慰安婦問題について、いろんな報道: 「最も偉大な戦略家」 オバマ米大統領が声明。傑出した指導力で「未来のない都市国家」を繁栄に導く  逝去したシンガポール建国の父、リー・クアンユー氏。日本が平和国家であり続ける理由 リー・クアンユー

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2015年3月23日月曜日

「最も偉大な戦略家」 オバマ米大統領が声明。傑出した指導力で「未来のない都市国家」を繁栄に導く  逝去したシンガポール建国の父、リー・クアンユー氏。日本が平和国家であり続ける理由 リー・クアンユー

2007年5月、安倍首相(右)と握手するシンガポールのリー・クアンユー元首相=首相官邸    
               リー・クアンユー元首相=2013年3月(AP)
産経ニュース
2015.3.23 11:03更新
【リー・クアンユー氏死去】
「最も偉大な戦略家」
オバマ米大統領が声明
【ワシントン=加納宏幸】オバマ米大統領は22日、
シンガポールのリー・クアンユー元首相の死去を受け、
「現代シンガポールの父として、またアジアの最も偉大な戦略家の一人として
世代を超えて記憶に残るだろう」とする声明を発表し、深い弔意を示した。
 声明は、オバマ政権によるアジア重視のリバランス(再均衡)戦略を構築する上で、
2009年のシンガポール訪問時のリー氏との議論が助けになったとし、
「リー氏の英知に感謝する」とした。また、リー氏を「歴史上の真の巨人だ」と称賛した。

2015.3.23 05:50更新 2/3 3/3ページ) 産経ニュース
傑出した指導力で「未来のない都市国家」を繁栄に導く 
逝去したシンガポール建国の父、リー・クアンユー氏
【シンガポール=吉村英輝】傑出した指導力でシンガポールの繁栄を導いた
リー・クアンユー初代首相が死去した。
マレーシア連邦から1965年に分 離・独立を強いられた当時に
「未来のない都市国家」(香港の英字誌)と揶(や)揄(ゆ)された島国を、
強い危機感と不屈の闘志で率いた。
インフラや教育制 度といった植民地時代の遺産を活用して
多民族社会の安定と成長を実現したが、その政治手腕は権威主義的との批判も浴びた。
 歯にきぬ着せぬ発言とこわもてで知られたリー氏を語るときに必ず話題となるのが、
1965年8月9日の独立記者会見で流した涙だ。
リー氏は回想録で、「マレー人の海に浮かぶ華人の島」と、
感極まった当時の心情を振り返った。
 華人中心の英領シンガポールは1963年、マレーシアの一州に統合された。
リー氏も、資源のない島国の単独での独立は到底、不可能と考えた。
だが、マレー人を優遇するマレーシア中央政府との関係が悪化し、
統合から2年で独立を迫られたのだ。
  リー氏は生き残りへ、それまでの中継・加工貿易に依存する経済から、
工業化政策に経済の舵を大きく切った。
法人税率を大幅に引き下げて欧米や日本企業を積極誘致し、
1970年代は石油精製などの大規模設備、80年代は銀行や通信分野で
外資を呼び込み、東南アジアの総合ビジネスセンターに変(へん)貌(ぼ う)。
「奇跡の経済成長」を成し遂げた。
弁護士から政治家に転じたリー氏は、これらの経済政策遂行のため、
労働者権利の弱体化や政府による土地収用を法制化。
「強い政府」の実現へ人民行動 党の一党支配体制を強化し、
言論・集会の自由などを厳しく規制し、批判する外国メディアは
名誉毀損で訴えるなどして激しく対立した。
 若者を中心に民主主義の進展を求める声が高まると、リー氏は
「ありもしない安全な夢の世界」と反論。共産主義勢力との闘争や、
民族紛争の回避、近隣諸国からの圧力といった経験を挙げ、強い国防と
それを可能にする強い経済へ、強力な政府が重要であると訴え続けた。
 インドネシアのスハルト氏やフィリピンのマルコス氏など、
同時代の東南アジアの有力指導者が失脚したのに対し、
リー氏が晩年までカリスマとしての名声を保ったのは、英領時代から受け継いだ、
法の支配と規律を徹底したためだ。
 わいろや汚職などを廃し、道路や公団住宅などのインフラ整備を進め、
英語の共通語化で華人、マレー、インド系市民の融和と国際化を図った。
これら施策が、外資呼び込みと治安維持の相乗効果をあげた。
  統治を受けた英国、日本を含め、マレーシア、シンガポールと
「4つの国歌をうたってきた」というリー氏は、国際政治の動向にも関心を持ち続けた。
2013年の演説では、米国は台頭する中国を国際社会のルールの中に
呼び込むべきだと主張。一方、独立後の経済政策で模範にした日本については、
経済再生には移民 や外国人労働者へ門戸を開放すべきだと提言した。
シンガポールは2007年に1人あたりの国内総生産(GDP)で日本を抜き、
今では米国も上回る。
同時に、貧富の格差も広がり、社会不安を引き起こす警戒ラインを超えた。
リー氏が競争主義市場経済を重視し、財政負担となる欧米型の福祉政策を
否定してきたことも一因だ。
日本のような手厚い年金や生活保 護の制度はなく、資産のない高齢者や、
能力主義の競争に敗れた若者は、不満を募らせている。
 東南アジアで真っ先に先進国入りしたシンガ ポールだが、
少子高齢化対策や台頭する中国やASEAN(東南アジア諸国連合)諸国と
いかにバランス外交を維持するかなど、内外の多くの課題に直面してい る。
「過酷な経済状況の経験がなく、近隣諸国からの脅威も知らない世代」(リー氏)は、
リー氏が残した大きな遺産を土台に、新たな成長モデルの模索を始めている。
         
シンガポール共和国(シンガポールきょうわこく)、通称シンガポールは、
東南アジアの主権都市国家かつ島国である。
シンガポールの歴史 日本による占領と軍政
シンガポールの戦い(シンガポールのたたかい、英: Battle of Singapore)とは、
第二次世界大戦の東南アジア戦域で、1942年2月7日から2月15日に
かけて行われた戦闘である。
日本軍による占領政策 日本占領下のシンガポールは昭南島と 改名され、
日本によるシンガポール統治が始まった。
その後シンガポールが戦禍に巻き込まれることもなかったため、軍政は
大きな支障もなく進められ、官民を問わず多くの日本人がシンガポールに渡った。
その後日本人向けの食堂や料亭も作られ、また日本軍は
これらの日本人のために昭南神社忠魂碑を建立した。
この後、蒋介石率いる中国軍やオーストラリアを経由したイギリス軍の支援を受けて
日本軍に対するゲリラ活動を行っていた多数の中国系住民(華僑)が摘発された。
これにより、6,000(文部省社会科教科書)~数万人(シンガポール政府発表)が
殺害されたといわれる(シンガポール華僑虐殺事件[2]

シンガポール華僑虐殺事件(シンガポールかきょうぎゃくさつじけん)とは、
太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年(昭和17年)2月に、日本軍が
イギリス植民地であったシンガポールを守備するイギリス軍との戦い
(シンガポールの戦い)に勝利した後に、約1ヶ月にわたって「親連合国」と目された
一部の中国系住民(華人華僑)を殺害した事件。
中国語では粛清sook ching)と呼ぶ。また、シンガポール大検証などともいう。
東京裁判においては「6000人の華僑が殺害された」とされたが、
全体像など不明瞭な点が多い[2]
イギリス軍は事件の責任者として第25軍の作戦参謀だった辻政信の追及を続けたが、
辻はこの時期、国外に潜伏中であり、最終的には断念した。
いずれにせよ、この事件は華僑のみならずマレー人インド人などにも
日本軍に対する恐怖と不信感を与えることとなった。
シンガポール方面軍である第25軍の幹部会議では華僑虐殺命令が討議された記録や
証言はいっさいなく、多くの証拠から、辻の独断を軍司令官の山下奉文
黙認ないし追認した可能性が高い。
辻は粛清の各現場に一人で出かけ
「シンガポールの人口を半分に減らすくらいの気持ちでやれ!」と怒鳴り散らして
命令していたという(『蒋介石の密使 辻政信』渡辺望 祥伝社新書)
辻は戦後、国会議員を数期務めた。国会では何度も
シンガポール華僑虐殺事件について論議されているが、これらの論議はすべて、
辻が1961年にラオスで失踪し国会からいなくなってからの論議であった。
国会ではシンガポールで実際に虐殺を目撃した堀昌雄の証言などがおこなわれた。
結局、最高責任者である辻への追及はうやむやになった。
事件の責任者として処刑されたのは(さしたる責任的立場にあったとも思われない)
昭南警備司令官であった河村参郎中将であった。

リー・クアンユー(英語: Lee Kuan Yew, 中国語: 李光耀
1923年9月16日(旧暦8月6日) - 2015年3月23日)は、シンガポールの政治家、
初代首相。首相退任後、上級相、内閣顧問を歴任した。
初代首相就任以降、長期にわたり権威主義的政治体制、
いわゆる「開発独裁」を体現し、独裁政権下ながら
シンガポールの経済的繁栄を実現した。
自叙伝によると、客家華人の4世にあたるという。

青年時代 テロク・クラウ小学校、ラッフルズ学院を経て、
ラッフルズ大学で学んでいたが、太平洋戦争の勃発に伴う1942年の日本軍による
シンガポール占領とイギリス植民地政府の崩壊に伴う大学の閉鎖に伴い、
学業を中断せざるを得なくなった。
その間はタピオカを利用して作った“スティックファス”という接着剤を闇市で売って
生計を立てていた。
同年日本語と中国語の学習を始め、翌1943年から1944年までの間、
日本側と協働して、昭南特別市の報道部において、連合国の通信を
盗聴した内容を翻訳する業務に従事した。
大戦後の1945年にはイギリスに留学し、ケンブリッジ大学の
フィッツウィリアム・カレッジで法律学を専攻し(後に名誉校友となる)、
1949年に首席で卒業した後は、短期間ではあったが
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにも通い、同年に帰国した後は弁護士資格を取得し、“Laycock and Ong”という法律事務所に勤務した。

forbes
日本が平和国家であり続ける理由 リー・クアンユー
シンガポール元首相 (2/2ページ) 2013/2/21 7:00
(2013年2月13日 Forbes.com)
国家の人口が増えている時、世の中は得てして楽観論に包まれ、
さらなる発展への欲望が後から沸いてくる。
第2次世界大戦が勃発した当時のドイツと日本が、まさにそうだった。
  1931年当時、日本の人口は6450万人だった。合計特殊出生率は
1930年代後半に4.1人に達していた。
日本は、満州(現在の中国東北部)に照準を定める。
満州は底知れない規模の天然資源の宝庫であり、同時に日本とロシアの
緩衝地帯にもなりうる。そこで1931年9月、侵攻した。
  中国の人口は4億9210万人で国土は370万平方マイルだった。
しかし、国土が一つにまとまっていたわけではなく、これが中国の弱点となった。
日本はこの後しばらく、中国との間で小競り合いを繰り返したが、
1937年の半ば、ついに衝突が本格的な戦争へ発展した。
1938年10月末までに中国国民党によ る政府は重慶南部に後退し、
1941年までに日本は中国沿岸部のすべての都市と隣接する広大な地方部、
さらに仏領インドシナの北部および南部を手中に収めた。
 1941年7月、米国政府は日本に対して、インドシナから撤退しなければ
日本に対して石油の禁輸措置を科すという内容 の最後通牒を突きつけた。
1941年当時の米国は人口が1億3000万人を超え、日本より格段に強力な
産業基盤を有していた。にもかかわらず、1941年 12月7日、日本は
大きな賭けに出た。宣戦布告なしに350人以上の兵士と爆撃機、
雷撃機が6つの空母から2波に分けて発進し、
真珠湾の米国海軍の艦船を攻撃した。
(米国にとって幸いだったのは、米国の空母は外洋に出ていて、
奇襲を免れたことだ)。日本は同時に、オランダ領東インドの石油を手中に
収めるために、東南アジア全域に侵攻した。
 当然、米国は海軍を立て直し、1942年6月のミッドウェー海戦において、
日本の6空母と援護にあたった艦船の大半を沈めた。
しかし、日本人は勇猛で、降伏するくらいなら死ぬまで戦おうとした。
日本の陸軍は世界で最も残忍で冷酷になっていった。
硫黄島の戦いはあまりにも激しく、米国は後に、もしも日本本土を攻略しようとすれば、
100万人の兵を失うだろうと推計。
代わりに、米国は広島と長崎 に原爆を投下。アジアで帝国を築く日本の野望を葬った。
似たような状況はドイツでも起きていた。1939年当時、ドイツの
合計特殊出生率は2.6人。
とにかく、ドイツは何にもまして国民に 「lebensraum」(ドイツ語で十分な住空間)を
与えたいと考えていた。
ヒトラーは第2次大戦中、東欧に攻め込み、ウクライナとロシアのスラブ系住民を
全滅させ、そこにドイツ人を住まわせようとした。
しかし、ヒトラーもヒトラーの側近たちも、ロシア人の忍耐力や勇気、
さらには戦場となるロシアの極寒の冬をみくびっていた。
この結果、ドイツはロシア軍の反撃によって多数の犠牲者を出すことになった。
  現在、日本とドイツはともに出生率が低下している。
2012年のドイツの合計特殊出生率は1.4人。日本も1.4人に低下している。
日本の人口は2060 年までに、現在の1億2800万人から8700万人に減少すると
推計されている。
ドイツも日本も、もはやもう一度戦争を仕掛ける必要もなければ、欲求もな い。
 現代世界が比較的に平和で安定している理由の一つは、すべての先進国の
合計特殊出生率が2.1人を下回っていることに ある(シンガポールは1.2人だ)。
成長が著しい国のいくつかも、同様に合計特殊出生率が低い。
例えば、中国の合計特殊出生率は2012年に1.6人とな る見通しだ。
こうした国々はもはやlebensraumを探し求める必要もない。
 しかし、発展途上国の合計特殊出生率は概 して高い。
なかでも高いのがインドで、2012年は2.6人とみられる。
これは人口がなお過密になり、インフラや学校、医療、社会福祉の不足が
深刻になることを意味している。アフリカの合計特殊出生率はさらに高く、
多くの国で4人から7人の間となっており、人口置換水準の2.1人を
はるかに上回っている。
 世界はこれまでに、人口増大の帰結に苦しんできたのだ。
この先、人口問題の地平には何が見えるだろうか。
そして我々は、この問題と向き合う準備ができているだろうか。
(c) 2013 Forbes.com LLC All rights reserved

「Wikileaks.org」というトンデモないサイトを最初に見つけたのは確か
2009年の春頃だったと思う。まずダウンロードしたのが米情報関係者用防諜マニュアル「Intelligence Threat Handbook」の2004年度版だった。
その後も英国版の防諜マニュアル、中国製のネット検閲ソフトなどを見つけては
片っ端から読み漁った。
実のところウィキリークス(Wikileaks)は本コラムを書くうえでも結構重宝していたのである。

この知る人ぞ知るウィキリークスが今年ブレークし、筆者の密かな楽しみが
また1つ失われた。7月にはアフガニスタン戦争に関する米軍・情報機関の
機密資料7万5000件を暴露、さらに10月にはイラク戦争関連
米軍機密資料40万件が掲載された。

国務省外交電報のリーク!

そして今回の米国務省公電25万件である。
個々の内容はメディアで報じられている通りだ。
今回の情報漏洩はその件数、内容の広範さ、どれをとっても、
1回の外交文書リーク事件としては恐らく史上最悪の失態と言っていいだろう。
あまりに量が多すぎて、どこから話すべきか迷ってしまう。
しかも、12月2日夜現在で、25万件中公開されているのはわずか593件
(1日当たり120件)だ。今後いかなる情報がいつ出てくるか見当もつかない。
米国務省にとっては誠に「お気の毒」だ。
機密公電は米軍諜報アナリストの上等兵が国防省の
Siprnet(Secret Internet Protocol Router Network)を通じて入手したものらしい。
同上等兵は本年5月に逮捕されたそうだが、もう「後の祭り」である。
今回の大失態は9.11事件以降、米国で各省庁間情報共有の迅速化が叫ばれ、
米国在外公館のサーバーを国防省のSiprnetに接続したため起きた悲劇だという。
情報のリアルタイム分析と機密保護の脆弱化は表裏一体ということなのだろう。
リー・クアンユーの卓越した中国観!
これまで暴露された中国関連情報の中で最も興味深かったのは、昨年5月30日、
シンガポール建国の父であるリー・クアンユー顧問相が
スタインバーグ米国務副長官に語った内容をワシントンに報告した公電である。
以下、リー顧問相の中国関連発言を見ていこう。
日本で内容は一部しか報じられていないが、この公電を詳しく読めば、
このシンガポールの偉人が中国という存在をいかに冷徹に見ているかが
よく分かり、非常に参考になるのだ。
ちなみに、シンガポール政府はウィキリークスによる公電漏洩を
「国益を害するもの」と強く非難している。当然だろう。
まさか、スタインバーグとの会談の記録の詳細がこれほど早く世に出るとは
思ってもみなかったに違いない。

リー・クアンユーの見た北朝鮮情勢!

というわけで、シンガポール政府には大変申し訳ないのだが、
まずは中朝関係に関するリー顧問相のコメントから始めよう。

●中国は北朝鮮の核兵器保有も国家崩壊も望んでいないが、選択を迫られれば、
中国は北朝鮮の国家崩壊よりも核兵器保有の方がましだと考えている。
●北朝鮮は、中国が韓国との関係改善を始めて以降、中国を信頼していない。
北朝鮮が核保有国となれば、恐らく日本も核兵器を志向するだろう。
それでも、中国は緩衝国としての北朝鮮を失うよりは、日本の核武装の
可能性の方がましだと考えるだろう。
●北朝鮮は、仮に核兵器による第一撃能力の取得を諦めるにしても、
米国による政体変更要求を拒否するため核兵器の保有を望むだろう。
●北朝鮮は、称賛を求めて競技場を威張り歩く筋肉の萎びた老人が指導する
精神病的国家である。
●金正日の後継者は、父や祖父のような抜け目なさと癇癪癖を持っておらず、
人が虫けらのように死ぬことを見る(心の)準備はできていないかもしれない。
●中国はこのことを十分計算している。
中国は(対北朝鮮)共通目標を米国とともに進めたいと思っているが、
韓国が北朝鮮を征服することは望んでいない。
といった具合である。
要するに、リー顧問相は「中国が北朝鮮の崩壊を簡単に容認することはない」
と見ているのだろう。
ウィキリークスが暴露したほかの公電には、中国高官が北は「駄々っ子」
だと述べたとか、北朝鮮の崩壊と朝鮮半島の統一を容認・支持したとか書かれている。
また、韓国の高官が北朝鮮は金正日死後数年で崩壊する旨述べたとする公電もある。
これらについては、米国や韓国の希望的観測や推測の域を出ない可能性が
高いとする論評も少なくない。同感である。
その意味でも、リー顧問相のコメントは一読に値すると思っている。
中国内政についてのコメント!
続いて、中国共産党に関するコメントに移ろう。
ここでもリー顧問相はジェームズ・スタインバーグ国務副長官に率直に語っている。

●現在、中国情勢が深刻化、不安定化する兆候はなく、中国政府は
年8%の経済成長を続けることに自信を深めている。
●中国はもはや共産主義ではなく、共産党一党支配を維持したいだけである。
最近の経済危機により、各種改革が進まなくなったとしても致し方ないことだ。
●習近平は「太子党」で江沢民の「弟子」である。
地方勤務が長かったが、党が彼の能力を必要とした時、
上海の党書記に抜擢され成功した。
●江沢民は胡錦濤が好きではなかったが、党内に支持基盤があり、
失点もなかった胡錦濤の台頭を止めることはできなかった。
●王岐山は有能であり、李克強は国務院総理になれないかもしれない。
党は65歳になった王岐山を70歳になるまで活用する方法を模索している。
といった具合である。
これ以上のコメントは差し控える。
シンガポール政府が真っ青になるのも当然だろう。
従来から、リー・クアンユー顧問相は外国人賓客に中国について
長々と「講義」をするという話は聞いていたが、
まさにこの公電はそうした「講義」の記録なのだと確信した。
同公電によれば、会談中スタインバーグ副長官はほとんど質問することなく、
リー顧問相の「ご高説を拝聴する」ばかりだったようだ。
さすがの米国務省副長官もリー顧問相とでは、まるで「格が違う」ということなのか。
いずれにせよ、これまでに暴露された国務省公電の中に
在北京米国大使館発の電報はまだ少ない。
ということは、恐らく、今後より多くの中国関連極秘電報が暴露されていく
可能性が高いということだ。
実際、今回ウィキリークスから事前に情報提供を受けた欧米メディアの1つである
英ガーディアン紙は、ウィキリークスの創始者が今後中国、ロシアなど
「情報公開が不十分な国々」をもターゲットにする旨述べたと報じている。
どうやら、当分「Wikileaks.org」からは目が離せそうにない。
既に600件以上の公電が原文のまま「公開」されており、
その数は日に日に増えている。
次回はこのウィキリークスにある中国関連公電の
「正しい読み方」について書いてみたいと思う。

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