慰安婦問題について、いろんな報道: 慰安婦像めぐり訪韓取りやめ 福井市長。独フライブルク市への慰安婦像設置断念 韓国水原市が発表 日本側が「圧力」と批判。松山ドイツ人俘虜収容所(板東収容所に移転)。ドイツに慰安婦像建立が計画されています …「世界人権デーに日本人の人権が侵害されるなんて!」。続・慰安婦騒動を考える、独・慰安婦像計画に松山・福井市の早い対応 (日本の意識改革)。独フライブルクに慰安婦像計画 松山市、中止要請へ。旭川市の姉妹都市・大韓民国水原市。ドイツ軍の慰安所システムについて・・・。

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2016年9月24日土曜日

慰安婦像めぐり訪韓取りやめ 福井市長。独フライブルク市への慰安婦像設置断念 韓国水原市が発表 日本側が「圧力」と批判。松山ドイツ人俘虜収容所(板東収容所に移転)。ドイツに慰安婦像建立が計画されています …「世界人権デーに日本人の人権が侵害されるなんて!」。続・慰安婦騒動を考える、独・慰安婦像計画に松山・福井市の早い対応 (日本の意識改革)。独フライブルクに慰安婦像計画 松山市、中止要請へ。旭川市の姉妹都市・大韓民国水原市。ドイツ軍の慰安所システムについて・・・。

東村新一福井市長 2015年12月13日午後11時15分
福井市長選で3選を果たした東村新一氏
=13日午後8時すぎ、福井市照手1丁目の選挙事務所
=福井市役所で(2014/1/7 嶺北版)
『バルトの楽園』

第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 99 07.12.07
15) 松山俘虜収容所(その1) 松山収容所
大正3年11月11日  開設
大正6年04月23日  閉鎖(板東収容所に移転)
所長  前川譲吉中佐
ヨム・テヨン水原市長とディーター・ザロモン,ドイツ,フライブルク市長
ソウルの日本大使館前の慰安婦像(名村隆寛撮影)

ドイツ南西部、環境都市としても有名な美しいフライブルク市。

水原市は2014年に「少女像」を建立
フライブルクの像も、水原が制作し独へ運び込む計画
水原に慰安婦像を設置する為の資金として
ヨム・テヨウン市長らが挺対協
500万ウォンを提供(2014.4)
2013/12/12に公開 Echt Freiburg Markus Schwerer
Freiburg - von der Sonne verwöhnt | Hin & weg

大韓民国水原市派遣中の旭川市職員のレポート

2016.9.24 23:38 産経WESTニュース
慰安婦像めぐり訪韓取りやめ 福井市長
福井市の友好都市である韓国・水原市が
ドイツで慰安婦像設置を計画したことを受け、
福井市は24日、10月に予定していた
東村新一市長の水原市訪問を取りやめると発表した。
訪問中止と遺憾の意を伝える文書を
水原市に送ったことも明らかにした。
 福井市は水原市に事実関係の確認を求めたが、
回答はなく、慰安婦問題再燃や
市民感情への影響などを懸念し訪問中止を決めた。
 像の設置が計画されたドイツのフライブルク市は、
姉妹都市の松山市が
「交流に支障が出る」と懸念を伝えたことなどを受け、
設置を拒否した。
サンフランシスコ市の慰安婦像

福井市長が韓国訪問中止 慰安婦像で
09/24 21:24、09/24 22:30 更新 北海道新聞

【無料公開】ドイツ・フライブルク市慰安婦像設置計画断念へ
バルトの楽園(予告編) 
20100530鳴門市バルトの庭ベートーヴェン第九日本初演地 kbozetokushimajapan
バルトの楽園 /徳島いきいきテレビ 2014/08/18 に公開
徳島いきいきテレビ/イキイキテレビ 地域ネットワーク
ドイツ兵が白旗かかげて叫んだ、日本の入りたい収容所名!
明るい戦争の記憶遺産!戊辰戦争に負けた会津藩の所長の思い!
鳴門市ドイツ館 TweetTV JP 2015/11/11 に公開
国旗の重み ~板東俘虜収容所 第一話~junhagemay
板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)は、
第一次世界大戦期、日本徳島県鳴門市大麻町桧
(旧板野郡板東町)に開かれた俘虜収容所。
ドイツの租借地であった青島で、
日本軍の捕虜となったドイツ兵4715名のうち、
約1000名を1917年から1920年まで収容した。
1917年に建てられ、約2年10か月間使用された。

ドイツ人捕虜のその後
1919年12月末より翌20年1月末にかけて、
ヴェルサイユ条約の締結により、捕虜の本国送還が行われた。
約170人が日本に残り、収容所で培った技術で生計をたて、
肉屋、酪農、パン屋、レストランなどを営んだ。現在よく知られている
そしてフロインドリーブなどは日本に残留した
ドイツ兵によって創立されたものである。
約150人は青島や他の中国の都市に、そして約230人は
インドネシア(オランダ領東インド)に移住した。
一方本国ドイツに帰国した者たちは、
荒廃し貧困にあえぐ戦後の状況の中、
“青島から帰還した英雄”と歓迎された。
収容所の中で“極東文化”に興味を持った者が
後にドイツで日本学者、中国学者となる事例もあり、
日本語や中国語の教科書が出版されドイツで普及するなど、
収容所の影響は学問分野にもみられる。
上記までの記述の経緯からヴェルサイユ条約批准日
(1920年1月10日)には板東町内が
まるで葬式のような雰囲気になったとのエピソードがある。

ドイツ人俘虜(ふりょ)収容所

松山市「日韓の問題」→フライブルク市「2国間の問題」
ドイツに「平和の少女像」をという水原市長の野望は潰えた。
日本が反対してもやると
フライブルク市長に約束させていたにも関わらず。

さてこの一件、昨年華城市
(韓国)がカナダのバーナビー市に
慰安婦像を設置させようとした時のこととダブる。
あの時も韓国側は女性の人権と尊厳
などと綺麗ごとを言っていたが、
韓国メディアには華城市長が「(日本の)
ジャパン・ディスカウントを認めていた。

水原市長はどうかと思って調べてみたが、
過去の市長の発言に過激なものは見つからなかった。
綺麗ごとばかり(探し方が甘かったのかもしれないが)。
で、彼は例によってフライブルク市に
売り込んだわけだが、どうせ本音は違うのだろうとと思っていたら、
計画が失敗したと分かった途端、
慰安婦問題は反人道的犯罪だとか、日韓合意では
解決しないとか(中央日報)腹の内をぶちまけた感じか。

一方の日本側だが、水原市に吹き込まれたまま
模範回答してきたフライブルク市に対し、
姉妹都市である松山市は、韓国メディアでは対日圧力が
狙いだと報じられているというような事を指摘したらしい。
松山市の市観光・国際交流課はこれを国家間の政治問題が
持ち込まれたものだと先方に伝えている(愛媛新聞)。

日韓の間のデリケートな(政治・外交)問題である、
第三国は口を挟まないで欲しいというのが、
外国を説得する最善の方法だと思うのだが、
日本の名誉を第一に考える日本の保守派は不満らしく、
バーナビー市と直接交渉していた日系(本)人の中は
彼らからなぜ反論しないのかと
批判され精神的にまいってしまった人もいたようである。
しかし、「強制動員」の有無など
事実関係の反論は別にやるべきで、
像や碑、「決議案」の阻止には
この方法が一番確実だと思われる。
一旦建てられると撤去させるのは難しい。

追記: 774さんから教えて頂いた。地元愛媛のitvによると、
水原市長が「日本は過去を否定し隠した」と
日本側に抗議する考えを表明。
松山市は抗議がくれば日韓合意に反する行動だと説明すると。

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2015年8月21日金曜日
米カリフォルニア・フラトン市、韓国どう出る?慰安婦碑設置見送りへ。
市議会も反対決議。自民党稲田政調会長もコメント。

ドイツ・フライブルク市、
22日02:11TBSニュース
 ヨーロッパで初めて慰安婦像設置の計画を進めていた
ドイツ南西部のフライブルク市が、
日本側からの抗議を受け中止を決定しました。
 慰安婦像の設置をめぐっては今年5月、
フライブルク市の姉妹都市である韓国・スウォン市が提案し、
合意していたものです。
しかし、日本などから抗議が殺到、
さらに、日本側の姉妹都市である愛媛県松山市も
「像が設置されれば
交流に影響が出るおそれがある」と懸念を伝えていました。
 これを受け、フライブルク市は設置中止を決定し、
スウォン市の市長にも直接伝えたということです。
JNNの取材に対し、フライブルク市は
「日韓の2国間の問題に干渉すべきでないと判断した。
我々は双方とうまくやっていきたい」と話しています。
 慰安婦像は韓国以外ではアメリカや
オーストラリアなどにありますが、
フライブルク市に設置されれば
ヨーロッパで初めてとなる予定でした。


独の少女像設置、事実上断念
【ソウル共同】旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する
少女像の設置計画を進めていたドイツ南西部フライブルク市が、
設置を持ち掛けた姉妹都市の韓国・水原市に対し、
計画を事実上断念する意向を伝えたことが21日、分かった。
水原市当局者が共同通信に明らかにした。
 フライブルク市に対しては、同じく姉妹都市の松山市が
「設置されれば交流に支障が出る」として、
反対の意向を伝えていた。
水原市当局者によると、
フライブルクのディーター・ザロモン市長が
20日、廉泰英・水原市長に電話で
「日本の姉妹都市(松山市)の
反対が強く(設置は)難しい」と伝えた。

2016.9.21 20:13 【歴史戦】産経ニュース
独フライブルク市への慰安婦像設置断念
【ソウル=名村隆寛、ベルリン=宮下日出男】
韓国の水原市が、ドイツ南西部にある
姉妹都市のフライブルク市で
計画していた慰安婦像の設置が、
独側の拒否で実現不可能となった。
水原市が21日、発表した。

 水原市は報道資料で、
「フライブルク市から『日本側の反対で平和の少女像
(慰安婦像)の設置が難しくなった』という
公式書簡を受け取った」と明らかにした。
書簡は21日午前に届いたという。
水原市の廉泰英市長は
「フライブルク市に
遺憾の意を示す公式見解を伝える」とした。

 水原市は欧州初の慰安婦像設置を目指し、
今年5月、フライブルク市長に像の共同設置を提案。
7月に設置するとの返事があり、
国連世界人権宣言の記念日に当たる
12月10日に市中心部に像を共同設置し、
記念式典を行う予定だった。
 しかし、フライブルク市の日本側の姉妹都市、
愛媛県松山市が「像が設置されれば
交流に支障が出る」と懸念を伝えていた。
韓国メディアは、像設置撤回に日本側から
フライブルク市への「圧力」があったと批判している。
水原市は松山市に抗議書簡を送る計画だという。

 フライブルク市当局者は21日、産経新聞に対して
「関係者が合意できる解決」を模索していると明かし、
「(設置で)日本側が傷つく気持ちを過小評価していた」と語った。


2016.9.20 01:00 2 3 4 【山本優美子のなでしこアクション(6)】
ドイツに慰安婦像建立が計画されています
…「世界人権デーに日本人の人権が侵害されるなんて!」

ドイツ南西部の環境都市としても有名なフライブルク市。
その美しい街並みの中心部に
慰安婦像建立が計画されています。
設置の記念式典は今年12月10日、
国連世界人権宣言記念日に合わせて行われる予定です。
ドイツにお住いの日本人の皆様にお願いです。
反対の声を挙げていただきたいのです。
 9月に入って「なでしこアクション」に
ドイツ各地の女性からメッセージが届き始めました。
 「慰安婦像が建てられるのには断固反対します。
でもどのようにすればいいか分かりません。
一人で反対を唱えてもあまりにも微力です」

 「ドイツの報道は韓国に同情し、それを観るドイツ人は
何の疑いもなくそれを信じていて、日本の主張を
わかってもらうのは容易な事ではありません」

 「個人的に考えつく所に何通もメールをしてみましたが、
返事もなく、手応えもなく、途方に暮れています」
 「アメリカで像により、
子供達がいじめにあっているとのことを存じ上げていますので、
私も二児の母としては
将来設置されてしまうと思うと声を挙げざるをえません」
 「とんでもない!
世界人権デーに日本人の人権が侵害されるなんて!」

 しかし、こうして危機感を持っているのはほんの一部のようです。
ドイツ在住の方によると、日本人は殆どこのニュースを知らず、
説明すると寝耳に水で
「アメリカの慰安婦像と同じもの?」と驚くそうです。

 フライブルク市に慰安婦像計画が浮上したのは、
2015年11月に姉妹都市となった韓国の水原市からの提案です。
水原市は2014年5月、市内のオリンピック公園に
「日本軍慰安婦被害者を称えるため」に「平和少女像」を建てました。
ソウルの日本大使館前の慰安婦像と同じデザインの少女像です。
これまで北米、豪州でも起こったいつものパターンですが、 
韓国と姉妹都市となった市の市長や市議が韓国を交流訪問し、
「慰安婦像」を提案され、「慰安婦問題」など全く知らずに
「平和、女性、人権のために」という
美しい言葉を信じて同意してしまいます。
フライブルク市側も「慰安婦問題」が
実は複雑な政治外交問題だということは知らないのでしょう。

 2016年9月現在、韓国内は除いて慰安婦像が
公有地に立っているのは米国カリフォルニア州の
グレンデールの1体のみです。
もしフライブルク市の公有地に立ってしまったら欧州初、
世界で2番目になってしまいます。
カリフォルニアでは
グレンデール像撤去にむけて裁判が行われていますが、
一度建ったものを撤去するのは非常に難しくなります。

 他の場所では像はカナダ・トロント(韓人館内)、
米国ミシガン州サウスフィールド(韓人館内)、
豪州シドニー(教会)に3体立っていますが、
全て私有地内です。
四角い石碑は米国内の公有地に7基(ニューヨーク州3基、
ニュージャージー州3基、バージニア州1基)と
私有地に1基(カリフォルニア州)建っています。

 これらの像や碑の提案者は計画段階では
設置の目的として必ず「日本を非難するためではない」、
「平和のため」、「女性の人権のため」、
「元慰安婦を称するため」と説明します。
ところが実際には「慰安婦は日本軍の性奴隷」
「人身売買被害者」
「20万人の女性・少女が強制連行された」
「日本の非人道的な犯罪を記憶する」
などの碑文が刻まれています。

 また、韓国ソウルの日本大使館前の
慰安婦像の周りは
過激な反日デモが行われる場所となっています。
旭日旗を引き裂いたり火をつけたり、
日本の政治家を冒涜するプラカードを掲げたり、
日本を侮辱しているとしか思えないような
パフォーマンスが見られます。

 ドイツにお住いの日本人の皆さん、
このような像がドイツの街に必要でしょうか?

 2013年7月にグレンデールに慰安婦像が建った以降も、
米国、カナダ、豪州の各地で計画が持ち上がりました。
その時、現地の日本人が、
それまで顔を合わせたことも無い人たちが、
目的を同じにして反対の声を挙げて阻止してきました。
日本の姉妹都市の反対表明も後押しになりました。
フライブルク市の姉妹都市は愛媛県松山市、
韓国の水原市の姉妹都市は福井市と旭川市です。

 日韓合意も10億円拠出も「慰安婦問題の最終的で
不可逆的な解決」には全く効果なく、合意に反発する
韓国の地方自治体や市民団体の慰安婦像設置運動や
日本批判は、韓国内外で益々盛んになっています。
慰安婦問題と何の関係もない第三国も巻き込んで
友好関係にひびが入るのを喜ぶのは、
ミサイルを連発する北朝鮮と
東シナ海・太平洋の覇権を狙う中国ではないでしょうか。

 フライブルクの慰安婦像計画もモグラたたきのようになりますが、
黙っていては認めたことになります。
皆さんの電話1本、メール1通でも
反対の声の数が増えれば大きな力となります。
なでしこアクションのホームページ
フライブルク市慰安婦像計画の関係各所の連絡先、
関連情報をまとめてありますので
参考にしていただければ幸いです。

■山本優美子(やまもと・ゆみこ) なでしこアクション代表。
上智大学卒。保守系活動にボランティアで関わるうちに
慰安婦問題は女性が取り組むべきと考え、
2011年に
「正しい歴史を次世代に繋ぐネットワーク~なでしこアクション」
を立ち上げ代表となる。海外の邦人女性とも連携し、
対外発信、国連対策にも取り組む。
好きな言葉は、
「国家とは亡くなった祖先、
現在の私達、これから生まれる子孫、三者の共同事業である」。

【山本優美子のなでしこアクション(5)】慰安婦財団への10億円拠出は、

2016/09/19 05:40  続・慰安婦騒動を考える
韓国の水原市フライブルク市
慰安婦像を建てさせようとしている件で、
両市と関係のある
日本の地方自治体が素早い反応を見せている。

数年前まで日本の各地の自治体で
今はピタリと止んだが、市民運動家に人権問題だからなどと
丸め込まれて政府の対応を非難する意見書を採択していた地方が、
今や「世界平和や女性の人権保護のため(フライブルク市)」
といった説明にも騙されない。
水原市と同じくフライブルクと姉妹都市の関係にある
松山市がフライブルク市に像を設置を思いとどまるよう
働きかける予定で、水原市と友好都市関係にある福井市も
予定されていた市長の水原市訪問の中止するかもしれない。
変われば変わるものである。
外務省も松山市に協力する。
漸く、官民の意識が変わってきた。

今回のドイツでの慰安婦像の建立騒ぎは、
聯合ニュースが言うように、市民運動家の工作によるものではない。
水原市長がフライブルク市長との個人的な関係を利用したのである。
韓国には、水原市以外にも中央政府に代わって
慰安婦問題の「国際化」と蒸し返しを図る首長が何人かいる。
フライブルク市長は、水原市役所近くの慰安婦像を案内され、
まさかこれが日本への嫌がらせだとは想像もしなかったろう。
そんなものが公共の場に堂々と建っているとは・・・。
水原市のヨム・テヨン市長は、フライブルクのサロモン市長に
日本政府や「日本の極右」から反対されるであろうことを予め吹き込み、
予防線を張っていた。
アメリカのグレンデール市のように
市長が完全に取り込まれているとすれば、
事は慎重に運ばなければ
グレンデールやパリセイズパークの失敗を繰り返すことになる。
フライブルク市は松山市に対して
と説明しているが(「強制連行」やら
「性奴隷」といった話はもはや影も形もない)、
挺対協がこの「少女像」を使った抗日戦を呼びかけている事実、
そして水原市の市長が
その挺対協に像の建立資金を提供したという事実は、
韓国メディアの報道によって裏付けることが出来る。
松山市は、そうした証拠を用いて丁寧に説明して行くべきだろう。
問題意識は福井市や松山市だけではなく、
福井新聞や愛媛新聞といった
地方紙にも共有されているような印象も受ける。

産経によれば、松山市はフライブルク市に対して、
日韓の戦後処理を巡る政治問題が
背景にある可能性があると説明したらしい。
ドイツもギリシャなどからの戦後補償を巡る難癖
不愉快な思いをしているから、
こうした説明の方が通じるかもしれない。
水原市の関係者はドイツの事を(陰で?)
「戦犯国家」と呼んでいる。
反日キャンペーンを人権問題にすり替え
「犯罪行為が再び起きないように
国際社会の共同対処が必要だ」
などといつもの調子で
サロモン市長を丸め込んだようである。

福井市長の韓国水原市訪問中止も

(水原=聯合ニュース)キム・インユ記者
=「私は自由の象徴であり特に女性に対する暴力を
根絶しようという意味で水原(スウォン)市長の
'平和の少女像'建設提案を喜んで受け入れようと思います」
京畿水原市と国際姉妹関係のドイツ・フライブルク市、
ディーター・サロモン(Dietor Salomon)市長が去る7月1日、
水原市に送ってきた親書でこのように明らかにした。
日本のように第二次世界大戦を起こした戦犯国家だが、
戦争に対する反省と謝罪を絶えずする
'謝罪の模範国'ドイツの都市らしくフライブルク市は
日本が起こした帝国主義戦争の被害者を賛えようという
水原市の要請を喜んで受け入れた。
戦争被害国に対する謝罪と反省に
ケチな日本が昨年末、妥結した韓日慰安婦交渉を契機に
ソウルにある平和の少女像撤去を圧迫しているのとは対照的だ。

ドイツ・フライブルク市に日本軍慰安婦被害
ハルモニを賛える'平和の少女像'が
第68周年世界人権宣言記念日の来る12月10日、
設置されると水原市が5日明らかにした。
ヨム・テヨン市長はこの日の月例会議で
公務員たちに少女像設置過程の意味を直接説明した。

ヨム市長は先月31日、サロモン市長と電話通話を通じて
平和の少女像設置場所と建設時期などに最終的に合意した。
平和の少女像はフライブルク市内中心部にある
中央の庭(シュタットガルテン)に建設される予定であり、
建設時期も平和・人権・歴史の象徴である
'慰安婦'ハルモニらに対する記憶を再確認する意味で
12月10日、世界人権宣言記念日に合わせることにした。

水原市は少女像建設委員会を構成、
水原オリンピック公園内平和の少女像と同じ姿の少女像を
市民寄付で作った後、
10月初め運送式を開いて直ちにフライブルクに送る予定だ。
ヨーロッパで初めてドイツ・フライブルクに
平和の少女像を建設することにしたのは
水原市とフライブルク市の地方外交の成果と説明される。
水原市とフライブルクは昨年11月4日、
都市革新分野交流などのための
姉妹提携を締結して急速に近づいた。

ヨム市長とサロモン市長は1960年生まれで同年齢の上、
環境運動家出身であり、持続可能な発展のための
世界地方政府ネットワーク(ICLEI)という
地方自治体環境協力国際団体の
執行委員という共通分母がある。

今年3月、水原市の招待で訪問したサロモン市長に
ヨム市長は市庁向い側のオリンピック公園に2014年、
市民の寄付で設置した平和の少女像を見せた。
その後5月には親書を送って慰安婦ハルモニが体験した
人権侵害と犯罪行為が再び起きないように
国際社会の共同対処が必要だとし、
平和の少女像建設を提案し、
これをサロモン市長が受け入れた。

当時、ヨム市長は「日本軍慰安婦被害者たちの人権と
名誉回復、国際社会の平和を念願する
'平和の少女像'を建設して人類の普遍的な価値を
実現するのに尽くせるよう努力しよう」と手を差し出した。
サロモン市長は「数年間、私たちのフライブルク市は
女性の権利増進と両性平等のために
多様な政治的活動とキャンペーンをしてきた」とし、
「自由の象徴であり特に女性に対する
暴力を根絶しようという意味でフライブルク市に
少女像を建設しようという
ヨム市長の提案を喜んで受け入れる」とうなずいた。

ヨム市長が米国に平和の少女像建設時、
日本政府と極右団体の妨害と圧迫が大きかった事例を
紹介するとすぐにサロモン市長はかえって
「私たちの市が日本政府や私たちの市の
日本姉妹都市からの反発や圧迫を恐れはしないだろう」と
断固として答えた。
フライブルク市は日本の松山市と30年以上、
姉妹都市関係を維持している。

サロモン市長はまたフライブルク市中心部の人の
往来が頻繁な中央の庭を平和の少女像設置場所に推薦した。
(後略:フライブルク市の紹介)


2012/05/03 続・慰安婦騒動を考える
[動画] ドイツ軍の慰安所
ナチズムと強制売春 単行本 – 1996/5/15
クリスタ パウル (著) 
本書の中心テーマである強制収容所の売春施設設置は、
ナチスが絶滅戦争と呼んだ対ソ戦を
軍需生産の面から支えるための方策の一つであり、
軍需生産に動員された
強制収容所の収容者の労働効率向上が目的だった。
つまり戦争の遂行手段の一つだったのであり、
この点でドイツ国防軍用の売春施設と同じように、
日本軍が設置した「慰安所」と同列にあるといえる。
本書はその観点からは、旧ユーゴスラヴァア地域で起こった
集団強姦や第二次世界大戦直後のドイツにおける
連合軍による強姦に関する出版物と同じく、
ここ数年ドイツフェミニズムが関心を向けている
ryo-良心的日本人, ya-矢嶋宰

do-ドイツ軍, ho-ホロコースト, i-イ・チョルウ,
KAPAC, na-ナチス, yu-ユダヤ人
愛媛県松山市の姉妹都市ドイツ・フライブルク市で、
旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像の設置計画があり、
松山市は交流に支障が生じる恐れがあるとして
設置中止を求める方針であることが16日、同市への取材で分かった。
同問題に関する説明などについては外務省の協力も得て、
近く野志克仁市長名の書簡で、ディーター・ザロモン市長に要請する。
市観光・国際交流課によると、
2015年にフライブルク市と姉妹都市となった
韓国・水原市が、国連「人権デー」の12月10日に合わせた
少女像設置を提案。
フライブルク市は市中心部の公園への設置を予定している。
松山市は外部の指摘で9月6日に計画を把握。
フライブルク市に確認すると
「世界平和や女性の人権保護のため」と回答があった。
韓国メディアで日本を歴史問題で
圧迫する狙いがあるなどとも報じられており、
松山市側が水原とフライブルク両市で
認識が違う可能性があることを伝えた。
同課は、国家間の政治問題を
都市の交流に持ち込むのはふさわしくないとの認識を示し
「1989年の姉妹都市提携以降、
27年に及ぶ友好の絆をなくしたくない。
設置中止をできるだけ早く申し入れる」としている。
松山市には計画中止への働き掛けを求める
電子メールなど約70件の意見が寄せられている。

【ベルリン=宮下日出男】ドイツ南西部フライブルク市による
慰安婦像の設置計画をめぐり、同市と姉妹都市関係にある
愛媛県松山市が両市の交流に影響が出る恐れがあるなどとして
懸念を伝えたことが15日、分かった。
フライブルク市は松山市側の懸念について精査している。

設置はフライブルク市と3月に姉妹都市関係を結んだ
韓国の水原(スウォン)市が提案。
水原市側が慰安婦像を送り、12月にフライブルク市中心部に
設置する計画で、韓国メディアが報じていた。
松山市によると、市関係者が事実関係の確認のため
フライブルク市担当者と最近面会。
韓国内の報道を踏まえ、提案は女性の権利保護の目的だけでなく、
日韓の戦後処理をめぐる
政治問題を背景としている可能性があることなどを伝えた。
松山市の担当者は「事情を把握せずに設置を進めれば、
日独関係や両市の交流に
支障が出る恐れがあるとの懸念を伝えた」とした。
フライブルク市側は松山市から「説明」を受けたことを認めた上、
その内容を「現在検討している」と説明。
計画については
「日本による人権侵害への批判を目的としたものでは一切ない」
とも強調している。
「慰安婦像は移転すべきだ」 韓国・東亜日報論説主幹が
「平和の少女像」、ドイツのフライブルク市に建立される
ハンギョレ新聞 9月6日(火)12時7分配信

ドイツ・フライブルク市の紹介
更新日:2016年3月2日 松山市
■市名/Freiburg im Breisgau
■位置/ドイツの南西部。フランス、スイスの国境に近い
■アクセス/成田空港・羽田空港・関西国際空港・中部国際空港から
ドイツ・フランクフルト空港まで飛行機直行便で約12時間。
フランクフルトからフライブルク市まで鉄道で約2時間
■気候/平地は乾燥して暖かい。シュヴァルツヴァルトでは風が強く寒い
■人口/約22万人

Im Bauch von Freiburg - Der Münstermarkt Doku (2015)
Pepe Nacht 2016/01/12 に公開
Geschichte im Südwesten - Freiburg im Breisgau:
 Der Film, die Geschichte Doku (2011)
Pepe Eisig 2015/03/15 に公開

ドイツ軍の慰安システム 1
・・・来日して戦後補償や慰安婦関係の集会に参加した
ドイツ人運動家もドイツの実態を知らない者が多く
「ドイツの謝罪や補償を見習え」式のアピールを説いた人が少なくないが、
モニカ・ビンゲン女史の様に日本でドイツ軍の慰安婦の実態を教えられ、
「帰って補償問題に取り組む」決意を表明
(九二年九月七日付朝日新聞)した者の例もある。
彼女が知った慰安婦文献とは、ドイツ連邦軍大学教授の職にある
ザイラーが書いた戦時衛生をテーマとする地味な学術書
『売春・同性愛、自己毀損―ドイツ衛生指導の諸問題
一九三九-四五』という題名の本を指す。

次にその要点を紹介する。

目標

性病対策、秘密洩れの防止、レイプによる混_血の防止など。


戦時の売春統制

一九三九年九月九日ドイツ内相は、国防軍軍人の健康を守るため、
街娼を禁じ、売春宿はすべて警察の管理下におき、
衛生上の監督を受けるよう指令を発した。
四〇年七月、ブラウヒッナュ陸軍総司令官は、
フランス、オランダなど西方占領地のドイツ占領軍に対し
性病予防のためドイツ軍人の利用に適切な売春宿を指定し、
それ以外の利用を禁じる命令を出したが、
ポーランド、独ソ開戦後の
ソ連などの東方占領地にも同様の措置がとられた。
海軍も軍港に軍管理の慰安所を置いた。
国防軍慰安所の設置ドイツ本国では、
特に軍専用の慰安所は設置されなかった。
国防軍慰安所と親衛隊(SS)用の慰安所は占領地に開設され、
地区司令官の監督下で、前線の中隊長が軍医と協力して運営に当った。
入場料は二-三マルク、高級慰安所は五マルクで、
兵士が民間の売春宿に流れぬよう安価に抑えられた。
全占領地における慰安所は五〇〇か所以上(一九四二年)。

検診
第一次大戦で二百万人の性病兵士を出す苦い経験を持つドイツは、

性病予防を重視した。
慰安婦は軍医と現地人の医師により週二回の検診を受け、
性病にかかると直ちに入院させられた。
効果は満足すべきものがあったと
四三年一月二十七日付の国防軍総司令部報告は自讃している。

慰安婦の徴集 
西方占領地では従来あった売春宿を軍の管理下におくだけで足りたが、
東方占領地とくにソ連ではスターリンが売春を禁じていたので
新設せざるをえず、慰安婦はしばしば強制徴用された。
ドイツ本国への強制労働を拒否した若い女性は、
代りに慰安所で働かされた。ユダヤ人女性も同様であった。

人種問題
人種法で「劣等人種」との性的交流は禁じられていたが、
あまり守られなかった。
たとえば三九年十月、ワルシャワのホテルの手入れで
四〇のドイツ将校の部屋から三四人のユダヤ人女性が発見された。

ザイトラーが収録しているドイツ軍慰安所の利用規則をみると
(1)強制登録制
(2)経営者と慰安婦の取り分は折半
(3)利用料金の統制
(4)コンドームの使用と事後消毒
(5)アルコールの持ち込み禁止
(6)暴力の禁止
(7)憲兵による監視
(8)慰安婦の外出制限
上記を見ると日本の例に酷似している。
ただし、ドイツ軍のように性病の治療を怠った女性を処罰する規定は
日本軍にはなく、むしろ性病にかかった
兵士の方が降等処分などを受けた。
強いて差異をあげれば、ドイツ軍の場合は最高レベルでの命令で律し、
運用や規則が徹底した効率主義で貫かれていたのに対し、
日本軍は出先部隊のかなり低いレベル、
それも輸送関係を除くと業者との非公式な談合に委ね、
運用もかなりルーズだったらしい点である。
したがって将来ドイツで補償問題が起きた場合には、
日本と異なり国家補償だけしか考えられないのではないだろうか。

なおドイツには、他に類例を見ない特異な性システムが存在した。
ドイツ本国に強制連行した外国人労働者向けの慰安所は、
日本でも類似の施設がないわけでもなかった
(朝鮮_人徴用者、中国人連行者や
マライの現地人兵補向けの慰安所など)が、
悪名高い強制収容所内にこの種の女囚を利用した
男囚向け施設が作られたことが明るみに出たのは、ごく最近のことである

クリスタ・パウルの研究によると、ヒムラーの指示で
一九四二年頃からアウシュビッツを含む
9箇所強制収容所内に設置されたという。
目的は同性愛の排除とか、囚人の団結阻止とも言われれるが、
労働成績を向上させる刺激策でもあったという。
この「恩典」に浴したのは、カポと呼ばれた囚人の職制が多かったが、
政治犯も含まれていたようである。
ドイツ兵は慰安所システムが整備されていたからといって、
征服地における強姦が少なかったわけではなく、
ロシア、東欧、フランスなどで、多数の事例が報告されている。
なお、ドイツ・イタリア軍が共同で運営していた
シシリー島の慰安所は、米英軍に占領された後,
そのまま,米軍の慰安所として使用されたという。
(German military brothels)とは、第二次世界大戦中に
ナチス・ドイツによってヨーロッパ各地に作られたドイツ国防軍及び
ナチス親衛隊兵士用の売春宿である。
その大半は新しく作られたが、元々あったものを利用する場合もあった。
1942年までに500近い数の軍用売春宿が占領された
ヨーロッパ各地に存在した。[1] 差し押さえられたホテルなどを
国防軍が警備するなどして運営され、行軍中の兵士や
前線から後退した兵士に利用された。[2][3]
収容所に設置されたものと合わせて、占領中を通して
少なくとも34,140人の女性が被害を受けたと見積もられている。
[4]東ヨーロッパでは多くの場合、女性達は道端で警察、軍による
おとり捜査と称する一斉徴収によって連れて行かれたとされる。
ドイツ軍の慰安所--第二次世界大戦
2012/07/14 に公開 JPNarchive
放送局による解説
「SS(ナチスの親衛隊)がやってきて美しい女性を探していたんだよ
-前線で兵士の世話をするためにね」そう話すのは、
ウクライナのSkadowsk 出身のおばあさんNina Michailowna だ。
彼女が描写したのは第二次世界大戦における
歴史の特に陰鬱で人間を軽視した一つの側面
-ドイツの軍隊の売春宿での女性への暴行・陵辱である。
前線において規制の必要があるのは
1940 年から当局にとってははっきりしていた。
何千もの兵士が性病に感染しており、
部隊は何ヶ月も使い物にならなかった。
それゆえ軍当局は、自らの売春宿を作り始めた。
そのコントロールのために司令部の医師と
現地の軍管理当局が割り当てられた。
その措置が始まったフランスでは、国防軍が現存の体制を担った。
このことは多くのフランスの売春婦にとって、
そのとき以来、最も厳しい監視
もしくは収容所への移送にさらされることを意味していた。
東ヨーロッパの占領地域では、状況はさらに著しく激しいものであった
ーここでは軍の売春宿へ女性を徴募
(rekrutieren の訳)するためにますます暴力が用いられたのだ。

ほかにもいろいろある中で、新しい女性への
絶えず増えていく需要を満たすために恣意的な逮捕、
警察の手入れ、収容所への抑留などが行われた。

その際、該当女性は「モノ」と見なされ、
それは感染源の監視のためにある。「人種恥辱(罪)」
(訳注:Rassenschandeーアーリア人と非アーリア人の間の
性的関係を示すナチスの用語)との非難を避けるために、
ドイツ当局はたとえば、売春宿にいるポーランド人を
「人」ではなく「モノ」と規定した。
たいていの場合命を助けることができるという
偽りの約束の下で、強制収容所でも女性は募集された。
今までただ断片的な調査があっただけであり、
軍の売春宿やそこに収容された女性の運命については
いくつかの少ない目撃証言しかなかった。
この犯罪的な行為の犠牲者は、
一生涯ずっとその経験を抑圧することを試みてきた。
ポーランドとウクライナ出身の生存者が、その沈黙を破った。
彼女たちは、何を彼女が経験し、観てきたかを報告している。
彼女たちは強制売春婦の打ち続くいばらの道が、
並々ならぬ苦渋のものであったことをも語っている。
彼女たちは自国の人々の助けも
全く見つけることができなかったばかりか、
事態は全く逆なのである。姦淫に対する伝統的な侮蔑の感情が、
多くの場合、敵方への協力の嫌疑となった。
軍の売春宿を生き残った女性たちは、
裏切り者と断定され殺害された。そのこともあって、
彼女たちの歩んだ
人生の解明はこんにちまで大変難しいものになっている。
彼女たちはこんにちまで、
どこにおいても犠牲者としては認められていない。
http://ianfukangaeru.blogspot.jp/2012... より

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