慰安婦問題について、いろんな報道: 警視庁護送車と接触か 萩原流行さん死亡事故、警部補ら聴取。萩原流行さん謎多き事故死 「抗日ドラマ」出演に批判殺到も。俳優の萩原流行さん バイク事故で死亡、東京・杉並。不安のうつの力(ⅩⅨ) -俳優 萩原流行・まゆ美夫妻の場合

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2015年4月23日木曜日

警視庁護送車と接触か 萩原流行さん死亡事故、警部補ら聴取。萩原流行さん謎多き事故死 「抗日ドラマ」出演に批判殺到も。俳優の萩原流行さん バイク事故で死亡、東京・杉並。不安のうつの力(ⅩⅨ) -俳優 萩原流行・まゆ美夫妻の場合

時代考証を湾曲、中国国内の不満を日本向けさせる意図で作成させる
反日ドラマ「東方戦場」
産経ニュース2015.4.23 11:54更新 【萩原流行さん死亡】
警視庁護送車と接触か 
萩原流行さん死亡事故、警部補ら聴取
俳優の萩原流行(本名・光男)さん(62)が死亡した交通事故で、
警視庁は23日、同庁の護送車が絡んでいた可能性が高いと発表した。
同庁交通捜査課は自動車運転処罰法違反(過失致死)容疑で、
護送車を運転していた高井戸署の男性警部補(55)らから事情を聴いている。
 同課によると、現場は片側3車線の直線道路。
左車線を走行していた護送車が中央車線に車線を変更後、
中央車線を走行中に転倒した萩原さんのバイクと接触。
右車線に投げ出された萩原さんが、後続の別の乗用車にひかれた可能性が高い。
バイクが転倒した理由は不明という。
 男性警部補は留置中の容疑者を、同署員2人と病院に護送中だった。
警部補らは「ひいた感覚はなかったが、
ドンとバイクが転倒した音が聞こえた」と話している。
 死亡事故は22日午後6時5分ごろ、
東京都杉並区高円寺南の青梅街道で発生。
萩原さんは3月にも同区西荻北の路上でバイクを運転中に転倒し、
軽傷を負って病院に搬送された。
同月下旬には、昨年10月に乗用車で
夕刊フジひき逃げ事故を起こしたとして書類送検されていた。

萩原流行さん謎多き事故死 
 (2/2ページ) 2015.04.23
22日夜、東京都杉並区で事故死した個性派俳優、萩原流行
(はぎわら・ながれ=本名・萩原光男=はぎわら・みつお)さんは、
バイクで転倒した際、警視庁の護送車と接触していたことが23日、分かった。
この2年間で、自宅のある同区内で交通事故を3度繰り返し、
「安全に運転させます」と所属事務所がコメント した矢先の事故。
公表していたうつ病の薬の影響を指摘する声もあるが、
悪い予感が現実になってしまった。

 同庁は自動車運転処罰法違反(過失致死)容疑で、護送車を運転していた
高井戸署の男性警部補らから事情を聴いている。
萩原さんは22日午後6時10分ごろ、東京都杉並区高円寺南の青梅街道で
倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡した。
警視庁杉並署によると死因は心房破裂。
事故当時、現場付近は雨が降っていた。
警視庁によると、 萩原さんは片側3車線の中央車線を走行。
護送車が中央車線に車線変更後、転倒した萩原さんと接触。
隣の車線に投げ出された萩原さんが、別の乗用車にひかれ た可能性が高い。
転倒した理由は不明という。
 後方で事故を目撃した男性は「バイクは火花を散らしながら路面を滑っていた。
ヘルメットはずれており、口から血が流れていた」と直後の様子を生々しく語った。
 交通事故が相次いでいた萩原さん。
13年1月以降、自宅近くの同区内で事故を3度も起こした。
直近では3月23日、バイクを運転中、
前方のトラックが停止した際に転倒している。
 萩原さんは舞台女優の妻、
まゆ美さん(62)ともどもうつ病であることを公表。
相次ぐ事故に抗うつ剤などの影響はなかったのだろうか。
日向野クリニック院長の精神科医、日向野春総氏は
「事故当時、萩原氏がどの薬を服用していたかは不明」とした上で、
「抗うつ剤より、むしろ不安を取り除く 薬のほうが、
筋肉を弛緩させる効果もあるため、俊敏に反応できなくなる。
特に、体の軸のバランスが取れなくなるので、
専門家は重心移動で方向を変えるバイクの運転は
控えるように指示する」と話す。
 うつ病患者の特徴として「バイクで走り、
風に当たることで生きている実感がするからと、
大型バイクを購入する人が多い」とも指摘する。

  萩原さんはつかこうへい事務所入り後、映画「蒲田行進曲」に出演。
一躍注目を浴び、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」や
舞台、バラエティーにも出演、存在感のある演技で人気を集めていた。
事務所の同僚だったフジテレビ系「とくダネ!」キャスター、
小倉智昭(67)は23日、番組内で、萩原さんが
中国の「抗日 ドラマ」に出演したことに触れ、
「知人に頼まれたからと、事務所の反対を押し切ってまで出演した」と語った。
ネット上では、このドラマへの出演を批判する 声が絶えなかった。
朝日新聞デジタル東京・杉並 2015年4月22日22時44分
22日午後6時すぎ、東京都杉並区の青梅街道で、
男性が倒れている、と110番通報があった。
杉並署によると、男性は俳優の萩原流行(ながれ、本名萩原光男)さん(62)。
バイクで転倒したとみられ、搬送先の病院で死亡した。
現場は東京メトロ丸ノ内線東高円寺駅の西約400メートル。
 萩原さんは1982年、劇団「つかこうへい事務所」に入団。
個性派俳優として頭角を現し、舞台やテレビドラマで活躍した。
近年はウェスタンルックでバラエティー番組に登場し、人気だった。
一方で、夫婦で患ったうつ病の経験を講演で語っていた。
                   俳優・タレント萩原流行さん
俳優の萩原流行さん バイク事故で死亡か
NHKニュース4月22日 21時44分
22日夜、東京・杉並区で
バイクに乗っていたとみられる男性が
倒れているのが見つかり、
その後、死亡し、警視庁は免許証などから
俳優の萩原流行さんとみて確認を急いでいます。
22日午後6時ごろ、杉並区高円寺南の青梅街道で男性が倒れているのが見つかり、
病院に運ばれましたが、およそ1時間半後に死亡しました。
警視庁は免許証などから俳優の萩原流行さん(62)とみて確認を進めるとともに、
そばにバイクが倒れていたことから、バイクに乗っていて転倒したとみて
詳しい状況を調べています。 

萩原流行が中国反日ドラマに出演
更新日: 2014年06月17日 NAVERまとめ
抗日ドラマに、人気俳優の萩原流行(61)と中野良子(64)が
出演するとあって芸能界は大混乱。
萩原に至っては、反対する事務所を辞めてまで出るという
「東方戦場」制作費は日本円で16億円ともいわれる超大作
 ドラマは1931年の満州事変から終戦までを描く歴史群像劇で、
毛沢東や“東洋のマタハリ”と呼ばれた
川島芳子、昭和天皇も登場する。

  盧溝橋事件や南京大虐殺が中国の一方的な主張で描かれるのは明白で、
あらすじでは日中での戦争の中国人の死傷者数は3500万人と明記。
この数字は90年 代ごろに明らかにされたもので、
50年代の共産党の発表では1000万人。
いかにでたらめに描かれたドラマかがよくわかる。

萩原流行オフィシャルブログ
俳優 萩原流行さん 「これまでのうつ病治療について」
by新宿メンタルクリニック mental shinjyuku
2013/12/15 に公開
磁気刺激治療のうつ病専門クリニック「新宿メンタルクリニック」
俳優 萩原流行さん 「これまでのうつ病治療について」
http://www.shinjuku-mental.com/tms.html
 不安のうつの力(ⅩⅨ) -俳優 萩原流行・まゆ美夫妻の場合
俳優 萩原流行・まゆ美夫妻の場合 ―
医療法人 和楽会 横浜クリニック院長
山田 和夫
 
俳優の萩原流行氏がうつ病を患った事があると知ったのは、
NHK教育の福祉ネットという番組で
「ハートをつなぐ」という特集の中で、
自身のうつ病体験を語っていたの見たからです。
テレビ上ではすっかり元 気で、あのいつもの明るく陽気な
萩原さんのままで、自身でも
こんな自分がうつになるとは夢にも思いませんでした」
と言っていましたが、誰もがそう思った と思います。

 その後、萩原さんの著書「W うつ」

(萩原流行・まゆ美著:廣済堂出版:2009年7月)を見つけて購入し、
読みましたら、今度は逆にうつ病になってもおかしくない
「壮絶な人生」が書かれていました。
ちなみに「W うつ」とは夫婦2人ともうつ病になったという意味の
タイトルで、本も2人が自身のうつ病を 交互に書き綴っています。
さらに驚いたのは、飼っていた子猫小鉄までうつ病になり
動物病院で安定剤の投与を受けました。
正にうつ病一家の闘病記でした。
ちなみに子猫の小鉄がうつ病になったのは、
うつ病になった萩原流行氏の苦しい呟きを聞き続け
受け止め続けたためとありました。
猫にはそのような能力があるのですね。
萩原氏夫妻はうつ病で苦しい中で、
小鉄に随分と癒されたと書いています。
猫にとっては堪ったものではないでしょうが。

 「僕は1953年4月8日に東京で生まれた。
 キレやすい僕の誕生日がお釈迦様と同じなのは、

なにかの皮肉としか思えない。
 22年後に妻となるまゆ美さんは、12月25日生まれなので、

仏陀とキリストのカップルだ。
僕らの人生に嵐が年中吹きまくるのは、強
烈な個性同士の組み合わせだからかもしれない。 
 ちなみに僕の本名は萩原光男だが、その由来は

『光源氏のような男に育ってほしい』だそうだ。
とびきりのプレイボーイの名前を
自分の子どもにつけるなんてうちの親は相当変わっている。
 母親は東京下町の大工の棟梁の家に、後妻の娘として誕生した。

小さい時は“お嬢さん”として育ったらしい。
だが、母の父親が死んだとたん、
母は実母と一緒に先妻の子どもたちに家を追い出された。
 それまで一度も働いたことのない母は、

突然自分の母親を養うはめになり
チケット制のダンスホールの踊り子さんになった。
そのダンスホールで母を見染めた のが、
ホールに出演していたバンドのギタリスト。
それが僕の父親だ。
といっても、父にはすでに家庭があったので、
母は今でいう愛人という立場で、兄貴と僕 を生んだ。」(p99~100)
 「僕が父と初めて会ったのは、小学校に入る少し前だったと思う。

そのときのことは、今でもはっきり覚えている。
 生まれて初めて“父親”を認識したその日、

その男は母に暴力をふるっていた。
 その次も、そのまた次のときも、

父は家に来ると母親を殴っていた。」(p101)
 「父の暴力を目の当たりにした夜、僕はせんべい布団にもぐりこんで、

いつも同じ願いごとをしていた。
 今日寝たら、このままずっと目が覚めませんように…。
 幼稚園児の頭に、“自殺”という言葉はなかったが、

あの頃の僕は、こんな生活が続くなら死にたい、
と感じていたのだと思う。」(p102)
 「僕が高校に進学してからも、親父の家庭内暴力は止まらなかった。
 高校2年生の6月だったと思う。土曜日の半日授業を終えて家に戻ると、

そこら中に物が飛び散っていた。
なにごとかと思って奥へ行くと、
お袋と兄貴が顔を血だらけにして放心している。
その横に立っていた親父と目が合った。
 チクショー、お前がやったんだな!もう許せねえ!
 ぐわっと頭に血がのぼった瞬間、親父をボコボコにしていた。
 腕力なら、もう僕のほうが勝っていた。

親父の前歯を全部折ったが、それでも僕の気持ちは収まらない。
とっさに台所へ行き、出刃包丁を取り上げた。
 殺してやる!
 親父に向かって進み、刺そうとしたところで

お袋と兄貴にすがりつかれた。」(p108~109)

 大学浪人中、スーパーカンパニーの主催者で

舞台振付師の竹邑類氏に誘われ自由劇所の舞台に立つようになり、
そのまま役者になってしまいました。
そのよう な時に帰宅した所、家はもぬけの殻状態になっていました。
本人に告げることなく一家は離散し、
萩原氏も見捨てられ状況になってしまいました。
当時付き合い だしていたまゆ美さんに助けを求めたところ、
彼女の力でアパートを借り、半同棲生活をするようになりました。

 まゆ美さんは杉並区に住む普通の家庭のお嬢さんでした。

父親が教育熱心で、徹底的にピアノと歌を習わせました。
まゆ美さんは、杉並児童合唱団に入りソリストを務めるまでになります。
萩原さんと同じスーパーカンパニーの主催者竹邑類氏に
ミュージカルの振付けを受けるようになります。
それが縁で、短大卒業後 スーパーカンパニーに入団し、
萩原氏の不測の状況に巻き込まれる形で同棲生活が始まります。
その後萩原氏の自由奔放な生き方に巻き込まれ
精神的苦難な状況に追い込まれていきます。

 まゆ美さんはもともと人見知り、分離不安があり

典型的な社会不安障害がありました。
女優になってからは、舞台でトイレに行きたくなったらどうしようという
空間恐怖に捉われるようになり、
更にはパニック発作を起こすようになります。
30歳で退団するもうつ病を発症し、治療を受けるようになります。

 萩原氏は、意見の対立からスーパーカンパニーを退団後、

劇作家つかこうへいに見出され、つかこうへい劇団に
入団後めきめきと頭角を現し、NHKの大河ドラマに出演するまでになり、
一躍全国的に有名な俳優となります。
その多忙さと様々な不安からうつ病を発症します。
最初の緊急な症状はテレビドラマの撮影中に声が出なくなったことです。
慌てて、まゆ美さんの主治医の所へ駆け込み、
うつ病の診断を受けて投薬を開始しましした。
主治医からは1年間の休養を勧められましたが、
忘れられてしまう不安から、休まず苦しいながらも仕事を続けました。
しかしそのことが萩原氏を名優にしていきました。

 萩原氏は語ります。

  「大きなプレッシャーは、うまく跳ねのければとてつもない力になる。
普段以上の達成感も得られる。
 それで僕は、プレッシャーを与えてくれる監督や演出家が好きなのだ。
 ただでさえプレッシャーの多い職業なのに、僕の場合

『もっと、もっと』と自分からさらなるプレッシャーを求めているところがある。
 あとから考えれば、演技への僕の取り組み方の中に、う

つ病を発症しやすい要因が隠されていたわけだ。
 だから今はこう思っている。
『うつ病は真摯に仕事をした証。僕にとって、役者の勲章だ!』」
(p171~172)

 役者にとって、不安・うつは名演技への力になっているわけです。
引用文献:萩原流行・まゆ美著『W うつ』(廣済堂出版:2009年7月)


ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.59 2010 WINTER

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