慰安婦問題について、いろんな報道: “革命の英雄”追悼に市民総動員 世代間の差も露わ。カストロ氏死去 安倍首相が哀悼の意 各国首脳も追悼。フィデル・カストロ・キューバ前国家評議会議長が死去と報道。馬渕睦夫、フィデル・カストロと 日本人の幸福論[桜H27/5/8]。カストロ前議長が公の場に、 外国訪問団と交流 キューバ。孤立していたのは米国だった?:対キューバ政策「大転換」の背景 - 遅野井茂雄。【米、キューバと国交正常化交渉】 大使館開設へ オバマ、カストロ両氏、声明発表 …半世紀の政策転換

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2016年11月30日水曜日

“革命の英雄”追悼に市民総動員 世代間の差も露わ。カストロ氏死去 安倍首相が哀悼の意 各国首脳も追悼。フィデル・カストロ・キューバ前国家評議会議長が死去と報道。馬渕睦夫、フィデル・カストロと 日本人の幸福論[桜H27/5/8]。カストロ前議長が公の場に、 外国訪問団と交流 キューバ。孤立していたのは米国だった?:対キューバ政策「大転換」の背景 - 遅野井茂雄。【米、キューバと国交正常化交渉】 大使館開設へ オバマ、カストロ両氏、声明発表 …半世紀の政策転換

キューバの首都ハバナでは25日に死去した
カストロ前議長の追悼式典が始まり、
100万人規模の市民が集まっています。

 (西尾哲也記者報告)
 キューバ政府は学校や公的機関をすべて休みにするなど、
市民を総動員しています。
式典は開始から3時間が経ちますが、前議長の功績をたたえる
各国要人の弔辞が続いています。
日本からは総理特使として自民党の古屋選対委員長が出席したほか、
アメリカは非公式的な立場で大統領副補佐官を出席させました。
また、ロシアの下院議長や中国の国家副主席、
北朝鮮からは金正恩委員長の側近らが出席したほか、
ボリビアやベネズエラなど
反米路線で協調してきた首脳が勢ぞろいしています。
その一方で、キューバ革命を直接、知らない若者のなかには
スマートフォンを片手に退屈そうに座り込む姿も目立ち、
経済開放が進むなかで世代間の温度差を強く感じました。
式典はこの後、弟のラウル・カストロ議長が国民に結束を呼び掛け、
社会主義体制の維持を
国際社会に強くアピールするとみられていますが、
反米左派のシンボルだった前議長の死で
中南米の政治情勢は大きな転換点を迎えたといえます。
キューバは26日、フィデル・カストロ前国家評議会議長の
死去を受けた服喪期間に入った。
8月に行われた90歳の誕生日の祝賀式典や、9月に訪問した
安倍晋三首相との会談では、前議長は元気な姿を見せていた。
「革命の英雄」の訃報は現地でも、やや突然だったようだ。

〔写真特集〕キューバフィデル・カストロ前国家評議会議長
 AFP通信によれば、共産党機関紙グランマが
前議長死去のニュースを電子版に掲載したのは、
国営テレビを通じた発表の約5時間後だった。
「時間にはおおらか」と評されることが多いキューバで、
遅いか速いかは評価が分かれそうだが、
AFPは「不意を突かれたようだ」と伝えている。
 訃報公表時、パーティーに参加していたという
洗車業マルコ・アントニオ・ディエスさん(20)はAFPに、
前議長の死去が発表されると音楽が突然やんだと説明。
「自宅に戻ってみんなを起こし『フィデルが亡くなった』と伝えた。
母は驚いていた」と振り返った。
一方、一夜明けたキューバは服喪の色に染まり始めた。
ロイター通信によると、
前議長の母校でもある首都のハバナ大学では
26日、学生らが追悼集会を開いた。
参加者らはキューバ国旗を振り「フィデル万歳」と絶叫。
参加した学生のラウル・アレハンドロ・パルメロスさんは
「フィデルはキューバを有名にし、
特に貧しく取り残された人々にとって、
手本となる国にした」とたたえた。

【特集】キューバを待ち受ける「新たな戦い」
~宿敵・米国と国交回復へ~

フィデル・カストロ前国家評議会議長と握手する安倍晋三首相。
キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長。
【産経新聞号外】カストロ前議長が死去[PDF]
 【ニューヨーク=上塚真由】1959年にキューバ革命を主導し、
半世紀にわたり反米の社会主義政権を率いた
キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が
25日午後10時29分(日本時間26日午後0時29分)、死去した。
90歳だった。
実弟のラウル・カストロ議長が
キューバ国営テレビを通じて発表した。

 フィデル氏は2008年に元首である議長職を引退した後も、
キューバ革命の「英雄」として絶対的な影響力を保持しており、
死亡によるキューバ国民や指導部の動揺は避けられない。
ただ、キューバは後継者のラウル氏の体制で
15年に米国と国交を回復しており、社会主義体制を維持しながら、
米欧との接近を進める現在の路線に変化はないとみられる。
ラウル氏の発表によると、遺体は火葬され、
葬儀日程は26日に発表される予定。死因は明らかにしていない。

 フィデル氏は2006年に腸内出血で手術を受けた後、
体調が回復せず、08年に議長職を引退した。
1926年、東部ビランで裕福な農場主の子供として生まれ、
ハバナ大学を卒業。弁護士として働くが
親米バティスタ政権打倒を目指し、武力闘争を開始した。
メキシコへの亡命を経て
56年、革命家のチェ・ゲバラとともにキューバ国内に潜入して
ゲリラ戦を展開。
59年にバティスタ政権を打倒し、革命を実現した。
 東西冷戦中にはソ連に接近し、
米国が61年にキューバに国交断絶を通告すると、
社会主義路線を宣言。
62年には、米ソが核戦争の危機に直面した
キューバ危機」を招いた。
 91年のソ連崩壊で経済危機に陥り、
生活苦から米国への経済亡命者が相次ぐようになったのを機に、
国民の外貨所有・使用容認に踏み切った。
 1995年と2003年に来日。
今年9月には日本の首相として初めてキューバを訪問した
安倍晋三首相とハバナ市内で会談した。

2016年9月23日金曜日
安倍晋三首相がキューバ訪問 北朝鮮問題で協力要請。
キューバ訪問の岸田外相、カストロ兄弟と相次ぎ会談 異例の厚遇
キューバのフィデル・カストロ前議長、9か月ぶり姿見せる
Fidel Castro visits Havana school 2016/04/08 AFPBB News
革命家として生き、半世紀以上にわたりキューバを導いたカストロ氏
AFPBB News 2009/11/05

【日いづる国より】馬渕睦夫、フィデル・カストロと
日本人の幸福論[桜H27/5/8] 

ハバナ(CNN) キューバの共産党青年同盟機関紙
「フベントゥ・レベルデ」は4日、
フィデル・カストロ前国家評議会議長(88)が
公の場に元気な姿を見せたと報じた。
同氏は2006年に腸の手術を受けて
実弟のラウル氏に実権を譲った後、
公の場にあまり登場せず、前回から1年以上が経過していた。
同紙はフィデル氏が「活力あふれる」様子だったと伝え、
バスの窓から手を差し出す人々と握手する写真を掲載した。
同紙によればフィデル氏は3月30日、ハバナ市内の学校を訪問した際に
友好国ベネズエラの訪問団と遭遇。33人のメンバーひとりひとりと言葉を交わ し、
国際情勢などについて語り合った。
オバマ米大統領が最近、ベネズエラへの経済制裁を強化した問題にも言及し、
撤回を求める署名運動の継続を呼び掛け た。
フィデル氏登場を最初に報道したベネズエラの放送局、
ラジオ・デル・スルによると、同氏は訪問団と約30分にわたって面会し、
首都ハバナの自宅で栽培している薬草「モリンガ」の話もしていたという。
訪問団のメンバーは同局とのインタビューで
「フィデル氏は心身ともに元気。目にも輝きがあった」と語った。


新潮社フォーサイト 2014年12月22日 19:02
ブログス
孤立していたのは米国だった?: 
対キューバ政策「大転換」の背景
- 遅野井茂雄
オバマ大統領がついに歴史的決断に踏み切った。
半世紀以上にわたる経済制裁など、
カストロ体制を孤立させるはずの
キューバの政策が明らかに失敗であることを誰もが認めながらも、
歴代のアメリカ大統領がなしえなかった決断である。
 先の中間選挙における民主党の敗北の後、
任期2年を残すオバマ大統領は
そのレイムダック化が避けられないと予想された中で、
大統領権限を駆使し て、懸案の移民制度改革を発表したのに続き、
今度はキューバ政策の大転換という攻勢に出て、
政治的指導力を保持しようとした形である。
そこには2年後のク リントン候補による
民主党政権の継続につなげたいとの思いがあるはずだ。

「関与を通じた転換」
 12月17日の米国時間正午から行われた15分間の演説で明らかにした
キューバ政策の転換は、世界に大きな驚きをもって迎えられた。
たしかに 1962年から続くキューバに対する経済制裁は、国連でも毎年非難決議がなされ、
世界的に完全に支持を失っていた。
フロリダの亡命キューバ人コミュニ ティーに支配的だった「カストロ憎し」に基づく政治圧力も
世代交代が進む中で変化がみられ、また米国の経済界も、経済制裁が続く中で
目と鼻の先の1000 万人市場で、他の先進国や新興国がビジネスチャンスを
わが物にする光景を以前から苦々しく見ており、政策転換に向けた圧力も強くなっていた。
しかし、カス トロ存命中は、関係正常化は無いとする固定的な見方に、筆者を含め
ほとんどが囚われていたから、発表はクリスマスを前にした大きなサプライズとなった。
 だが、カストロ死後のキューバの社会主義体制の転換(regime change)という
想定されてきたシナリオは、それにともなって予想されるコストも大きい。
実際フィデル・カストロ前議長が2006年腸の手術のため実権を弟のラウルに委譲した際、
筆者も死亡の際の識者コメントを通信社に依頼され送ったが、その後カストロは
快復して健在ぶりを示し、その記事は塩漬け状態 となったままである。
その間に、弟のラウルの統治下で、経済改革が徐々に進み、キューバ国内にも
変化が出始めていた。
 そうした中で、キューバ系住民の渡航や送金の緩和などオバマ政権が進めてきた
「関与(engagement)を通じて転換をもたらす政策」の方が 得策との判断に至ったもので、
キューバに拘束されていたアラン・グロス氏や、両国の諜報員の交換交渉を進める中で、
最終決断に至ったものと考えられる。
その点は、大統領の声明にも明確に示されている【リンク】
 まさにイデオロギーに縛られず、変革を謳って政権に就いたものの、外交上の得点を
挙げることができなかったオバマ氏が、就任時の原点に立ち戻って行なった
歴史的決断といえるであろう。

米州サミットの重要性
 日本の報道ではほとんど言及されていないが、今回の正常化に向けた判断は、
まずもってアメリカと中南米の関係、つまり米州関係の文脈において
理解されるべきである。
大統領の声明にも、来年4月に開催される第7回米州サミットを前に、オバマ政権が
中南米との関係においてリーダーシップの再構築を意図 していることを謳っている。
 米州サミットは1994年12月、当時のクリントン大統領がマイアミでキューバを除く
米州34カ国(カナダを含む米州機構OAS加盟国)の首脳会 議を開催、
市場化と民主化を柱に西半球に経済統合を推進しようと民主党政権下で構築した
中南米との協調関係の象徴となった。
ちなみにこの12月で20周年 を迎え、ケリー国務長官は
12月10日の20周年を祝う記念講演で、キューバを特定せずに、
関与政策をもって民主化、人権促進を展開することの重要性を強調していた【リンク】
 第1回首脳会議で採択された2005年を目標とする米州自由貿易地域(FTAA)創設の
ための貿易交渉は、その後2005年末までの発足を確認するところまで進んだものの、
2001年の同時多発テロ後の共和党ブッシュ政権下で停滞、ベネズエラを中心とする
反米・左派政権の台頭を許し、期限内の創設に失敗
05年の第4回会議では交渉再開の合意すらできない外交的敗北を米国は甘受した。
 ブッシュ政権の単独行動主義が中南米の左傾化と反米政権の誕生をもたらしたとの
認識のもとに、中南米諸国との関係改善をねらったオバマ政権は、米州機構を軸にする
多国間の協調主義に転換、発足直後の2009年には、1962年米州機構から
社会主義キューバを除名した決議を撤回することに賛成している。
だがキューバの米州機構への復帰には、米州民主憲章などの諸原則を受け容れることが
必要で、キューバ政府は「米支配の道具」とみなす同機構への復帰を拒絶してきた。

弱まった米国の指導力
 オバマ大統領は就任直後のサミットで、未来志向での関係構築を訴え協調関係を回復
しようとしたが、キューバ問題をめぐりベネズエラに指導された ALBA(ボリバル同盟)諸国
との間で溝は深まり、2012年の第6回会議ではキューバの参加を求めるALBA諸国の
大統領が米州サミットを欠席し、共同宣言すら出されなかった
キューバ参加問題は、同調する他の中南米諸国を巻き込み、次回パナマでの
サミットまでの課題となった。
冷戦の遺物をなくすべきとする中南米諸国と民主体制の原則に拘るアメリカとの溝は深く、
アメリカ抜きで、キューバを含めて2011年に発足したラテンアメリカ・カリブ諸国共同体
(CELAC)の動きもあり、米主導のサミットの存在意義が問われただけでなく、
キューバ問題が、米州におけるアメリカの指導力全体を弱めてきたことは明らかであった
2012年4月23日付「米国の指導力の陰りを印象づけた米州サミット」参照)。
 次回開催国のパナマ政府は、サミットへキューバ政府を招待しており、
アメリカ政府は判断を迫られていた。 17日の大統領発表を受けて、ケリー国務長官は、
米国のキューバ政策が、「キューバを孤立させるのではなく、実際アメリカを孤立させてきた」
と率直に述べている【リンク】

関係正常化の前兆
 中南米との関係においてキューバ問題は、
中南米諸国の団結とアメリカ政府の孤立を招き、
ニカラグア運河の建設計画など中国の外交的膨張やロシアの進出を前に、
少なくともアメリカの中南米政策の展開において外交政策の余地を狭める
大きな障害となってきたことは明らかである。
関係正常化に踏み出した背景には、
この隘路を打開しようとする意図があったということだ。
大統領声明は、まさにアメリカ政府が歴史的に求めてきた米州共同体への
回帰の宣言とも言える。
 米州サミットを前にした観点から、
オバマ大統領がキューバ政策の転換を行う余地の
あることを示す記事を事前に掲載していたのは、
12月6日付の英誌「エコノミスト」である
Bello: “The Cuban question” 【リンク】)。 
その根拠として、
①アメリカ国民に経済制裁の支持が低下していること
(アトランティク評議会の今年の世論調査で56%が関係改善を支持、
キューバ系移民が集中するフロリダでも60%以上が支持)
②キューバにおける経済改革の進展
③キューバ問題が中南米諸国を団結させる重要な要素となっている点を挙げていた。

チャベス死去の衝撃
 キューバ政策の転換は、キューバにとっては対米政策における大転換である。
経済の統制や貧困、人権の抑制を正当化できたのは、アメリカの敵視政策であり
経済制裁であったからである。半世紀以上の外交の根幹を覆すこととなる。
 その点では、まず21世紀になり体制維持の後ろ盾となってきたベネズエラの
チャベス大統領の死去が大きいだろう
チャベス存命中は、はたして キューバ政府はアメリカ政府との正常化交渉に
踏み出せただろうか。
反米の旗のもとキューバと同盟関係を築き、日量10万バーレルの石油の供給を通じで
社会主義体制を支えてきたチャベス政権との関係が重要であろう。
 チャベス前大統領が2011年キューバで腹部のガンの手術をしてから、すでに病状の
進行について、キューバ政府は完全に掌握していたはずである。
またベネズエラに軍事顧問を派遣していたキューバ政府は、社会経済の困難に見舞われた
ベネズエラ情勢を把握し、ベネズエラのポスト・チャベス後を見越した自国の体制維持に
動き出していたとみて間違いないだろう。
 チャベス死去1カ月前の2013年2月には、キューバ人民権力全国会議は
ラウル・カストロ議長(当時81歳)の再任を決議したが、同議長は任期5年後の
18年の引退を表明、同時に第1副議長に52歳(当時)の
ミゲル・ディアス=カネルが選出された。
第1副議長は、ラウル議長と同様カリスマ性を欠く もののプラグマティズムの持ち主で、
軍ともパイプをもち、経済改革への有能な行政手腕が評価され、ポスト・カストロ体制を
託された。今年7月には訪問した ロシアのプーチン大統領との間で、対ロシア債務の
90%の免除という外交成果を得ている。
18カ月の水面下でのアメリカとの交渉という時間の経過は、こう した環境の変化を
説明するものだ。(2013年3月6日付「後継が定まったキューバ・カストロ体制」参照)

原油急落とローマ法王
 そこに、ここにきての原油価格の急落である。
この激震が、政府収入の95%以上を石油輸出に頼る後継のベネズエラのマドゥーロ政権を
揺さぶっており、日量10万バーレルの石油の供給にも赤信号が灯り始め、キューバ政府の
決断を急がせたものと推測される。
またアメリカ政府にとっても、キューバとの関係正常化交渉は、こうした苦境に立つ
ベネズエラに対する圧力となり、ボリビアやニカラグアなど反米勢力への影響力も
大きく外交的な巻き返しが可能となるで あろう。
 さらにキューバでの民主化運動は、1998年のローマ法王ヨハネ・パウロ2世の訪問と
2002年のカーター米元大統領のキューバ訪問を機に勢いがついた
民主党とバチカンの役割である。
2010年7月キューバ政府は2003年に収監された政治犯52人を釈放したが、
それはカトリック教会の仲介によ るものであった。
今回は2013年3月に法王に就任した初の中南米出身(アルゼンチン)のフランシスコ法王で、
その仲介が重要であったと、声明で大統領自 ら謝意を表している
庶民派法王としてバチカン改革に取り組み、外交的にも存在感を増し、中南米における
キューバ問題の感受性を深く理解している法王の存在が、関係正常化への決断に向けた
大きな推進力になったといえよう。

交渉の前途には大きな障害
 とはいえ、両国の関係改善への交渉には大きな障害が立ちはだかっている。
4月の米州サミットでのキューバ政府の参加に障害は除かれたが、
「一夜に 転換は期待できない」とオバマ大統領自ら今後の交渉には時間のかかることを
声明で認めている。
演説は、議会やキューバ政府、キューバの市民社会など各方面に目配りをした
バランスのとれた演説であった。
 制裁解除や大使人事の承認など共和党支配の議会の支持は決定的である。
また、キューバ政府がどの程度、反政府的な市民社会の活動を認めていけるか。
体制維持を目指すキューバ政府と関与政策による転換を目指すアメリカ政府の
意図の間にはトレードオフの関係がある。
ベトナムや中国との関係改善のように異なる体制の共存をキューバとの間に
本当に構築できるのか。
交渉では、異なる意図の交錯する難しい方程式が2国間関係に止まらず、
両国の国内政治と、
また米州機構や中南米諸国の国際関係を巻き込む形で展開されることになる。
 着地点は見えないが、歴史の歯車が回り始めたことだけは確かである。
(遅野井茂雄)

執筆者:遅野井茂雄
筑波大学大学院教授、人文社会科学研究科長。
1952年松本市生れ。東京外国語大学卒。
筑波大学大学院修士課程修了後、アジア経済研究所入所。
ペルー問題研究所客員研究員、在ペルー日本国大使館1等書記官、
アジア経済研究所主任調査研究員、南山大学教授を経て、2003年より現職。
専門はラテンア メリカ政治・国際関係。
主著に『21世紀ラテンアメリカの左派政権:虚像と実像』(編著)。
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偉業実現へ秘密交渉=キューバと歴史的合意
-ローマ法王が仲介・オバマ米政権

(2014/12/18-16:11) 時事通信社
【ワシントン時事】
オバマ米大統領が17日に発表した
キューバとの国交正常化方針では、
2013年春から秘密交渉が進められていた。
オバマ氏の基本的な 外交姿勢は対話を重視するものだが、ウクライナ情勢や
シリア内戦では思い通りに情勢を動かせていない。
対キューバ関係で周到に準備した関与政策を用いて東西冷戦の遺産を解消できれば、
政権の歴史的な偉業になる。
 大統領がキューバとの関係改善への秘密交渉を承認したのは13年春。

さまざまなチャンネルを通じて、キューバ側にシグナルを送った。
政権は当時2期目に入ったばかりで、大統領は同年3月、
中東政策の立て直しを狙ってイスラエルとヨルダンを訪問した。


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【佐藤優】「米キューバ国交正常化」報道は持ち上げ過ぎ!
オバマ点数を稼ぎたかっただけ douga yukaina

2014.12.18 02:50更新 産経ニュース
米、キューバと国交正常化交渉】
大使館開設へ オバマ、カストロ両氏、声明発表

…半世紀の政策転換

  【ワシントン=青木伸行】オバマ米大統領は17日、ホワイトハウスで声明を発表し、
1961年から断交してきたキューバとの国交正常化交渉を始める方針を示した。
両国は大使館を数カ月以内に開設し、銀行や貿易取引の正常化を話し合うことでも合意した。
米国はキューバに対するテロ支援国家指定の解除も検討す る。
 62年の「キューバ危機」で、米国と旧ソ連の核戦争の瀬戸際にまで追い込まれた
両国関係は、歴史的な転換点を迎える。
オバマ氏は声明で、
「50年にわたる政策を継続しても、(これまでと)異なる成果は期待できない」と述べ、
孤立政策が機能しておらず、積極的な関与政策への転換が不可欠だとの認識を示した。
 ホワイトハウスによると、両国は来年1月、ハバナで局長級の国交正常化交渉を始める。
経済制裁の段階的な解除を柱に、渡航制限の緩和など人的交流の強化も検討する。
 ロイター通信によると、キューバのラウル・カストロ国家評議会議長も同時刻に
首都ハバナで演説した。
  キューバ政府は17日、発表に先立ち、スパイ容疑で2009年から拘束してきた
米国人男性アラン・グロス氏(65)を解放した。
米政府高官によると、両 国政府はローマ法王フランシスコやカナダ政府の仲介で、
13年6月から秘密裏に接触を続けてきた。
オバマ氏とラウル・カストロ氏は16日、電話会談した。
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