慰安婦問題について、いろんな報道: 元朝日新聞社、波佐場 清氏が 「慰安婦は軍属」――辻政信が明言 、とブログエントリ。9月の雨に思い出す陸軍守備隊の死闘  圧倒的劣勢で4カ月

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2015年8月3日月曜日

元朝日新聞社、波佐場 清氏が 「慰安婦は軍属」――辻政信が明言 、とブログエントリ。9月の雨に思い出す陸軍守備隊の死闘  圧倒的劣勢で4カ月


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波佐場 清   1947年石川県生まれ。71年朝日新聞入社。
大阪社会部員、ソウル支局長、編集委員など。
定年退職後、神戸大学客員教授をへて
現在、立命館大学コリア研究センター研究員。
関心領域は日韓、日朝、南北関係など朝鮮半島をめぐる諸情勢。
著書に『コリア閑話』(東方出版)、
訳書に『南北首脳会談への道 林東源回顧録』(岩波書店)、
『金大中 平和統一論』(朝日新聞社)、
『金大中自伝Ⅰ,Ⅱ』(共訳、岩波書店)など。

 「慰安婦は軍属」――辻政信が明言
更新: 2015年08月03日 11時50分 JST  The Huffington Post Japan, Ltd
旧日本陸軍参謀、辻政信(1902~68?)が慰安婦について
「身分は軍属」と明言していたことを
最近、その著書『潜行三千里』を読んで初めて知った。
旧日本軍の慰安婦や慰安所をめぐっては
1993年、当時の河野洋平官房長官が「河野談話」で、設置、管理に
日本軍が関与していたことを認める一方で、
一部には「民間業者が戦地に設置、運営した公娼」との主張もいぜん根強い。
辻政信は陸軍大学卒の超エリート軍人。
ノモンハン事件で作戦指導にあたったほか、
第二次大戦ではガダルカナル島の攻防戦やビルマ作戦などを
指導したことでも広く知られている。
そうした旧陸軍の核心人物が自ら、慰安婦は軍に所属する存在だったことを
認めていたというわけである。
『潜行三千里』は、タイ・バンコクで敗戦を迎えた辻が、
戦犯追及のイギリス軍の探索をかいくぐってベトナム経由で中国へ亡命、
そこで国民党政府の国防部に勤務するなどして48年に上海経由で
日本に帰ってくるまでのことを書いている。
1950年に出版されると、ベストセラーになった。
私がこの夏に読んだのは2008年1月に毎日ワンズから出された復刊版。
物語は1945年初夏、ビルマ戦線で負傷した辻が
空路バンコクに入るところから始まっている。
当時バンコクに駐屯していた日本軍の中村明人司令官らに
あいさつに出向いた時のことを記述したあと、次のように続けている。

…軍司令官官邸の裏に小さい神社があった。

『大義神社』と墨痕鮮やかな標柱が立っている。おもしろい名前だ。
『小義神社』というのがどこかにあるような気がする。
 六月八日、初の月例祭に参拝した。司令部の将兵全員と

バンコクの居留民代表が朝早くからお詣りする。

神籬(かみがき)の内に、拝殿に向かって右側に 将校が、左側には
居留民代表が居並び下士官や兵は鳥居の外で並んだ。
 
召集将校の中に本職の神官がいる。
白装束、烏帽子の謹厳な姿で祝詞(のりと)をあげている際に、
前に向き合っている一群の若い女性たちがしきりに対面の将校に
モーションをかけている。神域に不似合な光景であった。
 
帰ってから調べてみると、この若い女たちは将校慰安所の女であり、
偕行社の給仕であった。
 
彼女らもある意味において、それぞれの役割を果たしているのであろう。
身分も 軍属である。…
•     ◇
辻が慰安婦に触れているのは、これがすべてである。

ただ「将校慰安所の若い女」とするだけで、
国籍などはいっさい記述していない。
「一群の…」とあるので、相当な人数だったのだろう。
「将校慰安所」とあるから、これとは別に、
下士官や兵卒の慰安所もあったのだろうか。
そして彼女らは「偕行社の給仕」でもあったとしている。
偕行社(かいこうしゃ)とは何なのか。
たとえば、ブリタニカ国際大百科事典は次のように説明している。

<旧日本陸軍の全将校の社交、研究団体。1877年創立。

1924年に財団法人。酒保、宿舎の経営のほか、図書の出版、
死亡者への義助などの便益を行った…>

彼女らは、その偕行社で給仕をする一方で、
「ある意味において、それぞれの役割を果たしているのだろう」と、
辻は書いているのである。
私 の頭に浮かんできたのは、朝日新聞が最近報じた京都大学大学院の
永井和教授(日本近現代史)とのインタビュー記事である。
「慰安婦問題を考える」と題して 1ページ全面を埋めた
2015年7月2日付のこの特集記事は、当時の警察や軍の公文書などをもとに
「慰安所は軍の施設として設置された」とする永井教授の明快で、
説得力ある研究成果を分かりやすく簡潔に整理してくれていた。
ここで、永井教授は「慰安所を軍の施設とする根拠は?」
との記者の問いに次のように答えている。

「陸軍大臣が日中戦争開始後の37年9月に『野戦酒保規程』という

規則を改定した記録を04年、
防衛庁防衛研究所(当時)の所蔵資料から見つけました。
軍隊内の物品販売所『酒保』に『慰安施設を作ることができる』
との項目を付け加える内容です。
上海派遣軍参謀長は12月、『慰安施設の件方面軍より書類来り』 
『迅速に女郎屋を設ける』と日記に記しました。
派遣軍が『慰安施設』として『女郎屋』を設けたことを意味しています」

辻政信が1945年6月、つまり日本の敗戦間際のバンコクで目撃した
「将校慰安所の女であり、偕行社の給仕」で
「身分も軍属」だったこの女性たちこそ、
永井教授が掘り起こした1937年9月改定の「野戦酒保規程」によって
軍隊内の酒保での設置が認められた慰安施設の女性たちではなかったか。
「慰安所は戦地における民間の売春施設で、慰安婦は公娼だった」
とする一部の主張は、旧陸軍の核心人物であった辻政信が
書き残した著書によっても明確に否定されているといえるのである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の慰安婦
9.3 現地への輸送
日本軍は、業者が慰安婦らを船舶等で現地に送るに際には、
彼女らを特別に軍属に準じた取扱いにし、渡航申請に許可を与え、
日本政府が身分証明書等の発給を行ったりした。
軍の船舶や車両によって戦地に運ばれたケースも少なからずあり、
現地に置き去りにされた事例もあったという[120]。
1962年の国会において、厚生省(現:厚生労働省)は
「慰安婦は、軍属にはなっていないが、敵襲を受けるなどの
部隊の遭遇戦で亡くなった場合は戦闘参加者として

準軍属の扱いをしているはず」と答弁している[121]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/軍属
基地・駐屯地や艦艇内の売店や食堂等の営業
その他様々な後方支援業務

https://ja.wikipedia.org/wiki/辻政信
1.10 中支戦線、ビルマ戦線
ガタルカナル以降は、中国大陸、ビルマを転戦する。
また戦局が不利になりはじめたこの時期に対蒋介石政権講和を東條に進言、
辻自らによる重慶乗り込み講和交渉しようとしたが
陸軍首脳の反対にあい講和は失敗した。
ビルマにおいては拉孟・騰越の戦いに参陣した。
「軍は龍稜方面の敵に対し攻勢を企図しあり、『バーモ』(拉孟)
『ナンカン』地区の防衛は未完なり、水上少将は『ミイトキーナ』を死守すべし」
とミートキーナ守備隊水上源蔵少将に死守命令を発令。
水上少将は独自の判断で「ミートキーナ守備隊の残存しある将兵は
南方へ転進を命ず」と部隊に脱出を命じ、
自分は部隊の渡河を見届けてから責任をとり自決した。
その結果、水上部隊の一部は包囲網の突破に成功して生還したが、
辻は状況報告をしようとした水上の副官を
「死守せよと言ったのに、おめおめ生きて帰りおって」
とすさまじい勢いで殴打した。
あまりにも激しい暴力で居合わせた師団長が止めに入るほどだった。
既に第15軍が壊滅して劣勢の日本軍であったが、
15倍の英印軍、および米式装備の中国軍に対する遅滞戦闘を実施した。
これにより、更に損害は増大した。
この作戦以後インド国民義勇軍は作戦地図より消滅。
大部分のビルマ方面軍はタイのシャン高原付近へ敗走し終戦を迎える。
辻自身は作戦指揮中、寝返ったビルマ軍の襲撃を受け負傷、後送される。

2 CIA極秘文書  2005年(平成17年)に公開された、米中央情報局(CIA)
極秘文書には『服部卓四郎ファイル』や『辻政信ファイル』が存在する。
有馬哲夫はファイル解析の結果、辻の『潜行三千里』の記述は
「おおむね事実」であるという[30]
辻の大陸での行動は中国国民党からの報告がCIA文書となって残っているので、
辻の活動はその文書から確認できるという[31]
アメリカ国立公文書館で2005~2006年に解禁されたCIAの機密文書によると、
CIAを始めとするアメリカの情報機関は戦後、辻らに接近したという[32]
しかし、辻を
政治においても情報工作においても性格と経験のなさから無価値である
機会があるならばためらいもせずに第三次世界大戦を起こすような男
(1954年の文書)と酷評している[33]
吉田政権へのクーデター話は、服部卓四郎ファイルに入っている。
クーデターの指導者は服部卓四郎で主要メンバーは児玉誉士夫、天野辰夫、
本間憲一郎、井本熊男らであるという。
辻はグループを説得し、倒すべき敵は社会党と日本共産党であるとした。
グループはクーデターの代わりに小規模の暗殺を行うことも計画し、
そのターゲットは広川弘禅で あるとした。
ただ、このクーデターの話はファイルで「信頼性を判断できない情報源から
もたらされた信憑性を判断できない情報」であると評価されている。
有馬哲夫は、この情報が中国からもたらされている事実もふまえ、
中国との繋がりもある辻の一種のブラフではないかと考えている[34]

4 評価 毀誉褒貶がきわめて大きな人物で、
その歴史的評価は正負真っ向に分かれている。
作戦家等の肯定的な評価と、
非人道的な行為・責任逃れへの否定的な評価である。  


拉孟・騰越の戦い(らもう・とうえつのたたかい)は、 
1944年6月2日から1944年9月14日まで
中国・雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近にある拉孟
保山市竜陵県)・騰越(同市騰衝県)地区で行われた、
日本軍と中国・アメリカ軍(雲南遠征軍)の陸上戦闘のことを言う。

4 拉孟の戦い 4.3 玉砕
9月7日をもって全戦闘は終結した。
1300名の兵力のうち、残存兵力はゼロ、すなわち玉砕であった。
中国軍の捕虜となった傷病者と、本隊への連絡 のために軍命によって
拉孟を脱出した者が、わずかながら生還している。
また、この戦闘で20名いた慰安婦のうち、
15名の日本人慰安婦は自決、5名の朝鮮 人慰安婦は雲南軍に投降した。
拉孟が陥落する直前の6日、
真鍋大尉は木下昌己中尉ら3人の部下を脱出させていた。
(別にほか一名が脱出)彼らは地元民に変装し、
16日、無事第 33軍本部のある芒市に辿り着き、
吉田連隊、翌17日司令部へと向かい、道中松井大佐と出会った。
松井大佐はそこで拉孟守備隊の悲壮な末路に涙したという。

【国防最前線】9月の雨に思い出す陸軍守備隊の死闘
 圧倒的劣勢で4カ月★(5)
2013.09.23 夕刊フジ
毎年9月になると、
私はある壮絶な戦いのことを思い出す。
それは中国・雲南省にある山岳地帯、拉孟(ラモウ)での出来事だ。
1944年、日本の陸軍守備隊約1300人が50倍近い数の敵と戦い、玉砕した。
 インパール作戦を遂行しようとしていたわが国としては、

この地を1日いや一時でも長く死守し、敵をくぎ付けにする必要があった。
そのため、圧倒的な劣勢でありながら
守備隊は同年6月から9月まで戦い抜いたのである。

 この守備隊長を務めた金光恵次郎(かねみつ・えじろう)少佐が、

戦況悪化に伴い、まず最も頭を悩ませたのは同地にいた
20人の慰安婦のことだったという。
包囲された中、彼女たちをどのように逃すかを思案した。
ところが、彼女たちは意外なことを申し出たのだ。

 「私たちは、ここの兵隊さんの妻であり母だと思っている。

だから最後まで一緒にいたい!」

 貧困などさまざまな辛い事情があってきていた女性たちにとって、

ここが第2の故郷のようになり、守備隊の兵士と実際に結婚するなど、
家族同様の関係となっていたのだ。

 その後、女性たちは傷ついた者の看護をするなどして、

懸命に尽くしたと言われている。

  孤立し補給の途絶えた中での戦闘は壮絶だった。

降り続く雨とロケット砲で、壕はつぶれマラリア患者も続出した。
足をもがれ動けない兵が、地べたにはって いって敵が投げ込んだ
手榴(しゅりゅう)弾を拾い投げ返す。
拾い上げた瞬間に爆発し、吹き飛ばされる者もいた。
鬼気迫るその姿に恐れをなして逃げ出す敵兵もいたという。

 蒋介石が日本軍を称賛する「逆感状」を出し、

自らの雲南軍を叱咤したのはこの時であった。

 女性たちも軍服に鉄帽姿で、泥まみれになりながら

必死に兵士たちの傷の手当てにあたっていた。
しかし、もはや手の尽くしようがなくなり、それぞれが大事に持っていた和服に
着替え最後の化粧をし自決したのだ。
その際、朝鮮半島出身の慰安婦は脱出させたと伝えられている。

 金光守備隊長は1人の部下を呼び脱出を命じる。

「一緒に死なせてください」と懇願するも、金光隊長は
「ここで全員死んでしまえば、戦闘の様子を誰が伝えるのだ」と言って
戦闘日誌を託したのだ。

 不可能といわれながら4カ月近い死闘を繰り広げ、

絶な戦死を遂げた拉孟守備隊のことを、9月の雨に思い出し、
また、その後の日本を私たちは
しっかり守っているのだろうかと自問自答するのである。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ)  1970年、東京都生まれ。
日本大学芸術学部卒。
フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、
ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取 材・執筆。著書に
「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)、
「武器輸出だけでは防衛産業は守れない」(並木書房)など。 

PDF雲南・ビルマ最前線における慰安婦達-死者は語る 浅野豊美

2009年8月16日日曜日
本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)
-インドシナに関心のある人の必読書
(ここに掲載した写真は、私が所有する初版本の表紙。

また下に掲載した「逃避行経路」は初版本に挿入されているものを複写したもの)

昭和25年出版の100万部を記録した大ベストセラー
 名のみ高くして長らく入手不可能だった本書が復刊された。
 昭和25年に刊行されて、なんと100万部の大ベストセラーとなった本書、

その理由は読み始めてからすぐに理解された。
 とにかく面白いのである。何よりも文章のテンポがよく読んでいて実に気持よい。

 さすが元陸軍参謀、知識人特有の長々としたわかりにくい文章はいっさいなく、

ワンセンテンスはきわめて短い。まさに冒険活劇そのものである。

 ビルマ(現在のミャンマー)での作戦から撤退、敗戦を

当時南方軍司令部のあったタイのバンコクで迎えた著者は、
交戦国であった英国からは戦犯として指名手配され、
直前に連合国側に寝返ったタイ国内で英国官憲から執拗に追われていた。
  当時の複雑な国際情勢のなか、頭を剃って仏教僧の格好にやつし、
少数の協力者とともに陸路を移動しヴィエンチャンへ渡り、
フランス領インドシナ(当時)に潜入。
メコン川を舟で下り、さらに陸路をユエ、ハノイを経由して
中華民国(当時)の昆明をへて
国民党の地下工作機関のあった重慶、そして南京へ。
 日本に帰国するために上海を離れるまでの3年に及ぶ、

手に汗握るハラハラドキドキの逃避行を描く。

  もちろん、辻政信という軍人が毀誉褒貶に満ちたいわくつきの人物であり、

ノモンハン、シンガポール攻略、ガダルカナルなどの戦争にかかわった
エリート陸軍参謀として、日本を滅亡に導いた一人であることは十分に承知している。
しかし、そういった後世の評価はいったん棚に上げて、
冒険活劇として思う存分楽しん で頂きたい。

 辻政信の逃避行の背景と実際については、

辻政信と七人の僧-奇才参謀と部下たちの潜行三千里-
(橋本哲男、光人社NF文庫)を合わせ読むとより理解が深まるだろう。

 東南アジア、そのなかでもことにインドシナ

(タイ・ベトナム・ラオス)に興味を持つものは、必ず読むべき本だと思っている。
 インドシナ理解に間違いなく深みが加わるはずである。

【辻政信】“悪魔的作戦参謀”と謳われ、
映画『アンブロークン』にも取り上げられた
鬼畜と呼ばれた男の謎の失踪で終えた生涯の賛否 日本の軍人チャンネル
2015/06/14 に公開
【辻政信】“悪魔的作戦参謀”と謳われ、
映画『アンブロークン』にも取り上げられた
鬼­畜と呼ばれた男の謎の失踪で終えた生涯の賛否

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