慰安婦問題について、いろんな報道: 「沖縄に核兵器を再び持ち込む権利」米文書に記載。冷戦時代の沖縄への核配備、 米政府が初めて公式に秘密解除。「核兵器庫」の嘉手納。米沖縄部隊:キューバ危機時、核発射命令 元軍技師ら証言。

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2016年5月15日日曜日

「沖縄に核兵器を再び持ち込む権利」米文書に記載。冷戦時代の沖縄への核配備、 米政府が初めて公式に秘密解除。「核兵器庫」の嘉手納。米沖縄部隊:キューバ危機時、核発射命令 元軍技師ら証言。

沖縄の米軍嘉手納基地で戦闘航空団技師によって
F100戦闘機に装着される水爆「マーク28」。
最大1・4メガトンの破壊力を持つ。
撮影日はキューバ危機が深刻化していた
「1962年10月23日」となっている
=国家安全保障公文書館提供、米国立公文書館所蔵、共同
沖縄・米軍嘉手納基地内で台車に備え付けられる核弾頭「マーク7」。
撮影日は「1962年10月23日」=国家安全保障公文書館提供、
米国立公文書館所蔵、共同
核巡航ミサイル「メースB」。
キャプションには「沖縄」とだけ書かれている。
撮影日は「1962年4月」=国家安全保障公文書館提供、
1972年の沖縄返還に伴い、
いったん撤去した核兵器について、
「危機の際には再び持ち込む権利がある」と、
アメリカ国防総省が公刊した
歴史文書に記されていたことが分かりました。
専門家は「これまで密約とされてきた内容が
公式文書で示されたのは初めてではないか」と指摘しています。
この歴史文書はアメリカ国防総省が去年公刊したもので、
レアード国防長官在任中の
1969年から1973年にかけての出来事が、
沖縄返還の経緯も含めて詳しく記されています。
それによりますと、
「沖縄返還協定では、核兵器の保有を禁ずる
日本の政策に背かないよう、
返還を実施すると明記している」と前置きしたうえで、
アメリカはそれらの兵器を撤去するが、
危機の際には再び持ち込む権利を維持した」としています。
沖縄返還に伴い、いったん撤去した核兵器を、
再び持ち込むことについては、
日米間でいわゆる「密約」が交わされたとされ、
7年前、政府が設けた有識者委員会でも
検証の対象となりました。
当時の佐藤栄作総理大臣の遺族のもとに、
両国首脳がサインした極秘文書が
残されていたことが明らかになっていますが、
有識者委員会は
「文書を後の政権に引き継いだ節は
見られない」などとして
「必ずしも密約とは言えない」としています。
今回の文書の記述を見つけた、日米関係の専門家で、
有識者委員会の委員でもあった、早稲田大学の
春名幹男客員教授は
「これまで密約とされてきた内容が
公式文書で示されたのは初めてではないか」
と指摘したうえで、
アメリカ政府全体の意見ではないかもしれないが、
この時期に公刊したのは、東アジア情勢が緊張するなか、
国防総省としては、核兵器を
再び日本に持ち込むこともあり得ると、
改めて示したかったのだと思う」と話しています。
日本政府は1968年、唯一の被爆国として
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」とする
非核三原則を宣言し、
みずからは核を持たないという政策を堅持しています。
春名さんはこれを踏まえたうえで、
「アメリカ側の立場を理解する必要はあると思うが、
オバマ大統領の広島訪問に伴って、非核三原則という
日本の立場も改めて示す必要があると思う。
文書の記述を軽い問題と受け止めず、
重要なこととして、アメリカ側と話し合うべきだ」と話しています。

アメリカ軍が本土復帰前の沖縄に核兵器を配備していたという
事実に関する機密指定が初めて解除されたとして、
アメリカの大学の研究所が当時の写真などを公開しました。
アメリカ政府の機密文書などを分析している
ジョージ・ワシントン大学の研究所は
19日、アメリカ政府が冷戦時代に沖縄に核兵器を配備していた
事実に関する機密指定を初めて
公式に解除したとする調査結果を公表しました。
この中で研究所は、政府の機密文書とともに
アメリカ軍が核兵器を撮影した
3枚の写真をウェブサイト上に掲載しました。
写真には1962年10月に沖縄の嘉手納基地で
アメリカ兵が「マーク7」と呼ばれる核爆弾を囲んでいる様子や、
「マーク28」という核爆弾が戦闘機に運ばれる様子、
さらに1961年から1970年まで沖縄に配備されていたという
核を搭載した巡航ミサイル「メースB」が写っています。
ジョージ・ワシントン大学の研究所は、
アメリカ軍が沖縄に本土復帰前に
核兵器を配備していたことは公然の事実だとしていますが、
今回の調査結果は
事実を裏付ける新たな歴史的史料として注目されます。

本土復帰前の沖縄の米軍基地に配備されていた
核兵器の写真と関連資料を19日までに、共同通信は入手した。
米公文書の発掘・収集を進めるワシントンの民間研究機関
「国家安全保障公文書館」から提供を受けた。
米国立公文書館(メリーランド州)などに所蔵されていた。
<高まる「自立」機運>沖縄の基地負担 いつまで続くのか


 複数の日本人専門家は、1972年までの
米占領期間中に沖縄に配備されていた核兵器の写真は
極めて珍しいと指摘している。
米軍技師らが核弾頭を慎重に取り扱う様子が写っており、
アジア最大の「核兵器庫」だった
沖縄における核実戦配備の実態を生々しく伝えている。
 写真は3枚で、核兵器は日本に投下された
原爆の数十倍の破壊力を持つ水爆「マーク28」、
複数のミサイルに搭載可能な核弾頭「マーク7」、
極東ソ連と中国を射程に収めた核巡航ミサイル「メースB」の3種。

 写真のキャプションによると、撮影者は米空軍当局者。
マーク28とマーク7は、米ソが核戦争の手前まで行った
62年10月のキューバ危機のまっただ中に、
米空軍嘉手納基地で撮影された。
62年4月に撮られたメースBについては
「沖縄」とだけ記されており、撮影地の詳細は不明。

メースBは60年代初頭に沖縄に導入され、
読谷村や恩納村など計四つの発射基地に配備された。
メースBをめぐっては、嘉手納基地に駐留した
当時の米軍ミサイル技師が、キューバ危機の最終局面で
「間違って発射命令が出されたが、
寸前で回避された」とも証言している。

 ■ことば 沖縄配備の核戦力
 朝鮮半島と台湾海峡での核兵器使用を想定していた
米軍部は1950年代半ばから72年の本土復帰まで
沖縄に大量の核を配備した。
米軍文書によると、アジア太平洋地域には
ベトナム戦争ピーク時の67年、約3250発が配備されたが、
うち沖縄には約1300発
900発台の韓国や500発台のグアムを大幅に上回り、
アジア最大の「核兵器庫」だった。
核爆弾や核砲弾など18種類に上り、
60年代初頭から核巡航ミサイル「メースB」が
読谷村など四つの基地に配備。
射程2000キロ超のメースBは沖
縄核配備の象徴で
69年11月の日米首脳会談でいち早く撤去が決まった。
発信地:ワシントンD.C./米国
【2月20日 AFP】米軍が冷戦(Cold War)時代の沖縄に
核兵器を配備していたことは長い間公然の秘密だったが、
米政府がこの事実の秘密指定を初めて公式に解除したと、
米ジョージ・ワシントン大学(George Washington University)の
国家安全保障公文書館(National Security Archive)が19日明らかにした。

 同公文書館は機密が解除されたことを歓迎しつつも、
沖縄に配備された核兵器を撮影した米空軍の写真は
25年以上前から公に入手できる状態になっていたと指摘し、
その事実によって公式な秘密指定解除の重要性は
「やや小さくなる」とした上で、
米政府は秘密解除を遅らせることによって
時間やリソースを過度に浪費したと批判した。(c)AFP

米沖縄部隊:キューバ危機時、核発射命令 元軍技師ら証言
毎日新聞 2015年03月14日 21時58分(最終更新 03月14日 22時49分)
◇現場判断で回避
 冷戦下の1962年、米ソが全面戦争の瀬戸際に至ったキューバ危機の際、
米軍内でソ連極東地域などを標的とする沖縄のミサイル部隊に
核攻撃命令が誤って出され、現場の発射指揮官の判断で
発射が回避されていたことが14日、同部隊の元技師らの証言で分かった。
 キューバ危機で、核戦争寸前の事態が
沖縄でもあったことが明らかになったのは初めて。
メースBのスケールモデルです。(1/32、レベル製) 
広島型原爆と同規模の威力を持っていたそうです。

ミサイルは、核搭載の地対地巡航ミサイル「メースB」で、
62年初めに米国施政下の沖縄に配備された。
運用した米空軍第873戦術ミサイル中隊の元技師ジョン・ボードン氏(73)
=ペンシルベニア州ブレイクスリー=が証言した。(共同)
MGM/CGM-13 メイス(英: Mace)は、アメリカ合衆国のマーチンによって開発され、
MGM-1 マタドールから発展した戦術地対地巡航ミサイルである。
通称のメイスは打撃武器の戦棍・鎚矛、又は儀礼用の職杖の意味。
1963年の命名規則の変更までTM-76 戦術ミサイルと呼ばれ、後に移動発射型が
MGM-13、コンテナ発射型がCGM-13に改名された。
中華人民共和国を意識した核抑止力として日本返還前の沖縄に配備されていた。
その頃の日本の新聞、雑誌などでは「メース」、「メースB」とも表記されている。
仕様 
運用高度: 305~12,192 m (1,000~40,000 ft)
射程: 1,217 nm (2,253 km, 1,400 mi)

距離 沖縄 - キューバ14,039km
距離沖縄と函館2,082km  距離沖縄とハバロフスク2,543km
距離沖縄とウラジオストク1,902km  距離沖縄とナホトカ1,891km
沖縄県読谷村にあったメースBの発射基地。ミサイルが8基あり、キューバ危機当時、

発射可能な状態にあった=元米空軍兵のデニス・フィッツシモンズ氏提供・共同

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