慰安婦問題について、いろんな報道: 【小川寛大】宮崎で降ってわいた中国歴史戦と韓国慰安婦像の変化。JR宮崎駅近くで乗用車が暴走。ユネスコ南京事件登録の影響? 宮崎・平和の塔、「八紘一宇を削れ」「何度でも来る」 …平和の塔をめぐり、宮崎に仕掛けられた根拠なき歴史戦。中国・南京の団体が「略奪だ」と礎石返還求める 県は「経緯は不明」と拒絶。

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2015年11月2日月曜日

【小川寛大】宮崎で降ってわいた中国歴史戦と韓国慰安婦像の変化。JR宮崎駅近くで乗用車が暴走。ユネスコ南京事件登録の影響? 宮崎・平和の塔、「八紘一宇を削れ」「何度でも来る」 …平和の塔をめぐり、宮崎に仕掛けられた根拠なき歴史戦。中国・南京の団体が「略奪だ」と礎石返還求める 県は「経緯は不明」と拒絶。

現在の平和の塔(八紘之基柱)
要請文を手に、礎石の返還を求める
南京民間抗日戦争博物館の呉先斌館長
(中央右から2人目) 
 JR宮崎駅近くで通行人をはね横転した軽乗用車と、
けが人を搬送するため路上に着陸したドクターヘリ
=28日午後3時31分 
【小川寛大】宮崎で降ってわいた中国歴史戦と韓国慰安婦像の変化
[桜H27/11/2] SakuraSoTV
宮崎県が戦前、八紘一宇の精神に倣い、
世界各地の石材を収集して建立した「平和の塔」
 
­。それが今、中国・南京産出の石材を「略奪品」と訴えて
返還を求める中国市民団体が現­れた。
石材を取り出すには塔を全面的に解体するほか無く、
また追加で出された要望では­「八紘一宇の文字を削れ」など、
政治的・思想的な闘争であることが明白である。
その陰­でまたしても確認された「反日日本人」の暗躍と、
慰安婦像に「たちんぼ」バージョンを­提供した
曹洞宗の一戸彰晃なる偽善者の暴走等について、
小川寛大氏に報告していただき­ます。

2015.10.28 16:20更新産経WEST
JR宮崎駅近くで乗用車が暴走、1人死亡、
1人が意識不明 けがは4人 
運転の高齢男も重傷
28日午後2時50分ごろ、宮崎市橘通東4丁目で
「車と歩行者がぶつかった」と110番があった。
衝突した軽乗用車はそのまま東に逃走し、
JR宮崎駅近くの歩道上を暴走、通行人を次々にはねた。

「最低でも塔から『八紘一宇』の文字を削り、
礎石の由来を歴史の事実に従って記載すれば、
石の返還を求める考えについて再考したい」
 宮崎県立平和台公園(宮崎市)にある「平和の塔」をめぐり、
27日に宮﨑県庁を訪れた、中国・南京の民間団体を名乗る
南京民間抗日戦争博物館」の呉先斌館長は、
平和の塔をめぐる宮崎県との面会で、こう述べた。 

呉氏はこうも訴えた。

「かつての侵略戦争は中国人民に筆舌に尽くしがたいほどの災難をもたらした。
八紘一宇の文字には反感を覚える。歴史の事実に従ってほしい」

政府間で決着済みなのに…

「全南京市民を代表」自称し、歴史戦を仕掛ける…
 歴史の事実はこうだ。

平和の塔は神武天皇即位2600年を記念し、
昭和15(1940)年に建設された。
その際、刻まれたのが「八紘一宇」の文言だった。

 確かに戦中の一時期、

戦意高揚のスローガンに流用されたことはあった。
だが、もともとは神武天皇による建国の理念・理想を表現した言葉だ。
八紘(四方と四隅、転じて天下を表す)を、一宇(一つの家)となす。
日本書紀に記された、和を尊ぶ日本らしい言葉だといえる。

 この歴史を踏まえ、都市計画課の森山福一課長は

「八紘一宇は世界平和を祈念する理念であり、戦争とは無関係である。
また、石の寄贈の経緯を示す具体的な文書が残されていない」として、
礎石の返還要求を拒否した。

  河野俊嗣知事は今月19日の記者会見ですでに

「礎石は建立当時、関係各国から集められたものだが、
略奪されたとする史料が残っていない。
平和の塔や公園は、多くの人に親しまれている現状のまま
しっかりと保存したいと考えている」と、
中国側の要求を拒否する姿勢を見せていた。

 だが、呉氏は強硬姿勢を崩さない。

面会では「平和の塔の建立前後で、日本軍は中国だけでなく、
東南アジアも侵略していて、
『八紘一宇は平和の思想だ』などとする
県の見解は理解できない」と食い下がった。
「全南京市民を代表する」と称する呉氏は、

面会後の記者会見でも
「県が誤った認識を改めるまで何度も足を運ぶ。
この問題に関心がある市民はたくさんいる。
今後は参加者を募集することも考える」と、
宮崎への組織的な“返還要求ツアー”に言及した。
 呉氏の発言は、従来の中国政府による

対日歴史戦と軌を一にするものと判断するほかない。
 中国側の“いちゃもん”の長期化が懸念されるが、

そもそも日中間の戦争賠償は決着済みだ。
 中国政府は昭和47(1972)年の日中共同声明で

「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」と宣言した。
日本の最高裁も
「個人の損害賠償などの請求権を含め、
戦争の遂行中に生じたすべての請求権を
放棄する旨を定めたと解される」との判決を下した。

 記者会見で、この点について問われた呉氏は

「今回は石の返還についての交渉で、裁判を起こすつもりはない。
請求権の話題に触れることはない」と述べるにとどめた。
 しかし、請求権が存在しなければ返還「義務」は存在せず、

要求の正当性が揺らぐ。論点を曖昧にした態度といえる。
 礎石の返還か、神武天皇以来の国家理念の削除か-。

中国側は宮崎県という一地方自治体に歴史戦を仕掛けている。
宮崎県の森山氏は面会後、
「中国側の意見を承った上で、
県としての立場を貫いて毅然(きぜん)と対応した。
再訪日があるならば、
県の考え方を納得して頂けるように準備をする」と述べた。
(九州総局 中村雅和)
2015.10.28 13:48更新
宮崎・平和の塔、
中国・南京の団体が「略奪だ」と礎石返還求める
県は「経緯は不明」と拒絶
宮崎県立平和台公園(宮崎市)にある「平和の塔」をめぐり、
中国・南京の民間団体を名乗る
「南京民間抗日戦争博物館」の関係者が27日、宮崎県庁を訪れ、
「石は略奪されたもの」などとして礎石の返還を求めた。
県は「当時の経緯は不明である」などとして拒否した。

 この日午前、同博物館の呉先斌館長をはじめ中国人8人と、

訪日を支援する日本の市民団体関係者ら計12人が県庁を訪れ、
「南京からの石を返還してください」とする
河野俊嗣知事宛の要望書を提出した。

 呉氏は、中華民国の建国者、

孫文の陵墓である「中山陵」と刻まれたものや、
中国に古くから伝わる
霊獣「麒(き)麟(りん)」の絵が刻まれた石があることを挙げた。
その上で「南京にとってシンボル的なもので、
日本軍による略奪物だ」などと述べた。

 宮崎県側は、公園を管理する

都市計画課の森山福一課長らが応対した。
森山氏は「県内外の人から『平和の塔』として親しまれており、
取り壊しはできない」などと拒否した。
八紘之基柱竣工式
 ■平和の塔(八紘之基柱) 宮崎県や、県内の民間団体が
共同で組織した「紀元二千六百年宮崎県奉祝会」が企画し、
彫刻家の日名子実三(明治?~昭和?年)が制作。
塔には 神話「神武東征」の一場面が描かれているほか、
内部にも神話をモチーフとした石膏製のレリーフが飾られている。
また、正面の「八紘一宇」の文字は、
昭和天皇の弟にあたる秩父宮雍仁親王が揮毫した。

中国・南京の民間人、日本で開催の戦争展に自費参加
=南京事件写真を展示へ―中国メディア
レコードチャイナ 2014年7月28日 21時10分
(2014年7月31日 00時04分 更新)
中華料理屋の2階にあります




中国通信社
中国軍に投降呼びかけるビラも、南京抗日史料館で「写真帳」展示
5月 23, 2007 
(中国通信=東京)南京22日発新華社電によると、
侵華日軍(中国を侵略した旧日本軍)の「写真帳」一冊が、
このほど、南京民間抗日史料館で展示さ れた。
「支那事変記念写真帳」と書かれたこの「写真帳」には、
64枚の写真とその説明が収められている。
指摘すべきは、この「写真帳」の最後の1ページに、
侵華日軍が中国の軍隊向けに散布した
「投降票」が含まれていることである。

呉先斌南京民間抗日史料館館長の説明によると、

この「写真帳」は台湾の文史(文学・歴史)研究者の秦風氏が
わざわざ南京を訪れて同館に寄贈したものである。
大阪毎日新聞社編で、1939年に発行された。
計30余ページからなり、当時の侵華日軍が
みずからの戦果をひけらかすために製作したもので、
写真はすべて日本軍がみずから撮影している。
そして部隊の内部資料として配布されるだけで、公刊はされなかった。

写真帳の第1ページには、占領下の徐州で逃げ惑う徐州人民を

追い立てている写真が収録されている。
2ページ以降の各ページには、日本語の説明入りの 
約20�大の写真が掲載されている。
53枚目には北京の正陽門駅での
日本軍指揮官の引継式の模様が写っている。
このほか、日本軍が杭州湾に上陸後、浙江、 安徽を経て南京に到り、
さらに南京雨花台、中華門などを攻撃している状況が写されている。

注目されるのは、「写真帳」の最後の1ページに

侵華日軍が中国軍向けに散布した「投降票」の原本が張られていること。
そこには「来い、早く来い、 チャンスは二度とないぞ!」と書かれ、
「日本軍司令官」の署名がある。
「票」の下にはさらに、
「この投降票を携えて投降する時は白旗を掲げたほうがよい。
 日本軍はこの投降票を携えて来た者を
敵兵と見なさないだけでなく優遇するだろう」と注釈が書かれている。

呉先斌氏は次のように述べた。

この64枚の写真は、いずれも日本軍の中国侵略の力強い証明である。
とりわけ「投降票」の原本は得がたいものだ。
当時、侵華日軍がまいたこのビラは、中国の軍人の投降を促すものであった。
このことは日本軍の中国侵略戦争が、全方位的、立体的なもので、
軍事侵略にとどま らず、
心理戦術もとっていたことを一つの側面から物語っている。

盧溝橋事件77周年 「南京民間抗日戦争博物館」館長の話
人民網日本語版 2014年07月17日10:06

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