慰安婦問題について、いろんな報道: 慰安婦問題で朝日新聞が「反撃」本格化  「慰安所は軍の施設」研究者インタビュー掲載、J-CASTニュース。朝日新聞、永井和・京大院教授に聞く。永井和京都大学教授の主張に対するいくつかの疑問。

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2015年7月2日木曜日

慰安婦問題で朝日新聞が「反撃」本格化  「慰安所は軍の施設」研究者インタビュー掲載、J-CASTニュース。朝日新聞、永井和・京大院教授に聞く。永井和京都大学教授の主張に対するいくつかの疑問。

永井和さん 京都大大学院教授(日本近現代史)

慰安婦問題で朝日新聞が「反撃」本格化 
「慰安所は軍の施設」研究者インタビュー掲載
2015/7/ 2 19:26 J-CASTニュース
いわゆる従軍慰安婦の女性を済州島から数多く強制連行したとする
「吉田証言」記事をめぐり、取り消し、のちに謝罪に追い込まれ、
「満身創痍」の感もあった朝日新聞が、
あらためて慰安婦問題への取り組みを本格化させつつある。


2015年7月2日付朝刊に掲載された特集記事では、
「河野談話」が発表された1993年以降にも数多く公文書が発見され、
それをもとに「慰安所が軍の施設」であったことを実証したとする
学者のインタビューを掲載している。
「慰安所は民間業者が運営していた」とする説に反論する内容だ
朝日は、慰安婦報道を検証する第三者委員会の検証結果を受け、
「読者にわかりやすく伝える取り組みをより一層進め」ることなどを
柱とする方針を明らかにしていた。
朝日新聞が紙面で、慰安婦問題のインタビューを大きく取り上げた
「『河野談話』以降の研究の現状」について聞く形式
朝日新聞は14年8月5日と6日に掲載した検証誌面「慰安婦問題を考える」で、
吉田証言を虚偽だと認定し取り消したが、取り消しまでに約30年にもかかった上、
誤報に対する謝罪がなかったことに対して批判が殺到。
謝罪すべきだと主張した池上彰さんのコラム掲載の一時差 し止めた問題や、
東京電力福島第1原発の「吉田調書」問題など複数の問題がからむ形で、
木村伊量社長(当時)の辞任に発展した。
15年7月2日の紙面は、永井和・京都大大学院教授(日本近現代史)に
インタビュー形式で「『河野談話』以降の研究の現状」について聞く形式だ。
インタビューでは、永井教授は河野談話以降に明らかになった成果として
「日本軍の慰安所は軍が設置した軍の後方施設であることを
軍や警察の公文書で実証」したことを挙げている。
例えば、1996年には警察大学校で「内務省警保局が慰安婦の募集や
渡航に関して発したり報告を受けたりした一連の警察関連文書」
(1937~39)が発見され、日中戦争直後に「中国戦線で
日本軍が慰安所を設置し、女性を募集した経緯」が明らかになったという。

募集業者を取り締まろうとした日本警察
軍の依頼を受けた業者が朝鮮半島や内地(日本本土)で慰安婦を募集したが、
事情を知らない警察は募集を取り締まろ うとした。
特に和歌山の警察は
「軍の名をかたり売春目的で女性を海外に売り飛ばそうとしたのではないか」
とみて、刑法の国外移送目的拐取の容疑で業者を取り調べたが、
軍の依頼だと分かり業者は釈放されたという。
軍が、当時警察を管轄していた内務省に対して慰安婦女性の
中国渡航について協力を要請していたことも明らかになった。
これ以外にも、軍の教材にも、「慰安所の設置」が
業務の一つとして明記されていたという。
永井氏はこういった状況を、女性の自由意志を
確認するための手続きを定めた規則も見つかっていないことなどを理由に、
「慰安婦制度が『人身売買による奴隷制度だった』と
批判されても仕方がない」と批判している。

朝鮮半島での物理的な強制力を使った連行を示す資料は確認されず
いわゆる強制連行をめぐる問題では、インタビューのすぐ下に掲載された解説記事で、

「朝鮮半島で物理的な強制力を使い女性たちが連行されたとする文書は
確認されていない」と説明されている。 
 
朝日新聞社は、慰安婦報道をめぐる第三者委員会の検証結果を受け、
14年12月26日に
(1)慰安婦となった女性 の多様な実態と謙虚に向き合い、
読者にわかりやすく伝える取り組みをより一層進め、多角的な報道を続け、
それを海外にも発信していきます
(2)社内の各部 門から記者を集め、継続的に担当する取材班をつくります。
社外の識者とも議論を重ね、海外にも記者を派遣します
(3)いろいろな視点や意見をもつ識者や関係者の見方を紹介するなどし、
読者のみなさまがこの問題を考える材料を示していきます、
という3つの方針を示した。
その一環として、6月2日の紙面には
 「慰安婦問題、識者と考える」と題した識者4人による対談記事を掲載していた。


(慰安婦問題を考える) 朝日新聞デジタル
慰安婦や慰安所の実態はどこまでわかってきたのでしょうか。
1993年、当時の河野洋平官房長官は「河野談話」で、
慰安所の設置、管理に旧日本軍が関与していたことを明らかにしました。
警察や軍の公文書などの資料をもとに、慰安所は軍の施設として
設置されたことを明らかにした永井和・京都大大学院教授ら歴史研究者に、
「河野談話以降」の研究の現状について聞きました。
 ■募集や渡航、軍が警察に協力を要請 慰安施設設置のため、軍の規則改定
 ――研究を始めた経緯は。
 「1998年に授業で慰安婦問題をめぐる歴史論争を取り上げたのがきっかけで、
慰安所成立の経緯を史料に即して解明しようと考え、
2000年に最初の論文を発表しました」

 ――明らかになった事実は。
 「日本軍の慰安所は軍が設置した軍の後方施設であることを
軍や警察の公文書で実証しました。
軍の組織である以上、軍は慰安婦問題に対する責任を免れないことになります。
『慰安所は戦地における公娼施設、
つまり民間の売春施設であり、軍に責任はない』という主張への批判でもあります」

 ――慰安所が作られた経緯は。
 「日中戦争開始直後の37~38年、
内務省警保局が慰安婦の募集や渡航に関して発したり報告を受けたりした
一連 の警察関連文書(資料〈1〉~〈5〉、〈7〉)が96年、警察大学校で見つかりました。
当時、中国戦線で日本軍が慰安所を設置し、女性を募集した経緯が詳 しくわかります」
 「まず37年12月、中国に展開した中支那方面軍で
『将兵の慰安施設の一端』として『前線各地に軍慰安所』を設置するよう定められました。
上海の日本軍特務機関と憲兵隊、日本総領事館が業務分担協定を締結。
軍の依頼を受けた業者が日本内地と朝鮮に派遣され、
『皇軍慰安所酌婦3千人募集』の話を伝えて女性を集めました(資料〈1〉、〈2〉)」

 ――警察の対応は。
 「事情を知らない地方警察にとって当初は信じがたい話だったようです。
なにしろ軍が公序良俗に反する人身売買と売春の事業に着手し、
公然と募集することになるのですから、軍の威信を失墜させかねない(資料〈3〉)。
『民心とくに兵士の留守家庭に悪影響を与える恐れ がある』として、
募集活動を取り締まろうとしました(資料〈4〉)」
 「和歌山県の警察は『軍の名をかたり売春目的で女性を
海外に売り飛ばそうとしたのではないか』とみて、
刑法の国外移送目的拐取の疑いで業者を取り調べました。
しかし大阪の警察に問い合わせた結果、軍の依頼による公募とわかり、
業者は釈放されています。
大阪など一部の警察には
事前に内々に軍からの協力要請が伝えられていたのです(資料〈2〉)」
 「各地の警察の取り締まり方針を知った内務省は38年2月、
軍の要請にもとづく慰安所従業婦の募集と中国渡航を容認するよう通達し、
慰安婦の調達に支障が生じないようにしたのです。
同時に軍の威信を保つため、軍との関係を隠すよう
業者に義務づけることも指示しています(資料〈5〉)」

 ――同じ時期に軍が出した公文書もありますね。
 「陸軍省は38年3月、女性の募集にあたっては地方の憲兵や警察当局と
連絡を緊密に取るよう、中国に駐屯する日本軍に命じました(資料〈6〉)。
同時期の警察文書と強い関連性が認められます」
 「38年秋には、中国・広東攻略のため派遣された第21軍が
参謀将校を東京に派遣し、慰安所で働く女性400人 を渡航させるよう
内務省に協力を要請しました。要請を受けた内務省は11月、
大阪、福岡など各府県に女性の募集人数を割り当て、業者を選定して
中国に送るよう手配を命じました(資料〈7〉)」

 ――慰安所を民間ではなく軍の施設とする根拠は。
 「陸軍大臣が日中戦争開始後の37年9月に
『野戦酒保規程』という規則を改定した記録を04年、
防衛庁防衛研究所(当時)の所蔵資料から見つけました。
軍隊内の物品販売所『酒保』に『慰安施設を作ることができる』
との項目を付け加える内容です(資料〈8〉)。
上海派遣軍参謀長は12月、『慰安施設の件方面軍より書類来り』
『迅速に女郎屋を設ける』と日記に記しました(資料〈9〉)。
派遣軍が『慰安施設』として『女 郎屋』を設けたことを意味しています」
 「41年に陸軍経理学校教官が経理将校教育のため
執筆した教材(資料〈10〉)にも『慰安所の設置』が業務の一つと記されました。
当時、陸軍経理学校で学んだ人は
『調弁する女の耐久度とか消耗度』を記したマニュアルがあった(資料〈11〉)
と証言しています」

 ――軍が慰安所設置を業務にしていったということですか。
 「そうです。慰安所は民間業者が不特定多数の客のために
営業する通常の公娼施設とは違います。
軍が軍事上の必要から設置・管理した将兵専用の施設であり、
軍の編成の一部となっていました」

 ――慰安所制度の問題点は。
 「戦前でも公娼制度は、廃止論者から
『人身売買に依る奴隷制度にして人道に反す』と批判されていました(資料 〈12〉)。
内務省は女性の自由意思を保障するためとして娼妓取締規則を定めましたが、
軍慰安所についてはその程度の規則すら見つかっていません。
慰安婦制度が『人身売買による奴隷制度だった』と批判されても仕方がない。
紹介手数料として女性側が負う前借金の1割を
軍部が紹介業者に支給するという趣旨の業者の供述(資料〈4〉)もあり、
事実なら軍が人身売買に直接加担したと言っても過言ではありません」
 「慰安婦募集の際、業者が『いい仕事がある』と女性をだまして連れ出す
就業詐欺や誘拐が行われていたという証言が多くあります。
これは刑法の国外移送目的拐取罪にあたり、軍慰安所は
こうした犯罪行為に支えられていたといえます」

 ――慰安所に対する取り締まりはあったのですか。
 「元憲兵の回想記には、軍直轄の喫茶店、食堂で働くとの契約で
中国に連れてこられた朝鮮人女性が売春を強いられていた、といった
就業詐欺の事例が記されています(資料〈13〉)。
記述は慰安婦に同情的ですが、軍内部の違法行為を取り締まる立場なのに、
何もせず放置 したままでした」
 「慰安所は軍に不可欠であり、それを維持するためには
違法な方法で慰安婦が募集されてもやむを得ない
――と考える体制が軍内部にできていたと思われます。
たとえ政府や軍中央による命令がなくても、結果的に軍がそうした行為を
容認したと言われても仕方がないのではな いでしょうか」

 ――強制的に女性を連れて行く事例はあったのでしょうか。
 「中国や東南アジアなど占領地では、一
部部隊による拉致、人さらいのような強制連行が起きたことが
戦犯裁判記録などで明らかになっています。
慰安所を『戦地の公娼施設』とする考え方では
『民間の業者や末端の部隊の軍紀違反行為にすぎず、
軍中央の命令によるものではない』との主張になるのでしょう。
しかし慰安所が軍の編成に組み込まれた軍の施設だとすれば、
強制連行の軍命令の有無にかかわらず、
軍の責任は否定できな いといわざるを得ません」
 (聞き手=編集委員・北野隆一)
 ◇永井和さん 京都大大学院教授(日本近現代史)
 ながい・かず 1951年大阪市生まれ。
富山大助教授、立命館大教授を経て
京都大学大学院文学研究科教授(日本近現代史)。
著書に「日中戦争から世界戦争へ」「青年君主昭和天皇と元老西園寺」
「近代日本の軍部と政治」など。(滝沢美穂子撮影)

 ■河野談話後、多数の資料見つかる
 慰安婦の存在は戦後、文学や元兵士の手記などで知られていたが、
長く歴史学の研究対象とはされてこなかった。
慰安婦問題の先駆的研究者である吉見義明・中央大教授は
(1)軍や政府の資料が発見されていなかった
(2)被害者の証言が得られにくかった
(3)人権問題と してとらえる視点が乏しかった――を理由に挙げる。
 研究状況が変わるきっかけは、冷戦の終結と韓国内の民主化だった。
まず韓国の市民団体「韓国挺身隊問題対策協議 会」が1990年、
慰安婦問題の真相究明が必要と問題提起した。
翌91年8月に元慰安婦の金学順(キムハクスン)さんが実名で証言し、
12月に日本政府を相手に訴訟を起こした。
 93年8月には当時の河野洋平官房長官が慰安所設置への
軍の関与を認めて謝罪する「河野談話」を発表し、この間に研究の基礎がつくられた。
資料となったのは、日本政府や研究者が発掘した軍や政府の公文書、
元慰安婦の証言などだ。
 河野談話以降、新たな資料の発見が進み、慰安所での
女性たちの境遇が慰安所業者の日誌で明らかになりつつある。 
昨年6月、国内で慰安婦問題に取り組む市民団体が、
永井教授が分析した警察資料や戦犯裁判資料など
538点が河野談話以降に見つかっているとして日本政府に調査を求めた。
ただ、朝鮮半島で物理的な強制力を使い
女性たちが連行されたとする文書は確認されていない。
 慰安婦問題を考える論文集「『慰安婦』問題を/から考える」
(歴史学研究会、日本史研究会編)の出版にあたった
大門正克(おおかどまさかつ)・横浜国立大教授
「植民地の日常から慰安婦が生まれた背景を探る研究や、
各国の軍の管理売春と比較することで世界が克服すべき
共通の課題と位置づける研究が出てきている。
性暴力を問い直す世界史の流れの中で慰安婦問題をとらえることが必要だ」と話す。

 ■永井氏、法的根拠示す文書発見
 慰安所の経営管理は主に民間の業者があたっていたが、
軍が様々な面で慰安所の設立や運営に関与したことがこれまでわかっていた。
 吉見教授によると、永井教授の研究の成果は主に、
(1)軍が慰安所を設置する法的根拠を示す文書を発見した
(2)慰安所は軍が設置した軍の施設であることを
改めて資料で補強し確認した、という点にある。
 吉見教授は、永井教授が発見した1937年の
「改正野戦酒保規程」という陸軍大臣が改定した軍の内部規則に注目する。
慰安施設をつくれるという一文を第1条に加えるもので
「慰安所設置に法的根拠があったことを示しており、
永井教授の資料発見は、大きな意味がある」。
 アジア女性基金が96年10月に設けた「慰安婦」関係資料委員会は、
河野談話の基礎になった資料とその後発見された警察関係資料を公刊した。
基金の専務理事で、資料委の副委員長も務めた
和田春樹・東京大名誉教授は
「永井教授の研究は、これまでの軍や警察の資料を分析し直し、
自身で発見した新たな資料を加味することで、
軍が慰安所を設置したことを明らかにした」と話す。
 (佐藤純、編集委員・豊秀一)

 ■インタビューに引用された資料(〈1〉~〈13〉)
〈1〉在上海日本総領事館警察署長から長崎水上警察署長にあてた依頼状
「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」(1937年12月21日付)

〈2〉和歌山県知事から内務省警保局長にあてた
 「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(38年2月7日付)
〈3〉群馬県知事が内務大臣や陸軍大臣にあてた
「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(38年1月19日付)
〈4〉山形県知事が内務大臣や陸軍大臣にあてた
「北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件」(38年1月25日付)
〈5〉内務省警保局長が各府県知事にあてた通牒
「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(38年2月23日付)
〈6〉陸軍省副官から北支那方面軍及び中支那派遣軍参謀長にあてた
依命通牒「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(38年3月4日付)
〈7〉内務省警保局長から各府県知事にあてた通牒
「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(38年11月8日付)
〈8〉陸軍大臣から陸軍内に通達された「改正野戦酒保規程」(37年9月29日付)
〈9〉南京戦史編集委員会編、偕行社発行「南京戦史資料集1」(89年)
〈10〉清水一郎陸軍主計少佐編、
陸軍主計団記事発行部刊行「初級作戦給養百題」(41年)
〈11〉桜田武・鹿内信隆著「いま明かす戦後秘史 上巻」(83年)
〈12〉内務省警保局「公娼制度ニ関スル件」(大正末ごろ作成)
〈13〉秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」(99年)、
鈴木卓四郎著「憲兵下士官」(74年)

※軍慰安所従業婦等募集に関する件 
(ぐんいあんじょじゅうぎょうふとうぼしゅうにかんするけん)とは
1938年3月4日付陸軍省兵務局兵務課起案(梅津陸軍次官押印)による、
北支・中支軍参謀長宛の副官通達案(陸軍省公文書)。
防衛庁防衛研究所蔵 陸軍省大日記類
 陸支密大日記 昭和13年第10号 陸支密第745号。
慰安婦慰安所に関する日本軍の公式資料のひとつである。

1992年1月11日朝日新聞がこの資料を「慰安所に日本軍が関与した」
証拠として報道した事で広く知られるようになり、
今日でも研究者たちによってしばしば引用され解釈されている。
1992年当時において日本政府は「慰安婦は民間業者が連れ歩いたもの」
と答弁していた[1]
朝日新聞はこの資料を1面トップで
「慰安所の経営に当たり軍が関与、大発見資料」と報道し、
記事や社説では「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」
「その数は8万とも20万ともいわれる」とし、
吉見義明が「軍の関与は明白であり、謝罪と補償を」というコメントを寄せたが、
この資料の解釈については反論が出ている#吉見説への批判と反論)。

 ■慰安婦をめぐる資料
 <慰安所が作られた理由や経緯について>
●岡村寧次大将資料 上巻(1970年、原書房)
 「私は恥ずかしながら慰安婦案の創設者。
昭和7(1932)年の上海事変のとき、二、三の強姦(ごうかん)罪が
発生したので、(上海)派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍にならい、
長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、強姦罪がやんだので喜んだ」

※ 『岡村寧次大将資料』について
 『岡村寧次大将資料(上) 戦場回想編』(岡村寧次著 原書房)
 という本があります。
 著者は中国戦線にて第十一軍司令官、北支那方面軍司令官、
第六方面軍司令官、支那派遣軍総司令官を歴任した岡村寧次大将です。
 その「第四編 武漢攻略前後」に以下の記述があることを以て、
「南京大虐殺」の証拠と論ずる人々がいます。
 ・・・省略、(靖国偕行文庫所蔵)の文献資料の表紙はこれです。
 この通り、文献のタイトルは『岡村寧次大将回想録』です。
 『岡村寧次大将陣中感想録』というタイトルで、
偕行文庫に所蔵されている文献資料はありません。

●陸軍省医務局課長会報(39年4月15日)★
 第21軍軍医部長が性病予防などのため兵100人に1人の割合で
慰安隊を採り入れたと報告。計1400~1600人
●支那事変の経験より観たる軍紀振作対策(40年9月19日、
陸軍省が関係部隊に送付)〈資料A〉★
 「性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直、深刻にして、
これが指導監督の適否は志気の振興、軍紀の維持、
犯罪および性病の予防等に影響するところ大」
●陸軍省課長会報(42年9月3日)〈資料B〉★
 恩賞課長が慰安所を北支100カ所、中支140カ所、南支40カ所、
南方100カ所、南海10カ所、樺太10カ所の計400カ所作ったと報告

 <慰安婦の集め方について>
●米軍の調査報告書(44年10~11月)★
 42年5月初め、軍から慰安所経営をもちかけられた
日本人業者が朝鮮で慰安婦を募集。
朝鮮軍司令部は業者への協力を求める他の軍司令部あての手紙を業者に持たせた。
業者はけが人や病人の慰問、高収入、軽労働などといううその宣伝で
女性を集め、7月10日に釜山を出港。
朝鮮人女性703人と日本人業者約90人が乗っていた。
8月20日に(現ミャンマーの)ラングーンに到着し、
女性らは20~30人のグループに分けら れ各地の部隊に配属された。
●バタビア臨時軍法会議の記録〈資料C〉★
 戦後のオランダ軍による戦犯裁判で、日本の軍人ら9人が44年2~4月ごろ、
インドネシア・ジャワ島で抑留されていた10人ほどのオランダ人女性に
売春を強制したなどとして死刑を含む有罪判決(スマラン事件)

 <慰安所での処遇について>
●「常州駐屯間内務規定」など17件(38~45年)★
 中国や東南アジア各地などに設置された慰安所の管理規定。
軍による慰安所の建物の提供や営業の監督、営業時間、兵士が払う料金、
慰安婦の性病検査などが定められている。
フィリピンのイロイロ派遣憲兵隊の「慰安所規定」は
「慰安婦外出を厳重取締」としていた。
オランダ政府の調査報告(93年)
 日本軍の慰安所で働いたオランダ人女性は200~300人、
そのうち65人は売春を強制されたことが「絶対確実である」

白馬事件 2 付記
秦郁彦は、判決で被害者のオランダ人35人のうち
全てが強制とはされなかったこと、慰安所に連行される以前に
売春婦であった女性が存在した可能性について述べている[11]
裁判内容そのもの(証言内容など)は、現在までのところ、
被害者の感情を考慮して一般公開はされていない
(2025年に記録は開示される予定)。
し かしながら、既にオランダ政府は1994年、資料調査に基づいて
「日本占領下蘭領東インドにおけるオランダ人女性に関する
強制売春に関するオランダ政府所 蔵文書調査報告」を発表している。[12]
他にも、研究者等に対しては必要に応じ資料を公開する場合があり、
次のように日本語になっている資料も存在する。 

1992年、朝日新聞はオランダ国立公文書館より、
白馬事件に関する判決文及び法廷尋問書を入手し一部を朝刊で公開した。 
1993年、オランダにおいて内務官僚プールヘイストが裁判・証言資料を基に
オランダ人女性に対する強制売春についての議会向け報告書を作成した。
英語・日本語にも翻訳。 
また、1999年には女性のためのアジア平和国民基金が(
白馬事件の裁判証言記録を含め)オランダ国立公文書館・アムステルダムの
国立戦争資料研究所・オランダ外務省公文書室の資料を調査し
「慰安婦」問題調査報告に発表した。 
これらの資料には、白馬事件以外にも日本軍人による女性の拉致や
憲兵隊による地位の濫用、また逆に軍の強引な「志願者」徴募に対し
憲兵隊が介入して女性を守った事例も述べられている[13][14]
     *
 不適切な表現も原文のままとしています。
仮名遣いなどは現在の平易な表現に改めました。
★印は92~93年に日 本政府が確認した資料計285件に含まれるもの。
インターネットのサイト「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金」の
「慰安婦関連歴史資料」のコー ナーに収録されているものもあります。
永井教授が分析した警察関係資料も同コーナーで見られます

2014年9月27日土曜日
永井和京都大学教授の主張に対するいくつかの疑問 。
国会で慰安婦問題を煽った政治家たち
 ・・・  続・慰安婦騒動を考える より

永井和京都大学教授の主張に対するいくつかの疑問
2014-09-24 20:22:09
京都大学の永井和教授による慰安婦関連の史料の読み方や
それに基づく主張が面白かったので、いくつか疑問点を挙げながらの雑談。
まったり系のゆるゆる雑談。 
・「いくつか」だったはずが、どんどん「いくつもの」になっていくのは
ひみつ ・永井和クンがだんだん壊れていくなんて気のせい。
 ・サイト管理者がコメント消して永井クンを逃がしたなんてことはないよ?よ?
 注1:文中の「永井クン」、「永井ちゃん」、 「永井センセ」等は、
京都大学教授永井和氏を示す。 
注2:文中の「おさるさん」は、ジョンお姉さんと永井和教授が
やりあっているブログの管理人で、永井和教授サイドの人。 
参考資料:政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料
 http://www.awf.or.jp/6/document.html 焦点となっている
「マレー軍政監部軍政規定」はこのサイトのpdfの3つめ 大内某
その他の取り調べ等、警察関係の史料はこのサイトのpdfの1つめ
文中の「眞杉論文」とは、『「人身売買排除」方針に見る近代公娼制度の様相』http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no93_08.pdf であり、
眞杉とは眞杉侑里氏を示す。 

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