慰安婦問題について、いろんな報道: 慶応大日吉キャンパスに眠る地下壕 海軍司令部跡を公開

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2015年6月24日水曜日

慶応大日吉キャンパスに眠る地下壕 海軍司令部跡を公開

朝日新聞デジタル慶応大日吉キャンパスに眠る地下壕

旧日本海軍連合艦隊司令部の地下壕。堅固なコンクリート造りの作戦室(右)と、
暗号室や電信室に続く通路(左)=23日、横浜市港北区、諫山卓弥撮影 

【動画】慶応大の日吉キャンパスにある地下壕を報道公開=長島一浩撮
慶応大学日吉キャンパス(横浜市港北区)の地下に眠る
旧日本海軍連合艦隊司令部の地下壕(ごう)が23日、報道公開された。
戦争末期、本土空襲の激化に備えて造られた海軍の中枢施設。
戦後70年となる今も、地下壕は当時のまま
堅牢なコンクリートの壁で守られている。
 地下壕は1944(昭和19)年9月、連合艦隊司令部が
日吉キャンパス内の寄宿舎に置かれた際、造られた。
階段でつながる地上の司令部からは、戦艦大和や特攻隊の出撃命令など、
戦争末期を象徴する指令が出された。
原則非公開だが、戦後70年を機に慶応大が報道公開した。
 入り口から一歩入ると暗闇が続き、懐中電灯を手に進む。
通路の壁や床には当時貴重だったコンクリートがふんだん に使われ、
天井はアーチ型。軍の中枢施設だったことをしのばせる。
分岐が多く迷路のように延びる通路を進み15分ほど歩くと、
司令長官室があった空間が現 れた。
通路と違い、天井や壁はモルタルが塗られきれいに仕上げられている。
近くには「作戦室」があり、空襲時、司令長官や幕僚たちは
地上から地下壕に入っ た。
作戦室から延びる通路の先には暗号を受信する「電信室」、
暗号解読をする「暗号室」があった。
案内役の慶応高校の阿久沢武史教諭によると、
45年4月、沖縄特攻作戦に向かった戦艦大和が米軍の攻撃を受けて
沈没した際、刻一刻と艦体が傾いていく様子がこの電信室で受信されたという。
照明には当時珍しかった蛍光灯が使われていた。
 見学した壕の全長は約1キロ。宅地開発で民有地の壕の一部が破壊されるなど、
保存に向けての課題もある。
阿久沢教諭は
「地下壕の暗闇は、戦時中の記憶を今に伝える貴重な空間。
戦跡をどう保存し、教育の場で生かしていくか考えていきたい」と話した。
 地元住民らでつくる「保存の会」は、慶応大の許可を得て定期的に
一般向けの見学会を開いている。

■「ワレイマカラジバク」 地下壕の電信室で暗号を受信
 茨城県下妻市の大島久直さん(85)は70年前、
日吉地下壕の電信室で暗号受信の任務に当たった。
 生まれた翌年の1931年、満州事変が勃発。
「男は軍人になることが国のためと教育された」。
13歳で海軍少年電信兵に合格し、14歳の誕生日の3日後、 
山口県の防府海軍通信学校に入校。
電信兵は暗号の送受信に使うモールス信号を覚えることが必須。
「トン・ツー」の組み合わせで表す文字と数字を必死で暗記した。
半年で卒業し、45年2月ごろ、15歳で日吉の連合艦隊司令部の電信兵に。
 電信室の壁際の机には短波受信機が30台ほど並んでいた。
初めて見る蛍光灯のまぶしさに驚いた。
交代制で24時間、続々と送られて来る暗号を受信した。
作戦緊急電報、緊急電報、至急電報……。
受信分は隣の暗号室に運ばれ、解読が行われた。
「日本が降伏した」とのデマ放送も入る混乱も多く、任務は緊張の連続だった。
 約3カ月の日吉勤務を経て5月に奈良県の大和海軍航空隊の電信兵に。
戦況はさらに悪化し、電信室には鹿児島・鹿屋から沖縄方面に
特攻機が飛び立つ様子が電報で入ってきた。
そんな時、特攻機からの通信を受信した。
 ――ワレイマカラジバク。
 「最後にこのひと言を送ってきた特攻兵の気持ちはどんなだったか。
あの戦争は何だったのか。今でも考える」
 終戦後、故郷に戻り電気工事設計会社を立ち上げ、
「戦争を忘れたい」と無我夢中で働いた。昨年10月、定例見学会に参加し、
69年ぶりに地下壕に入った。
ひんやりした空気と暗闇に15歳の日々を思い出した。
「地下壕に行き、若い人たちに自分と同じ経験は絶対にさせてはいけないと
改めて思いを強く しました」(宮嶋加菜子)
慶応大、海軍連合艦隊司令部の日吉キャンパス地下壕(ごう)公開
06/23 14:24  FNNnewsCH
慶応義塾大学は、戦時中に日本海軍の連合艦隊司令部が、
日吉キャンパスに作った地下壕(ごう)を公開した。
公開されたのは、戦時中に海軍が、神奈川・横浜市にある

慶応大学日吉キャンパスを借りて建設した地下壕で、内部には、
司令長官室や戦略室などが設置され、空襲などの緊急時には、
司令長官はじめ、幕僚らが集まり、地下で沖縄戦などの作戦を練っていたという。
また、電信室や暗号室には、およそ200人の隊員が勤務し、

特攻隊が、突撃の状況を伝えるために、戦闘機から送信した信号の受信をしたり、
戦艦「大和(やまと)」が空襲を受けて
沈没する状況を伝える入電などを受信していたという。
地下壕は、日吉キャンパスの地下に、およそ2.4kmにわたって伸びている。
これまで、安全面の理由などから、学生向けの見学会以外では、

公開が制限されていたが、戦後70年の節目に、
地下戦略室や電信室などの主要な施設が、メディア向けに公開された。

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