慰安婦問題について、いろんな報道: 群馬県パラオ会、最後の慰霊祭「運営難しく…」 。パラオ海中 「旧日本軍艦」から中国国旗消える。両陛下、パラオ訪問を前に旧日本兵と懇談。で、共同通信の記者はその国旗をどうしたん?回収したんでしょうね? 旧日本軍沈没船に中国国旗 パラオ、人気潜水スポット

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2015年4月5日日曜日

群馬県パラオ会、最後の慰霊祭「運営難しく…」 。パラオ海中 「旧日本軍艦」から中国国旗消える。両陛下、パラオ訪問を前に旧日本兵と懇談。で、共同通信の記者はその国旗をどうしたん?回収したんでしょうね? 旧日本軍沈没船に中国国旗 パラオ、人気潜水スポット

http://www.sankei.com/images/news/150222/lif1502220008-p3.jpg

写真を手にこれまでの活動を紹介する群馬県パラオ会の塚越茂会長、
小菅忠事務局長、入徳治副会長(左から)=県庁

群馬県パラオ会、最後の慰霊祭「運営難しく…」 
2015年04月05日 22時21分 YOMIURI ONLINEホームへ
太平洋戦争の激戦地となったパラオの戦没者を慰霊する
群馬県パラオ会が5日、同県高崎市で最後の慰霊祭を開いた。 

 戦後、パラオからの生還者や遺族らが各地で慰霊団体を結成したが、
高齢化による会員の激減で解散が相次いでいる。同会も会員減少で、
同日の慰霊祭をもって解散した。

 同会は毎年4月、同市の龍広寺で慰霊祭を開き、今年は42回目。
1944年9月から70日余りの組織戦が展開された
パラオ・ペリリュー島の戦いでは、日本の守備隊約1万人が戦死。
守備隊長が「サクラ、サクラ」と打電後に自決、同県の部隊を含む
守備隊が玉砕したことから、桜が満開になるこの時期を慰霊日とした。

 慰霊祭には遺族ら約70人が参列。同会会長の塚越茂さん(85)は
「運営が難しくなった」と悔しがる一方、
8、9日の天皇、皇后両陛下のパラオ訪問については
「気持ちの区切りにもなった」と語った。
産経ニュース
2015.2.22 11:00更新 【戦後70年】2/3 3/3
南方戦線生還者「群馬県パラオ会」
無念の解散 遠ざかる戦後
太平洋戦争時にパラオで戦死した旧日本兵の遺族や生還者らでつくる
群馬県パラオ会」が戦後70年という節目の今年、
会を解散することを決めた。
民間レベルでの活動は極めて珍しく昭和40年の発足以降、
慰霊などを続けてきたが、会員の減少と高齢化、
さらに資金難の三重苦が重なって下した苦渋の決断。 
「続けようという声もあるが現状は難しい。解散はとても残念だ」と幹部は語る。
来年春、最激戦地だったペリリュー島を訪れ、会として最後の現地慰霊を行う。
 パラオは赤道に近い太平洋上に位置し、大小数百の島を抱える。
陸地総面積は屋久島とほぼ同じ488平方キロ。
昭和20年まで31年間日本が統治し、先の大戦では昭和19年9月、
ペリリュー島で日米間の壮絶な地上戦が繰り広げられた。
米軍相手に徹底抗戦、死者1万22人
  上陸した米軍の兵力は4万人以上。
日本の守備隊の4倍強、火力は8倍、戦車は10倍という
圧倒的な布陣だったが、日本の執拗(しつよう)な抵抗に遭い
2日か3日で終わると見ていた戦闘は74日間に及び、
日本軍は最終的に1万22人の戦死者と446人の戦傷者、
米軍も1684人の戦死者、7160人の戦傷者を出した。
日本軍には群馬県高崎市に創設された陸軍
歩兵第15連隊」から多く派兵されたことから、
同県関係者の戦死者は約2千人にのぼったという。

パラオの戦争遺跡は凄すぎる!(31) 
~ペリリュー島への逆上陸を敢行した歩兵第十五連隊 編~
2014年04月12日(土) テーマ:わが憧れのパラオ探訪記(H25.10)
自分で確かめたマジな近現代史・グルメな蕎麦・キレイなお花さん  
今回は、ペリリュー島の戦いにおいて、その中核部隊として敢闘した
歩兵第十五連隊(通称「高崎十五連隊」)について紹介させて頂きます。
31 ペリリュー島への逆上陸を敢行した歩兵第十五連隊 編

 県パラオ会は、そんなパラオからの生還者が中心となって発足した。
高崎市内で毎年4月に慰霊祭、8月に追悼式を開催するほか、
計18回パラオを訪れ、現地 慰霊祭も実施してきた。
出兵数、犠牲者数とも多かったことなどが会発足の理由で、
同じような慰霊の会は群馬県のほかは、
同じく出兵数の多かった歩兵第2連隊のある水戸(茨城県)程度という。
ただ、戦後70年がたち、生還者や遺族は高齢化。
平成14年に約1400人いた会員は、現在270人程度まで減少し、
連絡がとれる生還者は数人しか いない。
近年の慰霊祭には15人程度の参加者しかおらず、
パラオの現地慰霊は24年に行ったのが最後。
寄付金も減少し、会を運営していくのは厳しいと判断、
会を解散することを決めた。
「兄の記憶鮮明に」
 現在、会をまとめているのは塚越茂会長(85)、
入(いり)徳治副会長(78)、小菅忠事務局長(75)
=いずれも前橋市=の3人。
ともにパラオで大切な家族を失っている。
 塚越会長はペリリュー島で、8歳年上の兄、
澄(きよし)さん=当時(23)=を亡くした。
小さい頃、家の近くの利根川に一緒に泳ぎに行ったことや、
澄さんから野球のミットをもらったことなどを
鮮明に覚えているという。
 塚越会長が澄さんの戦死を知ったのは、終戦の10日後。
長崎・佐世保の海軍兵学校から帰宅した際に、
仏壇に位牌(いはい)があることに気付いた。
優しかった兄を思い出し1時間、涙が止まらなかったという。
 塚越会長は「平和を祈り、家族の安泰などを願って
若くして死んでいった人の思いを伝えたいと思って活動してきた。
解散後も墓の掃除などは続けていきたい」と話した。
 小菅事務局長の父、秋次さん=当時(32)=は
パラオ本島の野戦病院で戦病死した。
小菅事務局長が4歳だったとき、秋次さんに会いに
15連隊に行き、互いに敬礼したのが父の最後の姿となった。
 秋次さんの記憶はほとんどなく、
公園に行き手で水をすくって飲ませてくれたのが
数少ない思い出だという。
「父が休みのときはそばにずっといた気がする。
優しいお父さんだった」
米軍が「天皇の島」と畏れた
 兵力、火力とも圧倒的劣勢の中、負けると分かっている戦闘で
最後まで忠義を尽くした日本兵の奮闘ぶりから、
米軍関係者は敬意を込めてペリリュー島を「天皇の島」と呼んだ。
そのパラオに4月、天皇、皇后両陛下が公式訪問される。
 「英霊の方々も、さぞかし喜んでおられるでしょう」。
塚越会長は言う。県パラオ会のメンバーは来年春、
会として最後のパラオ慰霊を行い、現地関係者に
会の解散などを伝えることにしている。
  長年の統治、米軍との激戦を前に島民を疎開させ守った
日本軍への感謝などから今もパラオは親日国として知られ、
現在は観光を主要産業に約2万人が暮らす。 
パラオで伯父の多智夫さん=当時(27)=を亡くした入副会長は
「現地には墓守など戦後ずっとお世話になった人たちがいる。
パラオに行ってお礼を言わなく てはいけない」
と長年の謝意も伝える考えだ。
 パラオには戦没者をまつる慰霊碑が建てられている。
「群馬県パラオ会はなくなるが、これからも気持ちはパラオにある。
安心して眠ってほしい」。
塚越会長は最後の現地慰霊で碑にこう語りかけるつもりだ。
(浜田慎太郎)
パラオの海底に沈む旧日本軍の給油艦「石廊」に結び付けられた中国国旗(上)
=21日。下は旗が撤去された後の様子=23日


産経ニュース2015.3.23 21:13更新
パラオ海中
「旧日本軍艦」から中国国旗消える
太平洋戦争で米軍の攻撃を受け、パラオの海底に沈んでいる
旧日本軍の給油艦「石廊」に中国国旗が結び付けられていた問題で、
現場から旗がなくなっているのを23日午前(日本時間同)、共同通信記者が確認した。
 幅約1メートルの中国国旗は21日、現場を潜水取材した共同通信記者が発見。
パラオ政府によると、報道に接したレメンゲサウ大統領は「非常に失望していた」といい、
法相を兼務するベルズ副大統領が23日午前、司法省に撤去を命じた
 しかし23日夜、取材に応じたベルズ氏によると、パラオ当局は現場での
撤去作業に着手しておらず、旗が消えた理由は不明。
誰が石廊の船体に取り付けたのかも分かっていない。
 パラオは中国ではなく台湾と国交を結んでいるが、昨年は中国人観光客が
前年比約4倍と、日本を上回り国・地域別の訪問者数で最多に。
中国人団体旅行の急増を受け、地元では個人旅行の予約が取りにくくなっており、
生鮮食料品の不足なども深刻化している。(共同)


NHKニュース両陛下、パラオ訪問を前に旧日本兵と懇談
TBS News-i    3月22日 18時05分
天皇皇后両陛下は、来月、
太平洋戦争の戦没者の慰霊のためパラオを訪問するのを前に、激戦地のペリリュー島
生き残った元日本兵を皇居に招いて懇談されました。

皇居に招かれたのは、およそ1万人の日本兵が犠牲となったパラオのペリリュー島で、
最後まで戦って生き残った34人のうち、茨城県の元陸軍軍曹、永井敬司さん(93)と、
福岡県の元海軍上等兵、土田喜代一さん(95)の2人です。
【土田喜代一】忘れられた激戦の島~パラオ慰霊の旅 Part5[桜H26/12/11]SakuraSoTV

両陛下は、22日午前10時半から、お住まいの御所の応接室で2人と懇談されました。
天皇陛下は、21日から発熱などかぜの症状があるためまもなく退席しましたが、
「本当に長いこと大変ご苦労さまでした」と、2人にことばをかけられたということです。
皇后さまは、およそ45分間にわたって、戦争当時の様子や、
戦後、帰国してからの生活について説明を受け、アメリカ軍が上陸した海岸で
激しい戦闘が行われたと聞くと、「大変でしたね」などと述べられたということです。
そして、高齢の2人の体調を気遣い、「どうぞお体をお大事に」と、
繰り返しことばをかけられたということです。
天皇陛下は、今週予定されているインドネシア大統領夫妻との会見や、
昼食会などの公務や栃木県の御料牧場での静養については、体調を見ながら
慎重に判断されることになる見通しです。
両陛下との懇談を終えた永井敬司さんは、
「皇居で両陛下と接見させていただくなど夢にも思っておらず、非常に光栄でした」
と話していました。
また、土田喜代一さんは、両陛下の訪問に合わせてペリリュー島を訪れる予定で、
「亡くなった戦友たちも非常に感動し喜ぶのではないかと思います」と話していました。 
【土田喜代一】証言シリーズ:ペリリュー島の戦い(前編)[桜H22/5/3]  SakuraSoTV

石廊(いろう)は日本海軍の給油艦。 
知床型給油艦の1艦で艦名は静岡県・伊豆半島の石廊埼による。
パラオ・コロール島南西約8キロの海中に沈む旧日本海軍の給油艦「石廊」に
結び付けられた中国国旗。右奥は船尾の砲=21日午前(共同)

日本軍沈没船に中国国旗 パラオ・コラール島沖 KYODO NEWS 【共同通信社】
2015/03/21 に公開
天皇皇后両陛下が来月、慰霊のため訪れるパラオで、海中に沈む
旧日本海軍の給油艦「石­廊(いろう)」の船尾付近に中国国旗が結び付けられているのを、
21日に取材で潜った­共同通信記者が見つけた。
「石廊」は太平洋戦争中の1944年3月に米軍の攻撃で沈没­した。
パラオ・コロール島の南西約8キロ、水深約26メートルの海底で当時の船体をと­どめ、
人気のダイビングスポットの一つだ。
旧日本軍沈没船に中国国旗 パラオ、人気潜水スポット

2015/03/21 21:42 【共同通信】 【コロール共同】
天皇皇后両陛下が来月、慰霊のため訪れるパラオで、
海中に沈む旧日本海軍の給油艦「石廊」の船尾付近に
中国国旗が結び付けられているのを、21日に取材で潜った
共同通信記者が見つけた。

中国人ダイバーが行った可能性がある。
 石廊は太平洋戦争中の1944年3月30日に米軍の攻撃を受け、

多くの乗員と共に沈没した。パラオ・コロール島の南西約8キロ、
水深約40メートルの海底に沈んだまま、当時の船体をとどめ、
人気のダイビングスポットの一つだ。

 中国国旗は幅約1メートル。船尾の砲座を囲む柵の支柱だったとみられる場所に、

針金と白い結束バンドで取り付けられていた。


OH Logo
Ocean Hunter III - ダイビングポイント - 石廊
位置: コロールの南西、Urukthapel島のそば。  
コロールからの距離: コロールの主要ダイブショップからボートで約15分。  
透視度: 10m~20mと様々。
原因ははっきりしないのだが、船尾より船首付近のほうが透視度のいいことが多い。  
ダイビング難易度: この沈船をしっかり見るためには、中級者、アドバンス以上、
レックダイビングスペシャリティーを受けているダイバーが望ましい。
深度が深めなので、減圧やエアーの残量に細心の注意が必要である。  
ダイビング深度: 水深40mの海底に沈む。
甲板の上で水深28m、塔の先端で水深8m。潮流: なし
ダイビング概要: 
日本軍の連合艦隊タンカーで、パラオの沈船の中では

一番大きいことで有名。
全長143.25m、船幅17.68m、総トン数14,050トン、1922年 製。
“石廊”と同じ形の船“佐多”は1944年3月30,31日の空襲でお互い近くに沈んだ。
戦後この2つの船を見つけてから、どちらがどの船か分からず、識別するのに
様々な試みが行われた。
水中に潜れば、石廊はそのままの形で沈み、佐多は逆さまになっていることがわかる。
沈船研究者Dan Baileyはこの船を石廊と言い、
別の研究者Klaus Lindemannは佐多だと言ったが、世間はDan Baileyの説を取った。
石廊は1944年3月22日、フィリピンからパラオに来る途中、
潜水艦USS Tunnyからの魚雷が当たり船首に打撃を受け、
3月30日のパラオの大空襲で、エンジン室の爆撃により撃沈された。
石廊は沈船の塔の先端からブイロープ が伸びており、ロープづたいに
潜降できるので潜りやすい。
船は1回で周りきれないほど大きく、船首は東を向いている。
船首には、巨大な大砲が円形砲台の上に設置されている。
銃身の直径は17.8cmで、長さは4.26mもある。
大砲は20度に向いており、今は周りを珊瑚で覆われている。
もし船首の被害の後を見たかったら、船の右舷側を周り、船の横から出ている
アンカーの鎖を見てみよう。アンカーは今も正しい位置にある。
水深24mの部分に魚雷の爆撃を受けた後が今も残っている。
穴は今はカラマツ類などの珊瑚で覆われている。
甲板に戻り船尾に向かいながら、甲板、燃料パイプ、ホース、
出入り口などを見てみよう。
ブリッジは爆撃による火事のために開いていて、簡単に入れる。
乗組員はブリッジの下の部屋に宿泊していた。
しかし、特別の準備なしにこの中に入り込むのは危険である
さらに甲板を降りると、大きくて、中に入れるエンジン室がある。
ボイラーは細い通路をたどっていくと簡単に見つけられる。
船尾に近づく と、もう1つの高い塔が見えてくる。
塔を過ぎると、船尾の大砲がある。これは船首の大砲と同じ型だ。
この大きい船をよく見るには、1回では周りきれないだろう。
地形:沈船の付近の海域に珊瑚はない。
水底の地質は泥地で水深-40m。
見られる生物: 内湾性の魚がたくさんいる  
ダイビング: この沈船では、パラオのほかの沈船や飛行機と同じように
弾薬が見つかる。しかし弾丸、爆弾、いかなる部品も、決して動かしたり
持ち帰ったりしてはならない。
これらの歴史の産物は、爆発の危険もある
おもしろい実話:日本の船名には“〇〇丸”という名前が多いが、
この船には付いていない。
これは、石廊が軍の船だからである。
“〇〇丸”という言葉は民間の船にのみ使われる名前であり、
軍用船には用いられない。
日本軍は、第2次世界大戦中、たくさんの民間の船を軍用に転向した。  
●参考文献
DESECRATEⅠ(by Klaus Lindemann/1991年 Pacific Press 発行)
WWⅡ Wrecks of Palau(by Dan Bailey /1991年 North valley 発行)
Diving and Snorkeling guide to Palau

 (by Tim Rock and Francis Toribiong / 2000年Lonely Planet発行)

2014年12月23日火曜日
天皇陛下、81歳に 平和国家として支え合いを。
両陛下、先の大戦の激戦地パラオの大統領をご歓待

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