慰安婦問題について、いろんな報道: 現代ビジネス編集部、昭恵夫人が語った安倍首相「真珠湾訪問の可能性」。安倍昭恵・首相夫人が単身パールハーバーを慰霊訪問した理由。日本の真珠湾攻撃情報は事前に「007英国」から「FBI米国」に伝えられていた。アメリカ人が見た真珠湾攻撃。フライング・タイガーで、アメリカは真珠湾攻撃以前から 事実上、 対日参戦していて「真珠湾攻撃」の5か月前 米が日本爆撃計画、 「大統領も承認」 米ABCテレビ。その他関連。

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2016年8月23日火曜日

現代ビジネス編集部、昭恵夫人が語った安倍首相「真珠湾訪問の可能性」。安倍昭恵・首相夫人が単身パールハーバーを慰霊訪問した理由。日本の真珠湾攻撃情報は事前に「007英国」から「FBI米国」に伝えられていた。アメリカ人が見た真珠湾攻撃。フライング・タイガーで、アメリカは真珠湾攻撃以前から 事実上、 対日参戦していて「真珠湾攻撃」の5か月前 米が日本爆撃計画、 「大統領も承認」 米ABCテレビ。その他関連。

真珠湾攻撃で亡くなった兵士の名前が刻まれた
プレートを見つめる昭恵夫人【撮影・現代ビジネス編集部】
現地では、真珠湾攻撃の生存者とも交流した
日本軍の“奇襲”に炎上する真珠湾の米軍基地
毎年150万人が訪問するというアリゾナ記念館(gettyimages)
8月22日、ハワイのパールハーバーを訪問し、
真珠湾攻撃で亡くなった約2400名の犠牲者に
祈りを捧げた安倍昭恵・首相夫人
(その様子を報じた記事はこちらから)。
「現代ビジネス」編集部は昭恵夫人に同行し、
アリゾナ記念館で献花を済ませた直後に、
インタビューを行った。

記念館で驚いたこと


「ハワイには何度も来たことがありましたが、
パールハーバーを訪れたことはありませんでした。
いつか訪問したいという気持ちは、常にもっていました。


この一年、戦後70年ということで、
戦争について考える機会がたくさんありました。
今年5月には、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問し、
17分間のスピーチで平和の尊さを訴えました。
そのスピーチに感動を覚えながら、日本もアメリカも、
お互いに過去を振り返り、
そして、さらに前に進む時期に来たのだな、と気づきました。
そんな中、真珠湾攻撃から75年の節目の年に、
パールハーバーを訪問し、
亡くなった方々に祈りを捧げたいと思ったんです。
もちろん真珠湾攻撃については知っていました。
しかし、それは歴史の授業で習った程度の知識でしかありません。
実際に現地を訪れ、展示物を見て、
現地の人々の話を聞かなければ分からないことがあります。
私は、それを知りたかったのです。
私たちには、次の世代に
歴史の記憶を託していく義務があります。
しかし、その歴史について、実際にふれて学んだものと、
教科書で習ったものとでは、
伝えられるものがまったく違うと思うのです」

――実際にアリゾナ記念館を訪れてみて、
どんなことを感じましたか。


「真珠湾攻撃が、どれだけ痛ましいものであったかを、
改めて知りました。
またアリゾナ記念館の下に眠る戦艦アリゾナからは、
いまも少しずつ海中に石油が漏れていることを知り、
75年経っても戦争の跡が生々しく残っていることに心が痛みました。
一方で想像していた以上に、
アメリカが冷静に歴史を振り返っていることも感じました。
というのも、展示された資料を見ていると、
日本軍が残忍だった、
というようなことが書かれているわけではありません。
正直に言うと、来る前はもっと″怒り″が
全面に出された施設なのかと思っていました。
ところが、展示物を見ると、
日本には日本の経済的な事情、
国際社会の中での苦しみがあった、
というような説明書きが随所にありました。
『リメンバー・パールハーバー』という言葉が、
怒りや憎しみの代名詞ではないと気づくとともに、
アメリカが成熟した民主主義の国であり、
そして日本とアメリカがそうした歴史を踏まえたうえで
成熟した関係を築いている、
ということをあらためて実感しました。
もう一つ印象的だったのは、戦前の日本と
アメリカの文化や
スポーツなどの交流についての展示があったことです。
そうした豊かな交流があっても、悲惨な戦争が起きることがあり、
そして戦争が起こればそのつながりは一瞬で消えてしまう。
私たちは、
その過ちを繰り返してはならない――その決意を強くしました」

首相は神妙な面持ちで
――アリゾナ記念館はチケットを求める人が
朝早くから行列ができるほど、
アメリカ人にとっては人気があります。
一方、日本人向けのハワイのガイドブックなどを見ると、
真珠湾のことやアリゾナ記念館のことは、
記述が少ないように思います。
実際、記念館では日本人の観光客は
ほとんど見かけませんでしたね。

「だからこそ、なおさら訪問した意義があったと思います。
オバマ大統領が広島を訪れたことで、
アメリカ人をはじめとする外国人の方が、
広島にたくさん来るようになったと聞いています。
私にそこまでの力がある、とは言いません。
しかし、少しでもパールハーバーを訪れる人が増えて、
先の戦争について、犠牲者について、
考えてくれるなら、嬉しいことだと思います」

――それこそ安倍首相が真珠湾を訪問すれば、
さらに注目が集まり、
多くの日本人が訪れるようになるかもしれませんね。
オバマ大統領が広島を訪問したことを受けて、
安倍首相も真珠湾を訪問すべきだという声が聞こえてきます。
昭恵さんは、その可能性についてどう思われますか?

「夫は夫、私は私ですから、行ったほうがいい、
と進言したりはしません。
でも、夫も訪問したいと思っているかもしれません。
私が『パールハーバーに行ってきます』と伝えたところ、
神妙な面持ちをしていましたから」

――昭恵さんが真珠湾を訪問したのとほぼ同時刻に、
安倍首相は
リオ五輪の閉会式で次の東京五輪のPRを行いました。
それぞれが世界に向けてメッセージを発信していますが、
昭恵さんは、ご自身の役割についてどのように考えていますか?
「まず、私はこの世界で最も尊重すべきものは平和であると考えています。
そこで、平和な世界を築くために、
私にできることはなんだろう、ということはよく考えます。
主人は、日々世界各国の首脳と話し合う中で、
国際協調に取り組んでいます。
彼が日本の平和のため、世界の平和のために懸命に努力していることは、
間違いありません。
しかし、これは日本に限ったことではありませんが、
権力者はなかなか理想ばかりを語っていられません。
『平和、平和』と口にしても、
国際政治では必ず利害が衝突してしまいますから。
だからこそ、私は理想を語るのです。
平和な世界を築くためには、
力なき人たちの横のつながりを
強くしていくことが大事だと思っています。
それは、女性や子ども、そして貧困に苦しむ人たちだったり、
少数民族だったり、LGBTの人たちだったり、
障害を持った方々だったり…。
そうした人たちに会い、苦しみについて聞き、
解決の手段を考え、同じように苦しんでいる人たちが
手を取りあうきっかけをつくる。
それが、私の役割だと思っています」

たとえ批判を浴びても
――今回パールハーバーを訪問することは、

政府や省庁の関係者には一切伝えなかったと聞いています。
事前に知らせていれば、訪問を反対する声も出たかもしれません。
昭恵さんの行動や取り組みについて
批判的にみる方もいらっしゃると思うのですが、
どう受け止めていますか?
「繰り返しになりますが、そうした反応も含めて、
議論のきっかけ、その問題について考えるきっかけとなれば、
と思っています。
私は先日、ヘリポートが建設される予定の、
沖縄・高江に行ってきました。
実際にこの目で、なにが起こっているのかを見たい、
声を聞きたい、という想いからだったのですが、
『一体、何をしに来たんだ』というご批判も多数いただきました。
…あまり都合よく解釈するわけにはいきませんが、
この一件で、高江について、沖縄について
初めて考える機会を持った方も、
少なからずいらっしゃったのではないでしょうか。
たとえ批判を浴びたとしても、そのきっかけを与えられたなら、
それも意味があることではないかと思うのです。
寄せられる批判の声にも耳を傾けながら、
平和な世界を築くために、
私にできることは何かを考え、これからも動き続けたいと思っています」

【現地特別ルポ】 賢者の知恵
75年目という節目に
「ハワイには何度も来たことがありますが、
パールハーバーを訪れたことはありませんでした。
この一年、戦後70年ということで、先の戦争について
考える機会が増えるなか、どうしても一度は訪問したいという
気持ちが強くなりました。
実際にこの目で彼の地を見て、
亡くなった方への祈りを捧げたいと思ったのです」
ハワイの中心部・ワイキキから
車を30分ほど走らせたところに位置する
「U.S.Sアリゾナ記念館」。

真珠湾攻撃によって
亡くなった人々の追悼のため海上に建てられたこの施設に、
日本時間8月22日早朝、犠牲者に向かって
祈りをささげる安倍昭恵・首相夫人(54)の姿があった。
「現代ビジネス」編集部は昭恵夫人の訪問に同行し、話を聞いた。
「ここで2400名もの人命が失われたんですね…。


記念館に展示された様々な資料を見て、
改めて『パールハーバー』がアメリカの人々にとって
どのような意味を持つのかを知り、胸を痛めました」(昭恵夫人)
1941年12月7日午前7時55分(日本時間12月8日午前3時25分)、
日本海軍の連合艦隊機動部隊が真珠湾を強襲。
2時間にわたる攻撃によって、戦艦を含む
12隻の船が沈没・座礁、164の航空機が破壊され、
民間人49名を含む約2400名が亡くなった。


太平洋戦争の「最初の戦いの舞台」となった真珠湾。
アメリカでは、宣戦布告がなされぬまま
攻撃が実行されたことへの憎しみと、
多くの人命を一瞬で失った悲しみを込めて、
12月7日は「day of infamy(汚辱の日)」と呼ばれている。
「リメンバー・パール・ハーバー」の言葉とともに、
いまでも第二次世界大戦の忌々しい記憶として
この日のことが語り継がれているのは、周知のとおりだ。

過去、アメリカは日本政府に対して
「日米の和解をさらに進めるためにも、
日本国首相の真珠湾訪問を歓迎する」と何度も呼びかけてきた。
が、日本政府がこれに応えることはなかった。
国内で「奇襲ではない」
「訪問をすれば謝罪は必至。なぜ謝罪をする必要があるのか」
という声があり、そうした意見に配慮したため、と言われている。

その空気が大きく変わったのは、
今年5月。オバマ大統領が、現職の大統領として
初めて被爆地・広島を訪問、17分間にわたるスピーチで
平和の尊さを訴えたことで、
「アメリカが過去に向き合ったのだから、
安倍首相も真珠湾を訪問して、過去に向き合うべきだ」
との意見が、外部からのみならず
政権内部からも聞こえてくるようになった。
真珠湾攻撃から75年という節目に当たる今年、
日本の首相がはじめて真珠湾を訪問するかもしれない――。
そんな気運が高まる中、
安倍昭恵夫人がアリゾナ記念館を訪問したのだ。

これまでの平和に感謝し、これからの平和を祈る
『現代ビジネス』の取材に、昭恵夫人がその思いを語る。
「オバマ大統領が広島に訪問したことで、

被爆地ヒロシマのこと、そしてあの戦争のことを
改めて考える機会を持った方も多いはずです。
パールハーバーについて、
様々な議論や見方があるのは知っていますが、
憎しみや怒りを超えて、
次の世代にこの記憶を
語り継いでいかなければならないと思っています。
犠牲者を悼むとともに、これまでの平和に感謝し、
これからの平和を築いていくために、祈りを捧げました」

今回の真珠湾訪問は、公式なものではなく、
あくまで私的なものであるという。

これが首相の訪問を後押しするかといえば、それはわからない。
しかしながらどのような形であれ、昭恵夫人が
和解と平和を願う気持ちをもち、
歴史的な一歩を踏んだことに変わりはない。
昭恵夫人がこの地を訪れたのは、午前7時55分。
まさに、真珠湾攻撃が実施されたのと同じ時間だ。
折しも同日、ブラジルでは安倍首相がリオ五輪の閉会式に出席し、
世界に向けて東京五輪のPRを行う。
昭恵夫人の祈りは、世界に届くだろうか。

歴史認識 『歴史通』 2016年1月号
iRONNA 1 2 3 4 5 6
岡部伸(産経新聞ロンドン支局長)

攻撃を示唆する「質問表」
 日本が真珠湾を攻撃して日米が開戦してから
十二月八日で七十四年になる。
 真珠湾攻撃の報を聞いた英国の首相、チャーチルは日記に、
「これで我が国は救われた気分になり、
感謝に満ちた心でグッスリ眠った」と書いている。

〈十七カ月の孤独の戦いと恐るべき緊張の後、
真珠湾攻撃によって我々は勝ったのだ。
イギリス連邦とイギリス帝国は生き残るだろう。
我々英国の歴史が終わりはしない。
ヒトラーの運命は決まった。
日本人に至っては微塵に打ち砕かれるであろう〉

 米国の本格参戦で勝利を確信したチャーチルが
驚きよりも感謝して安眠したのは、まるで日本の真珠湾攻撃を
察知していたかの如き反応だった。
日本の最高機密だった真珠湾攻撃情報を
チャーチルは知っていた──。
そんな疑念が戦後七十年を経過した今日、広がっている。
ロンドン郊外キューガーデンにある英国立公文書館には
英国が真珠湾攻撃の兆しを
つかんでいたと推察される機密文書があった。
英国内での外国スパイや共産主義者らの摘発など
カウンター・インテリジェンス(防諜)を行う内務省管轄の情報機関、
MI5(情報局保安部)の防諜担当部署、セクションBのトップ、
ガイ・リッデル副長官が著した日記に大戦中、
暗躍した英独の二重スパイが日本軍による真珠湾攻撃の可能性を
事前に察知し、MI5が把握していたと見られる記述があったからだ。

 真珠湾攻撃から九日後の日記に、
二重スパイが奇襲四カ月前にドイツ側から真珠湾と
米艦隊などを偵察するように指示された「質問表」(調査リスト)を
「われわれ(MI5)は所有している」と記していた。
これはMI5が日本軍による真珠湾攻撃の可能性を示唆する
秘密情報を得ていたと解釈できる。
二重スパイは回顧録で、米FBIにも真珠湾奇襲情報を伝えたが、
ジョン・フーバー長官が握り潰したと告白している。

五人の二重スパイ
 まずは連合国を勝利に導いた英国の
「ダブル・クロス」(二重スパイ)制度について紹介したい。
 第二次大戦の帰趨を決した連合国軍の
「ノルマンディー上陸作戦」成功の背後には
「フォーティチュード作戦」と名付けられた
史上最大の欺瞞作戦があったことはあまり知られていない。
ドイツのスパイを二重スパイに変える「ダブル・クロス・システム」で
英国のスパイになった五人の二重スパイが上陸目標地点を
英本土から最も近いパ・ド・カレー地方との偽情報をベルリンに送り、
ドイツ軍をカレー地方に足止めさせる策略だった。

 英国のインテリジェンスに通暁した
元タイムズ紙コラムニストでノンフィクション作家の
ベン・マッキンタイアーによると、英国に存在した
全てのドイツのスパイ(約三十九人)を
二重スパイに仕立て上げ、ドイツに対して
戦略的に欺瞞情報を送り続ける作戦は、
MI5(情報局保安部)の防諜部門、
セクションBの将校・通称「ター」こと
トミー・アーガイル・ロバートソンが発案し、
彼をリーダーにスタートした。第二次大戦で
ナチス・ドイツが初めて大敗を喫する
「バトル・オブ・ブリテン」が始まった
一九四〇年九月ごろのことである。
 そして翌四一年一月には、その活動を監督、調整する
極秘組織として二十(XX)委員会が設立され、
委員長にはオックスフォード大学の歴史家、
ジョン・マスターマン卿が就任する。
委員会は陸、海、空軍の各情報部の部長と、
MI5、英外務省管轄の通称「MI6」、秘密情報部(SIS)、
本国部隊及び本土防衛隊の各代表で構成され、
毎週木曜日にMI5本部で会合を開き、
二重スパイを活用する戦略や敵側に与える餌
(少しだけの無害で真実を確認できない偽情報)を、
総力をあげて練り上げた。「チキン・フィード」と呼ばれた敵に流す
偽情報の「餌」を国家総出で考案して諜報戦に臨んだところに
インテリジェンス大国の真髄がみてとれる。
それは大戦の勃興期から始まり、終戦まで続けられた。


エニグマ」解読
 英国の「ダブル・クロス・システム」が奏功した要因の一つに、
バッキンガムシャーにあるイギリスの暗号解読センター
(政府暗号学校)、ブレッチリ―・パークの暗号分析官たちが
ドイツなど敵側のスパイの無線通信を傍受、暗号を解読して
敵スパイの動向をつぶさに把握したことがあった。
難攻不落と言われたドイツの暗号機「エニグマ」を
数学者のアラン・チューリングらによって解読に成功したことは、
第二次大戦だけではなく、
あらゆる情報戦において最大の勝利を導いた。
ベルリンと各地のアプヴェール(国防軍情報部)支部との
無線通信を傍受出来るようになり、イギリス軍は
一九四〇年末からドイツが無条件降伏するまで
ドイツ軍の情報作戦を最初から最後まで追跡し、
情報に基づき計画を立てることが出来た。
つまり英国にとって敵側スパイはブレッチリー・パークの
解読班によって「丸裸」にされていたのだ。
このため英国に送り込まれた敵側スパイの多くは
身柄を拘束され、尋問の末に二重スパイとなったという。
 史上最大の欺瞞作戦の中核となった二重スパイは、
遊び好きで両性愛者のペルー人女性「ブロンクス」、
ポーランド軍の小柄な戦闘機パイロット「ブルータス」、
移り気なフランス人女性「トレジャー」、
養鶏学の学位を持つ変わり者のスペイン人「ガルボ」、
そしてセルビア人のプレイボーイ
「トライシクル」(三輪車)の五人だった。

トライシクルことポポフ

ボンドのモデル「トライシクル」
 しかし、「トライシクル」ことポポフほど
キャラが立つ傑出したスパイはいなかった。
映画「007」の原作者であるイアン・フレミングが
華麗なるスパイ、ジェームズ・ボンドのモデルとして
イメージを膨らませた人物である。
実際に英国海軍情報部に勤務したフレミングは
ポポフの監視役で、リスボンのカジノで大金をかけて
大立ち回りをしたポポフの「活躍」を処女作、
『カジノ・ロワイヤル』で活写している。

 金銭と女性と車とパーティ、ギャンブルを一度に楽しむ
長身でハンサムなプレイボーイ。
「トライシクル」(三輪車)のコードネームがついたのは
大きな車輪(ポポフ)と小さな車輪二つ(二人の工作員)で活動、
「部下二人雇って三人で情報収集した」からとも、
「ベッドで女性二人を侍らせる」精力絶倫からとも言われている。
ちなみにドイツ側では「イヴァン」の暗号で呼ばれていた。
バルカン半島のドブロブニクの
裕福な実業家に生まれたポポフは、
ドイツ南部のフライスブルグ大学を卒業後、弁護士となった。
ところがドイツがポーランドに電撃侵攻して
第二次大戦が勃発すると、一九四〇年初め、
大学の親友だった大きな海運会社の跡取り息子に勧誘され、
中立国ポルトガルのリスボンで
ドイツのアプヴェール(国防軍情報部)のスパイとなった。
 アプヴェールの一員となれば、兵役を免除されることも大きかった。
表向きはロンドンとリスボンを往復する
セルビア人貿易商として情報活動を始める。
しかし、ポポフはナチズムに強い嫌悪感を持っていた。
そこで、そのことをユーゴスラビアのMI6責任者に打ち明け、
ロンドンの高級ホテル「サボイ」でMI5のロバートソンに会い、
彼が率いるセクションB1A所属のスパイになる。
ドイツのスパイをやりながら、
イギリスに情報を流す二重スパイである。
ドイツの空襲が激しかった四〇年十二月のことであった。

 『英国二重スパイ・システム』(ベン・マッキンタイアー)によると、
尋問に包み隠さず真実を答えたポポフの反ナチの信念と
冒険を求める強い想いに感激したロバートソンは、
知り合って四日後に、
「のんきな態度のセルビア人青年は二心がなく、
命を懸ける覚悟が出来ている」と確信し、
「我々は掘り出し物を見つけたのだと強く感じている」
と書き記している。
また前出・二十委員会委員長のジョン・マスターマン卿は、
ポポフに、「ダブル・クロス」(二重スパイ)の選手の中でも
非凡な才能を持つ(クリケットの)一番打者になれる
可能性を見出したと思っていたという。
 四一年一月にリスボンにポポフを送りだしたロバートソンは、
「彼(ポポフ)は、高い資質を持った新たな工作員になれる
素質があると思う」と報告し、
ポポフは人間的魅力だけで身を守れるだろうと確信していた。
ポポフは、当初からイギリス当局に人間的に信用され、
有益な情報をもたらす
優秀な二重スパイとみなされたことがうかがえる。
MI5が終戦までポポフの英国への忠誠心と
インテリジェンス内容に信を置いていたことは間違いない。
いかにポポフに浪費癖があっても
MI5はその莫大な経費を工面した。
後に米国で娯楽や社交に使った
総額八万六千ドルもの借金も肩代わりしている。
インテリジェンスの世界では、現場で情報を集めることと
同時に前線から送られてくる情報の価値を正しく判断する
中枢の分析が肝要である。
MI5では信頼したポポフ情報を
最大限に評価して国策に生かしたのである。

 その最大の功績が
ノルマンディー上陸作戦を支えた欺瞞作戦であった。
ダブル・クロス委員会では大戦中にドイツ側スパイ三十九人を
「転向」させてイギリス側の二重スパイとして
戦略的にドイツに偽情報を送り、ドイツ軍を混乱させたが、
中でも最も優秀な五人がDデイ作戦を成功させ
連合軍の勝利に導いた。
とりわけ傑出していたのがポポフだった。

 このほかポポフは
①ドイツのロケット開発と攻撃状況をイギリスに伝えた、
②ドイツが超高細密の印刷技術を使って開発した
極秘連絡手段「マイクロドット」を英米両国にいち早く知らせた
──などの功績があった。
このためポポフは大戦終了時に英国国籍を得たほか、
戦後、秘かに名門ホテル「リッツ」でイギリス王室から
叙勲の栄誉に浴している。
英国に忠誠を尽くした見返りだった。

ドイツから七億円
 ドイツから活動資金を引き出し、MI5の資金とする
「ミダス計画」は二重スパイとして
ポポフが英国に貢献した真骨頂であった。
ミダスとは、ギリシャ神話に登場する王で、
手に触れるものすべてが金に変わったといわれる。
この神話を参考にして、ポポフはドイツ側からの
信用を背景に英国内でのエージェントへの活動資金を名目に
大量の資金を
ドイツ側から調達してMI5に提供したものだった。

 英国のインテリジェンス研究家、マッキンタイヤーは
「ミダス計画は、大戦中で最も利益を上げながら
最も知られていない作戦の一つになった。
ポポフは手数料として一〇%を取って英国での諜報活動に
資金提供されることにドイツ側は大喜びした」と
『英国二重スパイ・システム』で書いている。
これで「ダブル・クロス・システム」は資金調達の心配がなくなり、
利益があがるようになった。
二十委員会委員長のジョン・マスターマン卿は、
「ドイツ側が、彼らの組織であり我々の組織でもある集団に
一九四〇年から一九四五年の間に供給した資金は、
当時の額で八万五千ポンドほどであった」と述べている。
これは現在の価値で
四百五十万ポンド以上
(日本円で約七億円)に当たる。
MI5副長官の悔恨
 日本にとって最も重要なのは、
ポポフが真珠湾攻撃情報を得て報告していたことだ。
ポポフは真珠湾攻撃の四カ月前の一九四一年八月、
ドイツのスパイとして米国に派遣される際、
ドイツから渡された「質問表」の中で、
枢軸側が真珠湾に大きな関心を持っていることを把握し、
親友のイプセンから得た情報と重ね合わせ、
日本軍が真珠湾攻撃に踏み切る可能性があることをんだ。
これを米FBI(連邦捜査局)に伝えたものの、
フーバー長官は信用せず、個人的に握りつぶしたと
回想録『スパイ/カウンタースパイ』に著している。
ところが、報告を受けたMI5は
逆にポポフ情報を信用していたことをうかがわせる
秘密文書が英国立公文書館にあった。
 MI5の防諜担当部署、セクションBのトップ、
ガイ・リッデル副長官は内気で、チェロを弾くのが趣味の
「スパイ・ハンター」だった。
リッデル副長官は大戦前から膨大な日記を残しており、
そこには秘密機関MI5が大戦中に展開した
情報活動の実態が赤裸々に描かれている。
その原文が英国立公文書館で秘密解除されている。
リッデル副長官は、真珠湾攻撃から九日後の
一九四一年十二月十七日の日記(KV4/189)に
『トライシクルの質問表』という形で
「真珠湾情報」について記していた。

トライシクルの質問票

〈『トライシクルの質問表』は今、われわれ(MI5)の手元にある。
これは八月にドイツ人たちが真珠湾について特別に関心を示し、
可能な限りのあらゆる情報を
入手したがっていたことを極めて明瞭に示している〉
 ポポフがドイツの情報機関から米国に派遣される際、
渡された「トライシクルの質問表」(調査リスト)には
真珠湾の軍施設、米艦隊の状況を偵察する指示があった。
それが真珠湾攻撃九日後、
「今、われわれ(MI5)の手元にある」と書いているのだ。
回顧録『スパイ/カウンタースパイ』で
ポポフは英国側に質問表を渡し、
ドイツ(日本)による真珠湾奇襲の警告を発したと書いている。
 リッデル副長官が真珠湾攻撃から九日後の日記に
「トライシクルの質問表」を持っていると書いたのは、
ポポフの証言通り、警告の意を含んだ「質問表」が
MI5に伝えられて
組織内で情報共有されていたことを示している。
「われわれの手元にある」というのは、
MI5が国家の命運を左右する
貴重なインテリジェンスとして評価していたことを意味している。

 では、「質問表」とは一体何であろうか。
『スパイ/カウンタースパイ』によると、
「トライシクルの質問表」は、ポポフが四一年七月、
ポルトガルのリスボンでドイツ側のコントローラーである
アプヴェール(国防軍情報部)のリスボン支部長、
フォン・カルストホーフから
「米国でスパイ網を組織せよ」との指令を受け、
渡された調査リストだった。

三つの質問項目

 大戦中、中立を守り通したポルトガルの首都リスボンは、
連合国、枢軸国両陣営のスパイが入り乱れ、
諜報戦のメッカだった。
貿易商として頻繁にリスボンとロンドンを往復したポポフは、
リスボンではカルストホーフの指示を受けていた。
 ユーゴスラビア情報省代表として渡米するため、
飛行機の空席待ちで待機していた四一年七月のことである。
別荘でカルストホーフから
マニラ紙で出来た何枚かの書類を見せられた。
それが、「質問表」で、最初の一節は
〈海軍情報〉という見出しで始まり、アメリカとカナダが
海外へ派遣する部隊に関する質問だった。
そして二番目の見出しが〈ハワイ〉で、
真珠湾のあるオアフ島の弾薬庫と機雷貯蔵庫を始め
米軍施設や米艦隊など
真珠湾に関する詳細な質問項目が記されていた。
 英国立公文書館には、ポポフの個人ファイル
(KV2/849)の中に四一年八月二十三日付で、
MI5でポポフの上司、ロバートソンが
イギリス陸軍総司令部のホッグ大佐あてに
「パールハーバー 質問表」と題して送った「質問表」の
ドイツ語原文と英訳した機密文書の原本が保存されている。
これは少なくとも八月二十三日の段階でMI5は
「質問表」にある調査事項からドイツ(日本を含む枢軸側)が
真珠湾に関心を持っていたことを
察知していた事実を示している。
 最初は「海軍情報」で二番目から
真珠湾関連の質問項目が記されている。
五つある質問項目のうち真珠湾に関する質問項目は
「ハワイ」「飛行場」
「海軍基地パールハーバー」の三つで、次の通りだ。
 
●ハワイ:弾薬集積場、機雷貯蔵所
一、 海軍の弾薬集積場と機雷貯蔵所、
パールハーバーのクシュア島にあり、
その詳細。できればスケッチせよ。
二、 ルアルレイの海軍弾薬集積場の正確な位置、鉄道の有無。
三、 陸軍の主弾薬集積場はクレーター・アリアマスの
岩場にあると思われるが、その位置は。
四、 クレーター・パンチボールは、弾薬集積場として
使われているか、もしそうでなければ、陸軍の集積場はどこか。

●飛行場:
一、ルケフィールド飛行場──詳細(できればスケッチを)、
格納庫の状況と数、作業所、爆弾貯蔵所、燃料貯蔵所に関して、
地下燃料施設はあるか。水上機基地の正確な位置。
二、 海軍航空基地カネオヘ(前項とほぼ同じ)
三、 陸軍ウイッカム飛行場とホイーラー飛行場(前項とほぼ同じ)
四、 ロジャー空港─戦時、陸軍か海軍によって使用されるのか、
いかなる準備がされつつあるか。格納庫の数、
水上機の着陸の可能性について?
五、 パンアメリカン航空の空港─正確な位置(可能ならばスケッチ)、
ここは、ロジャー空港と同一のところか、それともその一部か
(パンアメリカン航空の無線基地はモハブウ岬にあるが)

●海軍基地パールハーバー:
一、
大埠頭、桟橋の施設、作業場、燃料施設の状況、
第一乾ドックと新しく建設中の乾ドックの状況、
それぞれの詳細とスケッチ
二、潜水艦基地の詳細、どんな地上施設があるか
三、機雷探知機の基地はどこか。
入口と東部および南東部の水門の浚渫作業は
どのくらい進んでいるか。水深はどのくらいか
四、投錨地の数は
五、パールハーバーに浮きドックはあるか、
浮きドックを移動する計画はあるか

「質問表」は真珠湾の米軍施設を詳細に調査する内容だが、
空襲が計画されたり、
日本軍の奇襲が迫っていたりすることも示唆していない。
日本から依頼されたことも明記されていない。
ただ単にドイツ側が
真珠湾に強い関心を示していたことを示すだけで、
米太平洋艦隊の司令部があったハワイの真珠湾に
枢軸側が興味を持ったとしても不自然ではなく、
「質問表」が真珠湾攻撃の兆しとして
日本の奇襲計画情報を米国に伝えたという
ポポフの主張は信頼性に欠けるとの見方もあった。
 しかし、二十委員会でポポフら二重スパイを統括した
ジョン・マスターマン卿は、
回顧録『二重スパイ化作戦』の中で、こう記している。
〈トライシクルのアメリカへの質問表には……
その後起こった真珠湾奇襲に対する、
地味だが見過ごされた警告があった。
(中略)彼は(ドイツ側に)非常に信頼されていたので、
彼らのために大規模なスパイ網を張るべく、
渡米することになった。
(中略)やっと八月十日に、一連のピリオド
(マイクロドット)に隠された質問表を携えてアメリカに向かった。
八月十九日、われわれはMI6から質問表のコピーを受け取ったが、
この質問表は、二十委員会の席上で読まれ、
その英文に直したものは国家機関の職員たちに送られた。
ピリオドは写真に撮られ、米FBIの手によって
拡大されたことは記憶にとどめられよう。
したがって、FBIは、
質問表にあった情報はすべて所持していたのである〉
 マスターマン卿も、ポポフの「質問表」情報を「警告」と評価し、
それがFBIに渡されていたことを認めていた。

英海軍のタラント奇襲
 ポポフが日本の真珠湾攻撃の可能性を確信したのは

「質問表」に加えてアプヴェールの同僚、
イプセンからの情報があった。
イプセンから四〇年十一月、イギリス海軍が航空機で
イタリア南部の軍港タラントを奇襲した攻撃手法に
日本が関心を持ち、日本の依頼でイプセンが
タラントを現地調査したことを聞いていた。
またドイツの日本専門家で東京駐在の空軍武官だった
グロノー男爵もタラントを訪れ、日本は石油備蓄量の関係から、
四一年末までには米国と戦争状態になる、
と予想したことをイブセンから聞いていた。
 さらにポポフは
「オアフ島に関することは、ドイツのアジアの同盟国
(日本)のためのものに違いありませんね」と尋ねると、
ドイツのフォン・カルストホーフは、
「誰でもそう思うだろうな」と答えたと回想録に記している。
 こうしたことからポポフは日本がタラント海戦に倣って
真珠湾を攻撃すると推測した。
そこで、この情報をロンドンに送り、
渡米して自らの見解を添えて伝えることになった。
 アメリカは一日、ドイツ、日本など
侵略国とみなす国への石油輸出を全面禁止し、
七月二十五日には在米の日本資産を凍結していた。
着々と開戦準備を進め始めていたのだ。

二重スパイ嫌いのFBI長官
 八月十日、渡米したポポフには試練が待っていた。
独断的で強引なフーバー長官の下、
FBIは防諜活動に全く異なる対応をしていたからだ。
歓迎ではなく「二重スパイ」に対する不信と嫌悪の眼だった。
FBIのニューヨーク支部長、フォックスワースと面会し、
「質問表」にイプセンの情報を交えて
「日本が今年末までに真珠湾を奇襲する可能性がある」
と報告したが、FBIのニューヨーク支部長は、
「あまりにも正確すぎて、すぐ信じるわけにはいかない。
フーバー長官の特別指示を仰がねばならない」とだけ答えた。
一方、「質問表」は書類のほかドイツが
超高細密の印刷技術を使って開発した極秘の連絡手段
「マイクロドット」として手渡された。
高倍率の顕微鏡で覗いたFBIの係官らは驚いた。
見ると、微細な文字が判明する仕組みだった。
ポポフは連合国のスパイとして
初めてドイツの革命的なスパイ技術を知り、英米に伝えた。

シモーヌ・シモン


しかし、フーバー長官は、ポポフに冷淡だった。
面談を拒否したあげくポポフに終始、尾行をつけ、
真珠湾を調査するためのハワイ行きも認めなかった。
FBIから疎んじられ、積極的な諜報活動も一切出来なかったので、
ポポフは後世語り継がれる『グレート・ギャツビー』を想起させる
豪勢な「どんちゃん騒ぎ」を全米で行った。
 英国人女優とフロリダを旅行。
高級ホテル「ウォルドーフ・アストリアホテル」から
パーク・アヴェニューの高級アパートのペントハウスに居を構え、
ロング・アイランドの高級住宅地に夏の別荘を持ち、
ビュイックの赤のコンヴァーチブルを乗り回し、
旧知のフランス人のハリウッド女優、シモーヌ・シモンと同棲する
豪奢な生活を送った。
度が過ぎた出費を注意されてもポポフ
は「私には裕福な道楽者という仮面を維持する必要がある」と
馬耳東風だった。
このことがフーバー長官には気に入らなかった。
 九月半ば、フーバー長官は、
ニューヨーク支部にポポフを呼んで、
「どこかから来て六週間もたたないうちに、
パーク・アヴェニューのペントハウスに住みつき、
映画スターを追いかけまわし、重大な法律を破った。
もう我慢がならん」と罵声を浴びせた。
ポポフが「私は、いつ、どこで、どのように、
誰があなたの国を攻撃するかについて、
正確で重大な警告を持って来ました」と反論したが、
フーバー長官は、「君ら二重スパイはみな同じだ。
ドイツの仲間に売る情報が欲しいだけだろう。
それで大金を稼いで、プレイボーイになる」と一喝し、
ポポフの「真珠湾」情報を一顧だにしなかった。

「開戦前夜」日本を把握
 渡米するためポポフがリスボンに渡ったのは四一年六月。
この頃、イギリスでは極東の植民地を脅かす仮想敵国、
日本の動向に警戒を強めていた。
リッデル日記(KV4/188)にもそのことが記載されている。
 ドイツがソ連に侵攻したのは六月二十二日だが、
その約二週間前の六月六日付で、
「ドイツはロシア国境に軍を集中させ、侵攻の準備を進めている。
日本も、それに続く兆候がある。
イギリス国内でほぼ全ての日本の企業が国外退去を始めている」
と記載し、MI5がドイツのソ連侵攻と共に同盟国日本が
戦争に加わる兆候を嗅ぎ取っている。
 さらに六月九日付では、
英国のアジア植民地を脅かす日本の行動も記している。
〈シンガポール支部から
(マレー作戦に向けて活発化させている)日本の(諜報)活動を
十分カバーできないとの不満が寄せられている。
急遽、オフィサーを派遣する指示を出した〉
 日本がマレー半島で侵攻作戦に向けたインテリジェンス活動を
積極的に進めていることを把握しながら、
対処できないもどかしさを吐露している。
 さらに七月二十八日、
日本が日米関係に決定的な亀裂をもたらし、
開戦不可避となる南部仏印進駐を始めると、
七月二十五日付で
「日本はインドシナの占領を始める」と書いている。
翌二十六日には、「リスボンのエージェントは日本の公使から、
『日本が(石油を狙って)オランダ領東インド
(現在のインドネシア)侵攻を検討している』ことを聞きだした」
と記しており、日本が資源確保のため
東南アジアに進攻する計画を
英国が早い段階でんでいたことがわかる。

 十二月に入ると、一日付で、
「日本は領事館の電話線を切った。
一般市民を含む日本人を抑留する協議をした」
「もしも日本が宣戦布告すれば、東京から各国大使館に
暗号無線で知らせるだろう。BBCが注視している」
「在ロンドン日本大使館は暗号機の解体を指示した」
などと記している。
経済制裁などで追い込んだ日本が
宣戦布告せざるを得ないことを予測していたとも受け取れる。
MI5は対日戦が間近に迫っていることを
明確にんでいたことは間違いないだろう。

 六日付では、「アメリカは日本がタイを攻略(マレー作戦)すれば、
完全にサポートすることに同意した。
日本の軍艦に護送された輸送船がタイに向かっている。
侵攻(マレー作戦)は差し迫っている」と記している。
二日後に控えたマレー作戦開始の動きをリアルタイムで捉えていた。
MI5は日本が「開戦前夜」にあることを掌握していた。
とすれば、マレー作戦のみならず対米戦の端を開く真珠湾攻撃も
相当の情報を得ていたと考えられる。
英国は日本の対米英開戦への動きを正確に捉えていた。
その中でポポフから寄せられた「質問表」による真珠湾情報が
情勢判断の中心にあったことは想像に難くない。
 ポポフは「自分とイプセンは、この『質問表』が
日本軍による真珠湾攻撃の可能性を
示唆していることに最初から気づいていた」と語っている。
 リッデル副長官は毀誉褒貶が激しい二重スパイのエース、
ポポフに信を置いていた。
「質問表」が届いた四一年八月十四日付の日記
(KV4/188)に、こう書いている。
〈部内でトライシクルの扱いにねじれがある。
彼が海外で入手する情報は私たちには死活的に重要だ。
トライシクルと私たちの目的は同じだから彼を自由に行動させ、
海外で得る情報をもっと注意深くカードとして利用すべきだ〉
 ポポフが渡米して四カ月後に
日本軍は真珠湾を攻撃し、米国が参戦した。
連合国は歴史を変えたかもしれない
重要な秘密情報を見逃してしまったのだろうか。
 ベン・マッキンタイアーによると、
ポポフの上司のター・ロバートソンは、
「私たちが犯したミスとは、真珠湾情報を取り出して
別個にルーズベルトへ送らなかったことではない。
フーバーがこれほど救いようがないバカだとは
誰一人思わなかったのだ」とFBIを非難している。

「ワレ遂に勝利セリ」 

ポポフを統括した二十委員会のマスターマン卿は
『二重スパイ化作戦』で、自責の念を込め、
「重要性」を強調すべきだったと書いている。

〈(日本と)アメリカが戦争になったとき、
真珠湾が最初に攻撃されること、
そしてその攻撃の計画が一九四一年八月までに
かなり進んでいたことをこの(ポポフの)質問表が
極めて明確に示唆していた。
明らかに質問表を正しく評価して、
そこから推論するのは
われわれではなく当然アメリカの仕事だった。
とはいえ、われわれの方がその事情とこの人物(ポポフ)を
よく知っていたのだから、もっとその重要性を強調すべきだった。
さらに数年の歳月を重ね、経験を積んでいたら、
きっとわれわれは肘鉄砲をくらう危険を冒しても、
アメリカの友人たちに
その書類の重要性を指摘出来たに違いない〉
副長官のリッデルの日記に記されていたことで、
ポポフの「質問表」の真珠湾情報は、少なくともMI5では、
国家の命運を決する最重要情報として
位置付けられていたに違いない。
そして、そのインテリジェンスは米国FBIのフーバー長官に
もみ消されたものの、英国の最高責任者の
チャーチル首相に伝えられていたと考えるのが自然だろう。
チャーチルは日本が真珠湾攻撃することを
事前に察知していたからこそ「奇襲」の一報に接して
、「ワレ遂に勝利セリ」と叫んだのではないだろうか。

おかべ・のぶる 一九五九年生まれ。
産経新聞ロンドン支局長。八一年、
立教大学社会学部社会学科を卒業後、産経新聞社に入社。
社会部で警視庁、国税庁などを担当後、米デューク大学、
コロンビア大学東アジア研究所に客員研究員として留学。
外信部を経て九七年から二〇〇〇年までモスクワ支局長。
『消えたヤルタ密約緊急電──情報士官・小野寺信の孤独な戦い』
(新潮選書)で第二十二回山本七平賞を受賞。
ほかに『「諜報の神様」と呼ばれた男』(PHP研究所)などの著書がある。

2015年6月10日水曜日
フライング・タイガーこそ、アメリカが真珠湾攻撃以前から 
抗日戦争勝利70周年の記念イベント F16を特別塗装で展示/台湾

高校講座 国史 昭和期(アメリカ人が見た真珠湾攻撃)
Sawakami Waren
安倍首相夫人の安倍昭恵さんが
7月4日、Instagramに投稿した画像が注目を集めている。
昭恵さんは「昨日はこんな人たちとも写真を撮ったり、
握手をしてみました」とコメントを添えて、
新宿駅付近で「アベ政治を許さない」の紙を掲げる男性と
目を伏せる男性ふたりと撮影した写真を投稿した。

2015.8.18 18:52

安倍首相夫人が「アベ政治を許さない」ロゴと仰天コラボ!
安倍政権への抗議を示す「アベ政治を許さない」のロゴ。
デモの現場などでしばしば見かけるが、
ついに安倍首相夫人の昭恵さんと「コラボ」してしまった。
満面の笑みを浮かべる昭恵さんの横に、
「アベ政治を許さない」と書かれた紙を持つ男性。
この写真をインスタグラムに投稿したのは、なんと昭恵さん自身だ。
ネット上で「器が大きすぎ」
「合成かと思った」と驚きの声が寄せられている。

「こんな人たちとも写真を撮り、握手しました」
写真が投稿されたのは2016年7月4日。写真を見る限り、
撮影場所はJR新宿駅東口にほど近い、
伊勢丹新宿本店や
「丸井」といった商業施設が立ち並ぶ大通りだ。
昭恵さんは3日、参院選東京選挙区の自民党公認候補の
応援演説を新宿で行っており、
そのタイミングで撮影されたとみられる。

真ん中と向かって左側に男性、
そして右側に昭恵さんが立つ3ショット。
左側に立つ男性は「アベ政治を許さない」と書かれた紙を掲げ、
真ん中の男性はうつむいている。
やはり政治的なスタンスを考えてのことか、2人とも「険しい」表情だ。
そんな男性陣と対照的に、
昭恵さんはまぶしいほどの笑顔を見せている。
ただ、この「奇妙」な組み合わせが、
昭恵さんからの持ちかけで実現したのかどうかは分からない。
昭恵さんはインスタグラムにこの写真を投稿した際、
「昨日はこんな人たちとも写真を撮ったり、
握手をしてみました」との一言を添えている。
写真は大きな反響を呼び、インスタグラムでは
「粋過ぎますね!」「器が大きすぎ」
と称賛の声が相次いだ。
「合成かと思った」という驚きの声も出た。

「家庭内野党」を公言
昭恵さんといえば、「家庭内野党」を公言し、
メディアの取材や講演会の場で「増税反対」「脱原発」など
政権と真逆の主張を唱えてきた事でも知られる。
週刊誌「AERA」(2016年4月11日号)に掲載されたインタビュー記事でも、
「主人は『多くの意見をちゃんと聞いている』と思っているようですが、
私はそうは思っていません」と首相への批判を公然と口にし、
「主人には『戦争をするときには、私を殺せ』って言ってある」とも語っている。
フェイスブックなどで、7月5日夕現在、
未だこの3ショットに触れていない安倍首相。
写真を投稿した真意について問いただし、
選挙戦同様「野党」を抑え込みにかかるか注目される(!?)。

2016年7月5日 16時27分 


安倍首相の昭恵夫人が靖国参拝
 フェイスブックに書き込み、写真も
安倍晋三首相の昭恵夫人は28日、
東京・九段北の靖国神社を参拝したと
自身のフェイスブックで明らかにした。
今年が戦後70年に当たるとした上で「残すところあとわずか。
年最後の参拝…」と書き込み、靖国神社の写真を掲載した。

 昭恵夫人は、少なくとも5月と8月にも靖国神社を参拝。
それぞれフェイスブックで明かしている。

首相公邸の中庭にミツバチの巣箱を設置した安倍晋三首相夫人の昭恵さん。
在来種のニホンミツバチにこだわり、今秋には「首相公邸の蜂蜜」の
収穫が期待出来そう=24日午前、首相公邸(酒巻俊介撮影)
 
2015.7.24 17:53更新
昭恵夫人が公邸中庭にミツバチの巣箱設置
秋には蜂蜜収穫
安倍晋三首相の昭恵夫人が24日、
公邸の中庭にニホンミツバチの巣箱を設置し、蜂蜜づくりに乗り出した。
都会での自然環境保護に関心を高めてもらうのが狙いで、
秋口には“アッキー”ブランドの蜂蜜が収穫できそうだ。
  東京・銀座のビル屋上でミツバチを育てるNPO法人
「銀座ミツバチプロジェクト」に関心を持っていた昭恵夫人。
4月に首相と訪米した際、ミシェル・オバマ 米大統領夫人が
ホワイトハウス内で家庭菜園を開いている姿に触発され、公邸での養蜂を決めた。
昭恵夫人によると、首相は「蜂に刺されないかなあ」と心配していたという。
 昭恵夫人の手で放たれたのは、同プロジェクトが準備した
岩手と愛媛のミツバチ計約3万匹。
ミツバチは世界的に減少傾向にあり、昭恵夫人は
「ミツバチが生きられるのは環境が良い場所。
ミツバチにちゃんと働いてもらえれば」と話していた。
 今季の蜂蜜の収穫量は巣箱の設置が遅いため少量になる見通し。
公邸の来客者への土産などとして提供するのは難しく、
昭恵夫人は首相と2人で味見をすることになりそうだ。


3分でわかる日本蜜蜂(ニホンミツバチ)の飼育の始め方 mituro36
http://gariakyo.sakura.ne.jp/yoho/

 
安倍昭恵首相夫人(左)と田植えをするケネディ駐日米大使
=14日、山口県下関市
ケネディ大使が田植え体験 首相夫人と山口県下関市で
KYODO NEWS 【共同通信社】  2015/06/14 16:32
ケネディ駐日米大使は14日、安倍晋三首相の地元、山口県下関市を訪れ、
安倍昭恵首相夫人や俳優の黒木瞳さんら約80人と田植えを体験した・・・
ケネディ大使、昭恵夫人誘われ田植え 山口
< 2015年6月14日 17:49 > 日テレNEWS
安倍首相夫人の昭恵さんが地元の山口県下関市で毎年行っている田植えに、
今年はキャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使が参加した。
  安倍首相夫人・昭恵さんが毎年、下関市で行っている田植え。
今年は支援者らに加え、スペシャルゲストが招かれた。
田んぼに掲げられたアメリカ国旗、ゲストは
キャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使だ。
「日本の伝統文化に触れてもらおう」と、昭恵さんが声を掛け、
参加することになった。

まずは伝統的な手植えを体験したケネディ大使は、

慣れない田んぼの感触に悪戦苦闘。
また、最新式の機械を使った近代的な田植えにも挑戦した。
初めは指導員が同乗していたが、すぐに慣れたのか、
5分後には一人で田んぼを走り回っていた。
近くに住む人

「興味を持ってもらって参加されるというのは日本のことを分かってもらえると思う」
最新式の田植機を操作したケネディ大使は、

苗を植え付けるスピードに驚いていたという。

今日はキャロライン・ケネディ大使が下関に来られて一緒に田植えをしました。
Posted by 安倍昭恵 on 2015年6月14日


ケネディ大使、もんぺ姿に
山口・下関で田植え体験
2015.6.14 15:59 産経
ケネディ駐日米大使は14日、
安倍晋三首相の地元、山口県下関市を訪れ、
安倍昭恵首相夫人や
俳優の黒木瞳さんら約80人と田植えを体験した。

田植えは、地域おこしの一環として

昭恵夫人が支援者らと4年前から毎年実施している。
安倍首相が今年4月に訪米した際に、夫人が大使を誘い実現した。
 大使はもんぺ姿で登場し「コメの文化を学びたい」とあいさつ。
昭恵夫人から田植えの仕方を教わり、
動きづらいのか途中で履いていた長靴を脱ぎ、
慣れない手つきで苗を植えた。
田植え機にも約30分間乗り、ハンドルを握りながら機械の仕組みを尋ねていた。 
三内丸山遺跡で歴史ロマン堪能、ケネディ大使が青森入り
ケネディ大使、三沢基地を初訪問 戦闘機部隊視察
【安倍首相訪米】新幹線も「日米の絆」 トップセールスに手応え
 ケネディ大使とのリニア試乗も布石
安倍首相がJFK展を視察 ケネディ大使も幼少時のクレヨン画に笑み
【後藤さん殺害映像】中東の安定へ日米連携
 岸田外相とケネディ大使が会談 
ケネディ大使「日本の尽力、今まで以上に重要」
ケネディ大使「集団的自衛権で同盟“近代化”を」 

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