慰安婦問題について、いろんな報道: 【訃報】原田要さん99歳、零戦パイロットとして真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島での戦闘に参加!。「南京大虐殺は信用できない」 …「最後の零戦乗り」が小紙の取材に語った言葉 5月5日。

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2016年5月5日木曜日

【訃報】原田要さん99歳、零戦パイロットとして真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島での戦闘に参加!。「南京大虐殺は信用できない」 …「最後の零戦乗り」が小紙の取材に語った言葉 5月5日。

模型を使いながら当時の空中戦の模様を再現する原田要氏=長野市内
季刊『道』 「最後の零戦パイロット 原田要氏講演会」
2014.7.27 DOUaikinews

2016.5.5 16:30 2【産経抄】産経ニュース
「南京大虐殺は信用できない」
旧日本海軍の誇る3隻の空母は、
米軍爆撃機の空襲により、炎上沈没した。
唯一難を逃れた「飛龍」も、まもなく大爆発を起こす。
直前に飛び立った零戦に搭乗していたのが、
原田要(かなめ)さんである。
大敗北に終わるミッドウェー海戦で、
連合艦隊機動部隊を最後まで護衛した。
その後海面に不時着し、4時間の漂流の末に救助される。

 ▼戦闘機パイロットとして日中戦争で初陣を飾り、
真珠湾攻撃やガダルカナル島の戦いにも参加した。
撃墜した敵機は19機に及ぶ。
半生記の『最後の零戦乗り』にある通り、
「海軍航空の誕生から終わりまでを見届けた」人物である。
 ▼もっとも戦後長く、
「零戦乗り」の過去について口を閉ざしてきた。
空戦で敵機にとどめを刺す寸前、
目の当たりにした相手の苦しそうな顔が忘れられない。
「人殺し」としての罪悪感にとらわれていたからだ。
 ▼郷里の長野市内で、幼稚園の園長として
穏やかな日々を送っていた。その気持ちに変化が起こる。
きっかけは、1991年に起きた湾岸戦争だった。
「テレビゲームみたいだ」。
ニュース映像を見た若者が漏らした感想に衝撃を受ける。
▼原田さんは、何度も生死の境をさまよった
自らの悲惨な体験を伝える決心をする。
今月3日、99歳の天寿を全うした原田さんは
講演で、戦争の恐ろしさと平和の大切さを訴え続けた。
ただ、納得できないことが一つある。
▼昭和12年に日本軍が中国・南京を攻略した際、
原田さんは海軍航空隊の一員として現地にいた。
記憶にあるのは、露店が立ち、
日本兵相手に商売を始めた住民の姿である。
「南京大虐殺は信用できない
。もしあれば、中国人はわれわれに和やかに接しただろうか」。
小紙連載「歴史戦」の取材に語っている。
原田さんが語った【歴史戦 南京攻略戦 兵士たちの証言】
元零戦パイロット kitamishiki 2015/01/08 に公開
中京テレビ キャッチ! シリーズLIFE戦後70年の時を超えて
「真珠湾攻撃と幼稚園の園長先生」元零戦パイ­ロット・原田要さん98歳。
原田要氏 99歳(はらだ・かなめ
=元零戦パイロット)3日、多臓器不全で死去。
告別式は近親者で行う。
喪主は三男、孝成氏。
6月4日、お別れの会を開く。
 零戦の搭乗員として
真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などに参加。
戦後は郷里の長野市内で幼稚園の園長などを務めた。
1991年の湾岸戦争を機に
自身の戦争体験を語る活動を続けていた。


2016.5.4 09:53
【歴史戦 南京が顕彰した男(下)】
朝日記事「万人坑」はなかった…「中国の主張を代弁しただけ」

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