慰安婦問題について、いろんな報道: アウシュビッツとの友好協定中止を決定 反対論続出「勉強不足でした…」 知覧・南九州市。特攻隊が見た「最後の本土」 鹿児島県・開聞岳

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2015年7月28日火曜日

アウシュビッツとの友好協定中止を決定 反対論続出「勉強不足でした…」 知覧・南九州市。特攻隊が見た「最後の本土」 鹿児島県・開聞岳

薩摩富士とも呼ばれる開聞岳に夕闇が迫る。
知覧基地を飛び立った特攻隊員は、この山を何度も何度も振り返り、
覚悟を決め、沖縄に向かったという =鹿児島県南九州市
記憶の風景 戦後70年 特攻隊が見た「最後の本土」鹿児島県・開聞岳ankeiNews
戦後70年。来館者が特攻隊員に思いを馳せる知覧特攻平和会館
=鹿児島県南九州市(奥原慎平撮影)

2015.7.28 08:00更新 3
産経ニュースアウシュビッツとの友好協定中止を決定
反対論続出「勉強不足でした…」 知覧・南九州市
さきの大戦末期、
旧日本陸軍の特攻基地「知覧飛行場」があった鹿児島県南九州市が、
アウシュビッツ強制収容所跡地のあるポーランドの都市と進めていた
友好交流協定の問題で、南九州市は27 日、協定締結を中止することを明らかにした。
「特攻とユダヤ人虐殺が同一視されかねない」という市内外からの反発によって、
見直しを決めた。(南九州支局  谷田智恒)
 同日開かれた市議会全員協議会で説明した。
 市総務課によると、友好協定の話は今年1月、世界各国を歩いて
平和や環境保護などを訴えているという横浜市の男性 (32)が、
持ち込んできたのがきっかけ。
男性は昨年12月、同市の知覧特攻平和会館を訪れ
「特攻隊員の遺書を読んで感動した。世界に平和を発信している
アウシュビッツと結びつけたいと思った」と担当者に語った。
 男性は今年2月頃、アウシュビッツ強制収容所跡地のある
ポーランドのオシフィエンチム市のアルベルト・バルトッ シュ市長と面談し、
南九州市との提携話を持ちかけたという。
市長から「世界平和の発信に向けたパートナーシップを前向きに考えたい」
とする親書を受け取り、5月末に南九州市役所へ持ち込んだ。

 南九州市役所内部では
「ユダヤ人をはじめ多くの人命が奪われたオシフィエンチム市と同様に、
知覧では夢と希望のある多くの若者が特攻隊として飛び立った。
戦争で多くの尊い命が失われた事実を認識し、その記録・記憶を
後世に伝えねばならない使命があり、両市で手を携えて平和の道を歩もう」
という理由で、友好交流協定の締結を決定した。
 今月8~12日に霜出(しもいで)勘平市長や男性ら4人が
オシフィエンチム市を訪問し、協定締結を話し合った。
旅費(1人あたり約37万円)は、市議会の可決を経て、市から出ていた。
 ところが、両市の協定に
「祖国や家族を守ろうとした特攻隊員と、ナチスによるユダヤ人虐殺が、
同質のものとして受け止められかねない」などと反対意見が続出した。
特攻隊員の遺族や縁の人々も、多くが反発した。
電話やメール、ファクスによる市への抗議は100件以上に達した。
 市総務課長の金田憲明氏は
「(抗議の電話をしてきた人々に)市の立場を説明したが、
理解してくれる人は皆無だった。
これほどの拒否反応が出たことは正直驚きであり、
われわれの勉強不足だった」と語った。
 南九州市は今後、友好交流協定を中止することについて、
おわびとお断りの文書をオシフィエンチム市に送る。
文書では「(日本)国内では、さまざまな意見が寄せられ、混乱が生じている。
オシフィエンチム市にも迷惑をかけるかもしれない」などと説明するという。
 霜出勘平・南九州市長の話
「市としては、平和な世界の構築に向けて
メッセージを送り続けねばならないとの思いから、
オシフィエンチム市との連携を試みたが、残念な結果となった。
戦後70年事業として米ハワイ州のミズーリ記念館で特攻資料を展示している。
外国の方々の特攻隊員に対する理解も進んでおり、
今後も特攻の真実を伝える努力を続けていく」

2015.7.25 08:00
特攻とナチスの虐殺は違う 鹿児島南九州市・知覧、
「アウシュビッツ」との連携見直しへ 遺族らから反対意見相次ぐ

2015.6.14 08:56更新 【記憶の風景-戦後70年】 2
特攻隊が見た「最後の本土」 鹿児島県・開聞岳
産経ニュース薩摩半島南端にそびえる開聞岳(かいもんだけ)
(標高924メートル、
鹿児島県指宿市)は「薩摩富士」とも呼ばれ、
円錐(えんすい)形の威風堂々たる姿が見る者を圧倒する。
終戦間近の昭和20年3月に始まった沖縄戦で、連合軍の艦船に
爆弾を積んだ戦闘機で体当たりしようと出撃した特攻機の多くは、
知覧(鹿児島県南九州市)など九州南部の基地から飛び立った。
特攻隊員が最後に見た本土の景色が開聞岳だった。
 右の翼に250キロ爆弾、左翼には同量の燃料。
特攻隊員は全国から集められ、10代の飛行士も多かった。
遺書を残し、別れの杯を交わして離陸すれば
約650キロ先の沖縄周辺までは2時間半。
開聞岳を見ながら海岸線を越えると「もう戻れない、行くしかない」と、
何度も何度も振り返りながら覚悟を決めたという。
 知覧基地では20年3~4月の一時期、知覧高等女学校3年生で作る
「なでしこ隊」が、出撃を控えた特攻隊員らの食事や洗濯など、
身の回りの世話をした。
整列し八重桜を振って出撃を見送りもしたが、15歳の女学生には酷だった。
なでしこ隊員だった桑代チノさん(86)は
「兵隊さんは日本を守る生き神様に見えました。
飛び立った飛行機が翼を3回振って、さようならの合図をし たのが忘れられません。
今でも胸が締め付けられる…」と明かす。
なでしこ隊の活動は基地への攻撃危険が高まり23日間で終わった。

 あれから70年。特攻隊員の遺書や資料など1万5千点を所有する南九州市では、

ユネスコの世界記憶遺産に登録する申請の準備が進む。

 よく晴れた日、ヘリコプターで特攻機と同じ経路を飛んだ。

特攻隊員を見送り続けた美しい開聞岳を見ながら洋上に出ると、
吸い込まれそうな真っ青な海が一面に広がった。(写真報道局 鈴木健児)

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