慰安婦問題について、いろんな報道: 安倍晋三首相がキューバ訪問 北朝鮮問題で協力要請。安倍首相 日本の首相として初のキューバ訪問へNYを出発。オバマ大統領、来月下旬 キューバ訪問か 米メディア報道。キューバが愛した…日本人園芸家、竹内憲治。「花と革命」キューバに生きた日本人の手記。「我々は話が長い」と冗談も=カストロ兄弟、意気軒高-キューバ。キューバ訪問の岸田外相、カストロ兄弟と相次ぎ会談 異例の厚遇

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2016年9月23日金曜日

安倍晋三首相がキューバ訪問 北朝鮮問題で協力要請。安倍首相 日本の首相として初のキューバ訪問へNYを出発。オバマ大統領、来月下旬 キューバ訪問か 米メディア報道。キューバが愛した…日本人園芸家、竹内憲治。「花と革命」キューバに生きた日本人の手記。「我々は話が長い」と冗談も=カストロ兄弟、意気軒高-キューバ。キューバ訪問の岸田外相、カストロ兄弟と相次ぎ会談 異例の厚遇

キューバのラウル・カストロ国家評議会議長(右端)と会談する
安倍首相(左から3人目)22日、キューバ・ハバナ=共同
キューバの首都ハバナで行われた署名式で
握手を交わす安倍首相(AP)
安倍首相、日本の首相として初のキューバ訪問、カストロ議長と会談
Japanese PM in Cuba to 'open new page' in ties AFPBB News
キューバ訪問の安倍首相、「開かれた対話」を呼び掛け
Japanese PM in Cuba to 'open new page' in ties AFPBB News
【ハバナ=酒井恒平】安倍晋三首相は
22日午後(日本時間23日午前)、
日本の首相として初めてキューバを訪問し、
首都ハバナでラウル・カストロ国家評議会議長と会談した。
経済協力を強め、日本からの投資を拡大する方針で一致。
会談後、両政府は日本が12億7300万円の無償資金協力で
医療機材を供与する書簡を交わした。

会談は夕食会を含め3時間30分に及んだ。

首相は「キューバは魅力的な投資先として可能性を持つ。
官民を挙げて発展を支援したい」と表明。
「日本企業は信頼できるパートナーだ」と伝えた。
議長は「日本の高い技術力を評価する」と応じ、
キューバのビジネス環境整備に向け努力する方針で一致した。
 日本は1970年代、キューバにとって西側最大の貿易国だった。
その後両国関係は希薄になったが、昨年の米国と
キューバとの国交回復を受け、
各国が経済関係の強化を急いでいる。
首相は会談で包括的な経済支援を約束し、
日本企業の進出を加速させたい考えだ。

首相は日本への返済が約30年間滞っている

債務約1800億円のうち、
1200億円の返済を免除する方針を伝えた。
独立行政法人の日本貿易保険(NEXI)は停止していた
キューバ向け投資保険の新規引き受けを再開し、
日本企業の進出を後押しする。

 具体的な投資案件を早期に実現するため、
政府や企業関係者が参加する
官民合同会議を事務レベルから副大臣級に格上げし、
11月に日本で開く。2017年2月にはテーマを
キューバのインフラ整備に限定した官民インフラ会議も開く。
国際協力機構(JICA)は現地に事務所を開設する。

 書簡を交わした医療機器の無償供与は、
キューバの死因トップであるがん対策向けの機材などが対象。
日本による本格支援の第1弾とする。
 日本の医療技術や機器の使い方を習ってもらう
医師育成拠点「キューバ・日本医療センター」設立に向け
両国が調査を始める。
農業機材の供与に向けた調査も加速する。
 キューバは経済成長のため外資誘致を進め、
開発需要が見込まれる有望な市場だ。
鉱物や観光資源が豊富なのも魅力だ。

 キューバは同じ社会主義国の北朝鮮と友好関係にある。
首相は「弾道ミサイル発射などを強行している。
東アジアの平和と安定は大事だ」と
核・ミサイル開発問題で協力を求めた。
中国による南シナ海進出問題に懸念も示した。
議長はいかなる紛争も平和的解決が重要との認識を示した。

 首相はキューバの日系人とも懇談し
「両国友好の懸け橋として尽力された」とたたえた。
ハバナ中心部の革命広場も訪れ、
キューバ独立の英雄、ホセ・マルティの記念碑に献花した。

日キューバ首脳会談
安倍晋三首相は22日午後(日本時間23日午前)、
政府専用機で米ニューヨークからキューバの首都ハバナに到着した。
首相はキューバ革命のカリスマ的指導者、
フィデル・カストロ前国家評議会議長、フィデル氏の弟で
国家元首のラウル・カストロ議長と相次いで会談し、
キューバが北朝鮮と友好関係にあることを踏まえ、
北朝鮮の核・ミサイル問題での協力を要請した。
日本人拉致問題の解決についても理解を求めた。
日本の首相がキューバを訪問したのは初めて。

首相はフィデル氏と同氏の自宅で約70分間会談し、
北朝鮮の核・ミサイルについて
「国際社会の平和と安定に対する従来と異なる脅威にある。
厳しく対応する必要がある」と指摘した。
フィデル氏は核兵器の脅威に言及した上で
「キューバでも(原爆が投下された)
広島と長崎の悲劇が長く語られている。
両国は核のない世界を作ることで一致している」と同意した。
また首相は先月90歳の誕生日を迎えたフィデル氏に祝意を伝達。
「過去2回のフィデル氏の訪日により二国間関係は大きく進展した。
平成15年の訪日でフィデル氏が広島を訪問して被爆の実相に触れ、
『人類はこのような経験を二度と繰り返してはいけない』と
記帳したことは日本国民に深い感銘を与え、
国際社会への強いメッセージとなった」と述べた。
これに対しフィデル氏は日本の首相のキューバ初訪問を歓迎し、
「日本がさまざまな分野で努力を重ね、
世界に貢献していることに感銘を受けている」と称賛した。
首相とフィデル氏は農業や教育分野でも意見交換した。

安倍首相はこの後、国家評議会で約45分間、
ラウル氏と会談し、両国の経済連携の強化で合意。
首相はがん診療などに必要な医療機材を供与するため、
12億7300万円の無償資金協力を実施する方針を伝えた。
キューバは鉱物や観光資源などが豊富な一方、
社会資本は著しく不足し、将来的な開発需要は大きい。
首相は経済支援などを通じて
キューバとの結びつきを強化したい考えだ。
 首相はこのほか、在キューバの日系人とも懇談した。 
【ハバナ=石鍋圭】

9月22日 23時58分 NHKニュースウェブ
アメリカを訪れていた安倍総理大臣は、
国連総会での一般討論演説などの日程を終え、
日本の総理大臣として初めてキューバを訪問するため、
日本時間の22日夜遅く、政府専用機でニューヨークを出発しました。

アメリカのニューヨークを訪れていた安倍総理大臣は、
国連総会での一般討論演説で、核実験や
弾道ミサイルの発射を繰り返す北朝鮮に対し、
さらなる制裁を含む新たな国連安全保障理事会の
決議を採択する必要があるという考えを強調し、
各国に理解を求めました。
また、アメリカのオバマ大統領、中国の李克強首相とも短時間、
言葉を交わし、北朝鮮に対する
圧力の強化に向けて協力を要請しました。
ニューヨークでの日程を終えた安倍総理大臣は、
日本時間の22日夜遅く、政府専用機で次の訪問国
キューバに向けて出発しました。
日本の総理大臣がキューバを訪れるのは初めてで、
安倍総理大臣は、到着後、首都ハバナで、
国家元首にあたるラウル・カストロ国家評議会議長との
首脳会談に臨むことにしています。

2016.2.18 12:46 産経ニュース
オバマ大統領、来月下旬
キューバ訪問か 米メディア報道
米主要メディアは17日、オバマ米大統領が
3月にもキューバを訪問する方向で準備に入ったと報じた。
このうちABCテレビ電子版は関係筋の話として、
訪問は3月21、22両日になる見通しだと報じた。
ABCによると、
国家安全保障会議(NSC)当局者が18日に発表する。
 米、キューバ両国は昨年7月、54年ぶりに国交を回復した。
オバマ氏は昨年12月、米ヤフーニュースに対し、
キューバの人権状況の改善を前提に
2017年1月までの
任期中にキューバを訪問することに意欲を示していた。
 今月16日には定期航空便開設に関する覚書に署名するなど
視聴室 キューバが愛した…日本人
毎日新聞 2016年2月7日 東京朝刊
 キューバが愛した…日本人 日テレ=後3・0
園芸で国を変えた男
 キューバの歴史に多大な影響を与えた日本人園芸家、
竹内憲治の足跡を向井理がたどる。

 1931年、竹内は事実上、米国の保護国だったキューバに渡り、
大富豪デュポンの別荘の庭師を務めた。
だが太平洋戦争が始まると敵性外国人として収監、財産も奪われる。
キューバ革命後は工業化を推進したチェ・ゲバラと対立しても、
国力の未熟な国がまずやるべきは農業と進言。
後に指導者のフィデル・カストロから賛辞を贈られる。
息子にケンジと名付けた現地の人を紹介。
そこに全てが集約されている。(彦)

2016年02月07日(日) 2 3 井上久男 現代ビジネス
「キューバが愛した日本人」
カストロに友と呼ばれた竹内憲治の生涯
向井理の現地ルポで、本日ドキュメンタリー放送

日本人には馴染みがない「キューバの偉人」
「素朴さ、根性、繊細な感情、勤勉といった
祖国日本の最も優れた美徳を兼ね備えていたが、
爾来それらのすべてを帰化した我が国への奉仕として捧げた」

キューバ革命を指導し、長年、国家元首を務めた
フィデル・カストロにこう言わしめた
日本人がいたことはあまり知られていない。
園芸家、竹内憲治。冒頭の言葉は、
カストロの竹内への追悼文の一部である。
カストロは竹内のことを「亡き友」と呼んだ。

竹内は1931(昭和6)年、29歳の時にキューバに渡航以来、
1977(昭和52)年に現地で76歳の人生を閉じるまで、
キューバの園芸、農業の発展に尽力してきた。
キューバの冠婚葬祭で用いられる真っ白なユリ「ホセ・マルティ」。
建国の父と呼ばれる独立革命家の名前が付いた花は、
竹内が日本のユリをキューバに根付かせようと
品種改良しながら丹精込めて開発したものだ。
この竹内のキューバに於ける人生の軌跡を、
俳優・向井理が現地ルポで紹介するドキュメンタリー番組
キューバが愛した日本人」(読売テレビ制作)が
2月7日午後3時から、日本テレビ系列で全国放映される。
米国とキューバは2015年7月、54年ぶりに国交を回復させた。
両国の関係良化は今後、
投資や観光客の増加などの面を含めて
少なからず日本とキューバの関係にも影響が出るだろう。
音楽、葉巻、ラム酒、野球といった
キューバ文化・風土への憧れから、
元々日本にはキューバファンは多い。
番組では、向井が
キューバの歴史や文化・風土に触れながら竹内の人生を追う。

企画は、元朝日放送プロデューサーで
「サンデープロジェクト」などの番組を手掛けてきた
現在はフリーの小関道幸。
小関と親交がある筆者は、
取材の一部過程を同行させてもらい、竹内のことを取材した。
竹内の人生を追って、筆者が最も感じたことは、
「運命を受け入れ、
いかにそれを自助努力で乗り越えていくことの大切さ」であった。
竹内の人生を以下に紹介して行きたい。

苦難の人生
竹内は広島・瀬戸田町(現尾道市)に生まれた。
実家は神社の宮司を務め、果樹園も経営しており、
旧制中学卒業後は実家の果樹園で働いていたという。
広島護国神社宮司、藤本武則は竹内が大叔父に当たる。
藤本の祖母チヨの弟が竹内である。
藤本は父・武彦から聞いた話としてこう振り返る。
「大きなダリアを咲かせ、
交配させて新しい花を作ろうとしていたそうです。
仕事を通じて知識を習得するタイプの人だったのでしょう。
当時は珍しかったラジオを買ってきて村人に聞かせ、
父は大叔父から自転車を買ってもらったそうです。
園芸雑誌を自ら編集して作り、
村の青年に配っていたとも聞きます」。
竹内は進取の気性に富んでいたことがうかがわれる。
支援者を得て竹内は1931年、園芸を学ぶために
米国留学に向かう。
それが彼の運命を一変させることになる。
途中で立ち寄ったキューバで重症の食中毒に罹り、
1カ月近く入院する。
ここで、持っていたお金を使い果たしてしまった。
竹内は自叙伝の中でこう記している。
「私は日本に送金を依頼した。
出発前の共同経営者との契約を信じていたからである。
しかし、頼みの金は私が退院しても届かず、
何の音沙汰もなかった。
(途中略)私はとにかく
自分で働いて生きなければならない」。
送金が途絶え米国渡航もままならない竹内は、
キューバで知り合いとなった農事試験場の学者を頼り、
そこに住み込んで働くようになった。
その後、住み込みの仕事を転々としながらも、
花の研究は怠らなかった。
そうした時に、幸運にも竹内は米国デュポン財閥の
広大な別荘の庭園管理の仕事を手に入れた。
破格の待遇で月給は300ドル
(当時の日本の労働者の平均的な月収の約100倍)だった。
別荘は、今でもキューバ最大のリゾート地として知られる
バラデロビーチ」にあり、庭園というよりも、
広大な自然公園を管理するイメージの仕事だったそうだ。
その仕事で竹内は5000ドルの財産を蓄えた。
しかし、幸運は長く続かなかった。
太平洋戦争勃発と同時に、敵国人として
竹内は収容所に収監された。
戦後のどさくさに紛れて、財産も奪われて
再び無一文になった。
その後は農場で働き、地道にキクユリの研究を重ねた。
そして、キューバに来て19年後の1950年、
竹内は台湾原産の高砂ユリを改良して
キューバで咲かせることに成功したのだ。
しかし、直後に竹内は吐血し、7カ月の入院を余儀なくされた。
健康を回復して再び花作りを始めた。
その頃、キューバという国自体に大きな転機が訪れる。
1957(昭和32)年、カストロやチェ・ゲバラが主導した
革命によって新政権が樹立。
竹内は革命政府から国立公園づくりを依頼されたが、断った。
その時、「日本には花より団子という言葉がある。
新政府が今やるべきことは、食糧を増産して
国民の空腹を満たすこと」と竹内は言ったそうだ。
竹内の硬骨漢ぶりがうかがえる。

異国の発展のために尽くした
その後、竹内は1964(昭和39)年、
60歳の時に新たな土地を開墾して、
新しい農村づくりに挑む。
花の育成技術を活用して、玉ねぎやトマトなどの栽培を始めた。
開墾地にカストロ自らが訪れ、竹内にねぎらいの言葉をかけた。
晩年には食糧供給を増やそうと、
米作りにも挑戦するが、これは失敗した。
竹内が死去する3年前の1974(昭和49)年、
俳優の中村敦夫がテレビのロケでキューバを訪れ、
竹内をインタビューして月刊『文藝春秋』でまとめている。
記事のタイトルは「キューバの花咲爺さん」。
竹内のことを中村は
「白髪、伸びた白ひげ、眼鏡の奥の厳しいが
優しい目、角張ったあご、日焼けした健康そうな顔は、
鎌倉時代の古武士の風格である」と表現している。

「キューバが愛した日本人」でも、
向井理は竹内を知る人を訪ね歩いている。
「働くことだけが人生」「規律正しい人」。
キューバ人たちは
異国の発展に尽くした日本人の思い出をこう語っていた。
竹内の志は米国で本格的な園芸を学ぶことにあった。
不運からその道が断たれても、心の炎を消さずに初志貫徹、
キューバで園芸の道を愚直に誠実に勤勉に貫いた。
何度も襲ってきた苦難を自助努力で乗り切った。
キューバに咲く花の6割は竹内が育んだものだという。
こうした姿勢が、
風土・文化や価値観が違ってもキューバ人たちの心を打った。
最近、日本では「自己実現」を追求する人が多い。
功成り名を遂げたサッカーの有名選手でも、
現役から退くと自分探しの旅に出ていた。
しかし、筆者は常々思う。
「自己実現は簡単には追求できない。
それは、どんな苦難や挫折があっても、
自分の志を萎ませずに、自助努力で
誠実、勤勉、愚直に励んだものしか得られない
『心の報酬』なのだから。
経済的な成否は関係ない。
そして、こうした人材をどれだけ抱えているかが、
その国のブランドになる」
これは、竹内の人生からも強く感じたことでもある。
(敬称略)

日本人・竹内憲治のつくった蘭園
旅倶楽部「こま通信」日記 2015-12-13 10:58:07 | キューバ
ハバナから西へ七十キロほど走ったソロアの街に、
日本人がつくった蘭園がいまも大切に受け継がれている。

 - – 古書, 1977/12 竹内 憲治 (著)

ニューヨークへ行く途中立ち寄っただけのキューバで大病にかかり、
無一文になり、結局そのままキューバに骨を埋める事になった
竹内憲治という日本人。
日本から中南米に移住する人がたくさんいた時代だから、
彼のようなドラマチックな人生はたくさんあったのだろう。
しかし、それをきちんと整理して・文字にして、
「花と革命」という本にして残したことで、
今回、小松はキューバという国を見る、
もう一つの目を持つことができた。

ハバナから西へ70キロほどいったところにある蘭園は、
一年中花が咲き続けている。
当時の富豪が娘の死を悼んで、娘が好きだった蘭が
「一年中咲き続ける庭」をつくることを依頼した場所である。
**
今日、我々を案内してくれた初老のキューバ人男性
は「ケンジ・タケウチがこの庭をつくった」と、
そんな事はかけらも興味を持っていないだろう
ドイツ人にも説明してくれていた。
もう、この本は絶版である。
小松が手に入れた初版の後に再版されてなどいないだろう。
物書きではなかった彼にとって、いわば生涯で一冊だけの本。
出版を依頼された竹内氏の甥にあたるひとは、
「あとがき」で、本が出版される直前
1976年の竹内氏の訃報に触れていた。
つまり、書いた本人が、出版された本を手に取ることは、なかったのだ。
それでも、彼が書き残したことは、
私たちが今日、蘭園をおとずれるきっかけになってくれた。
それだけで、じゅうぶんに意味があったのだと、言えないだろうか。
**
第三者が読んでもおもしろいとおもえる、
独りよがりでない記録である。
いつかまた陽が当たる時がやってくるだろうか。

キューバ共和国
岸田外務大臣のキューバ訪問(概要と評価)

平成27年5月3日 外務省

(2015/05/03-14:26)
 【ハバナ時事】「われわれはよく話をするから疲れるだろう」。
キューバのラウル・カストロ国家評議会議長は2日、
こう冗談を飛ばし、日本の外相として
初めてキューバを訪問した岸田文雄氏をねぎらった。

 ラウル議長は約50分にわたる会談の中で、岸田氏に対し
「5時間に及ぶ国連での最長演説記録がある」
とのフィデル前議長のエピソードを紹介。
あまりの話の長さに「国連では(持ち時間終了を知らせる)
ランプが導入されたほどだ」と笑わせた。
 一方、フィデル前議長も「日本人は勤勉で、非常に優秀だ。

敬意を抱いている」と持ち上げ、岸田氏を歓待した。
88歳と高齢にもかかわらず「最近は忙しくて本を書く時間もない」
「植物性タンパク質の研究をしている」とも語り、
意気軒高ぶりもアピールした。 

キューバ訪問の岸田外相、
カストロ兄弟と相次ぎ会談 異例の厚遇
05/03 12:12 FNNnewsCH
キューバを訪問している岸田外相は2日、
キューバのトップ、ラウル・カストロ国家評議会議長と、
兄で前の議長のフィデル氏と相次いで会談した。
両氏との会談は、極めて珍しく、
キューバ側による異例の厚遇となっている。
歴史的なアメリカとキューバの雪解けが、
経済的な結びつきを強めたい、
日本とキューバの関係にも熱を与えている。
岸田外相は、日本の外相として初めて、ラウル議長と会談した。
さらに、キューバ革命の指導者で、

健康悪化説があるフィデル・カストロ前議長とも、
自宅で会談しました。
フィデル氏は、「日本人は勤勉だ。

日本とは常に友好を築いてきた」と述べたという。
岸田外相は、「日本のキューバに対する期待も高いと同時に、

キューバ側の日本に対する期待も高いのではないか」と述べた。
社会主義国のキューバは、経済的に困窮していて、

アメリカとの国交正常化をにらみ、経済進出したい日本から、
経済面での協力を引き出したい考えがあるものとみられる。 

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2016年2月13日土曜日
ロシア正教会総主教、東方教会の“盟主”を誇示、プーチン大統領も後押し。

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