慰安婦問題について、いろんな報道: 中国、童増(どう ぞう)氏の「中国民間対日賠償請求連合会」が宮内庁に「唐代の石碑」返還求め中国で提訴 「精神的苦痛」賠償280億円も。渤海国の存在は日本の歴史にとって大変重要だった?

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2015年7月25日土曜日

中国、童増(どう ぞう)氏の「中国民間対日賠償請求連合会」が宮内庁に「唐代の石碑」返還求め中国で提訴 「精神的苦痛」賠償280億円も。渤海国の存在は日本の歴史にとって大変重要だった?

資料写真:メディアに手紙を示す、童増(どう ぞう)氏。

2015.7.25 06:00更新 2産経ニュース
「唐代の石碑」 
宮内庁に返還求め中国民間団体が提訴 
「精神的苦痛」賠償280億円も
【上海=河崎真澄】日露戦争(1904~05年)後に
日本が遼東半島の旅順から略奪したとする
唐代の石碑「鴻臚井碑(こうろせいひ)」について、中国の民間団体
中国民間対日賠償請求連合会」が、石碑を皇居で管理しているという
宮内庁を相手に、返還を求める訴えを
北京の高級人民法院(高裁)に起こしたことが分かった。
同法院は提訴を受理するかどうか審査中。
日中関係筋が、24日までに明らかにした。
 鴻臚井碑は714年、皇帝の命を受けた高官が使命を達成した帰路に
旅順で建立した高さ約1・8メートルの天然石。
 同連合会は建立から1300年の昨年、北京の日本大使館を通じて
日本政府に返還を要求したが、反応がなかったため提訴に踏み切ったとしている。
宮内庁を相手取った裁判が中国内で起こされるのは異例だ。
 石碑の返還に加えて、中国人が受けた精神的苦痛に対する慰謝料として
14億元(約280億円)の賠償も要求している。
 同連合会は、中国人労働者の強制連行問題や慰安婦問題など、
日中戦争に関する民間の賠償請求を支援している。
約70年前の船舶賃借をめぐって、
商船三井の船舶が昨年4月に上海沖で差し押さえられた裁判にも関与した。
中国は抗日戦争勝利70年の軍事パレードを9月3日に北京で行うなど
歴史に関する対日牽制(けんせい)を強めており、
提訴についての判断が注目される。
 この件に関して宮内庁は、「コメントすることはない」としている。 

2015年7月25日土曜日
三菱マテリアルと中国側労働者との交渉、 和解方針 中国、
「最初の積極的なステップになる」と評価 訴訟団の一部には反対も。
戦後補償、中国側に提示へ 総額80億円 日本企業 過去最多額。
政府は立場崩さず 今後の影響を注視。
中華人民共和国の反日活動家 童増(どう ぞう)の動き 

中国人団体、皇室に“石碑”返還要求意見をつなぐ、日本が変わる。BLOGOS
新たなパフォーマンス、
と海外メディアは冷ややか
NewSphere 
2014年08月13日 18:00 
【1世紀前の戦利品】   
問題となっているのは、渤海国の初代王が、
唐の皇帝からその称号を受けた事が記されている、
鴻臚井碑(こうろせいひ)」だ。
日露戦争に勝利した日本軍が、ロシアより獲得した旅順から「戦利品」として
1908年に日本に持ち帰った石碑で、現在は皇居に保管されている
(英語版人民日報)。 
「20世紀の日本の中国に対する侵略の間、
日本の軍国主義によって引き起こされた
個人的、物質的、精神的な損害の賠償」を求めるため、
2006年 に創設された「市民グループ」、
『中国民間対日賠償請求連合会(CFDC)』がその存在を知り、
返還を求めて、天皇と日本政府宛に書簡を送ったとAFPは 伝えている。
なお、今回の件に関し、
宮内庁担当者は「公式の要請はまだ受け取っていない」
と述べたという(AFP)。

【新たな点稼ぎ?】  
一方、今回の件に関しては、欧米メディアは冷めた見方を示している。
ブルームバーグは、「中国は、隣国を突っつく方法をたくさん持っている」とし、
尖閣諸島、防空識別圏に続き、
「新しい切り口で日本に闘いを挑んできた」と述べる。
そして、石碑に対する「権利の強調」をし
日本に対し立ち上がったことで、たとえ日本が返還に応じないとしても、
一般市民からのポイントは稼げるとし、
「愛国主義者の熱情にムチを打つことで、国民からの信頼を高めること」が
政府の狙いであると指摘する。
AFPは、日本の憲法では天皇には権限はないため、
手紙の宛先に天皇を含めることに、どれだけのインパクトがあるのかは
不明だと述べ、天皇家の財産はすべて国家のものであることも指摘した。 


日本に文化財返還要求 「奪われた」と中国の民間団体 
2014.8.11 00:18 [中国
10日の新華社電(電子版)によると、
中国の民間団体は同日までに、
日本の皇室と政府に対し、旧日本軍が奪った
歴史的文化財を中国に返還するよう要求した。

 日中戦争をめぐる損害賠償訴訟を支援している
中国民間対日賠償請求連合会」が
文書で日本側に要求したという。
文物は唐代の碑文が彫られた天然石で、同連合会は、
1908年に旧日本軍が持ち去って皇室が保存していると主張している。(共同)

皇居保管の石碑、返還求める 中国の活動家ら朝日新聞デジタル
瀋陽=石田耕一郎  2014年8月11日21時13分
日本に戦後補償を求める運動を続ける中国の活動家、
童増氏が率いるグループが、日本の皇室に対し、
皇居にある石碑の返還を求める書簡を送ったことがわかった。
童氏は「日中関係は悪化しているが、
返還を関係改善の第一歩にして欲しい」と話している。
 石碑は「鴻臚井碑(こうろせいひ)」と呼ばれ、
海軍が日露戦争後の1908年、激戦地だった遼寧省大連の旅順から皇居に運び、
戦利品として明治天皇に献上した。
横3メートル、高さ1・8メートルで、唐が713年に渤海国
君臣関係を結んだことが刻まれている。
 中国では石碑の返還や日中共同研究を求める動きが00年代半ばにもあった。
童氏は旧日本軍による中国人殺害を巡る損害賠償請求訴訟や
尖閣諸島を巡る抗議活動にも関わっており、今回の要求について
「2カ月前に偶然、石碑の存在を知り、今月7日に書簡を送った」と話す。
 宮内庁調査企画室によると、石碑は現在、「国有財産」として皇居内で保管され、
一般公開はしていない。返還要求については、
「日本の外務省と連絡は取ったが、現時点でコメントはできない」としている。
(瀋陽=石田耕一郎)

童増(どう ぞう)は中華人民共和国の反日民族主義団体
中国民間保釣聯合会」(保釣)主催者。反日愛国主義者の代表格であり、
また中国における数々の反日デモなどの仕掛け人でもある。
出生: 1973年7月25日
出身地: 中華人民共和国の旗 中国北京市
1991年「一刻の猶予も許されない中国の対日損害賠償要求」
(「中国要求日本受害賠償刻不容緩」)と称する上申書を全人代に提出し、
以後日本国内で慰安婦に対する賠償訴訟を支援するが、現在まで
勝訴に至ったケースは無い。
2003年12月27日、廈門市で「中国民間保釣聯合会」を設立。
2005年には文藝春秋の企画で来日計画があった。
「日本の右翼を正してやる」など強気の発言をしていたが、
ビザ取得を断られたとして来日はしなかった。
その後3月から4月にかけて、四川省、北京市、
上海市などで起こった反日デモでは
保釣が支援をしていたことが判明し、
「民間」と名乗ってはいるものの強力な後ろ盾がいることがうかがえる。

なお5月4日にもデモを行う意思があると保釣のサイトで明かしていたが、
突然「大局を考慮する」として延期となっ た。
後ろ盾が反日デモの規模拡大を抑えるために切り捨てたものと考えられる。
その後彼らのような活動家はホテルなどで「監禁」生活を送ったという。

2006年、中国国内で在中日本企業に対する賠償請求を行う
中国民間対日賠償請求連合会を立ち上げたが、
政治的な思惑から現在中断されたままである。
なお、「文藝春秋」誌にインタビューが掲載(2005年9月号)されたことがある。

関連項目 中華思想 反日感情 憤青 2005年の中国における反日活動
尖閣諸島問題 保釣運動 文藝春秋SPECIAL
意見をつなぐ、日本が変わる。BLOGOS2014年06月10日 07:07
中国の著名「反日活動家」童増インタビュー
- 時事通信社北京特派員 城山英巳
<テーマ:中国の膨張を止められるか>
日本車を破壊し尖閣に上陸する
「反日デモ」の猛威
それらを主導する著名活動家に本音を聞いた
時事通信社北京特派員 城山英巳

中国では、戦時中の日本へ強制連行された中国人元労働者や
遺族の提訴が相次ぎ、戦時中の賃借をめぐる訴訟の敗訴で
商船三井の運搬船が裁判所に差し押さえられた。

これら対日訴訟を支援しているのが、民間団体
「中国民間対日賠償請求連合会」会長で投資家の童増氏(57)だ。
童氏は1990年代初め以降、中国政 府が72年の日中共同声明で放棄した
戦争賠償請求に関して「民間・個人の請求権は放棄されていない」と主張し、
賠償請求活動を展開。また「中国民間保釣連合会」会長として
沖縄県・尖閣諸島の領有も訴え、尖閣諸島への上陸も後押しした。
4月に著名「反日活動家」の本音を聞いた。  

日本政府が友好を望まなくなった 

 ー日本に対してどういう認識を持っているか。
「1945年以前の戦争時代の日本と、敗戦後の日本とを区別している。
前者は日本民族全体に軍国主義が充満したが、後者は米国の改革によって
世界の経済や平和に貢献しました。
しかし日本政府は戦後、戦時中の日本軍国主義の中国侵略の事実を隠し、
自身は『(加害者ではなく)被害者だ』と強調した。
日本の民衆 は『我々は原爆の被害者だ』として、侵略の事情をよく知らない。
日本社会で中国侵略が隠され続けた背景には、中国外交の問題もあった。
中国政府は七二年の 国交正常化以降、賠償を放棄し、
戦時中の日本軍の暴行を暴露してこなかった。
『中日友好』のため日本を刺激したくなかったからです。
これが日本政府による 『歴史改竄』や『侵略戦争否定』を生み出しました」

「私がまず言いたいのは、日本人を恨みません。

しかし日本政府のやり方には非常に大きな怒りや反感がある。
われわれが日本への賠償を要求しているのは、戦後に残された問題を
民間の努力によって明るみに出すためです。
われわれは『反日』を強調しているのではなく、(問題を明るみに出して)
20年後、30年後 の長期的観点での『中日友好』を目指しています」

ーこれまで受理されなかった強制連行の提訴が
3月に初めて受理されたが、
習近平指導部になって方針が転換したのか。
「中国外交当局はこれまで日本企業を提訴すると
中日友好関係に影響すると恐れてきた。
しかし現在は変化した。変化の原因として挙げられるのは、
強制連行の被害者があまりにも多いこと。
さらに元労働者が高齢になり、今回の提訴が最後のチャンスで、
当局も動かざるを得なくなった。

日本政府が『友好』を望まなくなったこともある
「一方、大量の人々が提訴すれば、国内の安定に影響するのではと、

当局は懸念していたが、これは間違った観点です。
デモ行進など過激な手段で訴えるのではない。
いかに多くの人が提訴しようと、
法律を武器に法的秩序に従っているわけですから。
かつて私に対して当局の圧力はあったが、今はない。開放的になっ た」

「私の感じるところでは安倍晋三首相は歴史を尊重していない。

このやり方では中日関係はさらに決裂の方向に向かい、
全世界で日本民族全体にマイナスの印象 をもたらすでしょう。
習近平国家主席は3月末にドイツで行った演説で『南京大虐殺』に言及したが、
これは歴代指導者では初めてのことでしょう。
日本がずっ と歴史を改竄し、侵略戦争を認めようとしないから、戦争や虐殺に
反対するため提示したのだと思う。
中国として国際義務を果たし、国際法を守り、中国の声を代表したという点で
長期的な中日関係にとって有益です。
また欧州で話したのは欧州の多くの人がこれを知らないからでしょう。
安倍首相が退き、新たな首相が 誕生して歴史を直視しなければ、日本はまた、
安倍首相の『古い道』を歩むことになるだけです」

ーあなたが目指すところは具体的に何ですか。
「中国民間対日賠償請求連合会」はどんな役割を果たしているのか。
「中日間の歴史問題が解決しないのは、日本に対する
庶民の憎しみが解決しないからです。
『中国民間対日賠償請求連合会』は象徴的な機構で、旗印にすぎな い。
全国で行われる個々の提訴は、主に各地の弁護士が行い、われわれが
連絡役を務めたり、資金的な支援を行ったりしている。
われわれの目的は中国国内で、 さらに多くの被害者が法律を武器にして
日本政府や日本企業を提訴することです」  

ー尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐる問題では島への上陸を後押しし、
反日デモも支持しました。
尖閣問題に関して最近、どのように対応しているのか。
「中国政府が現在、この方面で役割を発揮するようになり、
われわれ民間の役割は一段落しました。
われわれは、中国政府が釣魚島を取り戻すため
どう抗議活動を展開していくかに関心を持って見ている。
そういう意味で後方に退いた」 

ー商船三井の船舶差し押さえに関してはどう考えるか。
「戦時中の日本の行為に対して法律的な決定が下され、問題が解決した。
日本国民はこうした事情を知らなかっただろうが、差し押さえによって
覆い隠された問題が明らかになり、長期的な両国関係にとって有益だと思う」

ーあなたは日本に対してどう認識しているか。
「日本はあの歴史に対して今に至るまで真剣に謝罪しておらず、この点で言えば、
日本はまだ軍国主義の亡霊に取り付かれていると感じる。
釣魚島の購入(尖閣 諸島国有化)も日本軍国主義がまた姿を現したもので、
軍国主義の氾濫を防止し、中国領土主権を防衛しなければならない。
私が反日デモに参加した理由はそれ が目的です」

ーデモの際に日本車を破壊する暴力行為が横行したが。
「非理性的かもしれないが、
全体としては非常に良好な効果を生んだのではないか。
(日本車が壊され)中国市場で日本車の売り上げが低下しなければ、
日本政府は立場を軟化させないでしょう。
だから中国政府は日本車を壊して焼いた若者に感謝しなければならない」 

しろやま ひでみ 1969年三重県生まれ。                  
慶應大学文学部卒業、早稲田大学大学院修了。
時事通信社入社後、
社会部などを経て現在、二度目の北京特派員。
著書『中国共産党「天皇工作」秘録』( 文春新書)で
アジア・太平洋賞特別賞受賞。
戦後日中外交史に関するスクープで
2013年度の「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。

<遠藤誉が斬る> 
対日戦後民間補償運動と童増の「保釣運動
とのねじれた関係――先鋭化する中国の反日姿勢
配信日時:2014年3月24日 7時40分

チャイナ・ブリーフ:(5)戦後補償ブローカーに
毎日新聞 揺さぶられる日中関係  2014年04月25日

日本に980億円の賠償請求準備時事通信社
=河北省の戦争被害遺族-中国
(2014/07/13-21:44) 【北京時事】
中国で日中戦争に関する損害賠償訴訟を
支援している民間団体「中国民間対日賠償請求連合会」の
童増会長は13日、旧日本軍による村民殺害を めぐり、
河北省唐山市豊潤区の村の遺族ら計約1200人が
日本政府を相手取り、計約60億元(約980億円)に上る
損害賠償を求め訴訟を起こす準備を進めていると明らかにした。

「歪曲」解釈に反対=共同声明の賠償請求放棄-中国
 童氏が時事通信の電話取材に述べた。
村民約1200人のうち、まず約30人が代表として原告団に参加する予定。
河北省の裁判所に提訴するが、時期は未定という。

渤海国との交流
志賀町は福浦港を中心として大陸との交流の玄関だった。

  
朝鮮半島では新羅が668年に高句麗を滅ぼし統一新羅を樹立した。
698年に中国の東北からロシア極東に住んでいた「靺鞨(まっかつ)」が
高句麗の遺民たちと共に唐軍を退け振国を樹立。
713年に振国の大祚栄が唐から渤海郡王に封じられ、以後、渤海と称した。

位置;中国東北地方の黒龍江省、吉林省、遼寧省、
    北朝鮮の咸鏡北道、ロシアの沿海州
歴史;698年に建国され926年に契丹の攻撃で滅ぼされる。
      歴史を残していないため、詳細不明
都 ;東牟山→顕州→上京竜泉府(黒龍江省寧安市にある東京城址)
    →東京竜原府(吉林省琿春市にある八連城址)→上京竜泉府

参考資料;古代文化と渤海(上田正昭監修2005年大巧社)、
渤海国交流のなぞを探る(2003年富来町発行)、
茜さす日本海文化(浅香年木著1989年能登印刷)、
福浦ものがたり(2004年福浦区史編集委員会) 
いずれも志賀町図書館蔵書を参考とした。

日本との関係  詳細は「渤海使」および「遣渤海使」を参照
渤海と日本の関係は当初は新羅を牽制するための軍事的性格が強く、
唐に対抗するため奈良時代から日本に朝貢した。
唐から独立した政権を確立した渤海であるが、
大武芸の時代には唐と対立していた。
その当時の周辺情勢は黒水部は唐と極めて親密な関係にあり、
新羅もまた唐に急速に接近しており渤海は国際的な孤立を深めていた
この状況下、大武芸は新羅と対立していた日本の存在に注目した。
727年、渤海は高仁義ら[2]を日本に派遣し日本との通好を企画する。
この初めての渤海使は、日本に到着した時、当時の日本で
蝦夷と呼ばれていた人々によって殺害され、生き残った高斉徳他8名が
出羽国海岸に漂流し、翌年聖武天皇に拝謁した。
この年引田虫麻呂ら62名を送渤海客使として派遣するなど
軍事同盟的な交流が形成された。
しかし渤海と唐の関係改善が実現すると、日本との関係は
軍事的な性格から文化交流的、商業的な性格を帯びるようになり、
その交流は926年渤海滅亡時までの200年間継続した。
日本海側の、金沢、敦賀、秋田城などからは
渤海との交流を示す遺物が発掘されている。

渤海と言う国ご存知ですか
日本に日本海を渡り幾度も来てるようですが、この船が

今の福井あたりに着いた記録はないのですか

渤海国の存在は日本の歴史にとって大変重要
  2010/12/1214:57:04
渤海国の存在は日本の歴史にとって大変重要だと思います
遣唐使よりも遣渤海使の方が数が多いです
歴史の教科書に載って然るべきではないでしょうか? 

「渤海、中国史に編入」中央日報
…日本にある渤海国石碑返還要求の動き 
2006年05月29日10時57分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
 旧日本軍が日露戦争の戦利品として持って帰った渤海国の石碑を
中国に返還しなければならないという主張が中国で起こっていると
日本の朝日新聞が28日、報道した。

  新聞は中国がこの石碑に関心を持つようになった背景には

渤海国の以前のこの地域に存在した
高句麗の歴史をめぐる韓中間の論争があると分析した。

  問題の石碑は現在、日本の皇居に保管されている

「鴻臚井碑(こうろせいひ)」だ。
この石碑は1908年、日本の皇居の吹上御所に移された。
日露戦争当時、中国遼寧省旅順市を占領した日本軍が戦利品として
石碑と碑閣(亭子)をともに持って帰り天皇に捧げたものだ。
日本防衛研究所図書館に所蔵されている
「明治37、38年戦役戦利品寄贈書類」にこうした内容が書かれている。

  この事実は99年、日本の渤海国史専攻学者によって学界に初めて知られた。

中国学界はこの石碑が唐と渤海が君臣関係を結んだことを立証する
決定的な遺物として高い関心を見せている。
中国政府は2002年から
「高句麗は中国の東北変更地域にあった1つの地方政権」という要旨の
「東北工程」を国家的プロジェクトとして推進しているからだ。

  中国歴史学会は最近1~2年の間に鴻臚井碑に大きな関心を傾けている。

2004年には関連学者たちが中華社会文化発展基金とともに 
「唐鴻臚井碑研究会」を設立した。
昨年8月には初めて中国、日本の学者たちを招待した
学術シンポジウムを大連で開いた。
中国政府は石碑返還に対する公式的立場を明らかにしていないが、
民間では返還運動をしなければならないという声が上がっている。

  3月、大連日報に掲載された鴻臚井碑に関する特集記事は

「国宝の返還には団結が重要だ」と訴えた。
この記事はまた鴻臚井碑と同じく日 露戦争で日本に搬出された
韓国の北関大捷碑が政府間交渉で昨年、韓国返還が実現したという消息も
写真とともに紹介した。元々の所在地だった旅順ではこの石碑を
返還された場合に備えた展示館建設計画が用意されていると伝えられた。

  大連市諮問機構である政治交渉会議は今年の1月、

この石碑に関する研究を促す提案をしている。
日本の皇室の財産を管理する宮内庁は28日、朝日報道に対し
「この石碑は日本の国有財産」とし
「出入制限があって一般公開はしていない」と明らかにした。

  99年、鴻臚井碑を紹介する論文を初めて発表した

日本国学院大学栃木短期大学の酒寄雅志教授は
「渤海という国ができた当時を考えるかけがえのない史料だ。
皇居の奥深くしまい込んでおかないで、まずは開放・公開してほしい」と話している。

  ◆鴻臚井碑=713年、唐が渤海王を

「渤海郡王」に冊封した事実を記録した石碑で、
初め渤海領土(現中国遼寧省旅順市)に建てられていた。
日露戦争で旅順を占領した日本軍によって日本に搬出され
1908年、日本の皇居の庭園に置かれた。 

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