慰安婦問題について、いろんな報道: 元世界ヘビー級チャンピオン モハメド・アリ氏 死去。アリ氏死去に猪木氏「元気があれば旅立ちもできる」モハメド・アリ氏 40年前に猪木氏と「世紀の一戦」。

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2016年6月4日土曜日

元世界ヘビー級チャンピオン モハメド・アリ氏 死去。アリ氏死去に猪木氏「元気があれば旅立ちもできる」モハメド・アリ氏 40年前に猪木氏と「世紀の一戦」。

アリ氏死去に猪木氏「元気があれば旅立ちもできる」
(2016/06/04 17:41) テレ朝ニュース
モハメド・アリさんが亡くなったことを受けて、
アントニオ猪木さんが取材に応じています。
 40年前に対戦したアントニオ猪木氏:
「『元気があれば旅立ちもできる』ということで、
本当にモハメド・アリ氏のご冥福をお祈りしたいと思います。
モハメド・アリ氏もいろんな試合を繰り広げ、
そのなかで異種格闘技ということで、多分、闘った後も
友情が芽生えて付き合いがあったのは、
逆にボクシングの選手より
私のほうが深かったかなという感じが致します」

モハメド・アリ氏が、アメリカ西部の病院で亡くなりました。
74歳でした。

モハメド・アリ氏は12歳でボクシングを始め、
1960年、ローマオリンピックのボクシング、
ライトヘビー級で金メダルを獲得しました。
プロに転向したアリ氏は、1964年、22歳で
ヘビー級の世界チャンピオンになりましたが、
3年後、ベトナム戦争への
徴兵を拒否したことでタイトルを剥奪されました。
その後、アリ氏はプロボクシングに復帰し、
1974年に世界王座を奪還して通算19回の防衛を果たし、
ヘビー級ながら華麗なフットワークを見せる
ボクシングスタイルは、
「チョウのように舞い、ハチのように刺す」と評されました。
通算成績は56勝5敗で、このうち37勝がノックアウト勝ちでした。
一方、アリ氏は、アメリカのレストランで受けた人種差別に抗議して、
ローマオリンピックの金メダルを川に投げ捨てたほか、
黒人の人権擁護を呼びかける集会に参加するなど、
人種差別の撤廃を国際社会に訴えました。
引退後は、難病のパーキンソン病を患って闘病を続け、
1996年のアトランタオリンピックの開会式では、
聖火台に火をともしました。
また、アリ氏は病をおして、アメリカ軍兵士の慰問などの
社会活動を続け、2005年には、
アメリカ政府から、最高の栄誉とされる
「自由勲章」を贈られました。
アリ氏は3日、
アメリカ西部・アリゾナ州の病院で74歳で亡くなりました。

世界のメディア 大きく伝える

世界各国のメディアが、
モハメド・アリ氏の死去を速報で伝えました。
このうち、アメリカの有力紙、ニューヨーク・タイムズは、
アリ氏を「ボクシングと20世紀の巨人」と評したうえで、
「オーソドックスではないボクシングスタイルをリングに持ち込み、
最もわくわくさせてくれた。愛されもし、嫌われもしたが、
50年間にわたって
地球上で最も著名な人物の1人であり続けた」と伝えています。
アメリカのABCテレビは、
アリ氏の生前の活躍を振り返る特別番組を放送するとともに、
ツイッターに、「伝説であり、時代の象徴であり、ヒーローだった。
安らかに眠ってください」と投稿しました。
また、ロイター通信は、「最も偉大なボクサーだった。
ハンサムかつ大胆で、言いたいことを言い、
徴兵を拒否して黒人の運動のシンボルになった」として、
アリ氏がアメリカの公民権運動に
大きな影響を与えたと伝えています。
さらに、フランスのAFP通信は、
「人々に愛された74歳のヒーローが、数十年間、
パーキンソン病と闘った末にこの世を去った」としたうえで、
リングの外でのアリ氏について、
「イスラム教への改宗や、ベトナム戦争や
公民権運動を巡る言動を中傷されたこともあったが、
みずからの信念を曲げず、
最後には称賛を勝ち取った」とたたえました。

タイソン「神がチャンプを迎えに」

プロボクシングの元世界ヘビー級チャンピオン
モハメド・アリ氏が亡くなったことについて、
親交のあった同じ元世界ヘビー級チャンピオンの
マイク・タイソン氏は、自身のツイッターに、
アリ氏と談笑する写真とともに、
「神がチャンピオンを迎えに来た。
さようなら、偉大な人」と投稿し、
ボクシング界の英雄の死を悼みました。

パッキャオ氏「偉大な人を失った」

イギリスのキャメロン首相は自身のツイッターで、
「モハメド・アリ氏はリング上における
チャンピオンだっただけでなく公民権における
チャンピオンでもあった。
あまりに多くの人々の模範となった人だ」と投稿し、
アリ氏の功績をたたえました。

また、フィリピンの上院議員で、ボクシングの
元世界王者のマニー・パッキャオ氏は、
自身のツイッターで、
「われわれはきょう、偉大な人を失った。
あなたはいつまでも史上最高であり続けるだろう」
と追悼のコメントを寄せました。
アリ氏の娘で、父親に関する書籍も出版している
作家のハナ・アリさんは、自身のツイッターで、
「父は神のもとに旅立ちました。
神のご加護がありますように。
お父さん、あなたは私のすべてです」とコメントしています。
異種格闘技 アントニオ猪木 vs モハメド・アリ

モハメド・アリ氏 40年前に猪木氏と「世紀の一戦」
6月4日 18時32分 NHKニュースウェブ
亡くなったモハメド・アリ氏と
日本との関わりとして知られるのは、
昭和51年、「世紀の一戦」とも呼ばれた、
プロレスラーのアントニオ猪木氏との日本武道館での対戦です。
その後もアリ氏と猪木氏の交流は続きました。
昭和51年、世界ヘビー級チャンピオンだったアリ氏と、
猪木氏との対戦は大きな注目を集め、テレビでも放映されました。
試合は、異種格闘技の対戦に伴うルールもあって、
猪木氏がほぼ寝そべったままキックだけで攻撃したのに対し、
アリ氏は立ったまま対じし続け、
時間切れ引き分けで終わりましたが、
ボクシングとプロレスの頂上決戦に、
格闘技ファンの間では「世紀の一戦」として語り継がれてきました。
その後もアリ氏と猪木氏の交流は続き、
平成10年に猪木氏のプロレスの引退試合が
東京ドームで行われた際には、
難病のパーキンソン病を患いながらも
アリ氏が駆けつけ、リングで花束を贈っていました。

猪木氏「友としてご冥福を祈る」

日本を元気にする会の代表で、昭和51年に
プロレスラーとしてモハメド・アリ氏と戦ったアントニオ猪木氏は、
東京都内で記者会見し、「試合後は、大変な酷評であり、
茶番劇だと、いろんなことを言われたが、
時間がたっていくなかで評価が変わっていった。
信念は、時間がたつことで、人に認めてもらうこともあるのだと、
アリ氏との戦いを思い起こすと感じる。
あの試合は本当によかったと素直に思うし、
アリの存在というものも認めることが出来た」と述べました。
そして猪木氏は、「元気があれば、旅立ちもできる。
人生を戦い抜いたアリ氏に、
友として、ご冥福をお祈りしたい」と述べました。

輪島功一さん「重量級なのにスピードがあった」
モハメド・アリ氏が亡くなったことについて、
スーパーウェルター級の元世界チャンピオン、
輪島功一さんは「信じられないという感じ。
ボクシングというスポーツを全世界に知らしめてくれた、
最高のスターだった」と話し、
年齢が1つ上の偉大なチャンピオンの死を惜しみました。
輪島さんはアリ氏のボクシングについて、
「華麗だった。リーチがあって、背が大きくて
重量級なのにスピードがあった」と振り返ったうえで、
「自分にとっての目標だったし、追い越してやる、
追いついてやると、糧になった」と現役当時、
アリ氏の活躍が刺激になっていたことを明かしました。
そして、「またボクシング界を引っ張っていく
スターが出てきてほしい」と願っていました。

後楽園ホール近くでは死を惜しむ声
プロレスやボクシングの興行が定期的に行われる
東京・水道橋の後楽園ホールの近くでは
アリ氏の死を惜しむ声が聞かれました。
56歳の会社員の男性は、
「猪木との異種格闘技戦を家で見たが、
当時は衝撃的な試合でした。
今の格闘技の草分け的な戦いをした人で、
時代が終わったという感じで、残念です」と話していました。
また、42歳の会社員の男性は、
「パーキンソン病を患いながらアトランタオリンピックの開会式で、
聖火台に火をともした姿がすごく印象的でした。
ご冥福をお祈りします」と話していました。
65歳の運転手の男性は、
「アリが活躍していた頃のボクシングファンで、
『蝶のように舞い蜂のように刺す』と言われたフットワークが好きでした。
アリ世代として残念です」と話していました。

『和製クレイ』カシアス内藤さん 「名前は一生大事に」
「和製クレイ」と呼ばれ、小説のモデルにもなった
元プロボクサーで横浜市内でボクシングジムを営む
カシアス内藤さんはモハメド・アリ氏が改名する前の
名前の「カシアス・クレイ」から本人の了解をもらって
リングネームとしました。
カシアス内藤さんは18歳のころ、
指導を受けていたトレーナーの紹介で
静岡県の伊豆で合宿をしていたアリ氏と
一緒に練習をさせてもらった思い出を振り返り、
「自分もスピードには自信があったが
体が大きいあの人のスピードに追いつかなかった。
世界チャンピオンなのに駆け出しの自分にも優しくしてくれた。
自分の名付け親みたいな人で、
彼のおかげで頑張れたのでいなくなるのは寂しい。
カシアスの名前は
一生大事にしていかないといけない」と話していました。
アリ vs 猪木の隠された真実 格闘技&武術 倉庫2

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