慰安婦問題について、いろんな報道: 続・慰安婦騒動を考える、「統営・巨済市民の会」柳本飛行場(強制連行)問題に首を突っ込む。渡嘉敷島の慰安婦碑 「ほうせんかの会」の今。奈良市役所はその案内板を確たる証拠がみあたらないと撤去済みなのに、慰安婦:川瀬俊治氏「統営出身者約20人が強制動員」、朝鮮日報

Translate

2015年10月8日木曜日

続・慰安婦騒動を考える、「統営・巨済市民の会」柳本飛行場(強制連行)問題に首を突っ込む。渡嘉敷島の慰安婦碑 「ほうせんかの会」の今。奈良市役所はその案内板を確たる証拠がみあたらないと撤去済みなのに、慰安婦:川瀬俊治氏「統営出身者約20人が強制動員」、朝鮮日報

「統営・巨済市民の会」柳本飛行場(強制連行)問題に首を突っ込む 
2015/10/08 20:35   続・慰安婦騒動を考える
「日本軍慰安婦ハルモニとともにする統営・巨済市民の集まり」
・・・ここは、実にいろんな事をやって来た。
全てをエントリーにしていないし、タグのつけ忘れもあると思うが、
興味のある人は過去記事を参考にして下さい。

統営・巨済市民の会が、天理市の 
海軍柳本飛行場の説明板問題に首を突っ込んで来た。
市は記述を裏付ける資料がないと言っている。
市民の会が、天理市に慰安婦として強制動員された
被害者を見つけてくれば興味深い展開になるのだが、
さて説明会でどんな主張を繰り広げるか。

「慰安婦説明板」再設置要求 韓国団体が天理市に署名提出へ

韓国の市民団体が、奈良県天理市が昨年4月に撤去した
植民地時代の強制連行と慰安所に関する説明板の
再設置を求める署名を同市に提出することが8日、分かった。
韓国南部・慶尚南道の団体
「日本軍慰安婦ハルモニ(おばあさん)とともにする
統営・巨済市民の集まり」によると、同団体は今年7月から
慶尚南道の統営市、巨済市、晋州市、
中西部・忠清南道の瑞山市などで説明板の再設置を求める
署名運動を展開し、これまでに1万11人の署名を集めた。
9日に天理市を訪問し、市長に署名を提出する
統営市と巨済市の首長、市議会の意見書も一緒に渡す予定だ。
また、提出後に天理市の記者室で説明板の再設置要求に関する 
公開インタビューを行うほか、講演会なども開く
この説明板は1995年に旧大和海軍航空隊大和基地
(通称・柳本飛行場)の跡地に天理市と同市教育委員会が共同で設置。
1944〜45年の同飛行場建設について、
「工事には多くの朝鮮人労働者が動員や強制連行によって連れてこられ、
厳しい労働状況の中で働かされた」「『慰安所』が設置され、
朝鮮人女性が強制連行された」などの記述があった。
しかし、この記述をめぐって抗議の電話などが相次ぎ、
天理市は記述を根拠付ける資料がないとして昨年4月に撤去した。
渡嘉敷島の慰安婦碑 「ほうせんかの会」の今
2015/04/12 07:15続・慰安婦騒動を考える
アリランの碑(渡嘉敷島)
一般に知られているのは宮古島の慰安婦の碑の方だが、
渡嘉敷にも1997年に建てられた碑がある。渡嘉敷といえば、キム・ハクスン
(金学順)以前にその存在が知られていた
朝鮮人元慰安婦ペ・ポンギがいた所である。
                   裵奉奇さん。[朝鮮新報 2006.8.29]
※1975年10月、 裵奉奇(ペ・ポンギ)さん、
沖縄で特別在留許可を申請し、元「慰安婦」と判る
彼女に関しては、左派系の人々にその実像を歪められているのが残念だが、 
正直な証言者であった
「ほうせんかの会」なる団体は知らなかった。
「国連の人権機関などに情報提供を続けている(!)」
渡辺美奈が講演するという。
旧日本軍による慰安婦について国際社会が

どのような目を向けているかを学ぼうと、つくば市の市民団体 
「ほうせんかの会」(江口昌子代表)が11日午後1時30分から、
つくば市吾妻のつくばサイエンスインフォメーションセンターで講演会を開く。
資料館「女たちの戦争と平和資料館」(東京都新宿区)事務局長の

渡辺美奈さんが講演する。
渡辺さんは国連の人権機関などに情報提供を続けている。
ほうせんかの会は1997年、慰安所があった沖縄・渡嘉敷島に

慰安婦を慰霊するモニュメントを建立したのをきっかけに発足。
以来ほぼ毎年、講演会を開いている。 常陽新聞 2015.4.10 [2]
裵奉奇(ペ・ポンギ)  1990/04/08 (Sun) 従軍慰安婦問題を考える 
【生い立ち・慰安婦になった経緯等】
1915年忠清南道新禮院に生まれる。

1944年29歳の時、紹介業者に騙され沖縄に連れてこられ、
慰安婦として働かされる。
1991.10月死去。
 
【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】
コンドウという男に連れられ、釜山から下関に渡り、

下関で一度、シンガポールに向かう日本軍の船に乗るが、
門司で下ろされ、そこで半年間、待機する。
その後、鹿児島に移動し日本軍の輸送船に乗って沖縄に行く。
 【考察】
同女は紹介業者に騙されたことになっていますが、

果たして本当に騙されたのか疑問です。
紹介業者の言葉は、
「南の島に行って働けば、金が儲かる。
黙って寝ていてもバナナが口に入る」
(イアンフとよばれた戦場の少女)等と言うような漠然としたものしか
記述されていませんが、普通、この言葉だけを丸々信じて
ついて行こうと考える人はいないでしょう。
しかも、当時、同女は29歳です
7歳の時に一家離散し、3回の離婚も経験しています。
辛酸をなめ続けた人生を送っており、このような甘言を
そのまま信じ るとは思えません。
世間知らずの子供ならともかく、
通常、仕事の具体的内容を聞いて
当然ですが、同女の証言には「工場で働く」
「食堂で働く」等の言葉はありません。
無いと言うことは、逆に、具体的に何をするか
知っていたからではないでしょうか
さらに、同女を誘ったのは「女紹介人」 
(イアンフとよばれた戦場の少女)で、
女性専門の人身売買業者です。
もし、具体的に仕事内容を告げられなかったとしても、
それが売春業関連だと分かって当然ではないでしょうか。
(※紹介人と言っても売春業のみの
斡旋をしていたわけではないようですが)
なお、「ナヌムの家歴史館ハンドブック」では、より限定的に

「慰安婦紹介業者」になっています。
相手が「慰安婦紹介業者」なら、
やる仕事は「慰安婦」以外にありません。
良心的に解釈して、後から考えてみると
「慰安婦紹介業者だった」と言うことでしょうか。
【信憑性】
慰安婦をするということを本当に知らなかったのかは

甚だ疑問ですが、下記資料を見る限り、 
本人の言葉として「騙された」と
明記されているものもありませんでした。
全体として信憑性はあると思われます。 ・・・以下省略。

危機の時代の市民活動―日韓「社会的企業」最前線 (希望叢書)
2012/3 
知っていますか? 在日コリアン 一問一答 (知っていますか?一問一答シリーズ)
2014/12/8 川瀬 俊治、 郭 辰雄

記事入力 : 2015/04/11 07:51 朝鮮日報
慰安婦:川瀬俊治氏「統営出身者約20人が強制動員」
日本人ジャーナリストで市民運動家の川瀬俊治さん(68)が10日午後、
統営市庁のブリーフィングルー ムで開かれた
「日本軍慰安婦のおばあさんと共に生きる統営巨済市民の会」
主管の記者会見に出席し、慶尚南道統営出身の女性およそ20人が
従軍慰安婦として 強制動員されたという話を暴露した。
 川瀬氏は、統営出身者など10代から20代までの女性およそ20人が、
植民地時代に奈良県天理市の柳本海軍飛行場の管轄地域内にある
軍の慰安所に強制動員され、慰安婦として働かされたと説明した。
また、公開した飛行場建設をめぐる取材ノー トの地図には、
海軍施設部の下の2カ所に慰安所があったことが描かれていた。
これは、川瀬氏が地方紙の記者として活動していた1975年8月、
天理市で在日朝鮮人のキム・ジョンシさん(当時67歳)
※1975-1945(終戦時)=37歳 
などを取材した内容とのことだ。
 取材当時の話を基に、強制動員された
元朝鮮人慰安婦の壮絶な暮らしも伝えた。
川瀬氏は「慰安婦として連れて来られた女性は20人を越え、
極限の窮乏状態で軍事用メチルアルコールを飲んで空腹に耐え、
近所に住む在日朝鮮人の男性が女性を救出して
1年間かくまったという話もある」と紹介した。

 こうした痛ましい歴史を後世に伝えるため、
※朝鮮人強制連行・強制労働ガイドブック
天理・柳本飛行場編
奈良県での朝鮮人強制連行等に関わる資料を発掘する会
 
天理市の市民や歴史学者、社会運動家、教育委員会などが
95年に朝鮮人強制動員の歴史を記した案内板を市立公園に作り、
歴史学習、人権学習の場として活用したが、
天理市は昨年4月にこの案内板を撤去した
 天理市は、植民地時代に従軍慰安婦として
韓国から連れていかれた被害者が最も多い場所といわれている。
およそ20年前に韓国政府が調査を開始した際には、合わせて6人が確認された。
現在では、韓国最高齢の元慰安婦、キム・ボクトゥクさん(98)だけが生存している。

[発行日]  2012-04-30 오후 3:08:20
※統営で生まれたキムさんは18歳だった1937年、
工場に就職させてあげるという言葉にだまされ、慰安婦の運命になった。
統営の渡船場で船に乗り釜山へ、さらに汽車などでフィリピンや
中国の大連に行き、地獄のような慰安婦生活を強要された。
開放直前に日本の軍艦で長崎港に到着し、船で釜山を経て、
故郷の統営へ帰ってきた。
生存している慰安婦の中で、最高齢のキムさんは
慰安婦の真相究明活動に積極的に参加してきた。

2015年04月11日 Birth of Blues 
安室ちゃん応援してます☆安室ちゃんファンブログ

奈良の良心的ジャーナリスト(68)
~メチルアルコールで飢えをしのいだ」
悲劇の現場となったのはこちら。
 奈良海軍航空隊 - Wikipedia  
朝日、毎日をすっ飛ばしていきなり朝鮮日報とか、
40年間極秘事項とか、
メチルアルコール飲んだら死ぬでとか、
年齢設定もムチャクチャなんですが
(拉致さ れた10代~20代の慰安婦だった筈の
被害者キム・ジョンシさんは開戦時34歳~終戦時37歳の慰安婦)、
共和国対南工作の一環なんですか?
客観的にも朝鮮人土木作業員向け置屋で働く

年増売春婦しか思い浮かびません。 
産経ニュース2014.6.27 02:07更新
天理の旧海軍基地跡地の説明板撤去、
市長「市として判断」 奈良
天理市が、
旧大和海軍航空隊大和基地(通称・柳本飛行場)の跡地に設置していた
説明板を「根拠づける資料がない」として撤去したことが26日判明。 
一方、市民団体「天理・柳本飛行場跡の説明板の撤去について考える会」は
「撤去した理由や経緯を明らかにし、復元してほしい」として、
並河健市長宛ての質問と要望書を提出した。
 平成7年に市が設置した説明板には、「天理市史」にも記載されている
飛行場の規模などに関する記述のほかに、
「工事には多くの朝鮮人労働者が動員や強制連行によってつれてこられ、
きびしい労働状況の中で働かされた」「『慰安所』が設置され、
朝鮮人女性が強制連行され た」などの記述があったほか、
「考える会」のメンバーらが発行した冊子から抜粋された
「強制連行された人たちの証言」なども記載されていた。
  市によると、これらの記述をめぐって今年2月以降、抗議の電話や
メールが約20件寄せられたという。
市は「(記述を)根拠づける資料がない」として、4月 18日に説明板を撤去
今後については、「強制連行や慰安婦について触れた河野談話については
現在国が検証しており、市としてもこうした国の動向を受けて
調査・検証していく」としている。
 並河市長は説明板を巡る対応について、
「様々な歴史認識があり、国全体においても議論が行われている中 で、
いわゆる『強制性』の点も含め市及び市教委の公式見解と解される
掲示を行うことは適当でないと判断し、一旦看板を撤去保存した。
今後、歴史専門家等による国全体での研究・検証等を見守りたい。
本件を巡り多様な意見が寄せられたのは事実だが、
今回の措置は市として判断した」とのコメントを発表した。

奈良県警察拉致容疑行方不明者
[2014年1月6日]
拉致の可能性を排除できない事案に係る方々
 ここに掲載されている方々は、
北朝鮮による拉致の可能性を排除できない行方不明者の方々です。 
お名前をクリックすると詳細な内容が表示されます。
このページをご覧になってお心当たりのある方は、
どんな小さなことでも結構ですから、下記まで情報をお寄せください。 

年齢 14歳(行方不明当時). 住所 奈良県橿原市内. 
職業 橿原市内の中学校2年. 身体特徴等 身長145cmくらい 
やせ形. 外出時の服装:ジャンパー. 紺色セーター、
紺色ジーパン. 昭和56年2月8日午後8時ころ、当時8歳の弟 ...

連絡先:奈良県警察本部警備部警備第一課
電話番号:0742-23-0110(内線5752)
※休日・夜間は、奈良県警察本部総合当直
※メールでの情報提供は、こちらへ

2012/07/22 続・慰安婦騒動を考える
「日本軍慰安婦被害者の町」 村おこし?
我も我もと慰安婦の碑を建立。
「慰安婦被害が最も大きかった」・・・ものは言いようで、

からゆきさんには、東北出身者が多かったとか
九州出身者が多かったというような類の話だろう。
慶尚南道が地理的に日本に近いというのも理由の一つかもしれない。
この地域では、

「日本軍慰安婦ハルモニとともにする統営・巨済市民の会」
という団体があって、日本の国会に使節を送り込むとか、
子供たちに手紙を書かせるとか、DVDを作るとか盛んに活動している。
毎年慰安婦祭り(?)も開かれている
「慰安婦被害が最も大きかった」というのは、
一種の町おこしのキャッチフレーズと考えたらいいかもしれない。
そのうち、日本人旅行客相手に
「日本軍慰安婦被害者の町へようこそ」「歴史を体験しよう」
といったツアーが登場するかもしれない。
【統営聯合ニュース】慶尚南道の統営と巨済で、

旧日本軍従軍慰安婦を追悼する碑の建立計画がある。この地域は、
慰安婦被害が最も大きかったとされる。
元慰安婦を支援する統営・巨済の市民団体は19日、

統営と巨済のそれぞれに慰安婦の碑を建立するには9000万ウォン
(約620万円)の基金が必要だとしながら、
自治体や国民に協力を呼びかけた。
早ければ11月にも設置したい考えだ。 中央日報 2012.7.19

[メモ] 慰安婦問題解決の為の嘆願ハガキ作戦第二段 国際新聞(2012.6.20)

2012/04/28 09:27  続・慰安婦騒動を考える
日本軍により送り帰された慰安婦 
「統営・巨済市民の会」については、旧ブログ時代を含め何度かエントリーしている。
両市では過去に「慰安婦決議」も採択され、慰安婦問題に熱心な地域である。
一昨年には、ソン・ドジャ代表(右下の写真)が来日して 
日本の国会議員たちに「問題解決」を促している
昨日のニュースからも分かるように、両市の慰安婦支援者たちは

青少年を運動に取り込むのに熱心である。 
二年前の話だが、彼女らによって教育された子供達が、
日本の国会議員たちに送るハガキの中で
「鬱憤をこらえることができず激しく心情を表現した」
というような状況が出来した。
歴史教育の資料とするためにDVDを制作するという活動も行なっている。
ソン・ドジャ統営巨済慰安婦ハルモニ市民の会会長

もう一つのポイントとして、慰安婦による寄付の話題も時々出てくる。
官民からの支援が手厚い韓国人元慰安婦たちは
生活にはあまり困らないようで、蓄えがあるのだろう、
しばしば遺産(財産)を寄付する
もちろんお婆さんにとっては善意なのだろうが、
これを韓国の支援団体やメディアが美談として
大々的に取り上げるのは、注目を集める為と
日本に対する当てつけの部分もあるのかもしれない。
ただ、報道はよく読み込む必要がある。

朝鮮日報では日本の敗戦直前に
「劇的に脱出し、釜山を経て故郷に戻った」
としか書かれていないが、
ハンギョレ紙によれば、彼女は
解放直前に日本軍艦に乗って長崎港に到着した
・・・つまり日本の敗戦前に軍により送り帰されているのである
少なくとも本土までは。
また、朝鮮日報はハルモニが「日本軍の言葉にだまされ」たとしているが、
これには多くの人が首を傾げるだろう。
日本軍は、敗戦目前の時期に貴重な艦艇を使い

(朝鮮人)慰安婦を送り帰していた。
もちろん戦地に置き去りにされた慰安婦もいれば、
置き去りになった従軍看護婦もいる。
白骨街道の一部になった兵士もいた。
しかし、この記事からだけでも慰安婦を見捨てるのが
日本軍の基本方針でなかった事は推測できる。
プロパガンダを見破る情報は、
案外発信者側の言葉の中にあるものなのである
・・・もっとも、日本軍が慰安婦を従軍看護婦(軍属)名義で

帰還させようとした事実を「『看護婦』とすることで、
当局が慰安婦の存在を連合国側から隠ぺいしようとした
可能性」があるなどと言い出す専門家」もいるわけであるが。
94歳の元慰安婦、女子高に奨学金を寄付/統営
 
生存する最高齢の元従軍慰安婦が女子高校に奨学金を寄付する。  
 元慰安婦の支援団体
「日本軍慰安婦のおばあさんと共にする統営・巨済市民の会」
(ソン・ドジャ代表)によると、慶尚南道統営市北新洞に住む
キム・ボクトゥクさん(94)が30日、統営女子高校に2000万ウォン
(約140万円)の奨学基金を寄付するという。
基金は、キムさんが政府の支援金(生活保護)などを

少しずつためたもので、キムさんと統営・巨済市民の会は
「慰安婦問題を解決して正義を成し遂げよう」との意味を込め、
基金の名称を「正義奨学会」とした。
統営女子高校への寄付を決めたのは、2010年から自宅を訪ね、

ボランティア活動をしてくれた同校の生徒たちに
感謝の気持ちを表すためだという。
同校の「韓国青少年政治外交連合」に所属する生徒たちは、

週末にキムさんの自宅を訪ね、掃除や洗濯を手伝い、
食事を共にして話し相手になっていた。
統営・巨済市民の会のソン・ドジャ代表は
「キムさんが『親切な生徒たちに応えたい』と、
寄付の意向を示した」と語った。
統営市で生まれたキムさんは、19歳だった1937年、

工場に就職させてやるという日本軍の言葉にだまされ、
フィリピンや中国で慰安婦としての生活を強いられた。
植民地支配からの解放(1945年)直前、劇的に脱出し、
釜山を経て故郷に戻ったという。
元慰安婦に対する日本政府の謝罪や賠償を求め、
ソウルの日本大使館前で行われる「水曜集会」に参加するなど、
慰安婦問題の解決に向け積極的な活動を続けてきた。
奨学基金の伝達式は30日午後3時から統営女子高校の校長室で行われ、

統営・巨済市民の会関係者や教職員、韓国青少年政治外交連合の
メンバーたちが出席する。 昌原= 姜仁範(カン・インボム)記者
朝鮮日報日本語版 2012.4.27




ラベル to-統営・巨済市民の会 の投稿を表示

0 件のコメント:

コメントを投稿