慰安婦問題について、いろんな報道: 今年、もっとも検索された世界遺産は?。【活気あった炭鉱物語】韓国難癖に違和感「被害ばかり強調」 「『朝鮮の人』への差別なかった…」 89歳元炭鉱社員が証言。朝鮮半島関係者が証言 強制でなく「職探しも」

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2015年6月22日月曜日

今年、もっとも検索された世界遺産は?。【活気あった炭鉱物語】韓国難癖に違和感「被害ばかり強調」 「『朝鮮の人』への差別なかった…」 89歳元炭鉱社員が証言。朝鮮半島関係者が証言 強制でなく「職探しも」


今年、もっとも検索された世界遺産は? 
2015年6月22日 13:02 Posted by: Google 広報部
「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に
日本中の熱い視線が注がれていますがGoogle では本日、今年に入って
最も検索された日本国内の世界遺産ランキング トップ 30 を発表します。
堂々の 1 位には「世界一美しい城」といわれる「姫路城」がランクインしました。

今年 3 月にグランドオープンし、検索も急上昇しています。
また、2 位の「高野山」は、今年開創 1200 年を迎え、10 月には金堂と
金剛峯寺等の御本尊特別公開が予定されています。
そして 3 位には、世界遺産への登録を勧告された
「明治日本の産業革命遺産」の一部である「軍艦島」がランクインしました。

2015年「世界遺産」検索ランキング トップ 30
(* は「明治日本の産業革命遺産」、調査期間:2015年 1月1 日~ 6月8 日)
「炭鉱内では朝鮮人に対する差別はなかった」
         と振り返る田中好子氏
方城炭鉱に勤務していた当時の田中好子さん(後列右端)と同僚。
女性の華やかな服装が印象的だ
田中好子さんが勤務していたころとみられる方城炭鉱の見取り図
(元方城町文化財専門委員、植田辰生さん提供)

2015.6.21 11:30更新 【活気あった炭鉱物語】3/3ページ
韓国難癖に違和感「被害ばかり強調」
産経ニュース「『朝鮮の人』への差別なかった…」
89歳元炭鉱社員が証言
戦前から戦後にかけ、
世界遺産群の対象ではないが、
福岡県福智町(旧田川郡方城町)の方城炭鉱に勤務していた
福岡市在住の田中好子さん(89)が、産経新聞の取材に応じ、
炭都として活気に満ちあふれた当時の様子を淡々と語った。
(九州総局 奥原慎平)
 田中さんが炭鉱について話そうと思ったのは、
韓国政府が炭鉱労働に関して朝鮮半島出身者の被害ばかりを強調し、 
「長崎市沖の端島炭坑(通称・軍艦島)など世界遺産群の登録に
反対していることに違和感を覚えた」からだ。
自らが経験を若い世代に語り継ぐ責任があると 思ったという。
 方城炭鉱は筑豊炭田の主力鉱として、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)の
前身の三菱合資会社が明治35(1902)年に開鉱した。
 田中さんは、福岡県直方南高等女学校(現県立筑豊高校)を卒業後、
経理担当事務員として三菱鉱業方城炭鉱に就職した。
炭鉱労働者の仕事量に応じて給与を計算し、会計係に回すのが主な仕事だった。
 田中さんは、「過酷な労働環境だった分、実入りも多かった。
朝鮮半島出身者も日本人に負けじと働いて稼いでおり、
私の知る限り出身地による差別なんてなかった」と証言する。

 職場や社宅での仲間同士の呼び方にその一端が垣間見えた。
 例えば、「半島出身者を指す場合は『朝鮮の人』と呼んでいた。
差別意識があるなら、『朝鮮人』と呼ぶはずだ。
東北出身者は『東北の人』だったし、関西出身者は『関西の人』と呼んでいた。
半島出身者もそれと同じだった」と語った。
 勤務時間や採掘量を示す伝票にはひと目で半島出身者と分かる氏名が
書かれており、その中には、日本人の1・5倍は働いていた人もいた。
 社宅の間取りは、4畳半と6畳をひとまわり大きくした二間だった。
半島出身者も日本人も同じ待遇で入居していた。
 社宅に住む半島出身者の中には家族連れもいたといい、
田中さんは「彼らが強制連行されたと聞いたことなどなかった。
何よりも家族連れで強制連行された人なんていたのだろうか」と語り、
韓国政府の一方的な言い分に首をひねる。
 子供同士も出身地など関係なく、ふつうに遊んでいた。
 街には現在のスーパーマーケットに当たる購買課が2カ所あり、
日常用品がところ狭しと並んでいた。
 陳列棚には、薄い黄色に赤褐色の帯がついた売れ残りのリプトンの
紅茶缶があったことを鮮明に覚えているという。
また、近くの街には料亭や劇場、映画館もあったという。
 当時、炭鉱での石炭採掘は、富国強兵を目指す
日本のエネルギー政策の生命線だ。
事故が起これば採掘量の減少につながるため、会社側は
「爆発事故には最も神経を尖らせ、安全対策を徹底していた」と話す。
 「韓国政府は、日本が世界遺産に登録申請したら文句を言う。
事故や病気による犠牲者は半島出身者だけではない。
方城炭鉱には差別のない活気に満ちあふれた生活もあった。
韓国政府はそうした面にも目を向けてほしい」
     
 方城炭鉱 直下型縦坑方式を採用した最新式の炭鉱。
大正3年12月、日本史上最悪の炭鉱爆発事故が発生し、
671人の犠牲者(会社発表)を数える大惨事が起きた。
福岡県の調べだと、
昭和19年1月現在、計3217人の朝鮮半島出身者が
「徴用」「募集」の名の下で働いた。
     
 世界遺産登録をめぐる日韓の見解 
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議
(イコモス) が今年5月、「明治日本の産業革命遺産」(23件)の
世界文化遺産への登録を勧告した。
韓国政府は「世界遺産条約の基本精神に反する」
(尹炳世=ユンビョ ンセ=外相)と反対し、外交攻勢を強めている。
日本政府は、登録対象は韓国を併合した1910年以前で
「政治問題化すべきではない」(菅義偉官房長官)と している。
登録は7月上旬に決定する見通し。
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2015.6.21 11:40更新 【活気あった炭鉱物語】2 3
朝鮮半島関係者が証言 強制でなく「職探しも」
自宅で戦前の方城炭鉱について証言する、元方城町文化財専門委員の
植田辰生さん。後ろの壁に採掘時に使ったヘルメットが見える
=18日、福岡県福智町

 伯父が筑豊炭田で働いていたという福岡県田川市在住の元飲食店経営、
李大一さん(64)に、戦前の筑豊炭田の暮らしぶりについて話が聞けた。 
李さん自身は日本生まれの日本育ちだが、実父の李判福さん(故人)が
朝鮮半島の大邱(現在の韓国)出身で、戦前、16~18歳のときに
本土にやって来て、長野県内のダム建設に従事していた。
先乗りした判福さんの実兄は筑豊地方の炭鉱で働いていたという。
 日本政府は昭和14年、戦争の長期化による労働力不足を補うため、
半島出身者も含めた国民全体を対象に国民徴用令を制定した。
 判福さんも伯父も「強制連行」だったというのでその理由を問うと、
「父や伯父は大邱の朝鮮人村長の命令で、自分た ちの意に反して
本土に連れて来られたからだ」と話す。
一方で「自らの意思で仕事を求めて来た半島出身者がずいぶんいた
とも話し、強制連行ばかりを強調する韓国側の言い分が、
事実と異なることが裏付けられた
 李さんによると、徴用が始まったころは言葉の壁や生活習慣の違いから
差別もあったが、移住が定着してくると徐々に改善されていき、
「必ずしも不遇ではなかった」と話す。
 5世帯が入居する長屋では、半島出身者と本土出身者の家族が
仲良く生活していたという。
危険と隣り合わせの生活だけに、連帯感は強く、法事のときは
みな一緒に飲み食いした。
 戦前の方城炭鉱を知る地元、
方城町の元文化財専門委員の植田辰生さん(91)は、
「戦後、朝鮮人労働者が半島に戻るとき、お互いに泣いて別れた。
多くは帰還事業で北朝鮮に行ってしまった」と語る。
 植田さん所有の資料によると、大正9年当時、炭鉱労働者の賃金は
米一俵(60キログラム)が12円の時、平均月給は37円77銭。
米一俵は成人男性が1年間に消費する量。単純計算で一人当たり
平均米三表分に相当し、かなりの高額給与だったことが推し量れる。
 李さんは「半島出身者にも(本土出身者に媚びて
同胞をいじめるような)嫌な人はいたし、いい人もいる。
本土の人も一緒で、出身地に関係ない」と話す。
 世界遺産をめぐる韓国政府の対応について、李さんは
「正直言って複雑だ。日本国内の施設について、
他国がとやかく言うべき話ではないが、もっと時間をかけてほしい。
苦い記憶が癒えないから」と語った。
 今月初め、長崎市沖の端島(通称・軍艦島)の炭鉱労働者とは
直接関係のない韓国人市民団体が、近くの島で線香をたき、
それを地元メディアが報じた。
 直接の関係者である李さんの話を聞いた後だと、こうした白々しい行為が、
登録阻止をねらった美談仕立のパフォーマンスにしか見えなくなる。
(九州総局長 佐々木類)

2015年5月22日金曜日
世界遺産登録めぐり、日韓両政府が協議も議論は平行線。

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