慰安婦問題について、いろんな報道: 【歴史事件簿】マレー沖海戦(上) 英「プリンス・オブ・ウェールズ」が出撃 迎え撃つ日本軍は偵察誤認の“失態”

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2015年5月15日金曜日

【歴史事件簿】マレー沖海戦(上) 英「プリンス・オブ・ウェールズ」が出撃 迎え撃つ日本軍は偵察誤認の“失態”

           シンガポールに到着したプリンス・オブ・ウェールズ

産経WEST2015.5.15 15:00更新 関西歴史事件簿
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マレー沖海戦(上)
英「プリンス・オブ・ウェールズ」が出撃迎え撃つ日本軍は偵察誤認の“失態”
真珠湾のアメリカ艦隊攻撃直前の昭和16年12月8日未明(日本時間)、
イギリスの一大拠点・マレー半島に上陸を開始した日本軍を撃滅するため
イギ リスは新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を中心とした東洋艦隊を出撃させる。


日本側も空と海から英艦隊の行方を追った。だが、なかなか見つからず
イ ライラ状態が続く中、9日午後、サイゴン沖で哨戒中の伊65潜水艦
ついに巨大な戦艦の姿を発見。
直ちに発信された「敵戦艦見ユ」の電文は周辺の基地と艦船を駆け巡った。

新鋭艦派遣
 当時、日本軍が中国のほかラオスやカンボジア、ベトナムなどからなる
仏印への進出が目覚ましい中、アメリカ、イギリス、オランダが
対抗策として実施した経済封鎖の影響で、
戦争継続に支障をきたす可能性が出てきた。
 そんなとき日本軍が目をつけたのが、石油や天然ゴムなどの資源を
豊富に抱えるオランダ領東インド(現在のインドネシア)で、
そこを確保するには前に立ちはだかるシンガポール、
マレー半島のイギリス軍を打ち破らなければならなかった。
 一方、日米交渉がなかなかまとまらないことを重く見たイギリスは
日本との戦いを想定し、シンガポールに大型戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と
巡洋戦艦「レパルス」を基幹とする東洋艦隊の派遣を決定する。
 プリンス・オブ・ウェールズは当時、世界最強といわれた
キング・ジョージ5世級の2番艦として、この年の3月に完成したばかりの新鋭艦で、
基準排水量が約36700トン。
主砲の口径は35・6センチと日本の巡洋戦艦並みに抑えられていたが、
破壊力は一段勝るうえ、日本の戦艦以上に強力な防御力と高いスピードを備えており、
不沈艦と呼ぶにふさわしい威容を誇っていた。
 一方、レパルスは完成から25年を経た旧式艦ながら改装工事により、
定評のあった攻撃力に加えて防御力も増強されていた。
 おそらく日本軍が開戦と同時に南方の資源地帯を攻めてくるだろうとみたイギリスは
10月、この2隻の戦艦と空母、駆逐艦からなる艦隊を編成。
 スコットランドのスカパ・フローを10月23日に出港した
プリンス・オブ・ウェールズが南アフリカのケープタウンを経由し、
レパルスとともにシンガポールに着いたのが、
日本政府が開戦を決定した日の12月2日だった。

新鋭艦出撃
 12月6日正午ごろ、マレー半島沖を哨戒中のオーストラリア軍の爆撃機が
航行中の戦艦を含む日本の輸送船団を発見する。
山下奉文中将の第25軍など3万5千の兵を乗せた大輸送船団だった。
 そのときアメリカ軍との打ち合わせのためマニラにいた
東洋艦隊司令長官、トーマス・フィリップス大将は知らせを受けて
すぐにシンガポールに戻る。
 しかし、その時点では船団がタイへ向かうのか、マレーに向かうのか不明だったため、
イギリス側は静観することにしたが、このあと天候が悪化したために見失ってしまう。
 日本軍が上陸を開始したのも、ちょうどそのころだった。
真珠湾攻撃直前の8日午前1時半、3隻の輸送船に乗船した
佗美浩(たくみひろし)少将率いる第18師団5千300人が
2メートル以上もある波高の中、コタバルに強行上陸。
待ち受けるイギリス・インド連合軍6千人との交戦が始まったのだ。
 そして東洋艦隊のフィリップ大将はこれを受け、
8日午後8時25分、2隻の戦艦と4隻の駆逐艦を率いて
シンガポール・セレター軍港から出撃する。
 このとき本来は艦隊にいるべきの空母「インドミタブル」が
事故のために参加することができず、
また周辺の空軍の撤退などもあり護衛機のない出港となった。
 この半年前、こちらもドイツでは不沈艦といわれた「ビスマルク」が
護衛機のない中でイギリス空母の艦載機から受けた魚雷攻撃のため
操舵装置を損傷し、これがもとで沈没したことはフィリップス大将も承知していたはず。
 ところが、当時のイギリス軍の中には
日本軍の航空機の性能を過小評価する風潮があったらしく、
「日本機の攻撃を受けても大丈夫」とした、わりと楽観的な見方が
支配していたことは否めなかった。

交錯する情報
 東洋艦隊は出撃後、半島に沿って北上するはずだったが、
日本軍が東洋艦隊の予想進路に施設した機雷がモノをいい、
東へ迂回(うかい)しながら戦場に向かわなければならなかった。
 ところが日本側も東洋艦隊の情報については8日は何もなく、
9日の昼ごろシンガポール上空を飛んだサイゴンからの偵察機から、
「湾内に戦艦2、巡洋艦2、駆逐艦4アリ」との報告を受けている。
このため、輸送船団の護衛にあたっていた2隻の戦艦は
「任務終了」とばかりに、燃料補給のためカムラン湾に引き返そうとしていた。
 そんな矢先、偵察機の報告から約2時間たった午後3時過ぎ、
マレー半島カモー岬沖で哨戒中の伊65潜水艦から「敵戦艦見ユ」の報告が。
 先ほどとは正反対の報告に慌てた日本の艦隊は偵察機を出し、
サイゴンの海軍第22航空戦隊からも偵察機を出すとともに、
先ほどの偵察機がシンガポールで写した写真を再調査したところ
誤認していたことが判明する。
 そこで輸送船の護衛にあたっていた艦船は東洋艦隊に夜戦を仕掛けるため、
会戦予定の海域に向かわせたほか、第22航空戦隊は爆弾を装着した攻撃機を
3次にわたり発進させる。
 日本艦隊の援護のため敵艦隊にダメージを与えるのが目的だったのだが、
激しいスコールによる視界不良のため、すぐに全機を引き揚げさせている。
 敵か味方かも識別できないほどだったらしく、
小沢治三郎中将の乗る艦を攻撃機は敵艦と誤認し、
投下した吊光弾(ちょうこうだん)を見た小沢中将が「味方なり」と
慌てて電文を送信したエピソードも残されている。(園田和洋)
    
 当時の国策映画 マレー沖海戦を紹介した映画といえば、
開戦1周年記念として昭和17年12月に東宝が公開した
ハワイ・マレー沖開戦」が最も有名だ。
主人公の少年が兄として慕う海軍兵学校生に憧れて予科練を志願。
のちに攻撃機の搭乗員として真珠湾攻撃に向かう。
 一方、兄と慕っていた海軍兵学校生は将校として陸上攻撃機に搭乗して
マレー沖海戦に参加する。
 潜水艦の知らせで基地を出撃するもなかなか見つかず、
イライラが募る中でようやくイギリス艦隊を発見して…。
 この映画も円谷英二の際立った特撮とともに、
マレー沖海戦で使われたものと同じ96式陸上攻撃機が登場し、
攻撃シーンを盛り上げている。

2015年4月17日金曜日
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