慰安婦問題について、いろんな報道: 日本軍が玉砕した拉孟・騰越の戦いにおいて、“日本軍が朝鮮人女性30人を銃殺したと、”韓国研究チームが 慰安婦虐殺記録の原本を発見したぞと、大はしゃぎ=韓国ネット「慰安婦合意はどうなる?」「問題を蒸し返さないで」。在日朝鮮人から見た韓国の新聞、過去に否定された史料を今頃持ってくるとは、バカ?。

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2016年11月9日水曜日

日本軍が玉砕した拉孟・騰越の戦いにおいて、“日本軍が朝鮮人女性30人を銃殺したと、”韓国研究チームが 慰安婦虐殺記録の原本を発見したぞと、大はしゃぎ=韓国ネット「慰安婦合意はどうなる?」「問題を蒸し返さないで」。在日朝鮮人から見た韓国の新聞、過去に否定された史料を今頃持ってくるとは、バカ?。

日本軍の慰安婦銃殺を記録した中・米連合軍作戦日誌。
(ソウル大学人権センター研究チーム提供)
6日、韓国メディアによると、旧日本軍による
朝鮮人慰安婦虐殺の事実が記録された米中連合軍の文書の
原本が発見された。
これに、韓国のネットユーザーがコメントを寄せた。
写真はソウル日本大使館前のポスター。
Monday, February 6, 2012 mochi thinking
dead talks, Comfort women at the forefront in
写真A 1944年9月3日松山にて アメリカ写真部隊撮影
まず、写真Aをご覧頂きたい。
これは、既によく紹介されている写真であるが、「松山」という場所で、
1944年9月3日に撮影されたものである。
この写真のキャプションには、「ビルマロード上の松山という地点の村で、
中国第8軍の兵士によって捕虜にされた4人の日本女性」3)と記されている。
一見して目に付くのは、汚れた着衣、1人の妊娠したお腹、
左脇に笑顔で屈んでいる男性、その横に転がっている
捕獲されたとみられる銃、などであろう。
松山陣地と拉孟市街、
ビルマルートとの関係については、図2を参照されたい。
写真B1944年9月3日、松山にてアメリカ写真部隊撮影
一団が、怒江最前線にある松山陣地に到着すると、
4人はある1人の年上の日本人女性によって監督されることとなった。
この日本人女性は35歳で、それまで職業として売春を….
ビルマルートの拉孟全滅戦の生存者を尋ね歩く
日本軍全滅戦 正規軍同士の戦い
9月7日をもって全戦闘は終結した。
 1300名の兵力のうち、残存兵力はゼロ、すなわち玉砕であった。
中国軍の捕虜となった傷病者と、本隊への連絡のために
軍命によって拉孟を脱出した者が、わずかながら生還している。
 また、この戦闘で20名いた慰安婦のうち、
15名の日本人慰安婦は自決
【追記】 奇しくも、韓国と歴史認識で
軋轢が起きている慰安婦について、
以下のような記述があったのでそのまま紹介したい。

8月23日頃(全滅の2週間前)になると
守備隊内の弾薬や食糧はほとんど尽き、
脚気、アメーバ赤痢患者が続出し、ほとんどの将兵が
体力を消耗し歩行すら困難な状況となった。(中略)
拉孟陣地の「玉砕」が刻一刻と迫っていた8月下旬、
朴永心ら朝鮮人「慰安婦」たちについて
早見上等兵は次のように語っている。
「このとき、本当に頭の下がることがあってね。
砲弾と雨のなかをくぐりぬけながら、
あの女の人たちは握り飯を兵隊たちに運んでくれたんよ」
…私も感動し、頭が下がりました。


東アジアの永遠平和のために 2016-11-09
「日本軍、朝鮮人女性30人銃殺」
慰安婦虐殺記録の原本発見(京郷新聞)
・存在と一部の内容だけが知られていた
米中連合軍作戦日誌」の実物、初めて確認
・ソウル大人権センター研究チーム、
米文書記録管理庁の現地調査を通じて発掘
・慰安婦証言に立証文書出現…
「虐殺否定」の日本政府への反論根拠に

「(1944年9月)13日夜(脱出に先立ち)日本軍が省
(中国、雲南省腾冲)内にいる朝鮮人女性30人を銃殺した。
(Night of the 13th the Japs shot 30 Korean girls in the city).」

日本軍による朝鮮人慰安婦虐殺の事実を記録した
米中連合軍文書の原本が発掘された。
これまで日本政府は、
慰安婦被害者ハルモニたちの証言にもかかわらず、
虐殺を実証的に立証する文書を要求しながら虐殺説を否定してきた。
虐殺された慰安婦の死体が写された写真に対しても、
米中連合軍の砲撃および爆撃で
犠牲になったか自決したという立場をとっている。

慰安婦「虐殺」文書を発掘・公開した
ソウル大学人権センター研究チームは、
ソウル市の支援を受けて去る7~8月、
アメリカ国立文書記録管理庁の現地調査を実施して
慰安婦資料113件を収集した。
類型別にみると、日本軍捕虜尋問報告書をはじめとして
日本軍捕獲資料の翻訳本、陸海軍情報および作戦報告書、
捕虜収容所名簿および送還船乗船名簿資料などである。
研究チームは去る4日、ソウル大で中間報告ワークショップを開き、
資料発掘の内容と研究成果を発表した。

「捕虜収容所と日本軍慰安婦の帰還」をテーマに発表した
イ・ジョンウン研究責任者(聖公会大東アジア研究所HK研究教授)は、
「日本軍は敗戦直後、それまで連行していた
慰安婦女性たちの存在を隠すために遺棄し、
その最も極端な形態は虐殺であった」としながら、
虐殺の根拠として日本軍の慰安婦女性30人銃殺を記録した
中国・雲南遠征軍の1944年9月15日付作戦日誌を公開した。
雲南遠征軍は同じ年の6月から中国-ミャンマー国境地帯である
中国・雲南省松山と腾冲の日本軍占領地に対する攻撃を開始して
9月7日に松山を、1週間後の14日に腾冲を陥落させた。
日本軍の慰安婦銃殺は
腾冲陥落直前の13日夜、脱出に先立ち実行された。

韓国内で日本軍「慰安婦」問題が本格的に公論化されたのは
1990年代初期からだ。
しかし学問の研究成果は
被害者ハルモニの証言を集める水準に留まっていた。
研究の基本ともいえる資料収集もきわめて制限的であった。
在米史学者パン・ソンジュさん(82)の努力で、
慰安婦関連のアメリカの資料が言論を通じて単発的に公開されたが、
後続の研究は不十分だった。
慰安婦女性30人銃殺を記録した作戦日誌も
1997年、パンさんを通じて国内に初めて存在が知らされたが、
文書の所蔵先は確認できなかった。
知らされた内容も日誌全体の一部に過ぎず、
関連論文も出てこなかった。
その作戦日誌原本の実体を確認したのは、今回が初めてだ。

研究チームのカン・ソンヒョン共同研究員
(聖公会大東アジア研究所HK研究教授)は、
「慰安婦問題と関連して日本にある資料に対する依存度が
極めて高い状況だが、韓国の研究者が
日本にある資料に接近することがますます難しくなっている」
としながら、
「連合軍作成資料だけでなく日本軍から捕獲した資料まで
大量に保有している
アメリカの資料に目を向ける必要がある」と述べた。

この日のワークショップでパク・チョンエ共同研究員
(東国大対外交流研究院研究・招聘教授)は、
キム・ソラン(仮名)、パク・ヨンシム、コン・チョムヨプ、
ムン・オクジュなど慰安婦被害者ハルモニの証言について調べ、
これを裏付ける関係資料を一緒に公開した。
慰安婦ハルモニの証言はそれ自体でも歴史的意味を持つが、
国際外交現場で資料として立証されれば
証言の意味はまた違ったものになる。
パク博士は、「研究者は証言と関連資料を最大限取りまとめ、
交差分析しなければならない義務がある」としながら、
「これを通じて歴史的事件の本質を明らかにする上で、
証言がどんな力と
価値を持つのか示すことができるだろう」と述べた。

米軍がフィリピンと沖縄に設置した日本軍捕虜収容所資料を
多数発掘したのも、今回の研究の成果だ。 
研究チームはフィリピン収容所で作成した
朝鮮人慰安婦43人の捕虜登録カードとともに、
フィリピン・マニラから日本に向かった送還船の乗船名簿を確認した。
チョン・カプセン共同研究員(ソウル大アジア研究所客員研究員)は、
「捕虜登録カードと乗船名簿を交差分析すれば、
今まで知らされなかった
慰安婦被害女性たちを確認できるだろう」と述べた。
 朝鮮人慰安婦の規模は最大20万人に達すると推定されるが、
政府に登録された慰安婦被害者ハルモニ236人の他には
どんな被害女性がいたのかさえまともに把握されていない状態だ。
チョン研究員は、
「捕虜登録カードに被害女性の本籍地まで記録されている」
としながら、「研究が進めば、知られないまま亡くなった方はもちろん、
今まで生きておられる方々がどこでどのようにしておられるのかまで
確認できるだろう」と語った。
研究チームは、来年中に発掘資料の影印本と共に
翻訳および研究課題を含めた資料集を発刊する計画だ。
【出典】
2016.11.07 20:37:11 韓国・京郷新聞

(2016.11.6 京郷新聞)
[単独]「日本軍、朝鮮人女性 30人銃殺」慰安婦虐殺記録原本見つかる
南朝鮮の専門家とやらは忘れっぽいんですね。
この史料は騰越の戦い(中国 : 騰衝戰役)について
アメリカが作成したものです。
なぜ、この史料が闇に埋もれたのかというと、
中国側がこの戦闘について詳細を残した
騰衝會戰概要』と大きな差異があるから。
現地で戦闘した中国人の史料と
どちらが優先されるか、という事です。
中国側の史料には傷亡人数が
記載されていますので引用しますと、

日方2,700餘人,几乎全員戰死、自殺或胁迫自殺。
遠征軍生俘日方軍官4員,士兵20餘名,
印緬籍軍伕30餘名,慰安婦18名。

"自殺或胁迫自殺" というのは
自殺もしくは自殺を促す、という意味ですね。
そして慰安婦は18名。実は、当時の日本軍の
相当な窮状を示す文も書かれており、
11日には手榴弾を含めて
全ての弾薬を使い切った、とまで書かれています。
13日の夜に30名の朝鮮人少女を撃ち殺すという事が
人数的にも装備的にも不可能だったのです。
ですから、日本政府は
「爆撃の犠牲もしくは自決」という立場なのですね。

そして、" in the city " をどうやって騰越城と訳せるのか。
あり得ないのです。
日本軍はこの城から敵陣地に突入して
3名を除き全滅するのです。
市街に繰り出すなんて
何をふざけた事を書いているのか?という話にもなった。

ちなみに、この慰安婦18名は死者ではなく、捕虜です。
陶達綱の『嗔西抗日血戦写実』によると写真付きで
「台湾人3人、朝鮮人2人、残りは日本人、合計18名の営妓」
と書かれており、18名を生かして
30名を射殺するなんて不合理でしかない。
こういった理由から、
この史料は無視されるようになったのです。

最後に、京郷新聞はサラッと嘘を書いていますが、
日本軍は最後の一兵卒が息絶えるまで戦い抜きました。
脱出なんてしていません。
脱出でもしてくれていたのなら、
金田はこの史実を書く際に
もう少し胸が締め付けられる思いをしなかったのですが、
当時の日本軍人は愚直なまでに、日本の為に戦ってくれたのです。
最後に、彼の地で散っていった日本兵の思いに、合掌させてください。

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自分たちが直面していることを切実に感じているだろう。

他の群小メディアでもない、韓国の代表新聞といわれる
朝鮮日報が、
自分たちの牙城の路線(論調)に突然割り込んできて、
自分たちの頬を殴りつけるほど熱く、
顧客(親北左翼)の心を惹きつけているからである。

朝鮮日報のこのような「爆弾セール」(「倉庫一斉大放出」)の
雰囲気がもう少し続けば、最悪の場合、
お茶の間の顧客の多くを朝鮮日報に奪われる事態を
避けるのが困難だという悩みで、
ハンギョレと京郷新聞は最近、
夜も眠れずに戦々恐々としているのではないか。

伝統ある有力メディアも、
ある日突然狂ったように壊れる場合があるようだ。
珍しい事例である。
長く生きるとこんなものまで見てしまう。

“日本軍が朝鮮人女性30人を銃殺”韓国研究チームが
慰安婦虐殺記録の原本を発見
=韓国ネット「慰安婦合意はどうなる?」「問題を蒸し返さないで」

配信日時:2016年11月7日(月) 13時0分 レコードチャイナ
2016年11月6日、韓国・京郷新聞によると、
旧日本軍による朝鮮人慰安婦虐殺の事実が記録された
米中連合軍の文書の原本が発見された。

慰安婦の虐殺文書を発見・公開した
ソウル大人権センターの研究チームは、
ソウル市の支援を受けて7〜8月に
米国立公文書記録管理局の現地調査を行い、
慰安婦に関する資料113件を収集。
4日にソウル大で収集した
資料の内容と研究成果を発表した。

研究チームは「日本軍は敗戦直後、
慰安婦女性の存在を隠すために虐殺した」とし、
その証拠として日本軍による
慰安婦女性30人の銃殺が記録された中国雲南遠征軍の
1944年9月15日付の作戦日誌を公開した。
慰安婦女性30人の銃殺が記録された作戦日誌は
97年に初めてその存在が表面化したが、
所蔵先などは確認されていなかった。 

韓国の元慰安婦らは
これまで何度も慰安婦虐殺について証言したが、
日本政府は「立証する文書がない」として虐殺説を否定していた。
また、虐殺されたとみられる慰安婦らの遺体写真についても
「米中連合軍の砲撃や爆撃で犠牲となったか、
自決した」との立場を貫いてきた。

研究チームのカン・ションヒョン研究員は
「慰安婦問題に関しては
日本所蔵の資料への依存度が非常に高いが、
韓国の研究者が日本の資料に
接近することは難しくなってきている」とし、
「連合軍が作成した資料だけでなく、
日本軍から接収した資料まで大量に保有している
米国所蔵の資料にも目を向ける必要がある」と強調した。

この報道に、韓国のネットユーザーは
以下のようなコメントを寄せた。

「日韓の慰安婦合意はどうなるの?また協議をし直すの?」
「次々に証拠が発見されているのに、
10億円で慰安婦問題を終わらせてしまった
朴大統領。本当に情けない」

「日本は全ての罪を認めて謝罪し、ドイツのように生きるべき」
「発見しても意味ないよ。
どんなに強力な証拠を突き付けても、日本政府は絶対に認めない」
「レクサスを購入したいが、
こういう記事を見ると日本車を買ってはいけない気がする…」

「日韓の慰安婦合意を無効にするべき」
「謝罪しない安倍首相より、
10億円をもらって功績を自慢する朴大統領の方が憎たらしい」

「数十年前に解決した問題を蒸し返さないで」
「理性的に考えて日本を許そう。
日本からお金や技術をもらったから
韓国はここまで発展できた」(翻訳・編集/堂本)

慰安婦報道、毎日のスクープ?
犬鍋のヨロナラ漫談やで~ 2016-06-28 23:15:00
少し前のことになりますが、毎日新聞にこんな記事が載りました。

「朝鮮人捕虜、米の尋問調書発見
…日本支配の過酷さ記録」

 記事によると、この文書は1997年のアジア女性基金の
資料委員会が発見したが、そのときに発見されたのは
捕虜の「回答」部分だけであり、その資料も
その後所在不明になっていた。
今年、それが見つかり、さらに3月、浅野豊美早大教授と
毎日新聞が「質問」部分も発見した、ということです。
 太平洋戦争末期、米軍の捕虜となった
約100人の朝鮮人捕虜のうち3人に、
45年4月11日に行った尋問調書で、
質問項目の中には
軍慰安婦に関する項目もあったとのこと。

Q 朝鮮人は広く、朝鮮の女性を売春婦にする
日本軍による募集を知っているか。
この制度に対する平均的な朝鮮人の態度はどのようなものか。
この制度から生じた騒乱や衝突を承知しているか。

A 太平洋で目撃した全ての朝鮮人慰安婦は、志願者か、
親に身売りされた者だった。
これは朝鮮の考え方にかなうものであり、
もしも日本人による直接的な女性の徴集があれば
甚だ許しがたい暴挙とみなされ、老人であれ、若者であれ、
誰もそれを黙って見過ごすことはないだろう。
男たちは、たとえどんな結果が待っていようとも
怒り狂って蜂起し、日本人を殺すだろう。

 つまり、朝鮮人慰安婦の
「日本人による直接的は徴集」はなかった、
という証言なのですが、この内容、
どこかで読んだことがあるなと思ったら、
すでに秦郁彦氏が
「軍慰安婦と戦場の性」で紹介していたものでした。
毎日の記事の中にも秦氏が登場していて、
次のように述べています。

強制連行なかったこと裏付け…政府の河野談話検証チームの
委員を務めた現代史家の秦郁彦さんの話
 もし朝鮮女性を強制連行すれば
治安を保てなかっただろうという日本側の証言が残されている。
「強制動員すれば朝鮮人は憤怒して立ち上がる」という
捕虜の調書は、官憲の強制連行がなかったことを
改めて裏付けるものだ。
この調書については私も著書で紹介したが、
原資料が失われていた。それが見つかったのはよかった。

 ところが、鄭栄桓氏によると、
この資料は毎日新聞が「新たに発見した」ものではないらしい
すでに韓国の報道機関が
2015年2月~3月に報じていたそうです。

 次は、2015年2月27日聯合通信の記事(リンク)。
軍慰安婦問題に関する陳述を含む、米軍の捕虜尋問文書
(ソウル=聯合ニュース)国史編纂委員会と
ソウル大人権センターは米国国立文書記録管理庁と
マッカーサー記念アーカイブにおいて調査・発掘した
日本軍慰安婦関連資料の中から、
日本軍捕虜尋問に関する文書を、27日、公開した。
写真は当時のビルマ(ミャンマー)北部で拘束された
日本軍18師団56連隊機関銃分隊長リュウ・イツシに対する、
1944年4月18日の尋問報告書で、
「日本軍のための慰安婦は
すべて朝鮮人だった」という陳述が含まれている。

(ソウル=聯合ニュース)国史編纂委員会と
ソウル大人権センターは、米国国立文書記録管理庁と
マッカーサー記念アーカイブにおいて調査・発掘した
日本軍慰安婦関連資料の中から、
日本軍捕虜尋問に関する文書を27日、公開した。
写真は当時米戦争省が1945年4月4日、
トレイシー基地に命令した
「朝鮮人捕虜に対する特別質問」という文書で、
18番目の質問項目をから、米軍が日帝の軍慰安婦強制動員の
事実をすでに知っていたことがわかる。

 こちらはもっと詳しい記事
(→リンク) 2015.2.27
「米軍、朝鮮人日本軍捕虜に軍慰安婦問題を尋ねていた」
国史編纂委員会・ソウル大人権センター、米国側資料発掘
 (ソウル=聯合ニュース)イム・キチャン記者
=太平洋戦争当時、日帝が朝鮮人女性を軍慰安婦として
強制動員した事実を米軍が認知していたことを立証する
米国側資料が、第96周年の3・1節を前に、公開された。
 国史編纂委員会とソウル大人権センターは、
米国国立文書記録管理庁とマッカーサー記念アーカイブにおいて
調査、発掘した日本軍慰安婦関連資料の中から、
日本軍捕虜尋問に関する文書を、27日、公開した。
 これらの機関によれば、太平洋戦争時、
米軍は捕虜尋問を担当する組織を地域別もしくは戦域別に置いていた。
連合軍翻訳通訳部東南アジア翻訳尋問センター、戦時情報局、
戦略諜報局等において、これらの組織を運営していた。
 米軍は捕虜のうち、技術的、戦略的に重要な情報を持っていると
判断される捕虜を米カリフォルニア州トレイシー基地に移送し、再尋問した。
 当時の米戦争省が1945年4月4日、トレイシー基地に命令した
「朝鮮人捕虜に対する特別質問」の文書から、
当時、米軍が日帝の
軍慰安婦強制動員の事実をすでに知っていたことがわかる。
 計30の質問項目のうち、18番目の項目を見ると、
米軍は捕虜に
「一般的に朝鮮人は、日本軍が慰安婦として働くように
朝鮮の少女を補充しているのを知っているのか?
このプログラムについて、普通の朝鮮人の態度はどうか?
捕虜は、このプログラムが原因で発生した
何らかの騒乱や抵抗を知っているか?」
という質問を朝鮮人捕虜にしたという。

 国史編纂委員会関係者は、
「30項目の中に軍慰安婦に関する項目が
含まれていたことは、米軍がすでに軍慰安婦制度に対して
相当な情報を蓄積し、この問題を重要な問題として
取り扱ったことを意味する」と述べ、
「朝鮮人の抵抗があったかどうかを尋ねたのは、
対日本軍の心理戦で、朝鮮人と日本人の間の
葛藤を活用できると考えたため」と語った。

 さらにこの資料は、「最近、朝鮮と朝鮮人に対する
特別な関心が集まっている」と述べ、
朝鮮人を日本の統治から解放という観点で
分類するよう要請している。
朝鮮人は日本軍として徴集されていたが、
朝鮮人と日本人を区別しろと指示したのだ。

 他の質問項目には、日帝の朝鮮人労働力強制徴用、
食糧配給、軍徴集などに関するものも含まれていた。

 「日本軍のための慰安婦はすべて朝鮮人」であり、
軍慰安婦女性たちが酷使された程度を示唆する陳述が
なされた捕虜尋問報告書も、今回発掘された。

 当時のビルマ(ミャンマー)北部で拘束された
日本軍18師団56連隊機関銃分隊長リュウ・イツシに対する
1944年4月18日の尋問報告書によれば、
リュウ・イツシは
「日本軍のための慰安婦はすべて朝鮮人だった」と述べた。

 報告書はさらに、軍慰安婦が戦闘地帯には派遣されず、
もしそうしたとすれば
「彼女たちは性に飢えた軍人に殺されただろう」
と捕虜が述べたことを明らかにしている。

 国史編纂委員会関係者は、
「ビルマ地域のあちらこちらに朝鮮人女性が
軍慰安婦として動員されていたということは
すでに他の資料を通じて知られている」、
「慰安所は、地域により朝鮮人、中国人、日本人、
現地人などが一緒にいたが、捕虜証言からわかるように、
朝鮮人は慰安婦の中でも最も多数を占めていた」と述べた。

 国史編纂委員会とソウル大人権センターが
2015年2月27日に公開した資料が、2016年6月10日に、
毎日新聞が「(再)発見した」と報じた記事と同一らしいのです。

 でも、毎日の記事と韓国の記事を読み比べても、
とても同一の記事に思えないのはどういうわけでしょうか。

 毎日の報道は、
慰安婦の強制連行の有無に焦点を合わせています。
上の秦氏だけではなく、
別の人の次のようなコメントを載せていることからもわかります。

 慰安婦の記述では、強制連行があれば
朝鮮の男は反抗したはずという後段が重要だ。
女性を救えないのは男の恥で、
強制など認めたくないと考えた側面もあるのではないか。
(木宮正史・東京大教授)

 慰安婦については、
捕虜の1人が慶尚南道の出身である点に注目したい。
慰安婦の出身地や居住地は慶尚南道が多いという
研究成果がある。
同じ地方出身の捕虜が
組織的な強制連行は少なくともあり得ない、
と述べた意味は小さくないだろう。(熊谷奈緒子・国際大准教授)

 一方、聯合通信の記事は、この資料が、
「日帝が朝鮮人女性を軍慰安婦として
強制動員した事実を米軍が認知していたことを立証する米国側資料」
だと書いています。

 そして、
 計30の質問項目のうち、18番目の項目を見ると、
米軍は捕虜に「一般的に朝鮮人は、
日本軍が慰安婦として働かせるために、
朝鮮の少女たちを充てているのを知っているのか?
このプログラムに対して、
一般の朝鮮人たちの態度はどうなのか?
 あなたは、このプログラムが原因で発生した
何らかの騒乱や抵抗を知っているか?」
という質問を朝鮮人捕虜にしたという。

と書きながら、それに対する捕虜の回答、
すなわち、

A 太平洋で目撃した全ての朝鮮人慰安婦は、
志願者か、親に身売りされた者だった。
これは朝鮮の考え方にかなうものであり、
もしも日本人による直接的な女性の徴集があれば
甚だ許しがたい暴挙とみなされ、老人であれ、若者であれ、
誰もそれを黙って見過ごすことはないだろう。
男たちは、たとえどんな結果が待っていようとも
怒り狂って蜂起し、日本人を殺すだろう。(毎日新聞)
は記事に書かない。

 強制連行がなかったことがわかってしまい、
都合が悪いからなんでしょうね。

 このほかに、毎日新聞にはありませんが、
ある日本の軍人(リュウ・イツシ)が、
「日本軍のための慰安婦はすべて朝鮮人」
だと証言したということが書かれています。

 当時のビルマ(ミャンマー)北部で拘束された
日本軍18師団56連隊機関銃分隊長リュウ・イツシに対する
1944年4月18日の尋問報告書によれば、
リュウ・イツシは
「日本軍のための慰安婦はすべて朝鮮人だった」と述べた。

 ほかに、捕虜の証言としてこんなのもある。
 報告書はさらに、軍慰安婦が戦闘地帯には派遣されず、
もしそうしたとすれば
「彼女たちは性に飢えた軍人に殺されただろう」と
捕虜が述べたことを明らかにしている。

 これはつまり、慰安婦たちは
戦闘地域に派遣されなかったので、
軍人に殺されることもなかった、という証言ですね。
 このニュースは、聯合通信が報じた数日後、
2015年3月2日にKBSテレビも報じています(→リンク)。
[単独] 「ビルマ慰安婦は全部朝鮮人」…「日本軍尋問」入手
 太平洋戦争時、日本がビルマ戦線に強制動員した慰安婦は、
全部朝鮮人であったという証言が公開されました。
国史編纂委員会等が米国立文書記録管理庁で発掘したもので、
日本軍捕虜尋問報告書にある内容です。
 新しく発掘された慰安婦の残酷な記録を、
シム・スリョン記者が報道します。
〈リポート〉
 1942年、現在のミャンマー、当時のビルマに投入された日本軍は、
北に移動し、連合軍と戦闘を行いました。
戦闘に参加した日本軍18師団は北進し、
メイミョーやワルラウブムなどで慰安所を運営しました。
 このとき米軍に捕まった日本軍リュウ・イツシの
尋問内容が70数年ぶりに公開されました。
「日本軍のための慰安婦はすべて朝鮮人だ。」
「彼女たちが戦闘地帯に送られたなら、
性に飢えた日本軍に皆殺されただろう」
 さまざまな国の出身の慰安婦のうち、
朝鮮人が最大の被害者だったことがわかります。

〈インタビュー〉
 キム・ドゥクチュン(編史研究者//国史編纂委員会):
「ミッチーナの20人の慰安婦が
すべて朝鮮人だったということは知られていました。
それ以外の地域にも朝鮮人慰安婦がとてもたくさんおり、
慰安婦の大多数は朝鮮人だった(という意味です。)」
 米軍は、朝鮮人出身の日本軍捕虜に、
30項目の特別尋問も行いました。
「日本軍の慰安婦動員を知っていたか、
朝鮮人たちはこれをどう考え、
抵抗や摩擦はなかったのか」と尋ねています。
米軍が慰安婦問題を戦争犯罪とみなし、
事前に準備していたことがわかります。

〈インタビュー〉
 カン・ソンヒョン(聖公会大学東アジア研究所研究教授):
「慰安婦問題は、韓国人と日本人の間の対立、葛藤において
非常に重要な、核心的案件であるということを、
米国も直感していたのです。」
 国史編纂委員会とソウル大人権センターは、
収集した慰安婦資料約100点を分析し、公開する予定です。
 やはり、「日本軍の慰安婦動員を知っていたか、
朝鮮人たちはこれをどう考え、抵抗や摩擦はなかったのか、」
という質問に対する捕虜の回答は隠蔽されています。
また、
「彼女たちが戦闘地帯に送られたなら、
性に飢えた日本軍に皆殺されただろう」
という発言を単独で載せるのも、「殺されていない」という
事実と全く逆の誤解を誘導する、悪意に満ちた改竄です。

 KBSのもう一つの報道は、この部分についてはマシです。
ちゃんと省略せずに書いています。

 「慰安婦は、軍駐屯地周辺の都市に定住していた。
部隊には、彼女たちを訪れる日が割り当てられた。
慰安婦は、戦闘地帯に派遣されることはなかった。
もしそうなっていたら、
「彼らは性に飢えた軍人によって
殺されただろう」と捕虜は話した。」
 少し長いですが、全文は以下
(→リンク) 2015.03.02 오후 1:58
〔取材後〕 ビルマ戦線の慰安婦、「彼女たちはすべて朝鮮人」
「写真の中の慰安婦たち」
 20歳を越えるか越えないか。
軍人に囲まれ、ひざまずいている姿は、彼女たちが
常に抑圧された存在だったことを示しているかのようだ。
チマチョゴリを着ている右側の女性。
彼女は、強制的に連れてこられた慣れない土地ビルマ
(現在のミャンマー)での、追われるような生活が3年も続いたのに、
故国の身なりそのままだ。
1945年8月、米戦時情報局心理戦チームが、
ビルマ、ミッチーナの
朝鮮人軍慰安婦20人を尋問したときに残した写真だ。

「ある日本軍人が記憶する慰安婦」
 「日本軍慰安婦は、すべて朝鮮人です。」
リュウ・イツシ。ビルマ戦線に投入され、捕虜になるまで
3年以上の間、戦場の慰安婦を経験した、
日本軍18師団所属機関銃分隊長リュウは、
彼女たちをこのように記憶していた。
機密が解除され、約70年ぶりに公開された
米軍の日本軍尋問報告書に出てくる証言だ。

 慰安婦についてのリュウのこのような発言は、
ビルマの戦場で彼の移動経路を見ても信憑性が高い。
1942年4月、ビルマ南部ラングーンに到着した彼は、
モメイクを経て、北部メイミョーとワラウブムへ向かう。
中国につながっている連合軍の補給路を遮断し、
同時にインドを占領するという日本の野心にしたがい、
戦線が拡張された。
彼が一時駐留していたメイミョーとワラウブムは、
日本軍が慰安所を運営していた場所だ。
ワラウブムは、先ほどの写真のミッチーナからも遠くない。

 キム・ドゥクチュン国史編纂委員会編史研究士は、
彼の発言をこのように解釈する。
「ビルマのミチーナにいた20人の慰安婦が
すべて朝鮮人であったということは、
これまでの資料によって知られています。
リュウ・イツシの話は、それ以外の地域にも
朝鮮人慰安婦がとてもたくさんおり、
慰安婦の大多数は朝鮮人であったという
事実を再確認したものです。」

 米軍報告書は、リュウのそれ以外の陳述も示している。
 「慰安婦は、軍駐屯地周辺の都市に定住していた。
部隊には、彼女たちを訪れる日が割り当てられた。
慰安婦は、戦闘地帯に派遣されることはなかった。
もしそうなっていたら、
「彼らは性に飢えた軍人によって
殺されただろう」と捕虜は話した。」
 戦場の狂乱が、違うやり方で
彼女たちの人生を残酷なものにしたことを推察させる言葉だ。

「慰安婦に対する朝鮮人の抵抗はどうだったか?」
 米軍は、日本軍捕虜を尋問し、
朝鮮人出身日本軍については
30項目の特別尋問を別に行った。
この質問の18番目では、次のように尋ねている。

 「18.日本軍の慰安婦動員を知っていたか? 
朝鮮人はこれをどう思っていたか?抵抗や摩擦はなかったのか?」

 この特別質問では、慰安婦問題を、
徴兵、徴用、創氏改名などととも米国の主な関心事として扱った。
カン・ソンヒョン・ソウル大人権センター共同研究員は、
この質問を通じ、慰安婦問題が朝鮮人と日本人の間の
葛藤において非常に重要な核心的案件だったことを、
アメリカも直感していたのだと説明した。
日本軍の「志気高揚」のために「補給品」の一つとして
強制動員した慰安婦の反人権性を、
当時アメリカがよく知っていたという話だ。
同時にアメリカは、戦争末期に行ったこのような尋問に基づいて、
戦後の日本の戦争犯罪処理を準備した。

 国史編纂委員会とソウル大人権センターが明らかにした
慰安婦関連文書は、米国国立文書記録管理庁で機密が解除され、
世の中に知られることになった。
日本軍が、慰安婦の募集、輸送、管理などに
介入した事実を含んでいる文書だ。
日本が否認したがっている反人権犯罪の素顔が、
時間が経つにつれ、一つ一つ明らかになっている。

 国史編纂委員会とソウル大人権センターは、
米国を中心にした連合国の資料約100件を収集し、
分析が終わりしだい、慰安婦関連資料を公開する計画だ。
金学順ハルモニの証言で、約20年前に世の中に知られ始めた
日本の戦争犯罪が、客観的な史料で証明され、
議論に終止符が打たれることを期待したい。

 同じ資料から、毎日新聞は、
「朝鮮人捕虜が、慰安婦の強制連行は
なかったはずだと証言した」ことを伝え、
韓国の聯合通信とKBSテレビは、
「慰安婦の大多数は朝鮮人だった」、
「米国は、「日帝が朝鮮人女性を軍慰安婦として
強制動員した」という事実を認識していた」ことを伝えています。

 毎日新聞は、かねてより朝日新聞同様、
「韓国寄り」という印象が強かったのですが、
「強制連行」に関しては、「否定」のスタンスで
報道するようになったようで、これは歓迎すべきことです。
朝日、毎日に続いて、
東京新聞(→リンク)も転向してくれればと思います。

 一方、韓国の報道機関がこのような
捏造・改竄報道をし続けるかぎり、韓国の一般の人々が
「慰安婦の真実」にたどり着くのは不可能です。
『帝国の慰安婦』に対する言論弾圧と、絶版への圧力を粉砕し、
韓国人が真実を知るようになることを強く望みます。

「慰安婦」研究 雲南の激戦地における悲惨と偉大 その4
地の塩になれればと  2014/02/19 14:27
(4)激戦地で日本兵と共に玉砕した
朝鮮人「慰安婦」の無言の重さを想う
2)日本軍守備隊が玉砕した雲南・拉孟における「慰安婦」は、
興竜会本部、福岡、一九五七年)でも記述されている。
その第二巻第十四の「慰安」(一八五頁以降)では、
「拉孟で最も立派な建物」を新築して「慰安所」とし、
昭和「十七年の暮も押し詰まった頃、
半島人の慰安婦十名が軍の世話で到着した。
十八年の夏頃又内地人と半島人合せて十名が派遣された。
最初の半島人十名は十八年に龍陵の慰安婦と交代したが、
これ等の慰安婦は十九年六月後方との交通が遮断された為
後方に脱出する事が出来ず、拉孟の将兵と共に玉砕した。
此等の女性は最初は慰安婦であったが、拉孟が包囲されるに及び
全く日本婦人と変り、兵の服を着用し炊さんに握り飯つくり、
患者の看護等に骨身を惜しまず働いて呉れたが、
気の毒なことであった」と述べられている。
 「気の毒なことであった」とは戦死・散華を示唆していると言える。
既述したように「投降」した、或いは隠れていて
発見された「慰安婦」もいるだが、
玉砕・散華した「慰安婦」もいたと考えられる(黙祷)。

3)先述の引用文は半島を統治していた日本側の見方であり、
被統治者ではない点も注意しなければならない。
当然、美化にも注意しなければならない。
 また玉砕したとしても、嫌々ながら逃げ出せず、
戦火の中で命を失った者もいる可能性もあるが、
そこまで言えば日本兵でも同様である。
 その上で、「慰安婦」となったからにはと、
「挺身隊」の文字通り身を挺した「慰安婦」もいたことから、
引用文は一面的であるとまでは言いきれない。
 (2)の6)で取り上げた、日本兵に朝鮮人「慰安婦」が
「この体、日本人ととこちがうか」、
「日本人と同じ米の飯食べてるんだ。
日本人と同じ天子様が
朝鮮をおさめているんだ。どこもちがわないね」、
また
「チョウセンピー、チョウセンピーって、
バカスルナァ!テンノヘイカ、ヒトツトォ!」
「おまえ(日本兵―引用者注)の格好は何たるざまだ。
それでも皇軍か?それでも神州男児か?この馬鹿野郎!」
などと言い返し、罵倒したことは、その現れである。
 このような朝鮮人「慰安婦」であれば、
当然、包囲された拉孟守備隊で
「全く日本婦人と変り、兵の服を着用し炊さんに握り飯つくり、
患者の看護等に骨身を惜しまず働」き、
日本人兵とともに玉砕したと言えるのである。 このように考えることは、
彼女たちの生き様をしっかりと受けとめることに通じる。
 そしてまた、生き延びた「慰安婦」の語る
被害の証言の重さを思うならば、壮烈に戦死・散華した
「慰安婦」の無言の重さをも思いを馳せるべきである。

(5)死者の声なき声に傾聴する
―「死人に口なし」では終わらせてはならない
1)玉砕前の拉孟守備隊の状況について、

吉武伊三郎軍曹(当時は伍長)の証言に基づき、
品野は、以下のように述べている(『異域の鬼』三二二~三二三頁)。
 「全滅の一日か二日前だった。
吉武伍長は慰安婦たちに大声で泣きつかれた。
慰安婦たちは看護婦がわりに働いている。
手足のもげた兵たちが呻き毎日々々死んでいく。
彼女たちの神経がもてている方が不思議なくらいだ。
 『どこでもいい、この場から一緒に連れて逃げてェ』とすがりつくが、
どうにも仕様がない。そのときまで二〇名の慰安婦はみな無事だった。
服装も、兵隊服やモンペでなく、女のワンピースだった。
『こんな女たちも道連れにせねばならんのか』と、
吉武伍長は不憫でたまらなかった。
 『連れて逃げ出したいのは山々だが、飛び出しても敵ばかりだし、
仲良く暮らしてきたのだから
兵隊たちと一緒に死のう』というしかなかった。
冗談まじりにいったつもりだったが口がひきつった。
 九月七日、横股陣地に追い詰められた。
雨でビシャビシャになっているコの字型の大きな横穴壕に
重傷者と慰安婦が入っている。
昇汞錠を重傷者と慰安婦にも与えた。
重傷者はほとんど飲まず手榴弾で自決した者が多かった。」
 自決のための「昇汞錠」を、吉武伍長は与えたが、
それ以上は働きかけずに当人の判断に任せたと読める
(次項の里美兵長の対応を参照)。
 なお、品野によれば、昇汞錠
(水に溶かして消毒に使う塩化第二水銀で、致死量〇・二~四グラム)が、
全員、自決用に
「二包あて(錠というが無色光沢柱状結晶)」渡されたという(二八四頁)。
 他方、千田は「青酸カリ」と記している
(前掲『従軍慰安婦 正編』一三八頁)。
それでは、千田は誤りかと言えば、即断はできない。
 品野がインタビューした者は知らなかったが、
隊長や指揮官は持っていた可能性はある。
また「慰安婦」は前々から所持していたとも考えられる
(金春子はピストルを渡され
いよいよ最後の時は自決しろと告げられ、自覚した)。
これは「慰安所」での性的行為は戦いの延長、或いは一環であり、
このような意味で名誉や尊厳を感得していたことを意味する。
それ故、敵の戦時性暴力を受けることは耐えられず、
操を守るために自決する。
 かつて、武家では少女が成人になると「懐剣(短刀)」を与えられ、
襲われれば防御・撃退し、そうできなければ自決した。
この武士道(婦道)的な精神を、金春子にも見出すことができる。

地の塩になれればと 2014/02/20 17:58

日本人慰安婦の証言 稼ぎについて
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成20年8月27日水曜日晴れのち雨 ○

確かに歴史的な制約を見なければならないが、
新渡戸稲造が『武士道』第一四章「婦人の教育と地位」で、
少女の「懐剣」に関連して、自分の純潔と信仰を守るために
自決したペラギアとドミニナを聖女に列していることは熟考すべきである。

2)その後、吉武伍長たち脱出するが、
その三、四時間前に「二、三人の慰安婦が飛び出」し、
「水無川に転げ落ちるようにして逃れた」一方、
日本兵の自決の「そば杖」か、或いは「一緒に」自決したか
確認できないが、脱出しなかった「慰安婦」もいた
(『異域の鬼』三二三~三二四頁)。
後者について、西野瑠美子は
「自決の巻き添えになった可能性もある」と述べているが
(『戦場の「慰安婦」―拉孟全滅戦を生き延びた朴永心の軌跡―』一〇五頁)、
日本兵とともに玉砕・散華した可能性もある。
 そして、先に引用した『異域の鬼』の同じ部分を、
西野は『戦場の「慰安婦」』一〇七~一〇八頁で引用し、
その時に脱出した一人であるとして朴永心の証言を紹介している。
即ち『戦場の「慰安婦」』は、『異域の鬼』に言及しつつ、
独自に聞き取りした証言も加えて、朝鮮人「慰安婦」朴永心の
悲惨な被害を取り上げ、日本人の反省・謝罪の必要性を提起し、
加害者である日本兵の証言も、これに沿って被害者(朴永心)の証言を
補強するようになっているが、
その信頼性への疑義を、本論文1(3)で述べた。

(6)玉砕と脱出―極限状況における
崇高な阿吽の呼吸(暗黙の合意)
1)玉砕前、拉孟守備隊から本隊に状況報告のために
「脱出」の命令が木下中尉、里美兵長、亀川上等兵の三名に出された。
その一人の里美の証言を、品野は『異域の鬼』でまとめている。
その中で「慰安婦」に関しては、次のように記されている(四〇五頁)。
 「私(里美―引用者注)は
弾のはいっとらん拳銃と軍刀だけしか持たんかった。
手榴弾もなかった。脱出命令を受ける前、
本部の下士官が〈慰安婦を殺せ〉といってきて昇汞
(消毒用の劇物―引用者注)の包みを一〇個ほどくれた。
〈おなごをみな殺してしまえ、
握り飯のなかに毒をいれて食べさせろ〉という。
 〈そんなバカなことをすんな。どうせ助からんし
捕虜になってもええじゃないか〉といったら
〈それならお前が死ね〉といわれた。
私は女に毒薬をやらず、水の溜まったドラム缶の中に捨てた。
朝鮮の女は〈捕虜になったがまし〉といっとった。
女を殺せなんちゅう命令など腑に落ちんことが多かった。
〈金光大隊長が生きとったら、
そんなことはいわんじゃろ〉と私はいった」
 「昇汞」を飲ませて殺害する命令が、
極限状況において出されたが、
現場では必ずしも実行されなかったことが分かる。
 さらに里美が従わなくても、下士官が
「それならお前が死ね」と言うだけであったのは、
彼の黙認を示唆している。
それは悲惨で残酷な戦場において
なお保たれていた人間性の証と言える。

2)この命令は、玉砕直前で、昇汞が、自決用に全員
「二包あて」渡された時(二八四頁)と思われる。
それは動けない傷病兵のためで、
それ以外は最後の銃剣突撃を行い、戦死するので、
謂わば無理心中の如きものと言える。
 それ以前、金光隊長は「大きな砲弾」の直撃で壕が崩壊し、
生き埋めになり(二七六頁)、この時は真鍋大尉が指揮していたが、
毒殺の命令が、彼からか、それともその下の者によるかは不明である。
 いずれにせよ無理心中的な「慰安婦」毒殺の命令は出されたが、
必ずしも現場で実行されなかったことは、
日本兵と「慰安婦」の絆の強さによるものと言える。

3)木下、里美、亀川たちが九月七日早朝に脱出しようとした時、
「ひとかたまりの兵隊たちが
〈お前たちばかり逃ぐるちゅうことはいかんじゃなか〉と詰め寄った」
という(四〇五頁以降、以下同様)。
 これに対して木下中尉は「上司の命令」で
「連れて行くわけにはいかん。ついてくるも、いかんも、
ついてくればしょうがないばってん」と答え、黙認を示唆した。
そして、木下の黙認は、部隊の黙認でもあったと考える。
 里美たち三人に「おとこ、おなごで七、八人」
(女は三人で全員日本人)が「ついて」いったと記されており、
合計十名という人数が守備隊で動けば、知られないはずはない。
 従って、残った兵隊と「慰安婦」は玉砕を覚悟して
黙認したと考えるのが現実的である。
ただし、この限界状況における阿吽の呼吸
(暗黙の合意)は伝えられず、ただ洞察するしかない。

4)脱出した後、里美たちは
「高さが二〇メートルもある草むらの崖を飛び降り」、
川幅が「四〇メートルくらい」で「胸まで深い」流れを渡り、
対岸に着くと、中国軍に発見されて
銃撃を受け、みな「バラバラ」になった。
 里美は夜になり、中国人に会い、泊めてくれと頼むと
(彼は中国語が話せた)、
「警戒が厳しいからといって牛小屋に寝かせてくれ」、
また「間道」を教えてくれた。
 その後、里美は他の者と「昆明の収容所で会った」という。


6)先述の「金光守備隊長の仲人で
相愛の兵と慰安婦が結婚して玉砕した」という点についても、
一概に否定できない。それは
「手榴弾で自決した者もおり、
そば杖を食ったらしい慰安婦の死体もあった。
兵と仲良しになっていた慰安婦もいたから、
一緒に死んだのかも知れない」という
可能性を捨てきれないからである(三二四頁)。
 そもそも守備隊において正式な「結婚」ができるわけがない。
「戦闘がひどくなると、慰安婦たちも兵舎のある陣地で
兵たちと一緒になって炊事の手伝いをしたり患者の世話をした。
そんな慰安婦ともいちゃついていた将校もいたが、
あとは女なんか構っていられなかった」という(三一九頁)。
ただし絶望的な状況下で、身を挺して必死に奮闘する
「慰安婦」と兵士の仲を、「実直で優しい金光」が認め、
励ますことはできる。
そして周囲も暗黙に祝福する。
ここでも限界状況における阿吽の呼吸が洞察できる。
 さらに、そのような場合、この「結婚」は、セクシュアルでも、
生殖的でもなく、ひたすら精神的で、崇高でさえある。
… 一部抜粋

1)「朝鮮人慰安婦は、欺されて連れてこられた
純情な素人娘が多かった」(『異域の鬼』八二頁)
と述べられている。
これは雲南に限らず、金春子もその一人である。
 そして、雲南において玉砕に向かう守備隊で
本当に頭の下がることがあった。
それは、砲弾と雨のなかをくぐり、乾麺麭の空缶にいれた
将兵の握り飯を、
二人一組になって運ぶ朝鮮人慰安婦の姿だった。
/炊事場は、ずっと山の下の
クルミ谷へ降りる中間の横穴にあった。
その辺りにも敵弾が撃ち込まれている。
少しでも煙が出ると直ちに迫撃砲の集中砲火をうけるから、
夜、火の明かりが漏れないように横穴の入口に
軍用毛布を幾重にも張って、煙にむせながら炊事をしている。
当時はまだ炊事軍曹がいて、兵たちが飯を炊き
各隊から兵隊が取りに行っていた。
一線がひどくなってからは慰安婦も運搬してくれたが、
いよいよ混戦になってのちは食事もほとんど届かなくなり、
小豆の塩煮缶詰などで
わずかに食いつないだ。」(『異域の鬼』二六七頁)。
 純情で騙され、それが続いて
愚かな結果になったと否定できるだろうか?
 タナトスに魅入られない限り、誰も死を望まない。
しかし、それに向かっていることが分かっても、
なお真面目に勤勉に務めを果たす者がいる。
それは愚直と言えるが、狡猾に立ち回る者より、
むしろ尊厳があり、偉大である。

 ①『女の兵器』一九〇~一九一頁
 危険な前線に巡回に出る前にピストルを渡され、
それで応戦し、最後の一発は
「耳のところにあててひき金をひ」けと自決に使うように指示され、
「まあ、怖い」と言うと、
「怖くても仕方ない。そう思った時はあの世に行ける。
おまえたちは、皆、やまとなでしこなのだから、もしもの時も
敵の捕虜になるわけにはいかないのだよ」と言われた。
 彼女は「そうね。捕虜になったら、
くにのお父さんやお母さんは、
憲兵隊にひっぱられるんでしょう」と言うと、
「そうだよ」と答えられた。
②同前、九六頁以降
 金春子が担当の長井軍曹に
「私たちは兵隊さんと同じなのですか」と尋ねると、
彼は「そうだ。まったく同じだ。あるいは兵隊よりも、
もっと大事な存在かも知れんな」と答えた。
 そして、彼女が
「それじゃ、手柄をたてたら勲章もらえますか」と聞くと、
次のような会話となった。
 「勲章ねえ」
 さすがに長井軍曹は困ってしまったらしく考えこんだ。
 「私、勲章をもって、故郷に帰りたいわ。
そうすれば皆感心してくれるわ」
 「そりゃあ、立派に戦って戦死か負傷でもすれば
勲章ももらえないことはないと思うがね、
女の身ではなかなか難しいかもしれないなあ。
しかし、金の方はうんと儲かるぞ。
一生懸命働けば、一年で千円や二千円は貯金ができる。
それを故郷の両親へ
送金することもできるのだから、安心して働くがいいさ」
 私はびっくりした。愛国奉仕隊へ入るというのだから、
無給か、兵隊さんと同じくらいに
安い給料で働かされるのだとばかり思っていたからである。
 「そうさ、儲かるさ。みんな、金持になって、
中には、支那の北京や、天津へ行って、
その金で料理屋をやり、出世している者もあるよ。
ちゃんと故郷から両親を呼び出してな、立派にやってるよ」
 私はそれほど出世したいとは思わなかった。
 それに故郷を離れて暮らすのは、
何と言っても淋しいことだった。
 これを、平和な時代に生きる者が、
彼女は飴と鞭で統制されたと片付けていいだろうか?
巨大な複合的暴力が暴走する中で、
彼女には選択の余地はなかった。
しかし、その運命を、
彼女は前向きに受けとめ、真面目で勤勉であった。
・・・ 一部抜粋

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2015年8月3日月曜日
元朝日新聞社、波佐場 清氏が

2016年2月29日月曜日
ソウル市が慰安婦映画「鬼郷」上映へ。

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