者なりに、まず読売新聞の記事から検証しよう。
当時は同書の言うとおり、地震後2日経った19日も、神戸港を含む市内中心部は 
大混乱という状況で、余震も絶えず、一度おさまった火事が再発するなど、災害が続いていた。
傾いた雑居ビル郡と瓦礫だらけの道路は通れるはずもなく、ほと んどが警察などによって
閉鎖されていた。
 市内中心部へと通じる幹線道路も、阪神高速は通行止めだし、国道も破壊されているか、
緊急車両優先で一般車両が通行できる状況ではなかった。
それを考えると神戸港に400人もの人間がまとまって移動するのは不可能と思われる。
当時の新聞によれば、神戸港にあった186の桟橋のうち、使用可能なのは
わずか8カ所(神戸新聞1995年1月22日付)だし、神戸港に向っていた船便は全て急遽、
大阪南港や名古屋港、横浜港などに振り替えられたという(同 1995年1月20日付)。
 しかし、可能性もなくはない。
甚大な被害を出し、ガス漏れが指摘されて封鎖された神戸港沖の人工島ポートアイランドとは
対照的に、第2の人工島である六甲アイランドは完成して間もなかったこともあり、
比較的無事であった。
六甲アイランドの対岸にあたる神戸市灘区や東灘区の海沿いの街は、建物の倒壊や
火災で甚大な被害を蒙ったものの、この人工島自体に住んでいれば、
六甲アイランド沖から出港することはありえない話ではない。
しかも、六甲アイランド は、ポートアイランドに比べてハイソなイメージがあったし、
欧米人の子弟が通う外国人学校もあったことから欧米人の住人が比較的多かった。
 さらに言うと、神戸港から脱出用の臨時フェリー第一便が出港したのが
1月20日の朝9時だという(同95年1月20日付)。
その日時、時刻にはす でに限られた船舶の入出港が可能だったことを示している。
件の記事の「19日から20日にかけ」という箇所に注目すると、どうやって連絡を取って、
集まったかは別にして、臨時フェリー第一便の直前に脱出することはあり得るかもしれない。
 筆者はむしろ、この六甲アイランドの島内に住む欧米人が、島内の埠頭にあった船で
脱出したというのはあり得る話だと思う。
すると、事前撤退説を唱 える人たちの根拠はいとも簡単に崩れる。
これ以上、事前に撤退したことを支える資料や証言はなく、したがって
「地震直前にユダヤ系企業と、その従業員、家 族が神戸から脱出していた」という噂は、
現時点では、単なるデマでしかない。
 さらに検証を進めよう。そもそも、肝心のユダヤ系企業、もしくはユダヤ人というのは、
神戸に存在していたのか?
 震災の以前(1994年)と以後(1995年)の国籍別外国人数の推移を見ても、
アメリカ1310人→1190人、イギリス486人→438人、 ドイツ233人→216と、
震災で人口が激減したわりには、驚くほどの減少ではない。
しかもスイスにいたっては80人→92人と震災後に増加している 
(データは全て『神戸統計書』より)。
これらの欧米人の中で一定の割合でユダヤ系をルーツに持つ人々がいたとして、
ほぼ横ばい状態ということになる。

手塚治虫も描いた神戸とユダヤ人の関係
 また『外資系企業総覧2005』(東洋経済新聞社)に載っている、神戸市内に本社を置く
外資系企業を見てみても、と、ユダヤ関連本やネット上でよ く見受けられる
ユダヤ系企業の情報と照らしあわせてみると、多国籍企業のN社とM社の2社が該当した。
だが、この2社は双方とも震災前から神戸に本社を置 いている。
ユダヤ資本が多いと言われているスイスの企業も7社と、アメリカを除く欧米企業の中では
最も多い数字となっている。
 実は神戸とユダヤ系外国人はかかわりが深い。
手塚治虫の漫画『アドルフに告ぐ』にも描かれているが、神戸には戦前から
ドイツ系ユダヤ人が数多く住んでいた。
さらに「関西ユダヤ教会」という西日本に唯一のユダヤ教の教会まである。
震災直後、筆者は教会周辺の様子を何度も見たが、一部の欧米人が集まり、
避難所として機能していた。
また教会の近くに「関西外国人倶楽部」という神戸のセレブ白人のサロンがあるが、
ここも彼らの避難所となっており、多数の 白人がいた
(震災直後は近隣住民も入ることが許された)。
もし事前に知っていたら、彼らは当然、いなかっただろう。
しかし実際、震災直後に私が目撃しただ けでも多数の白人が被災していた。
 こうして見ると、ユダヤ系外国人は神戸には確かに存在していたが、
彼らが事前に脱出していたかというと、こちらもそれを証明できる資料はない。
事前撤退説をとる人たちが唯一の拠り所とする読売新聞記事の解釈についても、
前述したように無理がある(後編へと続く)。
(取材・文/中山左往 Photo by matanao)

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