慰安婦問題について、いろんな報道: 水木しげるさん 出征前の手記見つかる

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2015年6月2日火曜日

水木しげるさん 出征前の手記見つかる

6月2日 4時01分
「ゲゲゲの鬼太郎」や、みずからの戦争体験を基にした漫画などで知られる、
93歳の漫画家、水木しげるさんが、出征する前の年に
手記を書き残していたことが分かりました。
本人も存在を忘れていたというもので、死と直面する戦争への恐怖など、
率直な心境がつづられていて、家族は
「水木の考えの根幹を知ってもらいたい」として、公開を検討しています。
この手記は、東京・調布市にある「水木プロダクション」の事務所で、
水木さんの家族が先月26日、昔の手紙を整理していたところ、
引き出しの中から見つけました。
水木さんは太平洋戦争が始まった次の年の昭和17年に徴兵検査に合格していて、
手記は日付からその年の11月前後に書かれたとみられます。
この中で水木さんは、
「毎日五萬も十萬も戦死する時代だ。芸術が何んだ哲学が何んだ。
今は考へる事すらゆるされない時代だ」とつづり、
自分のやりたいことすらできなくなっている時代を嘆いています。
また、哲学や宗教に関心があり、
「吾を救ふものは道徳か哲学か 芸術か 基督教か 仏教か」などと、
不安や恐怖を克服するために救いを求めようとしていた当時の心境がうかがえます。
さらに、
「一体俺は何をしたらいいだろう」と生き方について自問自答する一方、
「吾は死に面するとも理想を持ちつづけん。
吾は如何なる事態となるとも吾であらん事を欲する」と、
自分の理想を持ち続けようという強い思いも記されています。
そして、「私の心の底には、絵が救ってくれるかもしれないと言ふ心が常にある。
私には本当の絶望と言ふものはない」と記し、
戦時中から絵が心の支えになっていたことも分かります。

水木さんは、去年の12月に心筋梗塞で入院し、
ことし2月に退院したあとも療養を続けながら仕事をしているということで、
事務所で取材に応じた水木さんは、手記について
「書いたことも忘れていた。戦争から帰ったらすべて忘れる。
戦争は99%『死』です。当時は手記を書いていないと
心が安定しなかったのだと思う」と話しています。

手記を見つけた水木さんの長女の原口尚子さんは
「戦地に向かう前のすごく重い内容の手記だったので、驚きました。
自分なりにどう生きていくかを考えて、一生懸命、心のよりどころを求めたり、
考えたりしていたことがよく分かりました」と話しています。
そのうえで、「戦争の時代でも自分は自分であり続けたいと何度も書いていて、
それが今に通じる水木の強さなんだと思います。
やっぱり水木には絵をやりたいという1つのものがあるから、
それが自信になって戦争の時代も乗りきれたような気がします」
と話しています。
家族は「水木の考えの根幹を知ってもらいたい」として、
この手記の公開を検討しています。

戦争をテーマに数々の作品
水木さんはこの手記を書いていた昭和17年の次の年、
21歳のときに徴兵され、
太平洋に浮かぶパプアニューギニアのラバウルへと赴きました。
当時、ラバウルでは激戦が繰り広げられ、戦闘で多くの仲間を失い、
水木さんも左腕を失いました。
戦争体験は水木さんのその後の漫画家としての活動にも影響を与え、
水木さんは、これまで数々の戦争をテーマにした作品を描いてきました。
このうち、みずからの体験を基に描いた作品「敗走記」では、
最前線に取り残された兵士が逃げ惑う様子が描かれています。

また、同じく、水木さんが出征したときの体験を基に描いた漫画
「総員玉砕せよ!」は、平成21年にフランスで後世に残したい作品に贈られる
「遺産賞」を受賞しています。
水木さんは漫画「総員玉砕せよ!」のあとがきで
「軍隊で兵隊と靴下は消耗品といわれ、
兵隊は“猫”位にしか考えられていないのです」と記し、
「ぼくは戦記物をかくと わけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。
多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う」とつづっています。

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