慰安婦問題について、いろんな報道: 【二・二六事件80年】二・二六事件 青年将校直筆とみられる遺書見つかる。二・二六事件の殉職した警察官を慰霊  「先輩の魂受け継ぐ」 SPらが黙祷。共産・小池政策委員長「今は共産が元気に頑張っている。 歴史を繰り返させない」と独特のアピール。

Translate

2016年2月26日金曜日

【二・二六事件80年】二・二六事件 青年将校直筆とみられる遺書見つかる。二・二六事件の殉職した警察官を慰霊  「先輩の魂受け継ぐ」 SPらが黙祷。共産・小池政策委員長「今は共産が元気に頑張っている。 歴史を繰り返させない」と独特のアピール。

二・二六事件から80年を迎え、殉職した警察官らに黙祷を捧げる
警視庁警護課のSP(警護官)ら
=26日午前、東京都千代田区(中村 昌史撮影)
二・二六事件 青年将校直筆とみられる遺書見つかる
2月26日 17時10分 NHKニュースウェブ
陸軍の青年将校らが政府要人を殺害した
二・二六事件から26日で80年となります。
このとき、牧野伸顕元内大臣の襲撃に失敗し、
みずから命を絶った将校の直筆とみられる遺書が見つかりました。
見つかったのは事件の中心的な人物の1人、
河野壽大尉(当時28)の直筆とみられる遺書3通で、
本人と親交のあった栃木県小山市の男性の
遺品の中に残されていました。

事件では、河野大尉は神奈川県湯河原町の旅館で、
前年まで内大臣を務めていた牧野伸顕伯爵を襲撃したものの
失敗し、9日後に陸軍の病院で自殺しました。
遺書はこれまで写し書きしか残されておらず、
実物は所在が分からなくなっていました。
3通の遺書はいずれもしっかりとした文字で
丁寧に書かれていて、このうち宛名のない1通には
皇國ノ前途ヲ憂ル余リ、死ヲ賭シテ此ノ源ヲ絶チ」と記され、
河野大尉の強い意志がうかがえます。
また、「陸軍大臣閣下」と宛名が書かれた遺書には
部下七名ハ小官ノ命ニ服従セシノミニテ何等罪ナキ者ナリ
と書かれ、部下への処罰を軽減するよう求めています。
事件を研究している帝京大学文学部長の筒井清忠教授は
「事件から80年たち、新たな資料が出てくることは少なくなっている。
本物が残されていた経緯を調べれば
当時の交流関係などを知る手がかりになる」と話しています。
この遺書は、神奈川県湯河原町の事件現場にある
二・二六事件に関する資料の展示施設「光風荘」で公開されます。

二・二六事件のエピソード
民間人を主体とした襲撃部隊(河野以下8人)を指揮し
自動車2台に分乗、歩兵第一連隊を2月26日0時40分頃出発。
5時頃湯河原に到着、伊藤屋旅館の元別館である
光風荘」にいた牧野伸顕前内大臣を襲撃した。
警護の巡査皆川義孝は河野らに拳銃を突きつけられて
案内を要求されたが、従う振りをしつつ、
振り向きざまに発砲し、河野及び予備役曹長宮田晃を
負傷させたが、皆川巡査は殺害された。
 脱出を図った牧野は襲撃部隊に遭遇したが、
旅館の従業員が牧野を「ご隠居さん」と呼んだために
旅館主人の家族と勘違いした兵士によって
石垣を抱え下ろされ、近隣の一般人が背負って逃げた。
この際、旅館の主人・岩本亀三と牧野の使用人で
看護婦の森鈴江が銃撃を受けて負傷している。
陸軍の青年将校らが軍事クーデターを起こした
二・二六事件」から80年となった26日、
事件で殉職した警視庁警察官5人の慰霊式が
東京都千代田区の「弥生慰霊堂」で行われ、
要人の身辺を守るSP(セキュリティーポリス)ら
警護課の85人が黙祷(もくとう)をささげた。
 慰霊式では、スーツに赤いネクタイを締めたSPと、
に身を包む総理大臣官邸警備隊が社殿に黙祷。
3カ月後に主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)が迫り、
4年後には東京五輪が控える中、
万全の警護へ思いを新たにした。
 警護課の関岡明課長は、
「時がたっても要人警護の重要性や困難さは変わらない。
尊い犠牲となった先輩方の警護精神と魂を受け継ぎ、
緊張感を持って任務にあたりたい」と強調した。
 昭和11年2月26日の事件では、
約1500人の反乱軍が首相官邸などを占拠、
高橋是清蔵相や斎藤実内大臣らを殺害した。
岡田啓介首相(いずれも当時)も襲撃されるなどして、
警護にあたっていた警察官5人が殉職した。
二・二六事件から80年 「血染めの芝生」警護の誇り今に伝える

二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)は、
1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、
日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが
1,483名の下士官を率いて起こしたクーデター未遂事件である。
この事件の結果岡田内閣が総辞職し、
後継の廣田内閣思想犯保護観察法を成立させた。
警察官5名殉職、1名重傷

陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた
一部青年将校ら(陸軍幼年学校・旧制中学校から
陸軍士官学校に進み任官した、
20歳代の隊付の現役大尉・中尉・少尉達)は、
かねてから「昭和維新尊皇討奸」をスローガンに、
武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、
彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、
農村の困窮が収束すると考えていた。
彼らはこの考えのもと、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起する。

革命的な国家社会主義北一輝が記した
日本改造法案大綱』の中で述べた「君側の奸」の思想の下、
天皇を手中に収め、邪魔者を殺し
皇道派が主権を握ることを目的とした「昭和維新」
「尊皇討奸」の影響を受けた安藤輝三野中四郎香田清貞
尉官クラスの青年将校は、政治家と財閥系大企業との癒着が代表する
政治腐敗や、大恐慌から続く深刻な不況等の現状を
打破する必要性を声高に叫んでいた。

陸軍はこうした動きを危険思想と判断し、
長期に渡り憲兵に青年将校の動向を監視させていたが、
1934年(昭和9年)11月、事件の芽をあらかじめ摘む形で
陸軍士官学校事件において磯部と村中を逮捕した。
しかしこれによって青年将校の間で
逆に陸軍上層部に対する不信感が生まれることになった。

共産党の小池晃政策委員長は26日の記者会見で、
陸軍の青年将校らが軍事クーデターを狙った
昭和11年の「二・二六事件」から80年を迎えたことに関し、
当時非合法だった共産党が弾圧下にあったとした上で、
「こんにち、共産党は
元気に野党の中で役割を発揮して仕事をしている。
共産党が元気に頑張っていくことが
80年前の歴史を
繰り返させない大きな力になるのではないか」と述べた。

 小池氏は、事件に関連して昨年成立した
安全保障関連法の審議を振り返り、
「審議を軽んじて自衛隊の制服組が
ドンドンことを決めていくような今の姿に、
当時の状況が重なってみえてくる感じもする」と指摘。
「当時と同じような『戦争をする国』に向かって
進んでいる時代ということを感じさせる」とも述べた。

 戦前の共産党については、昭和8年に党員だった
プロレタリアート作家の小林多喜二が「虐殺」され、
9年には、後に共産党議長になる宮本顕治氏が投獄されたことを
「治安維持法の下で過酷な弾圧の下にあった」と述べた。
その上で、合法化された現在の共産党の存在が
80年前との「決定的な違いだ」とし、
「そういう責任もある政党だという思いで頑張りたい」と語った。

0 件のコメント:

コメントを投稿