慰安婦問題について、いろんな報道: 左翼も慰安婦問題の解決は無理だという認識が広がっていた。松竹伸幸『慰安婦問題をこれで終わらせる。』という本があるのを知ったので・・

Translate

2015年5月5日火曜日

左翼も慰安婦問題の解決は無理だという認識が広がっていた。松竹伸幸『慰安婦問題をこれで終わらせる。』という本があるのを知ったので・・


http://www.kamogawa.co.jp/~hensyutyo_boukenhttp://www.kamogawa.co.jp/
(株)かもがわ出版 編集長 松竹伸幸
松竹 伸幸(まつたけ のぶゆき、1955年 - )は、
ジャーナリスト[1]編集者。 長崎県生まれ、父親は炭鉱労働者。
閉山のため東京、神戸に移住[2]一橋大学卒業。
全日本学生自治会総連合(全学連)委員長を務め、
学費値上げ反対闘争を率いた[2]
日本共産党国会議員秘書、政治・外交委員会副責任者、安保外交部長を歴任。
2001年7月の第19回参議院議員通常選挙に比例区から立候補[3]、落選。
2006年、日本共産党中央委員会勤務員を退職、かもがわ出版に入社した[2]
現在、かもがわ出版編集長[4]
日本平和学会会員、日本ジャーナリスト会議出版部会世話人[5]
専門は外交・安全保障[1]


挺対協を暖かく見守りたい
2015年5月2日前回の記事で、北海道新聞の報道を根拠にして、
慰安婦問題での挺対協の方針転換について書いた。
そして、それを歓迎しつつ、
「もしかしたら、この転 換を批判する声も出てくる可能性もある。
というか、実際に出ている。
その声が強くなって、挺対協の方針転換が押し戻される可能性だって、
まったくないとは 言えない」との懸念も表明していた。
 残念なことだけど、その懸念が当たっていたのかな。
北海道新聞によると、「日本政府に法的責任を求めない」と
表明したはずの挺対協代表らが、北海道新聞に抗議と訂正要求をしたそうだ。
それを受けて、当該記事はこのように訂正されたという。

 見出し:「慰安婦問題 『法的責任』は求めず 韓国・挺対協 
従来方針を転換」→「慰安婦問題 
『法的責任』内容を説明 韓国・挺対協 解決の方向性を提示」
 本文1:「挺対協が、日本政府に対して立法措置による賠償など
『法的責任』に基づいた対応を求めてきた従来方針を転換したことが分かった。
代わりに『政府と軍の関与の認定』や『政府による賠償』などを盛り込み、
要求を緩めた」→
「挺対協が、日本政府に対し慰安婦問題の解決に関しとるべき方向を提示 した」

 本文2:「挺対協はこれまで、日本政府の『法的責任』を追及し、
《1》慰安婦制度を犯罪事実として認定
《2》国会決議による謝罪
《3》法的賠償
 《4》責任者の処罰―などの対応を求めてきたが、犯罪としての扱いは求めず、
立法措置も除外した」→「犯罪としての扱いは求めず」の部分は削除。

 本文3:「尹代表は『(法的責任を直接追及しなくても)提案内容で、
実質的に日本の法的責任を明確にできる』とした」→
「尹代表は『法的責任の内容というものは提言の中に込められている』とした」

 要するに、挺対協の方針が「法的責任を追及しない」と変わったという部分は、
すべて削除されたということだ。
私の懸念が当たったということなので、「すごい洞察力でしょ」と誇りたいところだが、
悲しいよね。
これで、慰安婦問題の解決は、さらに遠のくことになる
 ただ、これも前回の記事で書いたことだけど、こうなるには理由があった。
「法的責任を追及しない」と言いつつ、
そういう言葉は要求書のなかに入れていないけれど、
実際にはそれと矛盾する内容が入ったりしていて、いわゆる玉虫色だったわけだ。
 率直にいって、この20数年にわたってつづいた対立を、
あいまいにして解決しようとするのは無理である。
そんなことをすれば、20数年間の方針を 正しいと信じ込んできた
多くの人々が反乱を起こし、収拾がつかなくなるのだ。
今回の北海道新聞をめぐる顛末も、その結果だろう。

 だから、何よりも大事なのは、なあなあで収拾しようとするのではなく、
堂々と議論することだ。
法的責任なんか、慰安婦の方々の尊厳を回復する上では、
無視していいほどの小さい問題だということを、徹底して議論することなのだ。
挺対協がそういうことができるよう、暖かく見守っていきたい。
 私の『慰安婦問題をこれで終わらせる。』は、そのために書いたようなものである。
慰安婦の方々に読んでもらうため、誰かハングルに訳してくれないかなあ。

※この方の著書は読んでないですが
朴 裕河パク ユハ、1957年 - )氏が韓国でどう扱われているかと
思えば、あちらで、受け入れられるはずがないですね。

2015-05-05 左翼による韓国批判 
『慰安婦問題をこれで終わらせる。』
国家主導の強制連行があったとは言えない
 この本の特徴は、もう1つの面、クロウト向けの提言がある。
これが冒頭にのべたような「左翼による韓国批判」ともいうべき部分だ。

 なんで「クロウト」向けかというと、多くの日本国民にとっては、
たとえば冒頭にぼくが書いたような「朝鮮半島は別だが、 
アジア全域を対象にしたら話がちがう」とか
「国家の指示による強制連行があったかどうか」
というような話題はなかなか馴染みにくいからだ。

 「日本の戦争犯罪なのになんだ『馴染みにくい』とは!」
と言いだすむきもあろうが、善し悪しは別にして
「うーん……まあいいや」っていかにもなりそうな部分だということだ。
 別の言い方をすれば、この部分の議論に立ち入らなくても、
仮に前半の「シロウト」向け部分だけでも本書の意味はありますよ、ってこと。
 まず、朝鮮半島におけるこの問題での事実認識。
先ほど「シロウト向け部分」と言った右派の主張と
左派の主張の共通項の探求の部分である。

 松竹はもっとはっきり書くべきだと思うが、
要は“朝鮮半島については国家が主導して
慰安婦を強制連行したとはいえない”ということだ。
文書が見つからないというだけにとどまらず、植民地であった 
朝鮮半島はそのような指示をだす必然性がない、
という趣旨のことまで言っている。

 朝日新聞は、吉田証言を撤回した検証記事を載せたとき
慰安婦の問題は強制性に本質があるんだからそこは変ってない。
問題ない”という論説を載せた。
リアルタイムでぼくも読んで、
「ふんふん、そうだよなあ」とつりこまれて流されてしまった。

 しかし、松竹はこの論説の「本質はかわっていない」論を問題にする。
 なぜか。
 この「強制性」と「強制連行」は用語のあいまいさがある、というのだ。
実は左翼であるぼくも長いこと
なにかあいまいにされてきたことの一つはコレだった。

 この点について松竹は詳しく書いている。

 「強制(的に連れ去る)」は
本人の意思に反しているかどうが焦点になっている用語であるが、
その強制を誰がしてるかについてはあまり意識がむけられない用語である。
他方で「強制連行」は長年国家やそれに準ずるものが
組織的・制度的に連れ去ってきたニュアンスがある。
しかし、言葉の本来の意味、もとの意味では
それほど差があるわけではない。

 このようにして、ニュアンスの差を利用して、
問題の焦点をずらしてしまうことができるのだ。

 また、松竹は民間業者がだました以外に
個々の「官憲」が本人の意思に反して連れ去っていったことと、
制度として国家が連れ去りをしていた(もしくは容認していた)ということの
区別も論じている。
ぼくもこの点は同じだと思っていたので、この区別は確かに重要であった。

 「強制連行」の否定は、国家主導の強制連行
松竹の言葉では「国家命令型制度」)の否定でなければならない。
朝鮮半島では(新たな証拠がでてくれば話は別だが)
国家主導の強制連行は主張できない、というわけだ。*1

 ゆえに、韓国側が
「国家主導の強制連行があった」と主張することには道理がない
また、日本の左翼朝日新聞が「国家による強制連行」という主張を
「強制性」があったという問題に「すり替えてしまう」
……というのは言いすぎかもしれないが、何も言わずに
そこに移行していしまうのはダメじゃねーの、
ハッキリと「朝鮮半島については国家主導の強制連行はなかった
(現時点では認められない)」とすべきではないのか
――松竹はここまではっきり書いてないが、
こう言っているものだとぼくは解釈した。
 最近の朝日バッシングに対するカウンター言論の中で
右派慰安婦問題を狭い『国家主導による強制連行があったかどうか』
だけの論点に矮小化している」という批判がある。
だから、松竹がここで国家主導の強制連行にのみ問題をフォーカスしているのは、
この右派のキャンペーンに乗っかっている、もしくは右派
論点矮小化に乗せられているのではないか、
という疑念をもつ人もいるかもしれない。
 この懸念を持つ人は、「慰安婦問題は、国家主導による強制連行が
あったかどうかだけが問題の焦点ではなく、広い意味での強制性が問題なのだ」
「多面的な点で女性への人権侵害があったかどうかが問題なのだ」
と主張しているので、朝日の論説の言い分は(ぼくのように)スルリと入ってしまう。
そして、松竹の問題整理に同意しないかもしれない。

 しかし、そうではないのだ。

 他の論点を認めるためにも、まず朝鮮半島においては、
現時点では国家主導の強制連行を示す文書的根拠がない、
すなわち国家主導の強制連行は(現時点の研究では)なかった、
という点をはっきり認めた方がよいのである。

 ここまで書いておくと、
「いや研究者は早い段階からその説をとっていないかったよ」
的な反論があるかもしれないが、マスコミ・政治レベル(世論レベル)でも
そこの明確な否定が必要だったんじゃないかということだ。  
この水準は河野談話と一致し、河野談話以外に日韓の合意点はない
そして、河野談話もこの国家の主導の強制連行を決して認めておらず、
その点以外の多くの問題(国家の関与、人権の侵害、強制性)を認め、 
政府によるお詫び=謝罪をおこなっていると松竹は見る*2

 松竹は、河野談話についての過去の評価を調べて、
左派と右派は本来このポイントで合意できるはずであり、 
日韓両政府ももともとここで手打ちしようとしていたわけだから
合意できずはずだと考える。
 まさに、「これで終わらせる」ことができる基準が河野談話 
(+アジア女性基金)なのである。 
松竹の本書のタイトルの「これで終わらせる」の「これ」はちょっとわかりにくいが、
要は河野談話・女性基金
(+歴史的責任という表現の採用と新モニュメント)ということなのである。

 終わらせられないのは、韓国政府が韓国のNGO「挺対協」
(韓国挺身隊問題対策協議会)、およびその水準の韓国国民の世論に
引きずられているからだ、と松竹は見る。
 挺対協の主張をそのまま日韓合意ラインにもっていこうとすれば
河野談話の否定にまで行き着く……と松竹は危惧しているように見える。
左からの河野談話否定である。それでいいのだろうか、と。

 松竹の本書は、全体がこの挺対協の主張批判、
それに引きずられている韓国政府および韓国国民への批判だと言ってよい。
 そして、植民地支配に対する日本の謝罪のありようが、
国際的にみて先進的なものだとまで断じる。
日本で「左翼」と称する人がここまで言っていることに
驚くむきもあるのではないだろうか。
 裏返せば、挺対協の主張が日韓合意にとってはいかに
無理筋かということが浮かび上がるようになっている

 松竹の主張は、右派のそれにすごくよく似ている。
下記の右派ブログ(「ぼやきくっくり」)のような
認識の細部を左派的に正確にしていい直した、みたいだ。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1713.html
 君たちは、河野談話+女性基金で手を打ちますって言ってたよね? 
あとはぼくたちのなかでやりますって。という感じの。
 松竹が「左派からの提起を右派に学びながらおこなう」
(p.15)というのはこういうことだろう。

 冒頭のくり返しになるが、これを右派ではなく、
植民地支配と闘った歴史をもつ日本共産党の政策部門にいた経歴のある人間が
言っていることに本書の「面白さ」があるのだ。

 ぼくは本書のこの部分を読んで、河野談話が
「お詫び」=謝罪の体裁にになっていて、どこまでを認め、
どこまでを認めていないのか、 日韓でそれぞれ
どこまで読み取れるような
「ガラス細工」の「芸術作品」(p.103)となっているかがよくわかった。

 また、日本側に「謝罪をしろ」という要求は、河野談話を
謝罪と認めているのか認めていないのかという問題にもつながることもわかった。
新たな謝罪が必要だとすれば、河野談話を「上書き保存」することになり、 
それはすなわち「河野談話見直し」の主張になってしまうのである。

日本の左翼にもメッセージを出している?
松竹は、本書のおまけにあたる部分(「補論」)で自分が
共産党中央にいた時代に宮本顕治に教わった頃の昔話を書いている。
「おまけ」と今書いたけども、「補論」は50ページにも及んでいて
およそ「おまけ」ではない。 
宮本顕治は市民団体の言い分をそのまま政策にしろとはいわなかったよなあ、
とか、自分が政権についたときのことを考えろとか言ってたよなあ、
良いこと言うなあ、みたいな「昔話」である。
 当然これは単なる「昔話」などではない。
 今の日本国内の左翼へのメッセージである。
 “おまえら政策をつくるさいに「挺対協」にも意見を聞いてるんだろ。
聞くのは良いけど、それに引きずられるだけじゃダメだよ。
自分が政権についたとき戦後補償の問題をどうするのかしっかり考えなよ”
……みたいなメッセージなのだ。深読みかもしれんけど、ぼくはそう読んだ。
 こちらのクロウトむけ部分については、刺激的であることは間違いない。
 特に左派系の人たちには一度読んでみることをお勧めする。


ぼくの覚えた違和感
ぼくが本書に対して違和感を覚えているのは個人補償の問題である。
 松竹はこの問題で日本政府が今後新たに国家賠償をするのは
難しいだろうと考えている。
いったん個人補償を認めたら他の戦争被害者の問題にすべて波及する、
現実的ではない、という理由を述べ、
原爆被害者がアメリカではなく日本政府がかわりに払う方式を
求めていることなども例にあげている(つまり日本政府に代わる、 
韓国政府による補償の支払いを示唆している)。

 しかし、原発被害の補償と同じように、補償がいい加減であること自体が
「また事故ってもハシタ金払えばいいんじゃね?」みたいな 
モラルハザードを引き起こしかねないように、「現実的ではない」という理由で
切って捨てることには違和感がある。
巨額すぎては困るが、やはりある程度は苦労して払うことに意味がある。

 額の多寡が問題ではないのであれば、とにかく公金が少しでも入る形で
民間基金をつくる方式もあるのではないか
(アジア女性基金には公金が入っているが
それは医療などの生活支援部分だけで、「償い」の部分には
入っていないタテマエになっていた)。極端な言い方だが
「1円」でも公金を入れたら性格がかわる。
 松竹は先にアジア女性基金からおカネをうけとった
元「慰安婦」たちとの均衡を心配していたのだが、仮に少額でも
国家による補償が出るのであれば、それはどの元「慰安婦」も
受け取っていないのだから、国家補償については平等になる。
基金から出たおカネとの均衡は、
たとえば韓国政府がカバーすることはありうるのではないか。

※読んでて思ったのは、このかたって河野談話の時に
韓国政府が補償をはじめていたと知らないのですかね?
女性基金の時は、挺対協の妨害があるので、
個別に日本政府は元慰安婦らをケアしてましたよ?
現在も、ソウル市がやってますがなと・・
河野談話・村山談話はその時点で決着していたので
今更蒸し返すのもバカバカしい話ですね。

左翼の人の文章は読んでて疲れますが、
まあ、慰安婦問題について左翼も
もう挺対協がいる限り解決は無理だと、
こう考える人が増えてるという意味であえてエントリーにしました。

 いずれによせ、松竹の提案が絶対に受入れられない
反動的な提案とは皆目思わない。
松竹が言うように、女性基金を変質させて、
「原理は変えないが内容は実質的に国家賠償にする」
というような戦略もありえただろう。 
松竹提案を対話の相手としながら
左翼は今後の政策を考えていくべきだろう。

「原理を変えずに実態を変える」という戦略
 なお、このような「変質」戦略を松竹は左翼の戦略として相当重視している。
逆に言えば、そのような熟達が左翼には足りない、と見ているのだろう。
 このようなやり方は、かつては左翼の間では
原則放棄の修正主義の臭いがしたのでいろいろ非難された。

 だが、松竹が紹介しているのは“いやあ、実際には
いろいろこの「変質戦略」ってやってますよね?”という事例である。
それも、けっこう重要な。
 資本主義を修正するような制度一つひとつは、
おそらく運動によって現体制(ブルジョア国家)の中に組み入れていくことができる。
ただ、それを広範囲・系統的・合理的に組み入れられるのは革命政権なのだろうが、
ブルジョア的政権であっても一つひとつの改良はできないわけではないのだ。*3
 「慰安婦」問題・河野談話の問題に限らず、このような(なし崩し的)変質は、
広範な社会合意を調達するうえでは、きわめて有効な戦略である。
松竹が紹介している一例でいえば、自衛隊と憲法の関係もその一つだ。
 戦後長い間日本社会がつくってきた自衛隊と憲法の関係は
「個別的自衛権の範囲、つまり急迫不正の侵略に対する自衛手段としては
自衛隊は認めてよいが、外国で日本の防衛とは関係ない戦争に
巻き込まれるような集団的自衛権はダメだ」というものだ。
9条はこのような「個別的自衛権OK、集団的自衛権ダメ」という関係を
非常に具体的に律する規定として作用し、
自衛隊はそこに強く縛り付けられてきた。
 このような現実的な「9条護憲(活用)」として9条をみるべきで、
左翼の一部ではようやくそのことが理解されてきたにもかかわらず、
現場にいる左翼たちにはまだまだ完全なる「非武装」としてのみ
9条を理解する傾向が強い、と松竹は嘆いている。
 もし左派政権を今後担っていこうとするなら、
こうした「原理をそのままにして実質を変更させる」的戦略に
もっと熟達せねばならないのではないか。
その点は松竹の意見に大いに賛同する。
※一部、省略。


時事解説「ディストピア」
ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。
国内政治、メディア批判の記事もあります。・・・より
共産党は党員に対して党の見解を順守するように定める民主集中制
という制度を採用している。これは数回(時には数十回)にも及ぶ
議論を重ねた上で決定された事項は守りましょう、守らなければ
厳罰に処しますというもので、反共主義者はこれを嬉々として攻撃
するのだが、結果として個人として問題がある人間でも党員である間は
割とまともな意見が言えるようになる長所もあったりする。

さて、今回とりあげる松竹伸幸氏は以前は共産党の護憲派議員として
活躍したのだが、ある時期を境に党とのブレが生じ、結果的に
事実上の除籍にあっている方である。以下の引用は彼が議員だった時の
党の紹介文である。
 -------------------------------------------------------
日本の平和は軍事偏重では保たれない、
アジアの平和の流れに合流すべきだ―
松竹さんは、この立場から、非核・非同盟の外交政策を積極的に提唱。

昨年2月、沖縄基地問題で世界への「訴え」を発表したときも、
何回も沖縄を訪れて、被害者の話を聞き、中心的な役割をはたしました。
ttp://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-399.html
--------------------------------------------------------
なんのことはない、これは共産党が以前から一貫して主張してきた
ことであって、別に松竹が初めて唱えたことではない。
で、この松竹氏、今は憲法論や外交論を巡って党と対立し、
今年からかもがわ出版の編集長になっているそうなのだが、
彼が現在さかんに主張しているのは軍の容認である。

普通は除籍されることで組織に左右されない自由な意見が
述べられるはずなのだが、どういうわけだか共産党の除名に
あった人間は軒並み右傾化する。

軽い程度なら無関心という形での、保守派へ対する無言のエールで
済んでいるが、セクハラでクビにされた超カッコ悪い爺さんの
筆坂氏に至っては産経新聞に登場して改憲論をのたまっている有様である。

松竹氏も共産党と疎遠になったならば今こそ、
尖閣諸島や北方領土が日本の領土だというのは無理があるとハッキリ
言ってやればいいのに、領土を守るためには自衛隊が必要だと
なんだか共産党と仲が悪くなるのも納得だなーと思う主張をしている。

はっきり言って、「自衛」といいつつ実際には「軍隊」であるから
ヤバいんだという話なのに、自分の国は自分で守るといった
本末転倒な話をしていて、要するに「自衛隊」という名の軍隊を
彼は必要なものだと語っているのである。

こういう右にも左にも喜ばれそうな内容を書いて
その実、右傾化するという姑息な戦法は伊勢崎氏のそれに似ていて
実に利口だと思う。筆者は前々からこの方の領土論はおかしいと
思っていたので、こんな人が党にいるのは汚点だよなと考えていたのだが、
今は党と無関係らしいので、すごく安心した。

ただ、かもがわ出版で編集長を務めているとのことなので、
この方の場合は自発的に離党したようだが、同時代社のように
犬猿の仲になり、せっかく良書を多く出版しているかもがわ出版が
ただの反共左翼出版に変貌してしまわないかと少々不安でもある。

最後に彼の主張に対する、ある松竹ファンのコメントを
引用して、反共(=戦後)左翼の問題点にふれていきたい。
-----------------------------------------------
私の愛読しているブログの一つ「超左翼おじさんの挑戦」は、
ブログ主の松竹さんがかもがわ書店の編集長に就任されることから、
その役割を終え、新たな冒険の旅に出ることとなりました。

とても参考になるブログでした。
今後一層のご活躍を期待しております。

その「超左翼」のお名前の通り、
いわゆる「左翼」の範疇に納まろうとしない姿勢に常に共感していました。
左翼であれば増税には反対しなければならない。
左翼であれば戦争には反対しなければならない。
左翼であれば領土なんて関係ないとうそぶかなければならない。
左翼であれば自衛隊は廃止と叫ばなければならない。
そういう思い込みや貧困な哲学をいかにして克服すればよいのか。
そのヒントは左翼の豊かな言葉のなかにこそある!
それを地でいく貴重なブログでした。
ttp://wa2zoo.blog8.fc2.com/blog-entry-540.html ------------------------------------------------------------------- 
とまぁ、こんな文章なのだが、はっきりいって
増税反対、戦争反対、自衛隊廃止を主張するのが
左翼のアイデンティティというか存在理由ではないのか?

増税に反対せず、戦争に反対せず、自衛隊にも意見しないなら
わざわざ劣勢の左翼に与さず右翼になればいいではないか。

というか、そういう左翼は左翼ともはや呼べないのではないのだろうか?
実際、こういう軍隊の必要性を語る人間は
自分の立場を「リベラル」というずいぶんと曖昧な言葉で粉飾している。

何度も言っているが、こういう右翼と大差ない意見しかいわない
左翼というのは、右翼にとって恰好の攻撃の的であり、
右翼の主張を正当化させる駒にしかならない。いい加減気づけよと思う。

私は、北朝鮮(より正確にいえば総連)や共産党のような
左翼にすらバッシングされているマイノリティの側に立って
意見を掲げることこそが本来の左翼だと考えている。

今の日本の出版社で左翼らしい左翼は高文研やスペース伽耶、
新日本出版社、大月書店、昭和堂、桜井書店、自治体研究所、
かもがわ出版、学習の友社等々といったところで、数が少なくなっている。
こうして列挙すると結構あるように見えるが、平凡社とか筑摩書房、
みすず書房、お茶の水書房、岩波書店といった高名な学術出版社すら
軒並み反共左翼なのだから、本当に現在の日本で大衆に抗う意見を
述べる度胸のあるマスメディアは絶滅危惧種なのである。

戦前の治安維持法の時代から
この国において朝鮮人と共産主義者は徹底的に弾圧を受けてきた。
それは国家だけでなく大衆がこぞって参加した差別だった。
このシステムが戦後の冷戦体制で克服されずに今日まで来ている。
だから、左翼と称している連中も基本的にはこの二者については
本当に冷たい言葉を平然と浴びせてきている。
結局のところ、彼らは自分のことしか考えていないのだから
本質としては右翼と大差ない。信仰対象が異なるだけだ。
こういう国家主義的な左翼が同じく国家主義的な右翼と
手を取り合っているのが現状の日本であり、そういう有様の中、
上記の出版社は本当に頑張っていると思う。その中の一つに
松竹氏が高いポジションの職に就いたのは正直ショックで、
また貴重な出版社がつぶれてしまったなと思ってしまった。
2015年4月24日
元「慰安婦続・慰安婦騒動を考える、
法的賠償を諦めたと報じられた挺対協、道新に謝罪と記事訂正を要求。
慰安婦問題、日本に「法的責任」求めず 韓国・挺対協、
従来方針を転換と道新記事は伝えるが、いわゆる佐々江案は拒否を表明。
2015年4月18日
その韓国政府が、ついに挺対協に物申す決心をしたらしい。 
佐々江案で妥協して欲しい、と。
 挺対協はアメリカを巻き込むことに成功した。 
しかし、事態は必ずしも彼女らの望む通りにはなっていない。
慰安婦騒動が国益を脅かしていると感じた ...
2014年10月26日
挺対協がいる限り日韓の慰安婦問題は解決しない理由。 
歴史戦 第7部崩れ始めた壁 韓国で元慰安婦バッシング 
「日本の汚い償い金、なぜ受け取る」 産経.
2014年12月28日
韓国の挺対協が問題だという一点で片付くことを、検証だと言い放ち、
自らの反省はなにもない朝日新聞の面の皮の厚さ.
2014年6月30日
続・慰安婦騒動を考える、慰安婦像の「強制連行」を迷う挺対協。
朝鮮日報が、慰安婦:日本大使館6月移転、デモ・少女像はどうなる?と記事。
韓国紙、天皇誕生日行事「波紋起きる」 =日本側抗議。 
韓国政府、とうとう当事者能力がないと ...
2015年2月27日
挺対協に○○タマを握られている韓国政府が、テレビで一旦は
(挺対協の顔色をうかがい) 蹴ったはずの日本案の受け入れを事実上表明か。 
そして、これに挺対協がなんの反応も見せていない。 
以前だったら、大騒ぎしたはずだが・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿