慰安婦問題について、いろんな報道: 東日本大震災、両陛下、終わりなき「ご慰問の旅」 16日から福島、宮城へ。「精いっぱい生きていく」 政府主催追悼式で決意。「住民の命守った父が誇り」 家族の優しさ胸に前へ。岩手県遺族代表の山本永都さんの歩み。

Translate

2016年3月11日金曜日

東日本大震災、両陛下、終わりなき「ご慰問の旅」 16日から福島、宮城へ。「精いっぱい生きていく」 政府主催追悼式で決意。「住民の命守った父が誇り」 家族の優しさ胸に前へ。岩手県遺族代表の山本永都さんの歩み。

東日本大震災5周年追悼式で黙祷される天皇、皇后両陛下
=11日午後2時46分、東京都千代田区の国立劇場(代表撮影)

11日の東日本大震災五周年追悼式に臨席した
天皇、皇后両陛下は、震災の発生から5年を経てもなお、
変わらず被災者に思いを寄せ続けられている。
16日からは5度目となる福島、宮城両県の被災地訪問が予定され、
秋には岩手県への3度目の被災地訪問が予定されており、
「ご慰問の旅」に終わりはない。

 「ご苦労も多かったでしょう」。
両陛下は昨年7月、福島県を2年ぶりに再訪し、
福島市の復興公営住宅で同県の飯舘村や浪江町などから
避難生活を送る住民らを励まされた。
東京電力福島第1原発事故後の除染の進み具合について
何度も質問される両陛下の姿に、
被災者からは「故郷を本当に心配してくださっていると感じた」
との声も上がった。
 今月16~18日の日程で、福島県を再訪するほか
宮城県も再び訪問される。
福島では、三春町に設けられた葛尾(かつらお)村役場の
出張所で避難生活を送る村民と懇談される。
宮城では、甚大な被害が出た女川町を震災後初めてご訪問。
津波で駅舎などが流失したため内陸部に移設され、
復興の象徴ともいわれるJR石巻線女川駅もご覧になる。
皇后さまは昨年、石巻線の全線復旧を受けて
女川駅を御歌(和歌)に詠まれていた。
側近は「両陛下はこの5年間、片時も被災者のことを
忘れられたことはなかったはず。
女川のこともずっと気にかけておられた。
追悼式のお言葉には、
そういった被災地への思いが込められている」としている。

政府主催の追悼式で、お言葉を述べられる天皇、皇后両陛下
=11日午後2時55分、東京都千代田区(代表撮影)
東日本大震災5年 政府主催の追悼式 ニュース
震災から5年 追悼式典で天皇陛下がお言葉述べられる(全録) FNNsline
岩手県遺族代表の山本永都さん=内閣府提供
「住民の命守った父が誇り」 家族の優しさ胸に前へ
2016年3月11日17時02分 朝日新聞
折り重なった夫婦茶碗が形見 「父母の死無駄にしない」
私たちの経験を子々孫々へ伝えていく 故郷への思い胸に
特集:3.11震災・復興
岩手県代表の山本永都さんの追悼のことば
 5年前の今日、高校生だった私は、

いつものように玄関先で祖父に見送られ、
通学のため父に駅まで送ってもらいました。
家族の優しさに包まれていたあの日の朝、
「行ってきます」のあいさつが、
2人と交わした最期の言葉でした。
 避難途中だった祖父は、数日後遺体で見つかりました。

遺体安置所で変わり果てた姿に母と泣き崩れ、
祖父を守れなかったことを悔やむ日々が続きました。

 大好きだった父はいまだに家族の元に帰らぬままです。

震災直後は、なぜ危険な状況にもかかわらず、
父は防潮堤の水門を閉めに行かなければならなかったのか、と
母を問い詰めてしまうこともありました。
今では、あの日消防団員として住民の命を守ろうとした父を、
とても誇りに思い尊敬しています。
 私は今、関東で大学生として生活をしています。
 入学後は、震災のことや不明の父のことが気になり、

新しい生活にもなじめず、
何度も大学をやめようかと思い悩みました。
1年の休学を経て、
悲しみやつらさを抱えながらも夢をあきらめず、
ゆっくりでもいいから前に進む勇気を持つことの大切さを知りました。
 家族や友人、そしてたくさんの方からの励ましの言葉を胸に、

私は再び、看護という学業に専念しています。
大震災で受けた世界中からのたくさんの温かい支援に
いつか恩返しができるよう日々精進しながら、
毎日を大切に、父や祖父の分まで
精いっぱい生きていこうと思っています。
大震災で失うものもつらいこともたくさんありましたが、
この5年は私を随分と成長させてくれました。
住民の命を守った父の背中を胸に、
いつか私も人の役に立てる人となり、努力を惜しまず
前を向いて進んでいくことが、
亡き父への親孝行だと思えるようになりました。
 最後に、東日本大震災

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、
追悼の言葉と致します。

産経フォト 東日本大震災 2016.3.11 16:58
「精いっぱい生きていく」 政府主催追悼式で決意
東日本大震災の発生から5年となった11日、
政府主催の追悼式が
東京都千代田区の国立劇場で開かれ、
岩手、宮城、福島3県の遺族や
安倍晋三首相、天皇、皇后両陛下らが参列し、
地震発生時刻の午後2時46分に黙とうした。
犠牲者を悼み、重い教訓をかみしめながら、
引き続き復興に取り組むことを誓った。

 3県の遺族代表は、
失った家族や帰れぬ故郷への思いを語った。
岩手県宮古市出身の山本永都さん(22)は祖父を亡くし、
消防団員として防潮堤の水門を閉めに行った
大好きな父も帰らないまま。
つらい気持ちを母にぶつけた時期もあったが
「今では、住民の命を守ろうとした父を誇りに思う。
父や祖父の分まで精いっぱい生きていく」と決意を口にした。
 安倍首相は式辞で「被災者に寄り添いながら、
魅力ある地方の創生につながるような復興を実現していく」と表明。
天皇陛下は「困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、
一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、
これからも国民が心を一つにして
寄り添っていくことが大切と思います」と述べられた。
 警察庁によると10日現在、震災の死者は
全国で1万5894人、行方不明者は2561人。
復興庁によると震災関連死は3410人、
全都道府県で約17万4千人が避難生活を送る。
 東京電力福島第1原発事故により、
福島県から県外に避難している住民は計約4万3千人。
被災3県ではいまだ計5万7677人が
プレハブ仮設住宅で暮らしている。

2016.3.11 15:19 2 【東日本大震災5年
震災追悼式の首相式辞「衷心より哀悼の意をささげます」

本日ここに、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、
「東日本大震災 五周年追悼式」を挙行するに当たり、
政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
 かけがえのない多くの命が失われ、
そして、多くの方の人生を一変させた、
東日本大震災の発生から、早くも5年が過ぎました。
 最愛のご家族やご親族、
ご友人を亡くされた方々のお気持ちを思うと、
いまなお哀惜の念に堪えません。
ここに改めて、衷心より哀悼の意をささげます。
また、被災された全ての方々に、
心からお見舞いを申し上げます。
 被災地では、いまだに、
多くの方々が不自由な生活を送られています。
原発事故のために、
住み慣れた土地に戻れない方々も数多くおられます。
被災地に足を運ぶ度、「まだ災害は続いている」、
そのことを実感いたします。その中で、
一歩ずつではありますが、復興は確実に前進しています。
住まいとともに、生業の再生も本格化しています。
 被災者の方々お一人お一人が置かれた状況に
寄り添いながら、今後とも、心と身体のケアや
新たな地域社会の形成、被災地の産業の
振興への支援などに力を注ぎ、魅力ある
地方の創生につながるような復興を実現していく所存です。
同時に、多くの犠牲の下に得られた貴重な教訓を、
決して風化させることなく、常に最新の英知を取り入れながら、
防災対策を不断に見直してまいります。
政府一丸となって、災害に強い、
強靱な国づくりを進めていくことを、
改めて、ここに固くお誓いいたします。
 震災の発生以来、地元の方々や関係する
全ての方々の大変なご努力に支えられながら、
今日に至っております。日本各地のみならず、
本日ここにご列席の、世界各国・各地域の皆様からも、
多くの、温かく心強いご支援をいただきました。
改めて、心より感謝と敬意を表したいと存じます。
 わが国は、今後とも、世界の皆様に向け、
東日本大震災の教訓と
被災地の復興の様子をお伝えし続けるとともに、
わが国の知見と技術を少しでも役立てていただけるよう、
防災分野における国際貢献を、一層強力に進めてまいります。
 わが国は、幾度となく、
国難といえるような災害に見舞われてきましたが、
その度に、勇気と希望をもって乗り越えてまいりました。
今を生きる私たちも、先人たちに倣い、手を携えて、
前を向いて歩んでいくことを、改めてお誓いいたします。
 御霊の永遠に安らかならんことを
改めてお祈り申し上げるとともに、
ご遺族の皆様のご平安を心から祈念し、
私の式辞といたします。
 平成28年3月11日
 内閣総理大臣 安倍晋三

【東日本大震災5年】義足のサウスポーは3・11、
自転車通学する一慶さんが野球部の練習で遅くなる夜は、
昨年買った軽トラックで迎えに行く=3月16日
津波で壊れた堤防の前に立つ山本永都さん。
父幸雄さんは最後にここで水門を閉めた=岩手県宮古市で
3・11それから 岩手・田老地区 看護師の夢へ再挑戦
2015年4月14日 毎日ジャーナリズム
これまで 岩手県宮古市田老地区の消防団員だった山本幸雄さんは、
大震災で波にのまれ、今も行方が分からない。
長女の永都さんは震災後、診療所で働く母ヒデさんを手伝い、
母の背中を追うことを決意。
震災翌年の春、関東の大学の看護学科に進学した。
長男の一慶さんは、市内の高台に建った
新居から6キロ離れた高校に昨春入学した。

娘をそばで支える母
 壇上へ向かう足が震えた。
震災から4年たった3月11日。
岩手県宮古市の追悼式で、
山本永都(ひさと)さん(21)は遺族代表としてあいさつした。
 「なぜ父が水門を閉めに行かなければならなかったのか。
震災直後は、母を問い詰めてしまうことがたびたびありました。
今では、住民を守ってくれた父を誇りに思います」。
参列者のすすり泣きが聞こえた。
悲しみのもとは別でも、気持ちを重ねてくれているように思えた。
「乗り越えようとしているのは私たち家族だけじゃない」。
力が湧いた。
 式の後。母のヒデさん(49)、弟の一慶(いっけい)さん(16)と
田老の街を歩いた。
自宅跡はかさ上げされ、その上に新しい国道が造られていた。
復興への期待に、少しの寂しさが混じった。
 母のような看護師になる夢をあきらめようか。
そんな思いに揺れた1年だった。
 慣れない横浜での1人暮らし。
都会の同級生にもなじめず、孤独を感じてきた。
でも、自分は震災で奨学金をもらい、大学に通うことができている。
「期待に応えなきゃ」。
厳しい看護実習にも弱音は漏らせなかった。
 昨年4月。授業で先生が言った。
「看護師になれてもつらいことはたくさんある。
よっぽどの思いがないと勤まらない」。
自分にその覚悟があると言えるだろうか。
震災以来、張り詰めていた気持ちが切れたように感じた。
先生やヒデさんに「やめたい」と打ち明けた。
「どうして今まで言わなかったの」。
驚く母と話し合い、6月からの休学を決めた。
 故郷に戻り、震災で家族を亡くした友人と話したり、
高校の同級生を北海道に訪ねたりした。
畑仕事を手伝いに隣村にも通った。
「笑顔が戻ったね」。
母からそう声を掛けられるようになった。
 夏。久しぶりに田老の診療所に顔を出した。
白衣姿の母がいた。
 ヒデさんがお年寄りに目線を合わせ
「うん、うん」とうなずくと、
不安そうだった患者の表情が和らいだ。
若い看護師からも頼りにされていた。
 「やっぱり私、こういうことがやりたかったんだ……」。
涙がこぼれた。
「もう一度やり直したい」。4月に復学する決心をした。
 ヒデさんは3月末にいったん看護師を辞めた。
永都さんを産んだ時も1カ月半で仕事に戻り、
幼い頃からそばにいてあげられなかった。
家事は漁師で夫の幸雄(さちお)さん
(行方不明時49歳)に任せきりだった。
看護師の代わりはいるし、復帰もまたできる。
でもこの子の親はもう自分しかいない。
看護実習が最も厳しくなるこの1年間だけでも、
今度はそばで支えてあげたい。
戸惑う永都さんには「気にしなくていいよ」と言ってある。
春からは田老と横浜を行き来する生活だ。
 高校2年になった一慶さんが
一人で我が家を守る日も増えそうだ。
当面の心配は昼のお弁当。
尊敬する父は料理も得意だった。
幼い頃はよく手伝ったはずなのに
「チャーハンしか作れない。
レパートリーを増やさなきゃ」。
「火を使うのは怖いなあ」と
半信半疑の母を見返すには、
もう少し時間がかかりそうだ。【安高晋】

「災害のときは真っ先に」
 震災のため岩手県宮古市で父を失った大学1年、

山本永都(ひさと)さん(19)は母ヒデさん(47)と同じ
看護師の道を目指している。
進学を断念しかけたが、被災した学生のための奨学金を受け、
昭和大保健医療学部に入学。山梨県のキャンパスで学ぶ。
「将来はお母(かあ)みたいな看護師になっから、見守ってけれ」。
宮古市の実家に帰省した春休み。
父幸雄さん=享年(49)=の遺影に手を合わせた。
 大地震の後、消防団員の幸雄さんは水門を閉めに向かい、
津波にさらわれた。
永都さんは翌日、救護所でヒデさんと再会した。
白衣姿の母はほほ笑むだけで何も言わず、
患者のもとに向かった。
 行方不明の父を捜すことなく、治療に携わる母。
永都さんも壊滅した診療所のがれきから薬を捜した。
ある日、母と2人きりの車内で
「なんで、流されたのがうちのお父(とう)だったんよ」と泣いた。
少しの沈黙の後、母がつぶやいた。
「私たちだけじゃないんだよ」
 幼いころから、看護師に良い印象を持っていなかった。
母は夜勤で家を空け、急患があれば飛び出していく。
だが、被災者に寄り添う姿に
「災害時も人を助けられる看護師になりたい」と考えが変わった。
 保健師の資格も取れる大学に行きたい。
でも、中学生の弟もいる。
学費の安い看護学校に行くと告げると、母は
「つらい時に支えになるのが夢。後悔するよ」と言ってくれた。
震災遺児らへの奨学金が
次々設立されていることも学校や新聞で知った。
昭和大に合格した後、全国の市民の寄付で成り立つ
「まごころサンタ基金」(岩手県遠野市)など
複数の奨学金を受けることが決まった。
 学費と生活費の一部の負担がなくなり、
勉学に集中できる日々。大学病院での研修や
心肺蘇生術の実習に励む。
「たくさんの人に支えられ今の私がある。
看護師になり、災害のときは真っ先に駆け付けたい。
それが皆さんへの恩返しです」 (山本真嗣、写真も)

0 件のコメント:

コメントを投稿