慰安婦問題について、いろんな報道: 「#葛根廟事件 (かっこんびょうじけん)」から70年 生存者や遺族が交流

Translate

2015年8月14日金曜日

「#葛根廟事件 (かっこんびょうじけん)」から70年 生存者や遺族が交流



NHKニュース「葛根廟事件」から70年
生存者や遺族が交流
8月14日 5時49分
終戦の前日に、中国東北部の旧満州で、
日本人の女性や子どもなど1000人余りがソビエト軍の襲撃を受けて死亡した
「葛根廟事件」から14日で70年となるのを前に13日夜、東京都内で生存者や
遺族らの交流会が開かれました。

「※葛根廟事件」は終戦前日の昭和20年8月14日に、
旧満州の葛根廟で日本人の女性や子どもを中心におよそ1300人が
ソビエト軍に襲撃されたもので、1000人余りが犠牲になったとされています。
13日夜、東京・港区のホテルで開かれた交流会には
事件の生存者や遺族など21人が出席し、食事をしながら懇談しました。
葛 根廟事件は、これまで生存者がほとんど体験を話してこなかったことから、
国内でもほとんど知られていません。
生存者の1人、高田京子さん(78)は
「つら い体験は家族にも話さないし、
同じ体験をした人どうしでなければできません。
きょうはお互いに生きていてよかったねと語り合っています」と話していまし た。
また、事件で家族を失って残留孤児となり、30年余りたって帰国した
依田照子さん(78)は「事件は、きのうのことのように覚えています。
きょうまで生きてきたことに感謝しています」と話していました。
事件の生存者や遺族らで作る会は14日、東京都内で慰霊祭を開いて、
犠牲者を追悼することにしています。※葛の下の部分は「ヒ」 

「葛根廟事件」とは

「葛根廟事件」は終戦前日の昭和20年8月14日、
中国東北部の旧満州の葛根廟で、ソビエト軍の侵攻から逃れようと、
徒歩や牛車で避難していたおよそ1300人の日本人が、
ソビエト軍の戦車部隊に襲撃されたものです。
この事件で女性や子ども、それにお年寄りなど1000人余りが
砲撃や銃弾を受けて犠牲になったとされ、日本に帰国することができたのは
百数十人とされています。
被害の正確な実態は分かっていませんが、ソビエトの満州侵攻後、
多くの民間人が犠牲になった最大級の事件とされています。
事件によって、日本に帰ることができなかった女性や孤児が多く出たとされ、
これまでに36人が残留孤児となっていたことが分かり、
このうち27人が日本に永住帰国しました。
襲撃が起きた現場付近で自決した人も多く、その過酷な体験から、
生存者の中でも事件について語る人は今も多くありません。
このため、国内でも、あまり知られていません。
事件の生存者や遺族らで作る「興安街命日会」では
毎年8月14日に東京・目黒区の五百羅漢寺で
犠牲者を供養する慰霊祭を開いています。
また、事件の風化を防ごうと去年には、事件の関係者の証言を集めた
証言集を出版するとともに、
終戦70年の先月は現地への慰霊訪問を行いました。

忘れてはならないこと フェイスブックから転載です
この笑顔を・・・もう見ることはできない。

ソ連とシナの蛮行!!
8/12~8/14の事件を忘れてはいけません・・・。

麻山事件 (まさんじけん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月12日、
満州国鶏寧県麻生区(現中華人民共和国黒龍江省鶏西市麻山区)において、
日本の哈達河開拓団が避難中にソ連軍満州国軍反乱兵によって
攻撃されて集団自決した事件。421人が死亡した。

小山克事件 (しょうさんこくじけん)とは1945年8月13日に満州国吉林省
南満州鉄道京図線九台駅吉林駅の間の小山克で武装した暴民に襲われ、
日本人避難民が強姦・虐殺され集団自決した事件。

葛根廟事件  (かっこんびょうじけん)は、1945年8月14日、
満州国興安総省葛根廟  (現在の
中華人民共和国内モンゴル自治区ヒンガン(興安)盟ホルチン右翼前旗葛根廟鎮
において日本人避難民約千数百人(9割以上が婦女子)が
ソ連軍および中国人によって攻撃され、1,000名以上が虐殺された事件。

関連項目
牡丹江事件
三船殉難事件
真岡郵便電信局事件
敦化事件
ソ連対日参戦
連合軍による戦争犯罪 (第二次世界大戦)

0 件のコメント:

コメントを投稿